グランベルへの帰りの船で眠った後ユリナは虚空にいた。
「これは夢?」
夢なのは確かだが感触はある。頬をつねっても痛いだろう。
突然何者かが目の前に現れる。
「我が血を一滴秘めしものよ、あなたに話したいことがあります」
緑色の髪をした不思議なドレスをまとった女性だ。見覚えはなかったがユリナは直感的に悟りひざまずいた。
「ナーガ……ナーガ神ですね」
「そう呼ばれていますね。人がつけたものですが、構いませんどうぞお好きなように」
ナーガが自分に用があるとしたら1つしかない。ユリナは頭を地にこすり
「ヨーゼフを止められなかったこと、責は私にあります。どうか裁きを与えるなら私に、ユグドラルの人々もアカネイアの人々もクロスも誰も悪くはありません」
ナーガは首を振り、
「裁きを与える資格も力も私にはありません。同族の怒りを鎮める力も。私はあなたに頼みたいことがあってきたのです」
「頼みたいこと?」
「ええ。聞いていただければあなたの親族に特例の措置を施しましょう。それに今のあなたには悪くない話です」
ユリナは顔をあげ首をかしげる。
グランベル王国
かつて二千年前まではユグドラル大陸で12人中7人の聖戦士の末裔を抱える宗主国的な大国だったが、一度帝政を取り国を乗っ取ったロプト教団を打倒し、王政に戻して以降はアグストリア・イザーク・そして南北を統一したトラキアがグランベルと対等の国力を持ち均衡状態となった。どこに肩入れするかで戦況が変わるシレジアの存在も無視できない。加えて聖戦士の血の力が弱体化する「神の怒り」以来、戦士の末裔たる王を前に出すわけにもいかなくなった。
現在グランベルはイザークとトラキアとの関係が悪化し、戦争に備えてアグストリアと同盟を結び、シレジアに協力を要請するなど戦勝のためにあらゆる根回しを行っている最中だった。リーベリア・アカネイアとの交易もその一環である。グランベルはその貿易相手を1国(実質4国)失おうとしていた。
バーハラ王宮でユリナは国王セルロンに謁見していた。
「おもてを上げよ、余にとってクルーヤとそなたは甥と姪のようなものだ」
ユリナは顔をあげずに伏せたままでいた。
グランベル王セルロン、髪は青いがアカネイアと血縁があるわけではない。グスタフより一回り若いためか彼より温和な印象がある。ユリナも幼いころは両親の注意も聞かずセルロンをおじさまと呼びなついたものだ。しかし今はバサークの魔法をかけられてもそう呼ぶ気はない。彼が宰相に竜虐殺を命じた真の黒幕である可能性を消さないうちは。
「ユリナ!」
王の許しを得てこれ以上顔を伏せるのは無礼だ。バーハラ公爵に地位につくユリナの兄クルーヤはユリナに注意する。
「もしや、ユリナ公女は疲れが取れていないのでは? 異大陸に長期間いたんだ。無理もない。謁見はまた日を改めた方がいい。陛下、申し訳ありません。ユリナ殿の疲労を見抜けず謁見を手配したこのフィッシャーの手落ちでございます。どうかユリナ殿を責めぬようお願いいたします」
頭を垂れユリナの擁護を装って彼女を王から遠ざけようとしているのがグランベルの宰相フィッシャー侯爵である。王宮から追い出して折りを見て暗殺する気に違いない。
「いいえ、陛下に報告する気力ぐらいあります。少し考えをまとめていただけです」
いつまでもセルロンに反抗的な態度をとるわけにもいかずユリナは顔をあげる。
「そなたが出した報告書には目を通した。人の姿を取っていた竜というものがいたことにも驚いたが、フィッシャーの補佐として尽力してくれたヨーゼフがあのような蛮行を。まったく度し難い」
ユリナは謁見の前にセルロンにヨーゼフが犯した竜への虐殺を記した報告書を提出した。だがフィッシャーに握り潰されることを懸念してヨーゼフの後ろにいた黒幕のことは書いていない。
「陛下、実は報告書にはまだ書いていないことがございます」
フィッシャーは周りに聞こえぬよう歯噛みする。ユリナを止める言葉を探しているようだ。
「ほう、そなたにしては珍しい。言ってみなさい。ハメル伯爵、書記官として記録を頼む」
「かしこまりました陛下」
書記官が議事録とペンを取り出す。
グランベルでは事件のことを記録する際は場所が謁見の間であれ国王の言葉だろうと記録することが義務付けられている。
ユリナは一拍置いて、
「陛下。ヨーゼフの竜虐殺はある方の命令だったのです」
一同がどよめいた。
「そ、そんなことが、いったい誰に命じられたと言うのかね?」
フィッシャーが白々しくユリナに問いかける。
「あなたですよ……宰相フィッシャー侯爵閣下」
ここが謁見の間でなければユリナは人差し指をフィッシャーに突き付けていただろう。そのくらい強い語気で彼女は黒幕の名を暴いた。
「一切身に覚えがないな。何の根拠があって」
「使節団に入っていた学者をご存知ですか? 彼はヨーゼフと組んで竜が隠れ住んでいる里を見つけ虐殺の手引きをしていたのです」
「ふん、知らんな。私には他にもやることが色々あるんだ。使節団の名簿の確認もヨーゼフに任せていたよ」
フィッシャーはあくまでしらを切りとおす気だ。
「彼からあなたが二人にすべてを命じた黒幕だと聞きだしたのですよ」
「ほお、その学者は? 今どこにいるのかね? そこまで言うくらいならここにひったててくるべきじゃないか」
ユリナは無意識に目を落とし、
「亡くなりました。拘束しようとしたところ、どこの国かわからぬ兵士に矢で射抜かれて」
ユリナの言葉にフィッシャーは嘲笑する。
「ははは! 馬鹿馬鹿しい。死んだのでは尋問することもできんではないか。お前はそのアルバとやらに騙されていたのだよ。やはり異郷に飛ばされて疲れているようだな、それともお前が竜を狩ってアカネイアを怒らせその失態をなすりつけるためにヨーゼフを殺し、奴が犯人だとでっちあげたのではないか?」
「書記官殿、今の言葉、記録いたしましたか?」
フィッシャーの暴言に応じずユリナは書記官に問いかける。
「は、はい。今の公女の言葉まで。一字一句漏らさずに」
「……?」
フィッシャーにはなぜユリナが書記官の記録を確認したのかわからなかった。
ユリナは書記官に議事録を確認させる。
「私が謁見の間に推参してから今までアルバという名を口にしたことは?」
書記官は最初から今に至るまでの文言を確認する。
「……ありません。公女は学者としか」
「な?」
フィッシャーは口をあんぐり開ける。
ユリナは笑みを浮かべ、
「なぜ学者の名前がアルバだと知っていたのでしょうね? 使節団に学者は何十人もいたのに」
「め、名簿だ! 宰相として名簿を確認していたのだよ。それで怪しい男のことを思い出して」
「書記官確認を。さっき彼は名簿の確認はヨーゼフに任せたと言っていました」
書記官はさっきより早く問題の言葉を見つける。
「は、はい。ここに宰相が確かにそう言っています」
議事録を周囲の高官も確認する。
「死んだヨーゼフにもアルバにも何も聞けない。ですがフィッシャー殿からは色々お話が聞けそうですね」
「ぐぐ、竜を殺して何がいけないんだ。ただの狩りじゃないか」
ユリナは謁見中にもかかわらず立ち上がる。
「狩りじゃない! 考え、痛み、行動する。人間と変わらない生きているものにあなたは虐殺を命じたのです」
「奴らは二千年前、神を称しロプトウスがユグドラルを荒らし、他の竜が人間を助けるというマッチポンプを演じたんだ。我々の先祖はそれに苦しんだ。いや今も聖戦士の血とやらで国を分け戦争をする羽目になっている。因果応報だろう。奴らを皆殺しにするくらいは」
「確かに今起きている戦争は悲しく、愚かなことかもしれません。しかし竜がヨーゼフの軍を返り討ちにした後アカネイアは竜と戦争をすることになっていたかもしれません。あなたは他国で戦争の火種を作りかけたんですよ。竜を侮蔑する資格はない」
「もうよい!」
セルロンがユリナとフィッシャーの口論を止めた。
「アカネイアは我が国の軍の行動を許さんだろう。国交断絶になる見込みが高い。フィッシャー、そなたの軽率な命令で我が国は同盟国を1国失ったのだぞ。尋問次第では極刑は免れんぞ。引ったてい!」
衛兵はフィッシャーを囲む。
「陛下、お待ちください。私はグランベルのためを思って、陛下ー!」
連行されるフィッシャーの叫びがこだまする中、ユリナは立ち上がっていたことに気付き、慌ててひざまずく。
「申し訳ありません。お見苦しいところを」
「よい。フィッシャーの心を見抜けなかったのは余の不徳だ。そなたには苦労を掛けたな」
「陛下、一つだけよろしいでしょうか?」
「うむ、それでそなたに報いれるなら」
ユリナは深呼吸する。次は自分が連行されるかもしれないと覚悟を決めながら、
「陛下は宰相とヨーゼフのこと、何もご存じなかったのですか」
フィッシャーは王の命令でヨーゼフたちを動かしていたのではないか?そう言っているも同然の問いにまた謁見の間にいるものがどよめいた。
「ユリナ! よせ。誰か妹を連れていけ!」
クルーヤの命令を受けて衛兵がユリナに駆け寄る。
「よい」
だがセルロンの一喝を受けて衛兵の動きが止まった。
「陛下?」
「ユリナよ、余は宰相とヨーゼフのことを何も知らぬ、知らなかった。臣下の暴走を止められぬ無能な王だ。お前に愛想を尽かされてもおかしくない。だがどうか信じてくれ。王家の始祖を救った神いや竜の虐殺やアカネイアに戦火を振りまくなど知っていれば決して許さなかった。バルドの名にかけて誓おう」
セルロンはユリナに頭を下げ、その拍子に王冠が床に落ちた。だが拾おうとする者は誰もいない。
「私などに恐れ多い。頭をお上げください。おじさま」
ユリナはセルロンをおじさまと呼ぶことで彼を信じることに決めた。
「失礼しました陛下、アカネイアは勝手な軍事行動を起こした我が国を許さないでしょう。残った大使館の職員も送還されるでしょうね。ヨーゼフを抑えられなかった私にも責任があります」
「ユリナ、いったい何を?」
突然の自虐にセルロンは驚く。
「私をグランベルから追放してください。こんな愚臣、陛下の目を汚す資格はありません」
「馬鹿なことを言うな。グランベルを出てどうしようというんだ」
「アカネイアに移住します。かの地の方々に償いをしなくては」
「余が謝意を出す。賠償金も払おう。ナーガの血を引くお前を失うのはこの国の損失――」
「陛下、お耳をよろしいでしょうか」
ユリナはふいに立ち上がり、
「う、うむ?」
ユリナはセルロンの耳元に口を近づけ何事か告げた。途端、セルロンは驚きながら、
「好きにせよ」
それっきり何も言わず、謁見は終了となった。
後日、グスタフはマケドニア王として領内でのグランベル軍の行動に抗議、他の連合加盟国同様グランベルとは国交断絶となり、大使館は解体、職員は即時帰国となった。ユリナはその責任を取り、大使を解任、グランベルからの更なる軍事活動を防ぐための人質としてアカネイアの王子に嫁いだ。グランベル特にバーハラの住民はユリナを「悲劇の公女」として彼女の境遇を悲しんだ。
ユリナの移住後、不思議なことにユリナの兄クルーヤの額に聖痕が現れた。ナーガの聖書も使える。これによってグランベルでナーガの後継者が途絶えるということは無くなった。この現象はナーガとユリナの間で結ばれた「ユリナがアカネイアに移住すればクルーヤの中に眠るナーガの血を引き出す」という取引によるものでそれゆえセルロンはユリナの移住を認めたのだ。
ユリナがアカネイアに戻った後グスタフは約束通り宴を開いたがそこに他国の要人の姿はなく各国の交流の宴ではなくクロスとユリナの婚約パーティーとなった。
竜の隠れ里跡に竜の姿はなく、何の弁解も謝罪もできず火山灰の災害で疲弊している状況でいつ竜から報復があるかわからない状態ではファルシオンのみで大陸を守れるか定かでなく王族がナーガの血を取り込むのも手だとグスタフは考えたのだ。
2年後の成人の儀を終えた翌日。グスタフは病に倒れ、自らの役目は終わったと言うように息を引き取りクロスに位を譲る。
2年後
国王夫妻が公務を終え王宮に戻り、乳母に礼を言って我が子を抱き上げる。
「ただいまカイル。公務が長引ちゃってごめんなさい」
王妃となったユリナに抱き上げられ赤子がはしゃぎ声をあげる。
「僕が抱くと泣きだすのにげんきんな奴だ」
王に即位したクロスがそう言って笑いかける。
「あなた、まだ女の子じゃなかったことをすねているの」
クロスは目をそらし、
「いや、女の子だったら君に似て可愛くなるだろうなって」
「あなたに似てもかわいくなりますよ。髪も青いしセリスそっくりに、そうだわ、今からでもセリスに改名――」
「それはダメだ」
ユリナの提案をクロスは即答で拒否する。
むくれるユリナを置いてふと左手を赤子の右目付近に移す。赤子は父の左手を見ている。
「どうしました?」
「いや、ちゃんと見えてるかなって」
ユリナもクロスの意図に気付き、
「これは紛れもない聖痕、でも聖痕が目に宿るなんて我が家でも例がありません」
赤子カイルの右目には聖痕があったのだ。
クロス編 完