二人で手をとりあえば、どこまでもいけると思っていた。
柱にもなれる。鬼殺隊最強にも手が届く。鬼舞辻無惨だって倒せる。
善逸が一緒にいてくれるなら、どんな高みにでも、と。
そう信じていた。
覚醒してはじめに感じたのは、心細さだった。
今まで、藤の山での最終選別を終えてから私は毎晩、善逸と共に寝ていた。
もちろん無断でだ。
善逸が寝付いたことを確認してから善逸の隣へと潜り込み、その体温だとか、匂いだとかを感じながら意識を落とす。朝も彼のあれこれを五感で享受しながら目覚め、善逸に気づかれないうちに自分の寝床へ戻る、というのが私の日課だった。
それが、ない。
ここにあるのは苔の匂いと、石の冷たさ。目でどこを探しても彼の輝くような髪が見当たらない。
善逸が近くにいない。
よくよく周りを見渡せば、私は牢に入れられていたようだ。
「善逸……」
あの後、善逸の背中で意識を失った私は、そのままこの牢に連れてこられた、ということだろう。
たしかにあの柱の女は、拘束するとかしないとか言っていたけど。
なぜ殺さない?
善逸はどうなった?
善逸を探しに行こうにも、部屋を囲む六面のうち五面は石造り、正面のみが太い木材を組み合わせて作られた格子で、その表面には藤の香料が塗られているようだ。まるで近づける気がしない。というか脚がまだ痺れている。胡蝶しのぶが言っていた『薬』の効果だろう。
やることもなく、石畳の床に座り込んで、指から出した蜘蛛の糸を使ったあやとりで善逸の顔を描いていると、金属の擦れる音が響いた。おそらく扉の蝶番、牢の間への入り口のそれだろう。どうでもいい、今私は善逸の顔を描くのに忙しい。
「まれちー」
顔が跳ね上がった。座ったまま格子の外へと目を向ければ、そこには善逸がいた。
黒い覆面を付けた男性に肩を借りて立っていた。右足は添え木を包帯で固定されている。
「善逸、怪我を⁉ ああ、転倒した時ですか、善逸! 私が、あの時転んでしまったから……えい」
「まれちーなんで自分で自分の脚折るの⁉ うわ足首えらい方向に……」
「だって、善逸が傷ついてしまったから……ああ、もう治ってしまいました」
「大丈夫だから! こんなの痛くもなんともないから!」
嘘だ。肌に若干の発汗が見られる。息も浅い、深く呼吸をしようとした時、眉を潜めて呼吸が止まった。多分脇腹を痛めて、あるいは肋骨を折ってるかもしれない。
「よいしょ、あいたっ」
「だから手慣れた感じで自傷行為に走るのなんなの⁉ 何度もやってるの⁉ なんで肋骨⁉」
「いえまあ、戒めです。ところで、どうして善逸はここに来れたのですか?」
「さらっと流された……いや、裁判の前に面会が許されたんだ、胡蝶さんに」
「裁判ですか」
善逸が言うには、問題を起こした鬼殺隊員の真偽及び量刑を決める場が設けられるらしい。
裁判について、目覚めた私に伝える役割を、善逸は自分から買ってでてくれたのだとか。
「私が裁判に出るのですか?」
「いや。まれちーは出ない。鬼とか眷属になった隊員に発言権はないんだって」
「何故?」
「その、俺の言葉じゃないぞ? しのぶさんがな、鬼は保身のために嘘ばかり言う。その鬼に隷属する眷属の言葉なんて聞く価値がないって」
なるほど、と思ってしまった。私だって鬼と会話することに価値なんてないと思っている。
「だから、裁判に出るのは俺だけだって。そこで俺がまれちーを庇ったことに対する釈明をしろって言われてる。だからまれちーから事情を聞きたくて」
「我妻隊員」
善逸を支えていた隠の方が黒子の下で口を開いた。
「先にも言ったことだが、ここでの会話は全て記録し、胡蝶様に報告される。場合によっては裁判の場で報告もされる故、言葉には気をつけろ」
だからここで口裏を合わせたり、物を受け渡したりはできないぞ、と隠から警告を受けた。
とはいえ、そんな警戒をするくらいなら最初から善逸をここに入れなければいいのだ。
それなのに私はこうして、格子越しとはいえ善逸と会話ができている。
これは温情なのか。
あるいは、最期の別れを楽しめ、とか。
そうであるなら、私は彼とどんな言葉を交わすべきだろう。
「まれちー」
「はい、善逸」
「絶対助けるから。そしたら、また二人で鬼退治の旅だ」
「善逸」
善逸に言われた。嘘を吐くのはやめてくれと。悲しくなると。
だから私は、善逸には絶対に嘘を吐かない。
「なんだ?」
「私は人を殺しました」
「……え?」
ああ、善逸の困惑が伝わる。戸惑いと、疑問がその目に宿っている。いきなりこんなこと言われても困るだけだとわかっていたのに。
「誰を? いつ」
「那田蜘蛛山で蜘蛛と化していた人です」
善逸が首を傾げた。
「あ、あの小さいのか? あれは鬼じゃないのか? こっちを攻撃してきたじゃん」
「彼らや私は鬼になったのではありません、鬼の毒を入れられ眷属になったのです。これは、鬼と違って治療できるのだそうで、しかも、彼らはその原因となった鬼の隷属下にあったようで、攻撃も鬼に逆らえなかったからです」
「隷属って、そんなことわかるのか?」
「わかるんです。今、人間でなくなったこの体だと、眷属化について、なんとなく」
あの時、背中から生えた蜘蛛の足や糸の紡ぎ方を自然と理解できたように。眷属化の異能についても頭に詳細が刻まれている、どころか、多分これを自分の能力として使うこともできるだろう。歯茎に隠した牙を突き立てて体液を送り込めば人間を私の眷属にすることができるはずだ。
「で、でも、それはしょうがないだろ。俺だってビビって逃げたから殺さなかっただけで、というかあの時点じゃ治るとか隷属とか、そんなの知りようがなかった! 鬼と区別がつかない状況だったし、仕方なかっただろ!」
「仕方なかった、と。それを、遺族の前でも言えますか」
「え」
「それを、私が死んだ時にも言えますか」
善逸は沈黙した。
「今日、私が処刑されても、鬼に似ているから仕方なかったと言えますか」
私が殺した人物にも、家族がいただろう。愛するものがいて、愛されてもいただろう。
「ごめんなさい、意地悪な言い方をしました」
本当は、善逸には伝えたくなかった。自分が人を殺したと知られたら、嫌われてしまう、離れていってしまうと、そう思って。保身のために黙っていようと。
それでも、嘘を吐いて、偽ったままでそばにいることはできなかった。
化け物と化した私を、正面から受け止めてくれたあなただから。
善逸が食いしばるような表情を見せる。それを見てさらに私の中に罪悪感が募る。
苦しませてごめんなさい。
悩ませてごめんなさい。
本当は私も、嘘を吐いてでもあなたのそばにいたい。このようなことは黙っていた方が、善逸の苦悩は少なかっただろう。
あなたを苦しめるくらいなら、私のことは忘れてほしい。こんな罪深い化け物なんて知らないと裁判で証言して逃げてくれればいい。そんなことされれればきっと私は胸が裂けるほど辛いけど、でもきっと、あなたを苦しめるよりはずっと楽だ。
そう心から思う。
それなのに。
「待ってる」
それなのに、そう、つぶやくような声で善逸は言った。
「え?」
「ずっと待ってるから。どのくらいの罪になるかはわかんないけど、斬首だけは免れるように俺も裁判で証言するから」
「でも、もし死罪を免れても、どんな罰になるかわかりません。もしかしたらずっと幽閉されることになる可能性だって」
「それでも、待つから」
「人でなく、鬼と化し、人を殺した私を?」
「どうしようもない状況で殺したことを悔いる、優しいまれちーを」
うん、と善逸は強い光を瞳に宿して、強く強く頷いた。
善逸。
ありがとう。私を庇ってくれて。意識がないまま立ち上がってくれて。
嬉しかった。強さと優しさを併せ持つあなたに、私を守ると言われて。
幸せでした。僅かな時間でも、あなたと共に過ごせて。
御免なさい。あなたとの約束、守ることはできません。
―――――――――――――――――
我妻隊員の審議が始まる。
その罪状は、鬼となった女性隊員を庇ったこと。
それを聞いた柱たちのほとんどは「またか」という、辟易とした反応を見せた。不死川さんなどは額に血管が浮き出るほどの怒りを滾らせた。
「最近の隊士はどうなってんだァ? 育手は何を教えてんだオィ」
「俺は最近どうにも鬼殺隊全体の練度が下がっているように感じられてしかたがないんだが、それはもしかして育手に問題があるんじゃなかろうな? 育手には元柱の方も随分といらっしゃるが、彼らが剣士としての技量に優れていたところで人材の育て方も巧みかと言えばまた違う話なわけだ」
相変わらず伊黒さんはネチっこい喋り方をする。
「隊士としての力量云々より、鬼殺隊としての心構え、覚悟が足りんな! そんなことでは鬼を前にして躊躇することになる。人間であった頃の理性や人格が残ってるふりをする鬼など珍しくもないと言うのに!」
「本題に入ります。次の裁判の対象は癸、我妻隊士。こちらへ」
我妻隊士は、隠に肩を借りて、足を引きずってお館様の足元に広げられた御座に着いた。
「鎹烏が得た情報によれば、同じく癸、まれちー隊士が鬼の眷属となったと」
「待て、胡蝶。誰だって?」
「伊黒さん、話の途中で割り込まないでください。まれちー隊士ですよ、それがどうかしましたか」
「どうしたってことがあるか。なんだその名前はふざけてるのか」
私だってこんな名前を連呼するのは御免被りたい。しかし仕事だからしかたないのだ。
「ふざけているのは彼女の名付け親でしょう、私は至って真面目です。……まれちー隊士と共に任務に当たっていたのが彼、我妻隊士です。我妻隊士。まれちー隊士の眷属化の経緯を説明しなさい」
はい、と我妻隊士は口を開いた。
説明された内容は正直、鎹烏から得られた情報以上のものはない。小さな蜘蛛に噛まれ、眷属化の毒を注入された。その時から意識の高揚が見られ、同じく眷属となっていた人間を一人斬殺した。
「人を殺しているのでは論外ではないか、何を審議することがある」
「で、でも。眷属化していた人は攻撃してきたんだ、です。突然攻撃されて、しかも見た目だって、それが鬼によるものか人によるものかなんて判断つきません」
「なるほど、この場はこの餓鬼が隊律違反を犯しているか否かを争う場か」
「議論なんていらねェだろォ。滅殺対象を庇ってる時点でまれちーだかなんだかと一緒に今度こそ斬首だァ」
「いえ、まだ我妻隊士は自分の見たことをそのまま述べてるだけです。眷属化した人と鬼の区別がつかない、というのは彼の中では事実なのでしょう。我々なら気配ですぐわかりますが」
「隊士の劣化は深刻だなァ」
ここで、我慢が限界にきたのか、我妻隊士が吠えた。
「他の眷属となった人だって人を攻撃していた! そっちはし、胡蝶様の屋敷で治療を受けているって聞いてます、なのに何故まれちーはダメなんですか!」
「鬼殺隊だからだよクソバカがァ」
不死川さんが憎々しげに吐き捨てた。御座に座る我妻隊士と視線を合わせるようにしゃがみこむ。我妻隊士が体を震わせ、わかりやすく怯えた。
「鬼を切り、民を守る。鬼殺隊の根っこはそこだろうがァ。不覚を取って眷属に堕ちた挙句人を斬り殺しました、なんて情けなさと申し訳なさで自分から首切って詫びるのが普通の感覚だろうがよォ」
違うかァ? と、不死川さんはペシペシと我妻隊士の頭を叩きながら追い詰める。
「勘違いがありそうだから改めて説明しますね、我妻隊士」
不死川さんとは反対側に座り込む。彼は肩を小刻みに震わせてはいるが、近くで見ればその瞳は死んでいなかった。
「ここは、あなたを裁くための場です。まれちー隊士の処遇について相談する場ではありません。あなたが、私の、眷属化したまれちー隊士の滅殺を妨害したか否か、が争点になります」
我妻隊士の顔が愕然としたものになる。
「私の目には、あの子は君を無理やり連れ回し、意識を奪い、保身のために人質にしたように映りました。まさに鬼らしい悪辣さと言えます」
何かを叫びそうになった我妻隊士の口を人差し指で塞ぐ。そして私はそっと彼の耳元に口を寄せた。
「そういうことにしなさい。それがあの子の意志ですから」
この、耳が良いという少年にだけ聞こえる声量で告げれば、少年は見開いた目でこちらを見た。
その瞳に宿っていた覚悟が揺れていた。
「我妻隊士。正直に、心して答えなさい。あなたは、まれちー隊士に拘束され、人質にされた。そうですね?」
正直、私はこの二人を生かしておいてもよいのではないかと考えている。
ここで我妻隊士が頷けば、彼は無罪放免となる。無論、鬼に攫われた不甲斐なさを責められ減俸および癸のまましばらく昇給できないことになるだろうが、斬首よりははるかにましだ。
そうして、ここでまれちー隊士の斬首を確定させて、地下牢にいる彼女の眷属化を治療する。その後顔と名前を変えさせて、鬼殺隊として働けばいい。
なぜそんなことをしようと思ったのか。
同情、ではないはずだ。
ではなんだ、と問われても言葉が見つからないけれど。
私の言葉に逡巡していた我妻隊士が、意を決したように震える唇を開こうとした、その時だ。
「胡蝶様、緊急連絡です!」
「何事です」
隠の方が我妻隊士の言葉を遮るように声をあげた。一体なんだ。
「胡蝶様の屋敷にある地下牢から、件の隊士が消えました」
ざわ、と場の空気が乱れる。我妻隊士の言葉を待って無言となっていた面々がその報告に身じろぎしたのだ。
「地下牢の床に穴が開けられており、そこから逃亡したものと思われます」
「なんで……」
報告を聞き、呆然と呟かれた我妻隊士の声は、私以外誰にも聞かれなかった。
つうか元号変わってますね。鬼滅の刃ss書いといて元号変わる瞬間に更新しないこの体たらく。