「……どうだろうキット殿、もう巫女様もしっかりしているし、ノーヴァを離れアルバレアにあるヴィオール領の教会で仕えないか? 君ならゆくゆくはアルバレア王都の聖堂司教に就けるように手を回してもいい」
ヴィオールはキットを捕まえて彼女を故郷の宗教施設に勧誘していた。
司祭には不得手のはずの体技や暗器を使い、自らの手を汚して主あるいは仲間を守るキットの姿にヴィオールは感銘を受けたのだ。
「お断りさせていただきます。ああ見えて巫女様は手のかかるところもありますので……それに巫女様のような竜の化身は年を重ねるのが遅いのです。私がシスターになる前から今の姿のままでして……ですので私の子が後を継げるまでは巫女様の側にいたいと思います」
一礼して誘いを断るキットだがチキは不満げに口を挟む。
「むぅ、キットってば。キットがいなくても身の回りのことくらいできるよ。昔は私の方がキットをお世話してあげたくらいなんだから。そろそろ私のことは気にせず公爵さんのところへ行ったらいいじゃない」
幼少時の話を持ち出すチキにキットは慌てて答える。
「そ、そういうわけにはいきません! 私が巫女様のお手を煩わせたのは言葉通り右も左もわからない子供だった時の話です。それにその頃から巫女様は私が起こしに来るまで起きてこないじゃないですか」
「ほう! キット殿にもそんな幼少の頃が…」
「そうそうキットのお母さん、チェルシーが私をノーヴァに連れて来てからすぐにキットと引き合わせてくれて、それから一緒に遊んだり姉妹のように育ったのに、キットがシスターの修行を始めてから巫女様だのチキ様だの堅苦しい呼び方ばかりするようになって、チキお姉ちゃんは悲しいです」
チキは過去を振り返りため息をつく。
「む、昔は礼節をわきまえていませんでしたから、その呼称は忘れてください!」
喧嘩を始める彼女たちの片割れにヴィオールは最後にもう一度だけ尋ねる。
「それで……巫女様は君がヴィオール領に行くのに賛成のようだが、君はそれでも巫女様のもとから離れたくないのか?」
ヴィオールの確認にキットは強く首を縦に振る。
「はいっ! 私に二人以上の子供が出来てその子が成長したときに子の方に声をかけてください」
「もう……大丈夫なのに……もしかしてキット、そんなにお姉ちゃんから離れたくない?」
すねた直後に一転チキは意地悪気な笑みを浮かべてキットをからかう。
「なっ?」
「そっかそっか。キットがお姉ちゃん離れできるまで一緒にいようねー」
「ち、違います。あなたのそういう子供っぽいところが直るまで目を離せないんです。……こら! 腕を伸ばしても頭を撫でさせたりしませんよ」
そうやって喧嘩をしているチキとキットの様子はまぎれもなく旧来の友人そのままだった。――キットが友人の妹とじゃれているように見えている者の方が多いが――ヴィオールはそれを見届けると他国の貴族に呼ばれ席を立っていく。
彼と入れ替わりに。
「あら、相変わらず仲がいいですね」
「あなたは!」
キットが新たに現れた女司祭に気付き喧嘩を止める。
「! ……」
チキもティーナを見るがジト目である。
「初めまして神竜の巫女様、シスターキット。ヴァルム帝都聖堂に出仕していた司教ティーナと申します」
「これは……カーシャ殿を助けた時は無理を言って申し訳ありません。結局ティーナ様には以前と変わらぬ待遇でノーヴァに戻って頂く形になってしまって、私が教皇様に直訴できる立場だったらティーナ様の位階を一つでも上げるようお願いしましたのに」
カーシャの救出が始まってからティーナはノーヴァ教国の大聖堂に帰国することになった。
神竜であるチェイニーに協力したという功績を持ちながらヴァルム帝国に配慮して大司教への叙階を受けない形で。
「いえいえ……あの麗しいチェイニー様に姿をお貸しできただけでも光栄の極みというものです」
キットの謝罪にティーナは手を振って返す。
「……?」
一部余計な修飾語がついているが?
「初めまして……じゃないでしょ。チェイニー!」
チキの言葉にキットはハッとする。そこでティーナに変身していたチェイニーは姿と声を戻す。
「ははは……しばらく見ない間に勘が鋭くなったなチキ。女の勘ってやつかい?」
ザワザワ!
会場内は突然姿を変えた人物に注目が集まる。
「はーい、どーもー。今宵の余興はお楽しみいただけましたでしょうか?」
観衆に向かってチェイニーはこれは手品だと言って一通りの人物に変身し拍手を受ける。どうやらみんな芸の一種ということで納得したらしく、何回か変身を見たら飽きて観衆はだんだんチェイニーから視線を外し歓談に戻っていく。
もちろんチェイニーの変身能力を見たことのある者も十数人はいるが、彼らもチェイニーの正体を告げ口する気はないようだ。彼が神竜というのはでたらめでまだ何か種があると思っている者も多い。
キットは呆れてチェイニーに問いただす。
「……では本物のティーナ様は?」
「ノーヴァだろう? 皇帝を騙してすぐにヴァルムに来る肝を持ってる奴なんてそうそういないぜ」
頭を抱えるキットにチェイニーは悪びれず手を頭の後ろに組んでしてやったりの笑みを浮かべる。
「とりあえずありがとうチェイニー。カーシャを助けてくれて。カーシャも私にとって大切なお友達だから」
チェイニーにチキが礼を言う。
「なあに。あの子がさらわれるのを見てから彼女を助けるのに適任なのは俺だと思ってたからな。……変身する対象も美人の司祭だし文句もない。……リーベリアって大陸に行ったナルサスなんて人質を助けるためにオッサンに変身してたんだぞ。あれには同情する」
「……?」
初めて聞く名前にキットとチキは首をかしげる。
キットはもちろんチキも生まれてすぐ眠っていたため異大陸へ旅立ったナルサスの事を知らない。
「それよりお前が西の大陸に移住するなんてな。メディウスを倒した後お前がパレスに住むって聞いても俺もガトーもあそこにはそう長くはいられないって予想がついていた。案の定すぐに隠れ里に引っ越す羽目になったってとこまでは知っていたんだが……ついこの前別の里に住んでいた仲間に聞いて驚いたぜ。ユグドラルの兵が里を襲ってそいつらを撃退してもチキだけ別の里に行かず西大陸の人間について行っちまったってな」
「うん……あの人たちの狙いは私みたいだから、私がみんなとついていくことでこれ以上みんなを危険な目に遭わせたくないし」
「チキ様を連れだしたのは私の母です。神を信仰する人にとってバレンシアにはミラ様に代わる神が必要でした。また母はあの状況ではチキ様をノーヴァに連れていくことがチキ様にとっても他の竜の方々にとっても最善だと判断していたようです。……ですがバレンシアの事情でチキ様を故郷から引き離したのは変わりません。不詳の母に代わって改めてお詫びいたします」
そこまで言ってキットはチキとチェイニーに深く頭を下げる。
「それはいいよ。私もみんなとはいられないって思ってても一人だけでどうすればいいのかわからなかったし、チェルシーのおかげで住むところにも食べる物にも困らずに済むし」
「チキがいいって言ってるのに俺が文句を言うことでもねえな……それにこの西大陸はナーガにとっても縁のある場所だし」
チェイニーの言葉にチキとキットは疑問を覚える。
「数千年前にドーマとミラがここに移り住んだんでしょう? そういう意味なら竜族とも縁のある場所だけど」
「それだけじゃない。……それよりはるか昔ナーガはこの大陸で育ったんだ」
「ええ!?」
チェイニーが明かす事実にチキは仰天する。
「この大陸でナーガたち竜族の祖先が生まれたのか……それとも事情があってナーガだけこの大陸で育ったのか……それ以上のことをナーガは何一つ誰にも言わなかった。……ナーガがこの大陸で育った。わかっているのはそれだけだ」
「……」
チキもキットも何一つ言えない。
確かに疑問だらけだ。
ナーガがこの大陸で過ごしていた時代に人間はいたのだろうか?
いたと知っていたらなぜドーマとミラを他の大陸へ追放したのだろうか?
人間に干渉しようと主張した彼らがこの大陸に流れ着いたら西大陸の人間を彼らの思い通りに作り変えようとするとわかっていただろうに。
だがそれらの疑問をチェイニーに聞いても無駄だ。彼も知らないに違いない。
「ただこの大陸にあるナーガが育った場所に奴の力が満ちているのは確かだ。……その地ならチキの神竜としての力を一部取り戻せるかもしれねえな」
「えっ! 本当?」
思いがけない朗報にチキは身を乗り出す。
「おおっと、今は無理だ。今のその地には港ってものが作られている。港を破壊してでも力を取り戻したいなら話は別だが」
「なんだ……」
期待を裏切られてチキは沈む。
世界を救うためとはいえ町や港一つ破壊していいはずがない。そんなことをしなくても今のファルシオンにはギムレーを封印する力があるし、神竜の力でもギムレーを完全に滅ぼす力はない。当のナーガがギムレーを滅ぼす方法がわからないと言っているのだ。
「まっ、できたとしても取り戻せるのはほんの一部だけだ。神竜に変身できるようになんて望めない。せいぜい竜そのものに変身する力もなくなった時にその場所に行けば他の竜に変身するぐらいはできるようになるだろうってとこだ……まあ「真竜石」が使えるぐらいには回復するだろう」
「真竜石?」
千年前の戦いでそんな竜石を手に入れたことは無い。チキは首を傾げた。
「ああ。普通より強い竜の力を封じ込めた石だ。神竜には遠く及ばないがな」
「へえそんなものがあるんだ。……今はどこに?」
チキの問いにチェイニーは肩をすくめる。
「知らないな。普通の石ころや宝石だと思って拾っている人間がいるだろうが……今よりさらに竜のことが忘れられたころにどこかの店で売り出されるようになるさ」
「そうか」
チキはあっさり引き下がる。真竜石があっても他の竜より多少強くなったくらいでギムレーを倒せるとは思わない。それより砕け散る寸前のこの神竜石でたった1回でも神竜になってギムレーに深い傷を負わせられるようになれば。だが神竜の力を使い切ったその時自分はどうなってしまうのか。
その時はさっきチェイニーが言ったように竜自体に変身する能力を失ってしまうかもしれない。
だからチェイニーが言った神竜の力を回復できるナーガの故郷の話はチキにとってかなり大切な話だった。
「ありがとうチェイニー。ナーガの故郷のこと、よく覚えておく」
「おう。もしかしたら千年もしたら港がなくなって誰もいなくなってるかもしれないしな。その時は墓参りのつもりで行ってみるといい。……テーベをナーガの墓とは思いたくない」
チェイニーはテーベで行われていた錬金術やそれで生み出されたもののことは知らない。だがオーブを手中に入れたままにするためチキを操っていたガーネフが使っていた塔は忌々しく思うし砂漠の地下に満ちるまがまがしい邪気はチェイニーでさえ吐き気を覚える。
テーベの邪気を思い出して食欲をなくしたチェイニーはチキたちと別れて外の空気を吸いに会場から出て行った。
宴はもう少し続く。