赤蛮奇は、天井の木目を見つめていた。布団の上、仰向けになり、ただじっと、木目を見つめる。
赤蛮奇は職を持っていた。里の定食屋で、給仕をしている。だから、それほど暇じゃない。今だって、絶賛遅刻中だった。しかし、赤蛮奇を思索へ誘う原因は、天井の、木目にあった。
赤蛮奇が天井を注視したのは今日が久々だった。天井なぞ、誰も、日常的に眺めたりはしない。赤蛮奇は今日、たまたま、仰向けに、寝覚めの良い起床を果たした。その結果、起きてはじめに飛び込んできたのが、天井の木目だったというわけだ。
木目を見た赤蛮奇は、妙な違和感を覚え、遅刻中の今でさえも、木目に釘付けとなっている。もっとも、起きたとき既に、遅刻は確定していた。しかし、それなら少しぐらい、焦らなくては、店の一員をやってはいられない。赤蛮奇も、それくらいのことはわかっていたが、どうにも、動けなかった。
天井の木目が、あからさまに、宝の地図にみえる。
わかりやすく、川。川のわきに、明瞭な、大樹。大樹の北東、克明に、家の二軒。家と家との間に、判然と、バツ印。
なにゆえ、木目が宝の地図なのか。前からそうだったのにもかかわらず、赤蛮奇が気づいていなかっただけなのだろうか。そんなことがありえるだろうか。それは誰にもわからない。赤蛮奇にもきっとわからなかった。そうでなければ、布団上での硬直に理由がみつからない。
それから、赤蛮奇はあくまで無表情に、なにやら考え続けていた。仰向けに、木目を眺めながら、考え続ける。そのうちに、一人、口を開いた。
「起きて、仕事へ行くのと。起きて、散歩がてら宝を探すのは。どちらがより、楽しい一日だろうか」
瞬間、赤蛮奇は布団を被った。木板の上で、布団が激しく蠢く。それはただならぬ煩悶だった。しかし二分もすると、ようやく、布団は内側から蹴っ飛ばされ、中から勢いよく、赤蛮奇が現れた。赤蛮奇はやおら起き上がり、乱れきった頭髪、後頭部に片手を入れて、少々、掻いた。
「わたし、億万長者になろう。合掌、婆さんの、腰。ハハ」
定食屋の店主に反旗を翻せば、赤蛮奇はにやけづらで身支度をした。締め切った部屋は薄暗い。数分して家をでれば、赤蛮奇は日差しに眩暈した。
「なんて清々しい朝なのか」
真昼の世界に、白々しい声が混ざる。言葉の直後に漏れた笑い声は、赤蛮奇の、昼の自覚を示している。ただひとつ、赤蛮奇にわからないのは、眩い日差しに照らされて目立つ、頭後ろの、跳ねまくった頭髪のみだった。
柳通りの道すがら、赤蛮奇の家はあった。ボロの木造住居だが、裏手には川が流れており、柳の陰鬱さも、凪いだせせらぎも、ろくろ首には打って付けの住処に思える。柳の道を暫し歩き、川への分岐を曲がると、当然、直ぐに、川に差しあたる。川沿いは大小さまざまな石っころの飽和した道で、非常に歩きにくい。しかし、柳から里への道中までは、ちょっとした河川敷があった。赤蛮奇は、光と陰の河川敷から、陽に照らされて、きらきらと輝く川面を眺めつつ、歩いた。
もちろん、それらしい大樹も、目敏く探す。とはいえ、目を血走らせることもない。天井の、大樹に似た木目のそばには行儀よく、大樹、とその字が綴られていたのだ。大樹、と表記されているくらいの大樹なぞ、適当に歩いていれば、そのうちに見つかる。ともすれば、赤蛮奇の上機嫌な口笛も、なんら、不自然なことはない。ただ、犬を歩かせる老若男女が、通り過ぎる不調和な音色に、顔をしかめるのみである。
「いまごろは、きっと、ピークの時間だ。労働者諸君が飯を求めて、雪崩れ込むぞ」
定食屋の惨事を口走ると、赤蛮奇は白昼散歩の薄ら笑みのまま、片手で、自分の側頭を何度か叩いた。そして――忘れることができたのだろうか?――気分よさげに、小走りをして、笑ってみせた。
赤蛮奇の家は借家だった。毎月、家賃を払っている。給料を待っていては、追い出されてしまう。耐えかねた家主に家を見に来られては、困る事情もあった。赤蛮奇は借家に、あらゆる改造を施していた。窓は憎き陽光を遮るために、木板が打ち付けられている。なんとなく、釘を打ってできた、棚がある。意味もなく、床にはゴミが散らかされている。木板も、棚も、ゴミも、どれも明確な改造といえよう。露見すれば、十中八九、追い出されるのみでは済まなくなる。とすれば、円滑な支払い、それが肝要だ。赤蛮奇は、生活のため、宝を探す。給料の前借りなど、もはや、できるはずもなかった。
里を抜けると、河川敷はいつしか石っころの海に呑まれる。赤蛮奇は靴の裏にごろつく石の感覚を、大げさな挙動で――両腕を水平に伸ばし――バランスをとって、愉しげに、おっとっと、を発音する。なにが、おっとっとか。川辺に棲家を構えた河童が、棲家の縁側から、しらじらと、きゅうりを齧りかじり、赤蛮奇を眺めていた。
赤蛮奇は、視線に気がつくが早いか、縁側に腰を下ろす河童へと歩み寄った。
「ねえねえ、知らない? ここらへんでさ。でっかい木」
なぜ、逃亡者は道行に足跡を残してしまうのだろう。抱えた後ろ暗さが、人の温もりを求めるのだろうか。白昼堂々とうろつく成人の声掛けほど、怪しいものはない。河童は齧っていたきゅうりを後ろ手に隠しつつ、答えた。
「し、しらないよ。わたしは、なんにも」
不確かに凪いだ心が、赤蛮奇にほんとかなあ、を発音させる。後ろ手を組み、河童の背後、隠したなにかを覗き込まんとするろくろ首と、縁側に腰を下ろしつつ、後ろ手にきゅうりを隠す河童の構図は、さながら不審者と児童のそれだった。ビコーズ、河童は背が低い。
「ほ、ほんとに知らないんだってば」
「でも、なんか隠してる」
きゅうりだよ、河童が叫んだあたりで、赤蛮奇の首は河童の背後に回り込み、きゅうりを確認した。
「きゅうりじゃん」
まじまじ、といった赤蛮奇の視線に、人見知りの河童は狼狽し、半ば強盗をもてなすような落ち着かなさで、赤蛮奇を家にあげた。赤蛮奇はなぜ家にあげられたかすら判然としないでいたが、理由を探すこともしなかった。仕事をサボった赤蛮奇の心は凪いでいる。
川のせせらぎに包まれた部屋で、二匹、きゅうりを見舞う。皿の上に乗せられた大量の蛇緑は、ガラス戸の向こうに広がる景観へ弧を描き、溌剌と映える。故知らぬ無常の虫が鳴いて、それは穏やかな時間が流れた。
「宝を見つけたらさ、半分分けてあげるよ」
皿の上に二、三本を残して、赤蛮奇は立ち上がる。
「あ、ありがと」
河童はテーブルの上に置いた帽子をわざわざ被り、ツバで顔を隠した。
河童の家から暫し歩けば山に入り、川沿いはいよいよ険しくなる。どこもかしこも奇妙に蔦を巻いて、陽光を遮る陰鬱な色調のなか、木々もなにやら湿ってくる。ここまで来れば、大樹があろうとなかろうと、関係がない。大樹を見つけたとしても、こんなところに二軒の家なぞ見つけられるはずもなかった。
しかし、赤蛮奇は山を進んだ。段差や急勾配に足を取られながらすこしの汗をかき、進んだ。しばらく歩くと、川の麓にたどり着く。雄大、されど、神秘的な滝だった。羽の明るい蝶が、滝の鼻先ではためいている。蝶は、何故、水面を旋回するのだろう。迷い込んでしまった、そう考えるのが、妥当かもしれない。赤蛮奇の赤い髪は、山の緑に溶けることなく、木漏れ日のように鮮明だった。
宝は見当たらなかったが、麓への到達は冒険だった。そもそも、仕事をサボって外出する時点で冒険であるから、相乗して、大冒険といえるだろう。赤蛮奇は滝からすこし離れた飛び石らしき岩を渡って、滝に背を向け、歩き始めた。家路だ。
復路から往路を眺めつつ、赤蛮奇は歩いた。夕景は橙とはいかず、薄紺の深くなるばかりの日暮れではあったが、赤蛮奇の足取りは、落ち着きながらも、軽やかだった。河童の棲家、カーテンの向こうの、柔らかな灯も、赤蛮奇の口元を綻ばせる。
「たのしかったな、うん。たのしかった」
家に着く頃にはとっぷりと暮れた。赤蛮奇は、身を清めるなり、布団に潜った。