かたや蠢く者たちがいた。
ペレジア王国南東部 竜の祭壇。
南西にある竜族の遺跡にして魔竜や地竜の墓場である本物の竜の祭壇とは逆の方向に作られその場所と同じ名前を付けられた祭壇で多くの黒いローブを着た信者たちが邪竜を模した像に向かって祈りを捧げている。
その祭壇に黒髪の若い男が妙齢の女を従えてやってくる。今年で齢25。
信者たちは祈りを止め、男を見、彼を迎え入れた。
「教主様!」「ギムレー様はいつお目覚めになるのです?」
「…………」
男は答えずに信者たちを見る。
顔を見ようとしているようだ。だが皆フードをかぶっていてうまくいかない。
「同士諸君。フードを外せ。ギムレー様を崇拝する同士の顔を覚えておきたい」
教主と呼ばれる男の命ずるままに信者たちはフードは外し顔をさらす。
「ふむ……」
教主は信者たちの顔をよく見ていた。老若男女隔たりなく眺めるふりをしていた。
「……ほぉ」
教主の目はある女にとまる。栗色の髪の美しい女だ。歳も20前後といったところだろう。
女から視線を外すと教主は信者たちに告げる。
「我らが神竜ギムレー様の目覚めを心待ちにしている同士諸君! 諸君らには心苦しいことだが我々が生きてる間にギムレー様の目覚める時が来ることは無い」
「そんな……」「我々に救いはないのか……」
悲嘆にくれる信者たちに教主は続ける。
「だが時を重ねればギムレー様が目覚める日は必ず来る。……見よ我が左手の甲に宿りし聖痕を!」
教主は左手の甲をかざして見せた。そこには6つの眼のようなまがまがしい文様のような痣があった。
だがギムレーの姿を見たことがある者にはそれは紛れもないギムレーの6つの眼を移した聖痕だった。
「私の父もこの聖痕を持っていた。つまりこれから生まれるだろう私の子も、孫も聖痕を持って生まれる。……ここにいる我が母クライネはギムレー様から神託を預かっているそうだ。……途方もない時の果てに聖痕を持つ我が子孫がギムレー様の魂を宿す器として生まれると……だから私には子を産んでくれる伴侶が必要だ。そこの娘!」
教主は栗色の髪の女に近づく。
「は、はい?」
「君はギムレー様の復活を望んでここに来たのか?」
教主の剣幕に女はすくんでこくこくとうなずく。
「は、はい!私の両親はギムレー様の息吹に焼かれて亡くなりました。そして私は多くの弟たちや妹たちを捨てながら生きてきました。……ギムレー様を恨んでいるわけじゃありません。ただなぜ私の両親は死に私は兄弟を見殺しにして泥水をすすりながら生きていかなければならないのかと、ギムレー様にお聞きしたくて」
女の懺悔に教主は一瞬失望したような表情を浮かべたがすぐに悲しそうな表情を作る。
「それは悲しい。だがギムレー様に何かお考えがあってのことだろう。必ず……ところで君はずいぶん苦労していたようだがもしや体を売ったことがあるのかね?」
「いいえ! この身は神の物です! どれだけ食べるのに事欠いてもこの身体だけは守ってきました」
「そうか……それはよかった。ギムレー様は純潔と貞操を尊ばれるからね。ただ私には聖痕を受け継ぐ子孫が必要なんだ。子供が……だから物は相談なんだが君が守ってきた貞操を、この場で捧げてくれないかね?」
「え!?」
女は戸惑い初めて教主を名乗る男を訝しむ。
だが――
他の信者たちは血走った目で女を睨む。
(わが身恋しさに神の復活を邪魔する気ではあるまいな)
そう視線で訴えていた。
見れば女の周りは先ほどまでともに祈っていた信者たちと教主について現れてきた司祭たちに取り囲まれ逃げ場がない。
それに何より今の自分にはもうここしかすがる場所がなかった。
「わ、わかりました。私がギムレー様の復活のお役に立てるなら」
「そうかよく言ってくれた! ギムレー様復活の暁には君の名は聖女として新たな世に語り継がれるだろう」
教主は女の肩を叩きそれから残りの信者に告げる。
「それともう一つギムレー様の復活に必要なものがある」
信者たちは教主の言葉を聞き逃すまいと彼の方に顔をむける。
「それは命の力だ。この祭壇に身を捧げたものの命と魂がギムレー様に流れ目覚めさせるための糧となるのだよ」
「それって生贄――」
ギロリ!
「ひぃ」
思わずつぶやいた信者を教主は睨む。
「生贄……まあ外れてはいないかな。……だが命を捧げた者の魂はギムレー様と共に生き御方の復活とともに新たな生を受けるのだよ……君はそんな新たな生に興味はないかな?」
先ほどつぶやいた信者に教主は詰め寄る。
「い、いえ僕は――」
教主だけでなく他の信者まで彼ににじり寄ってくる。
「そうか興味があるか。いいだろう。では最初にギムレー様のもとに魂を送るのは君にしよう。さあ準備をしろ!」
教主は背後の司祭に生贄の儀の命令を下す。
「い、いや僕は……うわああああああ!」
目をつけられた憐れな信者は司祭に手を引かれ祭壇の奥まで連れていかれた。
教主は彼の不興を買った信者の末路に怯え切った女に振り向く。
「では君は私と一緒に別室に行こう。遠い未来にギムレー様を蘇らせるために」
「は、は…はい」
恐怖が染みついた女はそれだけ言うのがやっとだった。
この教主という悪魔の不興を買うわけにはいかない。
これで女は永遠に教主に逆らえなくなった。
そんな息子の蛮行をクライネは感情なく見つめていただけだった。
邪痕を持つ者を産み落とした以上彼女はもう用済みなのである。ただ自分を産んでくれたから側近として遇する。それだけだった。
カイルたちの願いとは裏腹にペレジアに潜むギムレー教団はこのイーリス大陸を絶望の未来へと突き動かしていた。
現世ではないある存在の精神によって形作られる空間。
そこに緑髪の女性と金髪の少女が相対していた。
「久しいですねミラドナ。別の大陸へ行かせた娘とこうして話をする時が来るとは、そしてチキにも……別れた娘たちに会える時代がこようとは」
「私も2500年ぶりにお母様にお会いできてうれしいです。リーベリア大陸に旅立ってしまい一度も会えなかった妹チキとも話をしてみたかったのですけど間に合いませんでしたね」
残念そうな表情でミラドナはため息をつく。
それからミラドナはナーガに深く頭を下げた。
「申し訳ございませんお母様! あれから千年経つとはいえ私の手元からガルバザンを取り逃がすとは。私の力を悪用されないように故郷を離れ眠りについたというのに、力の一部を奪われた挙句罪人を取り逃がすとはエミユ族の王女にあるまじき失態です」
ナーガはミラドナの謝罪を否定せず受け入れる。前者はミラドナを守る魔獣に問題があったとはいえ後者は明らかにミラドナの失態だった。だが失態をおかしていたのはナーガもだ。
「ええ。あなたも私も人間に血を奪われ悪用された。竜の王と王女二人揃って大きな不始末です」
錬金術なる竜族エミユも持たない技術を使ってナーガの血で自然界に存在しないはずの生物を作り出すなど、
そんなことが起こると予期していればナーガは人の踏み込む地で最期を迎えたりはしなかった。
「お母様……」
「ですから此度ばかりは私のせいでもあると思って何度か人の子やチキに語り掛け、最後にはあれだけの介入を起こした。おかげでまだ疲労が癒えませんね」
ナーガは片手で肩をもむ仕草をする。精神世界で効果があるものではないため罪悪感に沈むミラドナを和ませるための行動だろう。
ミラドナはぎこちなく笑い、本題を切り出した。
「ガルバザンは私が煉獄に送り定期的にあそこから抜け出すことがないか点検しています。ですがギムレーと呼ばれるあの生物は……」
「ええ。千年後には目覚めるでしょう。あの時あの王子がかの者と過去に向かえばかの者を滅ぼす機会もあったでしょうが……ギムレーは他者を取り込む力を持つ。ギムレーがギムレーを取り込む……いえ融合してしまえば我が牙と盾など玩具ほどの役にも立たなくなる。危険すぎる手でした」
「だから確実に封印できるあの時に王子にギムレーを倒させたのですか。……そして千年後に備えてあの聖痕を受け継ぐのは一人だけという枷を解いた……数十年前バーハラ公爵に施したときのように」
ミラドナの話にナーガはうなずき補足した。
「ええ……本来はユグドラル大陸で聖痕を持つ家系の中で多くの因子を受け継ぐ者が子をなす前に死んでしまった時のための非常用の手段でしたが今度ばかりは王子の血が断絶する可能性を作り出してしまうことも許されません。……だから私は今のうちから聖痕の枷を解くことにしました……ただヘイムに与えた魔道書と違って牙には私の意思を込めておりません。今の牙には制限を課したとはいえ不安は残りますね」
今のファルシオンは覚醒の儀を行いナーガから認められない限り真の力を引き出すことはできないうえ、ギムレーを封じた後はその力は再び封じられ、人や国との争いには用いることができない。だが脅迫するために使うことはできる。
ユグドラル大陸で起こった争いを思い出しナーガは視線を落とす。
「お母様が心配されるのも無理のない話です」
ユグドラルに赴いた12体の竜同様に自身の血を悪用されたり利用されたりしたミラドナはナーガに同調する。
ガルバザンだけではない。カーリュオンの臣下だった貴族たちもユトナからミラドナの血と力を継いだ娘たちを担ぎ上げ争いに利用したのだ。
それらを思い返したうえでミラドナは続ける。
「でもお母様は人を信じることにしたのですよね。だからあれほど力を出し切ってまで人を助けた。わかります。私も人の持つ勇気と真実の愛に心を打たれ人を助けることにしました……だからお母様――」
ミラドナの言葉を聞いてナーガはうなずく。
「ええ。今一度人間を信じてみましょう……竜の力を悪しき者を倒すためのみに使ってくれることを」
そしてナーガとミラドナは再び長い眠りにつく。
ナーガは千年後に備えるために、ミラドナはこれ以上自身の力を利用させないために。