藤の山から降りる際、職人が手がけた和人形のように瓜二つな少女に、今後私と善逸は二人で行動することを言っておいた。そのためだろう、鬼殺隊としての任務は今のところ二人で当たることができていた。
私に与えられた烏の鶏助曰く、元々鬼殺隊は柱のような実力者でもない限り、数人で組を作って任務に当たるのが通例なのだとか。善逸と一緒にいられるのならばなんでもいいけど、それならもっと腕の立つ先輩もつけてくれればいいのに。
鬼のおじさんが言っていた、おんざじょぶとれーにんぐ、とか言うやつだ。
経験のある先輩に付いて実務をこなして経験を積む、ということらしい。
ただそれは人員に余裕があって、新しく雇った新人を遊ばせても問題ない程度に職場が回っていることが前提だそうだ。
新人にいきなり責任ある仕事を任せるなんてありえない。そうおじさんは言っていた。
『新人なんて経験どころか、その業界や職場の常識だってないんだから、言葉も通じない子供相手にしてんのと変わんないのよ。なのにあいつら、自分の知ってることは相手も知ってるって前提で説明とかするから新人なんて置いてけぼりでな。なんでも聞いて、とか言うからその新人が質問したら、そんな当たり前のことまでいちいち聞くな、とくる。お前は例えばスペースキーってなんですかなんて聞かれたらどう思う? なんて嫌みたらしく言われて、その時は説明書と用語集を渡します、て新人が返したのよ。正論だなって思ったらその先輩は屁理屈言うなと新人にキレてな。1週間でそいつ辞めちゃったわ』
ところどころ意味がわからないところがあったけど、まあおおむね同意だ。
経験者に付いて学べないなら教材をよこせ、という話だ。
その点私は良かった。最善の教材のそばに三年間つきまとっていたし、鬼のおじさんに段階的に強さを調整しながら鬼と戦わせてもらえたし、なにより私には『目』があった。一度見たものを忘れない目が。
つまり私が何を言いたいかというと、目の前の少年、竈門炭治郎のこれまでの任務の内容に対して憤りが止まらない、という話だ。
「いきなり一人で鬼と戦わせるって何を考えてるんですか」
「いや、それでもなんとかなったんだ」
「結果論ではありませんか、そんなの」
「う」
吐き捨てれば、竈門少年は具合が悪そうに押し黙った。
彼との出逢いは、善逸と共に雅楽打山へと向かう道中のことだった。
褒める私とそれを否定する善逸。いつもならそれは平行線で終わるのだが、今回はそれがわずかに拗れた。
『いい加減にしてくれよ、俺はもの凄く弱いの! 次とかその次の任務でどうせ死ぬの! 一人で死ぬならまだいいよ、でも俺みたいなクソ雑魚ナメクジを守るためにまれちーまで死んだらどうすんだよ死んでも死にきれないだろ!』
目的地が近づいてきて臆病風に吹かれたのだろう、いつもより声に張りがあった。私の方も、善逸の言葉が嬉しくて、つい照れ隠しにいつもより強い口調で彼の弱さを否定した。
道の真ん中で、痴話喧嘩というには殺伐としたやりとりを交わす私たちを見咎めたのが竈門少年だった。
「今だって骨が折れているでしょうに。そんな体でどうして任務を命じられるのか」
「う、バレてたのか」
「えぇ? だだ、大丈夫か炭治郎」
「しかも痛みを止めていないでしょう、なぜそんな平然としていられるのか……」
え、と二人が私に視線を向けた。
「痛みを止めるってどういうこと?」
「呼吸の応用です。痛みは体の神経が頭に伝える信号です。どの神経が頭に痛みを伝えているのかを把握して、その信号伝達を抑えるんです。ね、簡単でしょう?」
「……」
「……」
「何ですかその目は」
しばしの沈黙の後、善逸が口を開いた。
「それにしても、炭治郎とあの人、人? が会ってたなんてな。変な人? だったろ」
「あ、いや、そんなことは、まあ、うん」
頷いちゃったよ。
「でもすごい、人? だった。俺は鼻が利くんだけど、人を一度も食べても、殺してもいないってことが匂いからわかった。自分を弄ったわけでもないのに、すごい精神力だと思う。あんな人? もいると思うと、少し不安が和らぐ」
「まあそのかわり鬼を殺しまくってるけどな」
「そうなのか?」
「あの人? は鬼になってすぐ藤の山に放り込まれたんだって。以来鬼同士で殺し合いだったってさ」
「ああ、鬼は共食いするように操作されてるらしいからな」
竈門少年は私たちのやりとりが目に余った、というのもあったが、なにより善逸の髪が気になったのだという。
あの、鬼のおじさんからよろしく、と伝言を、黄色い髪の少年宛に預かっていたのだと。
そのお陰で私たちはすぐ打ち解けることができた。
思わぬところで、またおじさんの世話になってしまった。
本当に頭が上がらない。
そんなことを話しながら烏に先導されながらやってきたのは、山奥に佇む屋敷だった。
二人が言うには、血の匂いと鼓の音がするらしい。
そばにいた兄妹を宥めて情報を聞き出す。どうやら私と同じ稀血の子供が鬼に捕まったらしい。
普通に考えれば屋敷に連れ込まれた時点でその子供の生存は絶望的だが、この屋敷に鬼が複数いればその限りではない。稀血の芳香に引き寄せられた鬼たちが、稀血を巡って殺しあうことがある。経験談として、そのお陰でおじさんの助けが間に合ったのだ。
竈門少年が兄妹の下に背負っていた箱を置いて、私たち三人は屋敷へと入った。
「なあ炭治郎、あれ大丈夫なのか?」
「あれって何のことだ?」
「あの箱だよ。あの中、鬼が入っているだろう? というか鬼殺隊が鬼を連れ歩くってのはどうなんだ?」
「鬼ですか?」
善逸は耳がいい。その音を聞くだけで、そこに何の動物がいるかまでわかる。心音や呼吸音など、生物によってこぼれ出る音は全く違うのだとか。正直意味がわからない聴力だ。
「……ああ、俺の妹なんだ。妹は俺の目の前で鬼になって、以来ずっと一緒にいた。その間、妹は一人も人を食べていない」
あの箱に収まるなんて、よほど幼くて小さい子供なんだろう。そんな妹が鬼になってしまうなんて、なんてやるせない。
「というか、炭治郎が一人で任務を任されたのって、もしかしてそのせいで鬼殺隊に嫌われてたからじゃね?」
「え」
「それか踏み絵的なものかもしれませんね。妹と同じ鬼をちゃんと殺せるか。最終選別は別に殺さなくても、逃げ回って生き残ればそれで合格ですし」
「だめだ!」
なにが、と思えば、先の兄妹が私たちを追って屋敷に入ってきていた。
兄曰く、置かれた箱から音がして気味悪かったとか。
置いてかれた箱にいる妹をどうしようとか、戦えない兄妹をどうするとか、家鳴りのような音に善逸が恐慌状態に陥ったとか、わちゃわちゃしている間に私たちは分断された。
鼓の音が聞こえた気がする。その途端辺りの景色が一変し、気づけば屋敷の中にあるだろう居間に一人突っ立っていた。
「善逸……」
見事に分断されてしまった。
襖を開けながら一直線に走り続けても、一向に外に出られない。すでに二町は駆けたはずなのにだ。いくらこの屋敷が大きかったといってもさすがにそこまでではない。
おそらく空間が捻じ曲がっている。
永遠に抜け出せない迷路。
この屋敷を縄張りとする鬼の血鬼術か。
であるならば、その鬼を殺さないと私たちは外に出られない。
屋敷の中で善逸と合流できるかも定かではない。
一番恐ろしい可能性として考えられるのは、鬼が外からこの屋敷の空間を閉じてしまったという可能性だ、が、それはないだろう。稀血や他の餌をこの屋敷に連れ込んでいるということは、この屋敷はその鬼にとって屠殺場であり食卓でもあるのだ。外から閉じて入れない、なんてことはしないはずだし、必ず攫った稀血を貪るため中にいるはず。
とはいえ、空間の捻じ曲がったこの屋敷の中で鬼を探し回るのもばからしい。
「よし」
私は、懐から匂い袋を取り出した。
藤の香りを濃縮させたそれは、『稀血』と呼ばれる私の体を流れる血の匂いを隠してくれるものだ。選別後に与えられた烏の鶏助がくれたものだ。
それを放り投げる。部屋の襖を全て開け放ち、型稽古を行う。私の匂いが汗とともに広がっていく。
ほんの四半刻で、鬼が一匹釣れた。
「なんだ、他にも稀血がいやがったのか、あの野郎隠してやがったな」
現れたのは巨漢の鬼だった。
背の丈では私の倍、重さでは三倍はありそうだ。
こいつがこの屋敷を捻じ曲げている鬼か。鬼がこちらに伸ばしてくる腕を三枚に卸し、その勢いを失わずに体を旋回、鬼の懐に潜り込んでその太い首を切り上げた。
水の呼吸を使うまでもなかった。
あまりにも弱すぎる。
期待もしていなかったが、屋敷の捻れはそのままだった。やはりこいつの血鬼術ではなかったようだ。
「善逸」
不安は、ない。この程度のことで傷つくような男ではない。おそらくまたぴーぴーと泣き喚きながら、雷速の居合斬りで鬼を屠っていることだろう。
その雄姿を見ることができないのが残念だ。
「善逸」
善逸。善逸。善逸。
「待っていてくださいね善逸」
すぐに会えますから。この程度の任務、私たちなら無傷で終えることができるでしょう。そうしたら、任務終了をともに祝いましょう。
気づくと私は、猪頭に飛び蹴りしていた。
反省している。しっかり首を踏み砕くべきだった。後悔はしていない。
無抵抗の善逸をボコボコにしていた猪頭は、猪の皮を被った美少女顔の少年だった。
私の飛び蹴りでぶっ飛んだ彼は、素顔を晒したまま気絶した。その顔立ちは確かに目を見張るものがあるが、善逸曰く「女とムキムキの男をむりやり合体させたみたい」だそうだ。
「ごめんなさい、善逸」
「え、なにがだ?」
「あなたを守る、と言っておきながら、私はなにもできなかった」
「あー……いや、そんなことは」
誓ったのだ、善逸を守る盾になると。
涙がでそうになる。
なぜあなたはそんなに優しいのだ。出会って半日の、名前以外よく知らない少年の、顔も見たことのない妹のために、なぜ体を張れるのだ。
そんなに臆病で、傷つくことを誰よりも怖がっているくせに、どうしてそんな勇気が出せるのか。
怒りが募る。
自分に対しての怒りだ。
誰よりも臆病で、だからこそ誰よりも勇敢な彼を、守ることができなかった自分に。
善逸は居心地悪そうに視線を彷徨わせて、私の右手を見た。握りこぶしの隙間から血が垂れていた。見れば手のひらの皮膚を爪が裂き、その爪自体も割れていた。
「まれちー」
善逸が、私の名前を呼んでくれた。それだけで嬉しいと思えた。
その声は、いつになく柔らかかった。それがなぜか、どうしようもなく悲しかった。
まれちーは孤児で本名は自分も知りません。
名前もいく先々で適当に名乗ってたのでいっぱいあってな。
社畜さんと善逸との間ではまれちー呼びが定着してるので、善逸にはずっとまれちーで通してます。