鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第10話 社畜が付いてくる

 鬱蒼とした森と飛び交う虫は消え、代わりに現れたのは和風の屋敷だった。360度全てが木造で、瞬間移動よりさらに異常なことに、まるで空間がねじくれたかのように床と壁と天井が縦横無尽に入り乱れているのだ。その上を、俺の視点では壁や天井にあたる部分に立ったり歩いたりしている人影がチラホラ。遠くには無表情で琵琶をべべンベンべべンと鳴らすモブキャラみたいな前髪した女がおり、他の数人は怯え、一人は困惑している。平静な顔をしているのは髪の長い男一人だけだ。見た目イケメン風味の優男なのに随分と肝が座っていやがる。

 集まった彼らは俺の隣に立つ青年を認めると即座に床に這いつくばった。社畜根性をしっかり教育されておられるようだ。あのような子供にもしっかり教育が行き届いているあたりさすがである。

 全員が頭を下げたのを見てから、俺の新しい上司が口を開いた。

 

「今日から彼が十二鬼月に入る」

 

 ざわ、と空気が震えた。

 ここに集められている鬼は、どれも俺が今まで会った鬼の中でもぶっちぎりでいい匂い成分の香りを強く纏っている者たちだ。そんなのが六匹もいて、全員が一瞬といえども殺気を溢れさせたのだ。もちろんその標的は俺であるが、この捩じくれた屋敷全体が軋んだ。

 

「で、ではその者は」

「黙れ」

 

 何を考えているんだあの女は。角が二本生えていて、今までの鬼の中で一番猫っぽくて好感が持てるが、それを差し引いても、無惨様の許しなく声を出すなど殺されても文句は言えないだろう。

 俺たちは社畜だ。

 いや、上司様からすれば家畜か。あるいは実験動物。太陽の克服という至上命題を実現するために存在するのだ。

 ああ上司様。あなたはなんて、鬼畜。人の心など失った、まさしく鬼の頂点。上司様こそ、社畜の上司にふさわしい。

 

「もちろん貴様らのうちの一人と交代になる。誰でもいい、この者に血戦を挑み負けろ」

 

 ギシリ、と上司様から発せられる圧が強くなる。心臓を握りつぶされそうな、物理的な干渉力を伴うような圧力。隣に立つ俺への余波だけでこれだ、直撃を受けている彼らの恐怖はいかばかりか想像もできない。

 とはいえ、だ。そのなんとも言えない醜態に俺の口から大きなため息が漏れた。

 上司様が横目でこちらを睨みつけてくる。

 申し訳ございません。少しばかり発言の許可を。

 

「許す。なんだ」

 

 あなた様から言葉をかけて頂く名誉を頂戴したにもかかわらず彼らは誰も名乗りでない様子。あなた様の精鋭を名乗るには皆あまりにも不釣り合い。中でも先程あなた様の許しもなく口を開いたあの鬼、彼女は彼らの中でも一際震えが大きい。あれはいけません。あなた様の目的は太陽の克服、完全な存在への進化であるはず。あのような、恐怖に怯え、あなた様に怯える存在は少々目に余ります。

 

「ふむ、そうだね。おい」

「……はっ」

 

 上司様が尊大な声を上段から投げつけた。角が二本あるその女は、下肆と刻まれた瞳に涙を滲ませて顔を上げた。

 

「貴様、普段から柱との戦いを避けているだろう」

「い、いいえ! いいえ! そんなことはございません!」

「柱の気配を察知するたび、貴様は逃げているだろう」

「柱、とは今まで遭遇することがなかっただけでございます! もし柱と出くわすことがあれば、私は全力をもってその首をとってご覧に入れます!」

 

 アホだこの女は。なぜ上司様の言葉を否定する。上司様に限らず、会議の場では相手の言葉を否定してはならないなんて常識じゃないか。いや、俺のいた会社の役員連中はそんな常識なんてなかったけどさ。ディベートじゃないんだから、ディスカッションでそんな声を張り上げて否定すんなよ、しかもよりによって上司の言葉を否定するとか、あの会社の人事課ならこの時点でリストラリストの一軍だわ。

 

「では戦え、この者と」

 

 ただでさえ青かった顔色が、オフィス宿泊5日目の後輩並になった。あいつが定時でタイムカード切るときの絶望感ほんとやばかったな。これを入れちゃったら残業代入らないんだ、という、自ら残業代を拒絶する行動であり、記録上残業がないという詐欺のような求人文句の片棒を担ぐことの絶望がない交ぜになってね。

 うん、まあさすがにあの後輩ほどじゃないからまだセーフ。あの会社に比べれば上司様なんて全然ホワイト。だって寝なくても良い体にしてくれたからね。

 

「貴様がこの者を殺せば、先の言葉を信じてやろう」

 

 上司様は、彼女に向ける辛辣な態度とは打って変わった柔らかい、誰もを魅了する笑みを俺に向けた。

 

「血鬼戦というのは、位階の奪い合いだ。階級の低い者が高い者に戦いを挑み、勝てばその階級を奪うことができる。アレは鬼の中では上から十番目の階級にいる。上位にいるだけあり、私の血も多く与えられている」

 

 本気でやっていいのでしょうか?

 

「構わない。どうせ敗けるようなのは不要だ、その者の血を全て抜いていい。それがさらに君の力になるだろう」

 

 下肆さんは上司様の言葉にギョッと目を見開いた。

 今の言葉はどういう意味か、聞こうと口を開く前に、またも琵琶の音が鳴った。

 再びの瞬間移動、上司様や他の男どもの姿はなく、俺と下肆さんだけが、清水寺の舞台のようなだだっ広いベランダに向き合って立っていた。

 見あげれば、上司様が先と同じ笑みを浮かべてこちらを見下ろしている。

 

「お、おい」

 

 下肆さんが声をかけてきた。声はまだ震えているものの、上司様と離れたおかげで顔色はもう戻っていた。

 

「無惨様が先程言っていた、血を抜くというのはなんのことだ」

 

 ああそれですか。俺の血鬼術の話でして、鬼の中に流れてるいい匂い成分を抜き取ることができるんですよ。

 

「いい匂い? なんのことだ」

 

 いい匂い成分はいい匂い成分ですよ。もう少し詳しく説明するとですね、いい匂いがする成分のことです。

 

「バカにしているのか貴様」

 

 そんな滅相もない! いい匂い成分はとてもいい匂いがして、しかもとても美味しいのですよ。あなたの中にもたくさん流れているみたいですね、とても、とても美味しそうだ。

 

「!? き、貴様、」

 

 下肆さんの言葉は最後まで続かなかった。足元を大きく迂回させた俺のクリムゾンロードが、下肆さんの死角から襲いかかったからだ。百十七の触手が両足それぞれを螺旋を描くように一瞬で這い上がり、膝まで拘束したところで左右でまとまり、二本の槍となって下肆さんの眼球に迫った。

 このままでは眼球から脳髄まで破壊されると踏んだのだろう、下肆さんは逃走を図った。彼女の鬼としての膂力があれば、彼女の脚を締め付けるクリムゾンロードなんて数秒もあれば千切ることができただろう。しかし今は血の槍が眼球を抉るまでの一瞬の判断を迫る状況だ。クリムゾンロードを千切ることを選択すれば、俺の血が下肆さんの目を捉えたはずであった。

 まあ捉えたところで傷を付けることもできないけど。

 そうとも知らず下肆さんは、回避のために自分の両足を即座に切り捨てることを選んだ。

 まあ予想通りだ。

 藤の山で俺が何匹の鬼を縛りあげてきたと思ってる。

 中にはそうやってトカゲみたいにクリムゾンロードから逃れようとする鬼が何匹もいた。鬼はその身体能力と回復力に優れている。四肢を捨てたところで、数分、強いやつなら数秒で生えてくる。だからこそそうやって気軽に手足を切り捨てることができる。

 でもそれが悪手だ。

 既に俺たちの周りには、髪の毛よりも細いクリムゾンロードを縦横に張り巡らせている。まれちーを吊るす訓練と、触手の組成を変えることで得た弾性のおかげで、触手の強度上昇と同時に限りなく細くすることもできるようになったのだ。弾性を得る前だったら、こんな細さにしてしまえば自重に負けてすぐに解れてしまっていただろう。

 ありがとうまれちー。

 膝から下を切り捨てて危機を脱したはずの下肆さんの、その大きな傷口にクリムゾンロードが触れた。

 そこから触手を枝分かれさせていく。露出した両脚の血管から入り込んだ触手が下肆さんを体の内側から拘束する。

 

「な、あああ!?」

 

 宙吊りになった下肆さんが驚愕に目を見開く。その開かれた眼球を走る毛細血管すらすでに俺の支配下だ。

 鬼として永く生き、多くの戦いを経験してきたでしょうけど、さすがに血管を内側から犯される経験はないでしょう? 俺の血鬼術は、なんの力もない、穴に潜り込むことと精密な動きができるってだけの代物です。でも結局は使い方ですよね。今、俺の拘束から抜ける時に見えた、脚に生えた翼のような形をした血。あれがあなたの血鬼術でしょう? その能力は切断と加速でしょうか。

 

「だ、誰が貴様に教えるものか! くそ、なぜ回復しない!」

 

 ああ、それは私があなたの中のいい匂い成分を抜き取っているからですよ。

 

「……え?」

 

 このいい匂い成分が濃い鬼ほど強いわけですが、逆に言えばこの成分を体から奪えば奪うほど鬼は弱体化します。硬さも、力強さも、回復力も、どれもこのいい匂い成分の効力ですからね。

 

「ま……さか、まさか貴様、そのいい匂い成分とやらはまさか!」

 

 いい匂い成分を回収する速さには自信があったのですが、あなたの中のいい匂い成分はちょっと多すぎて時間がかかってしまいました。

 

「や、やめ、やめて……ぁ」

 

 ごちそうさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 べべん、と音がして、再び俺は上司様の前に立った。先と同じ場所で、相変わらず男連中が上司様に跪いている。

 おめでとう、と上司様は俺を労ってくださった。良い上司だ。

 

「これで君がこれから下弦の肆だ」

 

 上司様は俺の右目を指差した。それだけで右目に熱がこもる。眼球を形成する細胞がひとりでに動き回る感覚。結膜炎かなにかか。あとで医者に診てもらおう。

 

「ところで、全ての血を吸い尽くさなかったのはなぜだ?」

 

 上司様が顎で指したのは、クリムゾンロードで簀巻きにされた下肆さんだ。なぜと言われれば、私の今後のためです。ご存知と思いますが、私は鬼となって日が浅い。鬼としての振る舞い、上司様の精鋭が一人となった心構えなど、知らぬことが多くあります。恥を晒すようで恐縮ではありますが、やはりここはその恥を偲んで先達の方に教えを乞うのが良いかと存じまして、であるならば、血戦で敗れ精鋭から去ることとなった彼女が、知識的にも時間的にも教えを乞うのに最適だと判断したわけです。

 そう説明すると、上司様は納得したように一つ頷いて、先に俺に対してやったように、下肆さんに向かって指を向けた。

 すると、下肆さんの右目に描かれた漢字タトゥーにバツ印が刻まれた。

 ぎゃあ! と下肆さんが悲鳴をあげるも上司様はまるで頓着せず、好きにしろ、と仰ってくださった。

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