鬼になった社畜【完結】   作:Una

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難産だった……! 3回は書き直した……!
アンパンマンさんネタ提供ありがとうございます。


第17話 懇願

「何をしているのですか?」

 

 善逸と泣きながらデコツンを楽しんでいると、女性が一人、まるで空を舞って来たかのようにふわりと姿を表した。

 何をしているのかと問われれば、愛を再確認しているわけだが、正直邪魔すんな、である。

 

「だ、誰だ⁉」

 

 本当はもっと続けていたかったのに、外野の声が聞こえて善逸は私からからだを離してしまった。私を見つめていた瞳が不躾な声の主へと向かう。

 なぜだろう。

 それが、たったそれだけのことが、無性に気に障った。

 ただまあ、離れると同時に善逸が私の前に出てくれたのは大いに喜ばしいことではある。おかげで差し引きゼロだ。

 

「坊や」

「は、はい!」

 

 突然現れたその人物は、小柄な女性だった。私や善逸も着る隊服の上に柔らかな色あいの羽織を重ねている。舞い降りる姿はその軽やかさも相まって蝶のように可憐だった。

 しかしその可憐さと羽織の動きで隠されているが、私の目は誤魔化されない。

 この女は、強い。

 身のこなしだけなら、私がかつて剣の師と勝手に仰いで付きまとっていた水の剣士様を上回る。何者だろうか。

 

「あなたが庇うお嬢さんは、一体なんですか?」

「なんですか、て」

「鬼、とも違う。しかし明らかに人間ではありません。気配の強さも、禍々しさも、下弦にあるいは匹敵するかもしれません。もしかしたら鬼の進化種かも。あなたが庇っているのはそんな化け物なんですよ?」

「ダメです、善逸」

 

 私を化け物、と彼女が呼んだ時、善逸の手が一瞬震えた。腰に手を伸ばしそうになったのだろうが、それは辞めさせた。隊員同士の戦闘は御法度であるし、なにより今の善逸ではおそらく敵わないからだ。

 私たちのやり取りの意味を、おそらく気づいていただろう女はさらに言葉を紡ぐ。

 

「もしお嬢さんが鬼だった場合、坊やは隊律違反となります。鬼を庇うなど、裁判を待つまでも無く斬首が妥当の所業です」

「だめだまれちー!」

 

 善逸が女隊員を睨んだまま私を制止した。

 手元を見れば、刀の柄に伸びようとしていた右手が善逸に押さえられていた。しまった、善逸を斬首に、と聞いて一瞬だが我を忘れてしまった。

 

「あらあら、随分と血の気が多いんですね。とても鬼らしいですよ」

 

 女は朗らかな声で言いながら、いつの間にか刀を抜いていた。

 それは奇妙な形をしていた。

 一般的な刀よりかなり細身だ。というより、刃や刃紋がない。先端にわずかに刃先が残されているだけで、あれは斬撃を度外視した、突き専用の刀なのだろう。

 そんな刀で何をするつもりか。どうやって鬼を殺すのか。突きで私を殺せるとでも思っているのか。

 

「落ち着けまれちー。大丈夫だから」

 

 善逸の声で落ち着きが戻る。善逸の聴覚で私の感情を把握されているようだ。やはりというか、この体になってから思考が攻撃的になっている。自分では気づけないから気をつけようがないのが歯がゆい。落ち着け、深く呼吸をしろ、さあ社畜の呼吸壱の型。

 善逸が一歩前にでて問いかける。

 

「あなたは何者ですか」

「あら失礼、申し遅れました。私の名前は胡蝶しのぶ。鬼殺隊の柱が一人、蟲柱をお館様より拝命しています。あなたは?」

「柱……!」

 

 恐れていた事態だった。柱と対面することになるかも、と。でもそれがここまでいきなりだとは思ってもみなかった。せめてもう少し心の準備をする時間が欲しかった。

 

「俺は、我妻善逸、癸です」

「そうですか。では我妻隊員、そこを退きなさい。私には悪鬼滅殺の使命があります」

「まれちーは鬼なんかじゃない! 外見が人間から外れてしまったのは、蜘蛛みたいな鬼の毒で体が変質したからだ! 周りにいるだろ、蜘蛛みたいになってる人が!」

 

 胡蝶しのぶは視線だけをくるりと巡らせ、周囲の状況を確認した。顎に手をやり、

 

「……ふむ、眷属化の異能を持つ鬼がいたようですね。彼らの治療も急がなくてはなりませんが……その鬼はどちらに? 逃げましたか」

「まれちーが切った! まれちーは鬼殺隊としての職務を遂行している!」

 

 しばし思考した後、彼女は右手の刀を鞘に納めようとしながら、

 

「たしかに。それならまずは、あなたたちを殺すのではなく」

 

 引いてくれるのか、と。私は一瞬安堵してしまった。私のせいで善逸と柱が対立しなくて済む、と。

 

「拘束しないといけませんね」

 

 一瞬だった。

 身体を操作して額の複眼を閉じていたのがまずかった。安堵と、刀を納める所作による油断とで、目の前の女の動きが全く目で追えなかった。目で追えぬ速度で、一瞬で彼女は私の背後に回っていた。馬鹿が。この女は柱だぞ、それを忘れて、自分が人外となったことの危険性から目をそらして。

 そんな体たらくを晒した私とは違い、善逸は柱の動きに対応した。

 私の隊服を掴み、引き寄せ、高速で回転する。回る視界の端から得られる情報から、善逸が胡蝶しのぶの突きから私の身を守ってくれたことを理解した。

 結果、私はかすり傷一つ負うだけですんだ。

 顔を上げれば、私の肩を抱える善逸が、鋭い目つきで胡蝶しのぶを睨みつけている。

 

「あら」

 

 突きを放ったままこちらに背を向けていた鬼殺隊の柱は、心なしか目を見開いた、心底意外だとでも言いたげな表情で振り向いた。

 

「たかが癸、なのに。私の斬撃から他者を庇う、だなんて。随分と見込みがありますね」

 

 それだけに惜しい、と。そう呟いて胡蝶は重心を落とした。

 それを見た善逸の判断は早かった。

 

「逃げるぞ!」

 

 雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃 八連

 

 私の肩から腰へと腕の位置を変え、善逸は一気に加速した。木々の間を駆けていく。景色が後方へと飛んでいく。私の目でもギリギリの速さ。

 八連を終え、善逸のからだが技後硬直に陥る。善逸に続いて着地した私が間髪入れずに彼の体を支えて地を蹴る。人面蜘蛛を切ったときと同じ踏み込み。善逸ほどの加速は出なくとも、止まらなければ構わない。その間に善逸の技後硬直が解け、交代し、さらに霹靂一閃で加速する。

 これを繰り返していけば、如何に柱と言えども追いつくことは叶わないはずだ。

 善逸の加速が終わり、続いて私の番が来て……そこで私の体が崩折れた。

 

「あ、」

「ぐぁ!」

 

 二人で腐葉土で覆われた地面を転がる。咄嗟に善逸の頭を抱えるも、加速の勢いのままに木に激突した衝撃は殺しきれなかった。

 

「善、逸、善逸!」

 

 脚に力が入らない。転倒の原因はそれだ。でも今はそれどころではない、痺れる体を起こし、すぐに善逸に呼びかける。怪我はないか、そう叫んでも反応がない。まさか、死ん―――

 

「気を失っただけですよ、呼吸はしっかりしているようですから」

 

 後ろから、ゆったりとした静かな足音とともに、柱の女の声がかけられた。

 見覚えのある異形の刃が私の首に当てられている。

 気づかなかった。全く気配がしなかった。

 これが、柱。

 

「それにしてもおかしいですね」

「……なにがでしょう」

「あなたに入れた薬は、鬼を即座に昏倒させるものです」

「薬?」

「私、これでも薬学に通じてまして。鬼を殺す薬を作った、割とすごい人なのですが、それがあなたには効かなかった。はたしてそれはどういう意味か」

「……私が、鬼ではない、ということではないですか」

「そう、なんでしょうかねぇ」

 

 困りました。と柱の女は言う。

 

「まあ私も、鬼と人間が共存できれば、なんて思っていたりはします。しかしそれも人に害を及ぼさない存在に限る。お嬢さん、一つお聞きします。正直にお答えくださいな」

 

 キチリ、と刀が鳴る。私を殺せる『薬』の入った刀の先が、首の血管に触れる。ほんの少しでも身じろぎすれば、それが血管壁を突き破り、私の血が冒される。

 

「では聞きます。あなたは、人を殺しましたか?」

 

 殺すはずがない。私は鬼殺隊だ。鬼を殺せど人を殺す理由なんて、

 

 

 

 ―――眷属化の異能を持つ鬼がいたようですね。彼らの治療も急がなくてはなりませんが

 

 

 

 治療?

 治療と、治す、と、彼女は言った。

 治るのか? 鬼になった人間とは違って、眷属化は、治せるものなのか?

 心臓が跳ねる。背筋に汗が滴る。

 知らない、そんなこと知らない。知らなかった。あれが人間だったなんて、治るものだなんて、あの時点ではわかりようがないだろう。だってあれは見るからに人外で、しかもこちらを狙って攻撃してきた。それを私は反撃しただけだ、火の粉を払いのけただけで、だから私は、人間を、人間を、人間が、人間に、

 

「……ぁ、」

「残念です」

 

 背後の気配が一変した。私が答えあぐねた一瞬を柱は問の答えとみなして、殺意と憎悪を身に宿し、私の首の血管にその刃をつき入れようとして。

 金属音が響いた。

 首を捉えていた胡蝶しのぶの刀身が弾かれている。後ろを見れば、彼女は驚愕に染まった顔で、刀を弾かれた勢いで右手を広げ体幹を晒している。

 

「善逸……」

 

 善逸だった。

 善逸が、意識のないまま立ち上がっていた。

 殺意に反応して、意識のないままに柱の彼女すら反応できない速度で刀を振り払っていた。

 善逸が構える。

 すでに納められた刀の柄に、無意識のまま手をかけ、重心を落としたまま前のめり。

 霹靂一閃の構えだ。

 雷の呼吸の音が林の中で響く。圧力が上がる。睡眠状態で、恐怖や緊張など、世のしがらみの一切を捨てた無我の境地にて振るわれる全力の居合。

 そんな善逸の圧力を受け、柱は笑った。

 

「凄まじい集中力。その抜刀速度、身のこなし、実に将来が楽しみです。然るべき鍛錬を積めばいつか柱に届き得たかもしれない。それだけに残念です」

 

 いつか。

 そう、善逸は、いつか必ず柱になる。それだけの才能を持ち、血反吐を吐くような努力をしている。多くの鬼も殺してきた。

 きっと多くの人を守れるようになる。師である育手の誇りとなるだろう。善逸の夢は叶うはずだ。

 いつか。

 ただそれは、今ではない。

 今の時点では、不意打ちであれば辛うじて柱を驚かすことができる程度だ。正面から面と向かって立ち会えば、その結果は火を見るよりも明らかだ。

 ダメだ。

 

「ダメです善逸!」

 

 力の入らない体に喝を入れて、善逸にしがみつく。前のめりになっていた善逸と一緒に地面に倒れこむ。そのまま全体重を善逸にかけて身動きを封じる。

 最後の力だった。

 もう一歩も動けない。

 それでも、口は辛うじて動かせる。

 視線を上げることすらできない。善逸の細くも引き締まった背中に顔を押し付ける形のまま私は口を開いた。

 

「投降します。投降しますから、だから、善逸は。善逸だけは殺さないでください」

 

 胡蝶は、黙って私を見下ろしている。

 

「今善逸は意識が無いんです。無意識状態で彼は戦えるんです。私の危機に反応して反射的に動いただけなんです」

 

 胡蝶しのぶは、動かない。私の言葉を聞いているかもわからない。それが恐ろしい。恐怖で涙が溢れ、善逸の背中を濡らした。声が水気を孕み、震えも混じって聞き取りにくいこと甚だしい。それでも私にはただ懇願することしかできない。

 

「今逃げたのは、私が彼を無理やり連れ去ろうとしたんです。善逸の意思ではなくて、だから、鬼を庇ったわけじゃないんです。隊律を破ったわけではないんです」

 

 目が霞む。胡蝶しのぶに打ち込まれた薬がようやく意識に効いてきたのだろう。舌も痺れ、全身の感覚が靄がかったように希薄になる。

 

「投降します。抵抗しません、だから、どうか、どうか善逸だけは」

 

 あとはただ、どうか、どうかと。赤子のような声で繰り返していた。

 私の意識が残っていたのはここまでだ。


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