「ん…ぅ…」
どうやら私はぐっすりと寝ていたようだ。
寝起きで少しばかり重くなった身体を起こして自室の時計に目を向ける。
もうすこしで夕飯の時間だ。丁度いい時間に起きることができたようで良かったが、寝る前にもあった靄はまだ私の心に大きく被さったままで、晴れた訳では無い。
かといって今の自分にどうすればこれが解消出来るかなど当然分かるはずもないし、それよりもっと考えることがあるだろうと思い、自分のギターに手を伸ばす。
ギターを弾いている時は何もかも忘れられる。以前まではそうだったが、最近良からぬことが発覚してどうもこれからもそうなるとは考え難くなってきた。
そうやってあなたはいつも私の、私だけのものだったはずの事を。
私が時間をかけてようやく手に入れた物をあなたはいとも容易くその手中に収める。
それなのに。
それなのに平然と、飄々と毎日を過ごしていって、天才肌だというのに私の感情なんてこれっぽっちも分かってくれてはいない。
─あなたの目的は何なの?日菜。
私から全てを奪っていく。何もかも。
やっと拠り所を見つけたというところだったのに、それも奪われる。
そうしたら、私には何が残るのだろうか?
…駄目だ。頭が痛くなってくる。
けれど、私の思考は考えることをやめてくれはしなかった。
あの子はいつも私の後ろに着いてくる。
物事を始めるのだって私が先で、あの子が後で。
なのに気付けば実力では私が後で、あの子が先で。
ウサギとカメか何かだろうか?いいや、私はあのウサギのように怠けたりはしない。するべき努力なら迷いもなくする。
─なのに。なのになのに。
あぁ、
あの子が憎い。そう考えている自分が憎い。
あの子に悪気なんてないこと、分かりきっているはずなのに。それをどうしても全肯定することが出来ない。
そんな私が憎い。
憎い─憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い…
憎い…?
先程の考えが一旦脳の片隅に追いやられて、今度はその言葉が、頭の中で反響する。
何か、忘れている気がする。
忘れている、なんてそんなはずがない。今月のスケジュールだって一通りは記憶しているつもりだ。
そんなのじゃない。もっと大きな、大切なもの?
…ふと、頭の中に色が映し出される。
実際に見えている訳では無いから、『思い浮かんできた』という表現が正しいのだろうか?
暖かい、赤。どちらかと言えば夕焼けに近いような鮮やかなオレンジ。
遠い昔に見たような…そんな感覚。
それが一瞬にして青に変わる。鮮やかとは程遠い、黒みのかかった青。
突然、その情景が一瞬にして崩れ去る。
知っている、気がする。
過去にこんな出来事があったような気がしないでもないのだ。
そこで私の頭の中である一つの考えが過ぎる。
「この記憶が靄の正体なのではないか」
という今日ずっと抱えてきたこの靄の正体についてのある意味として一つの解ともいうべき結論。
なら…話は早い。
思い出せばいいのだ。ただそれだけの少し時間を使えば至って簡単な作業に早速取り組もうと一先ず持っていたギターを元の場所に戻す。そしてベッドに座って瞳を閉じる。
さぁ、さっさとこの厄介な靄を取り除こうではないか。意識を集中させる。
──その刹那だった。
「あがッ……!!?」
痛い。頭にとんでもない激痛が走って思わず座っていたベッドを離れて無様にも床に頭を抱えて伏せるような状態になる。痛くて痛くて、身体を何度も捩らせる。
痛みはその一瞬で終わりはしなかった。継続してまるで直接火で炙られているような酷い熱さが私を襲う。
段々と耳鳴りまでするようになってきた。キーンとした耳鳴りというよりかは、唸るような体の芯まで届く低い音。
「あ、あぁ…ぐッ…はぁっ…はぁっ…」
まともに言葉すら発することができない。それほどの激痛なのだ。
未だにけたたましく鳴り響く耳鳴りとは別に、部屋の外からこちらに寄ってきている足の音が聞こえる。
…まさか
「おねーちゃんっ!!大丈夫!?」
うるさい。うるさい。こんな時に限って、最悪なタイミングで。
「あたしの声聞こえる?!」
うるさい。うるさい。うるさい。
「ねぇ、おねーちゃ「る…さい……」…おねーちゃん…?」
「うるさいのよ!!出てって!!」
「ッ…!!」
なんで。さっきまで声なんてまともに出せなかったはずなのに。そんな言葉だけ大声で、すらすらと出るの?
「ごめん、ね。おねーちゃん…安静に、してね」
あぁ、待って。行かないで。
打って変わって、大声どころか声すら出なくなっている。自然と瞼が落ちてくる。
もう今は、今くらいは…考えることを放棄させてほしい。
☀️☀️☀️☀️
「…」
「…どうした?元気ないじゃねぇか」
「まぁ、色々とね」
「悩み事か?」
「んー、多分そんな感じ」
「お前が悩み事なんて今日は大厄日だな」
「むー!こっちだってるんってこない中で必死に考えてるのに!」
「あーはいはい」
朝。桜が咲き始めた歩道に足を踏み締めて歩く。
雲一つないと言えば少し嘘になるけど、澄み渡った晴空って言っておく。
校長が運動会やら何やらで雲があちらこちらにあるにも関わらず「雲が一つもない晴天で〜」なんて言い出すのと似た感じだ。理由なんて特にない。
しかしこいつはいつもと違う表情を見せている。こいつの得意な演技でも何でもない本気で悩んでいる顔。それを下劣な揶揄いで無下にすることなんて俺にはできないのでこれ以上揶揄うのはやめた。
…朝からこいつの面倒をするのはちょっとなぁ。なんて思いつつ無言で気まずい空気をとりあえず壊すために問いかける。
「紗夜のこと、か」
「…よく分かったねあーくん。テレパシー?」
「分かりやすいんだよバーカ」
日菜から紗夜の事を聞いてから、日菜と俺の間での紗夜についての情報は共有することにした。俺は復讐のために。日菜はそれを阻止するために。
目的は相反していても、どちらも紗夜の記憶喪失を治さなければ始まらないということで、それまでの間の休戦協定というわけだ。
そんなわけなんだから、昨日紗夜に関して何かあって悩んでいるのなら、情報共有のためにも話してもらわないと困る。
「昨日の約束、もう忘れたのか」
「けどこれはあたしとおねーちゃんの問題で」
「なら俺の復讐をやめる一筋の理由はなくなるな」
「…ズルいよ。そんなこと言われると弱いなぁ」
こいつにしては本当に珍しく苦笑いの顔を見せた。まったく、調子が狂うんだよな。
「おねーちゃんがまた倒れたみたい」
「……病院には?」
「行ってないよ。すぐに落ち着いたみたいだけど、すっごく苦しんでた」
「それだけか?」
「心配しておねーちゃんの部屋に行ったら『うるさい。出てって』って言われちゃってさ」
なるほど。それは日菜の立場に俺がいたとしても同じく傷ついていただろう。兄弟姉妹にそれを言われるのは精神的に負担がかかるのは間違いない。
あくまで『俺が日菜だったら』の話だけどな。
けど…それ以前の問題か?
日菜は紗夜について必死に記憶喪失を治そうと様々なことに試みている。そこから参考に考えたなら、日菜から見た紗夜への好感度は高そうだ。というかあの言動云々を見て好感度が低いとかだったら一生女を信じられなくなるやもしれない。既に半分紗夜の所為で信じられないとこまで来てるんだけどな。
それは置いといて、今はしっかり日菜の問題に向き合うべきだろう。
日菜とは反対に紗夜は、心配して駆け付けた日菜に怒号を浴びせている。つまり紗夜から見た日菜への好感度は低い、ということか?
ツンデレの線は…ないか
俺の考えている『姉妹の仲が良い』というのが偏見なのかもしれない。
実は80%くらい姉妹仲は悪かったりして、なんて考えたって仕方がない。百聞は一見にしかず。先人の知恵だ。
「何故紗夜は怒ったか、分かるか?」
「分かったら苦労しないよ」
「…まぁ、そうだよな」
安易に聞いた俺が馬鹿だった。おい先人、どうにかしろっての。
「はぁ…」
なんか解決しなきゃいけないものが増えた気がする。
「あ、あたし
先程まで悩んでいた顔とは裏腹に顔面に思いっきり悪戯な笑みを浮かべる日菜。
よし、断言しよう。これはどうせ『放課後に話そう』と決めている上で俺を態と誘導している。
紗夜に比べれば日菜といる時間は格段と短いのに、ここまで理解ができる俺のことを褒めて欲しいものなのですがね。ほら褒めやがれ。
…悩みながらもそんな余裕があるのも天才の所業ってワケか。あぁ…本当に…
「はぁ…わーったよ。放課後にこっから最寄りのカフェな」
「え?あー…は、話が早くて助かるなー!
「ほんっとにお前って奴は…」
仮面を被っているせいで人一倍他人の感情に敏感な俺を揶揄しているのだろう。
そんな暇があるならさっきの問題の解を考えて欲しいんだが。
それでも話にノッてしまう俺は、案外チョロいのかもしれない、とありもしないことを考えながら日菜と分かれ、花咲川へと向かった。
☾☾☾☾☾
「とは言ってもなぁ…」
あーくんに話す前に言った通り、これはあたしの問題なんだもん。あーくんは関係ない。というよりかはあたしで、あたしだけでやらなきゃいけないことなんだから…
信じてないワケじゃないけどおねーちゃんに復讐しようとしてる人におねーちゃんと仲直りする方法聞くなんて面白いったらありゃしないよ。いやるんっとはこないんだけどさ?もちろんおねーちゃんとあーくんも仲直りするのが一番るんってくるもん。
「へーんなとこで優しいんだから」
本当に冗談で「どうする?」って聞いたのにまさか察してくれるとはなぁ〜!
その優しさが、今は辛いんだ。
けどあたしが蒔いちゃった種だし…行かなきゃだよね。
ねぇ、あーくんにあたしの気持ち、分かる?
「分かって欲しいなー…なんて」
復讐の為なら少しの悪事も躊躇しない
きっとそれが今のあーくん。相談してもあーくんの作戦にハマって上手く利用されかねない。
…って、根も葉もないのにあーくんを深く疑ってしまう。
つくづく、今日はるんってしない日だ。
☾☀️☾☀️☾☀️
退屈しのぎも何も無い授業は終わりを告げ、やっと放課後が来た。これを毎日繰り返すなんて、日々のルーティーンのためか感覚が麻痺して思うこともあまり無かったが、よく良く考えれば暇でしかない。
…何言ってんだ?俺は
うむ、多分朝に見た日菜の様子や状況を熟考していたせいか些か脳が働かない。そのせいでまともに授業も受けないし散々だ。
あの女め、とことん俺の邪魔ばっかりしやがってこのあんぽんたん
…それはさておき、忘れられては困ることとしてこれはあくまで復讐の一環であることに過ぎないということ。
その上で弐笠と接触する必要があること。だいたいこんなことか?
それの
…心が歪みすぎじゃないのか
些細な人助けより巨大な復讐劇を遂行しようとするひねくれた心もそうだが、つい先日まで自分で言うのもなんだが口を開けば「復讐、復讐」と言っていた男が今は1人の女に…復讐相手の双子の妹に振り回されているだけの玩具に成り下がっている。
それを、どこかで赦してしまっている自分がいる。
考えすぎ…か
「はぁ…思考がバーンアウトしそうだ」
「あーくんってたまにイタいこと言うよね」
「そういう年頃なんだよ。黙って聞いてろおたんこなす」
「へー!乙女に向かって平気でそういうこと言っちゃうんだねー!へー!」
「うるせぇ」
てかいつの間に居たんだよ、と彼女に問いかける。いつからだろーねーなんてふざけ倒すもんだから、頭に一発コツンと手刀を入れてやった。
しばらく日菜の文句を聞いてから同じテンポで足を進める。
こいつといると本当に紗夜への復讐を止めてしまいそうで恐い。多分、そういうことなんだろう。
けど、こいつといる時間はどうも嫌いになれない。まだ再会してからしっかり会話して一日二日程度なのに、敵同士のはずなのに。
「なぁ」
「ん?」
「お前が復讐の対象になっても、俺は知らないからな」
「そんなこと今更じゃない?」
「…それもそうだな」
微笑みながらそう言う日菜。それに応えて俺も少しだけ口角を上げる。
まったく、朝のゲッソリテンションはどこに行ったんだかな?
俺も復讐復讐言いすぎて疲れてるみたいだ。
「あと…」
「まだ何かあるのー?」
「バーンアウトは別にイタくないだろ」
「いや他人から見たら十分イタいよ」
「そんなことはない」
「あーるーよー!」
「ない」
たまには休ませてくれよ?
ほひーーー!休暇を殆ど怠けて無駄にしやがったぜこの男!
すんごいどうでもいいこと言います
最後の方で日菜が「あーくんってたまにイタいこと言うよね」って台詞、2話の天翔くんのユダ発言とかが自分で見返してみたらあまりにもイタすぎたので消すのもめんどいし設定にしました。後付け大好きマン