鬼になった社畜【完結】   作:Una

22 / 50
第22話 継子

 試験管を傾ける。呼吸が必要なくなったこの体でありながら、思わず息を詰めた。

 緊張の一瞬だ。

 震える指先で粘性の高い液体を、台に固定された72匹のネズミにゆっくりと注いでいく。

 その赤い液体が、ネズミに触れた。

 びくり、とネズミが順に痙攣していく。

 麻酔で眠らせてあるネズミが、意識のない状態でありながらも苦痛に蠢き悲鳴をあげる。鼓膜を苛む悲鳴の合唱が地下研究室を満たす。

 しばし、隣に立つ夏至ちゃんとともに経過を見つめる。

 ネズミの痙攣が徐々に収まり、ついにはぐったりとしたまま沈黙。

 またも失敗か……そんな諦めがよぎったその時、その変化は起こった。

 

「お、おい上司殿」

 

 見ているとも。

 それは、劇的だった。ざわ、ざわ、と見るものに歓喜と驚愕を与えるそれ。歴史上全ての人が夢見て、しかし挫折したそれ。人類の希望ともいえる、その変化はもはや変貌と、あるいは進化と表現してもなんら過言ではない。

 ああ、と。

 万感の思いとともに、俺の口から吐き出されたため息。隣の夏至ちゃんもわずかに涙ぐみながら、小さくガッツポーズを取った。

 

「完成、だな」

 

 ああ、そうだ。

 ついに我々は成し遂げたのだ。有史以来あらゆる天才が、あるいは世に伝わるあらゆる権力者が目指し、しかし届かず挫折した見果てぬ夢に、鬼の我々が到達した。

 今この瞬間が、人類史の最先端。誰よりも先にいるという実感。ここから生まれる全ては我々の後追いであるという絶対的優越。今日この時より、人類は明確な一歩を歩んだ。

 眼下のネズミたちを見る。

 彼らは過度のストレスを与えられ、肉体や皮膚がボロボロだった。栄養状態など極端に悪い中かろうじて生かされている。そんな彼らの自己治癒能力は通常より極端に低い。

 そんな彼らが再生するなど本来ならありえない。

 なのに。

 彼らのボロボロだった肌には、黒々とした毛が生え揃っている。

 

 毛生え薬が、ついに完成した瞬間だった。

 

 不毛となった真皮に毛根が生まれ、太くがっしりとした毛が高い密度で立ち並んでいる。

 ピンセットで毛を一本つまみあげても、皮膚がぐにっと持ち上がるだけでまるで抜ける気配がない。

 

「これで、もう」

 

 夏至ちゃんが震える声でつぶやく。

 

「もう、ネズミを管理したり薬品を一つづつ組成を変えて五日間ぶっ続けで調合したり血液成分をリストにまとめたりしなくていいんだな」

 

 ハイライトを失った目で虚空を眺めながらブツブツと呟き続けている。

 夏至ちゃんはよく働いてくれた。

 ネズミの管理といってもただ飼育していればいいというものではない。どの遺伝子型の両親から生まれたネズミなのか、年齢はいくつかを飼育箱ごとにラベリングしながら、最終的には3056匹も管理してくれた。それらを逐一遺伝子型を確認しながらだ。同じ両親から生まれた兄弟ネズミでも当然遺伝子型は異なるわけで。本来ならPCR使うところを夏至ちゃんは俺から移譲されたクリムゾンロードで遺伝子型の確認はできるため、その労力は十分の一程度ではあるが、それでも大変な作業だったろう。求める遺伝子型を産むにはどの雌雄を掛け合わせなければならないかを確かめながら。毛髪に関わる遺伝子座を4つに定めてそれぞれの優劣パターンを網羅させて毎回実験しなければならないわけだから、その労力は膨大なものだったろう。

 ただ残念なお知らせです。

 

「……なんだ、正直私は布団に入って寝たい気分なんだ。鬼なのに。あれだな、鬼でも精神的疲労ってあるのだな」

 

 悪いんだけど毛生え薬は実は、

 

「あとで聞く。起きたら聞く。だから言うな。いいか、絶対言うなよ」

 

 おまけで、本命は不死化薬です。これからその開発に入ります。

 

「言うなって言っただろうが! せっかく現実を無視して達成感を胸に安らかに休めるところだったのに!」

 

 鬼っていいよね。寝なくても活動続けられるんだから。

 たった5日程度の連勤で文句言うなよ、社畜としての自覚が足りていないぞ? 後輩にどんどん社畜ポイントが追い抜かれてるじゃないか。

 

「上司殿の育てた社畜どもと一緒にするな! あんなの洗脳ではないか。なんだ、あの壁に貼ってる標語みたいなやつ」

 

 ああ、あれ。『鬼舞辻様への奉仕は最高の幸福であり幸福は社畜の義務である』。

 

「周囲の発言の揚げ足とってすぐ鬼殺隊のスパイ扱いして処刑しあってるし! 処刑現場のすぐ隣ですら幸福ですか、と聞かれたら『私は完璧に幸福です』とみんな口を揃えて答えるあたり本当に気持ち悪い! 幸福じゃなかったら鬼殺隊のスパイとかどういう理屈だ!」

 

 完璧な鬼舞辻様に管理されてる鬼が完璧に完全で幸福じゃないはずがない。不完全かつ幸福じゃないならそいつは鬼じゃない。つまり鬼殺隊である。という簡単な三段論法だよ。それにちゃんと処刑した鬼の血を回収してるでしょ? なら記憶とノウハウは継承されるから問題ないよ。

 

「継承したあとも『次の社畜は上手くやってくれるでしょう』と唱和するからなあいつら。何度も何度も聞かされて耳から離れん。宗教よりも気味が悪いわ。いいか、私の精神はまっとうなんだ、あんな連中と争ったりなどできるものか!」

 

 え、まっとう……? 

 

「おい待て、なんだその反応は」

 

 いや、ああそうか、記憶を。

 

「なんだ、何が言いたいんだ⁉︎まさか私が知らないうち、というかまさか寝ている間に洗脳を⁉」

 

 いやだってほら、魘夢さんて強制睡眠から夢を見せる能力じゃない? あれで社畜らしい常識を毎晩刷り込んでいけば、120時間連勤にも文句言わなくなる社畜ができあがるというか。

 

「魘夢あの野郎! ぶっ殺してやる夢見せるしか能のないクソ雑魚のくせに乙女の夢に土足で入って洗脳など!」

 

 殺すとかやめてよ。鬼の本能抑えたり規則を本能レベルに刻み込むのには彼の血鬼術が最適なんだから。彼今人事の社員教育として大活躍してるんだよ、なくてはならない存在なんだから。

 

「ん? 社員教育って、鬼全員のか? 獣のような奴らを一匹ずつ探し出してか?」

 

 探して集めるのは琵琶さんがやってくれたけどね。魘夢さんと琵琶さん、二人とももう200時間くらい働きづめだよ。琵琶さんは腱鞘炎、魘夢さんは手の甲にある口の喉が潰れて声がかすれて痛いってさ。治ると同時に酷使して再発、の繰り返しらしいよ。

 

「魘夢の奴めざまみろ馬鹿が! いつもニタニタと人の失敗を笑っているからだ!」

 

 ボーナスとしてまれちーのいい匂い成分を濃縮した錠剤一個ずつあげたよ。そしたら10日後くらいに右腕震わせながらもっとくださいって二人して土下座してきたけどね。ほしけりゃもっと頑張ってって言っといた。

 さて、嬉しそうなところ悪いけど、今度こそ不死化薬の研究に入ろうね。実験操作はもう大分慣れたでしょ。取り敢えず必要な素材と薬品集めておいてよ。

 

「……わかった。やるよやりますよ、やればいいんだろうやれば」

 

 そうだよ早くやれよ。

 

「くっそ煽りよる……その間上司殿の予定は?」

 

 まれちーの改造と、あと毛生え薬を製薬会社に売り込む文句とか入れる瓶のデザイン考えたりと、あとまれちーを営業として教育する感じかな。

 

「営業にするのか?」

 

 俺の動かせる人材の中で日中動かせるのはまれちーしかいないしね。今丁度あのパワハラ太郎が製薬会社の御曹司に擬態してるからね、その伝使って会社の人間まとめて洗脳して、毛生え薬量産させて、データと実物持ってまれちーに日本の偉いハゲたちに営業してもらうわ。洗脳にはまた魘夢さんが頑張ってくれる予定。なお、乗っ取ったら会社名はアルファ・コンプレックスに変えるつもり。

 

「あるファなんちゃらはよくわからんが、魘夢についてはまあ適材だな。せいぜい使い潰してやれ。まれちーもまだあどけないが器量が良いし、ハキハキ喋るし礼儀正しいし、外見もすっかり人間だしな」

 

 あとはどうやって鬼殺隊に復帰させるかだね。人っぽくなったところで、いきなりのこのこ鬼殺隊のところに戻ったって、人殺して脱走したのは変わらないからね。

 なにかデカい土産かイベント起こさないとな。どうすっかな。

 まあそのあたりの目処が立つまではBtoB営業として回ってもらおう。

 

 

 

 

 

 ───────────────────

 

 

 

 

 

「我妻隊士は音柱の継子となりました」

 

 俺と伊之助は那田蜘蛛山での負傷を癒すため、胡蝶しのぶさんの邸宅である蝶屋敷に滞在していた。

 来てすぐに思い至ったのは、俺以外の三人の安否だ。

 伊之助は同じ部屋にいた。喉を潰され、かなり落ち込んで自虐的になっていたけど、それでも命に別状はなく後遺症も残らないとのこと。

 しかし善逸は、ここにはいない。

 まれちーさんも。

 確認するに、那田蜘蛛山にて善逸と二人で入山したが、彼女は不覚をとって鬼の眷属とされてしまい、人を殺してしまったそうだ。その上閉じ込めていた牢から逃げてしまい、善逸はそれを追うことになるのだと、しのぶさんに聞かされた。

 ただ、癸に過ぎない俺たちにそんな自由に行動する裁量はない。そのため、任務として国中を巡り歩く柱に随行するため、そしてなにより強くなるため、善逸は柱の一人である宇髄天元さんの継子となったのだと。

 

「あの、継子ってなんですか?」

「柱の弟子、と考えて間違いありません。何を教えるのか、どう教えるのか、といったところは各柱に一任されていますが」

 

 弟子? つまり戦い方を教えるのか? でも、善逸は雷の呼吸だ。

 

「音柱、ということは音の呼吸ということですよね? 違う呼吸なのに弟子となって大丈夫なんですか?」

「基本はそうですが、音の呼吸は我妻隊士の扱う雷の呼吸から派生したものなのですよ」

 

 だから技術を教えることに概ね問題はないでしょう、と微笑んで言った。

 あ、と思い立つ。呼吸と言えば、ずっと気になっていたことがあったんだった。

 

「あの、しのぶさん。来て早々いくつも質問して申し訳ないんですが、もう一つだけよろしいでしょうか」

「何でしょう、なんでも聞いてくれてかまいませんよ」

「俺の父の話なんですが」

 

 ヒノカミ神楽について聞いてみたところ、しのぶさんはそのようなものは聞いたことがないという。火の呼吸というものも存在せず、現在あるのは炎の呼吸であると。炎の呼吸を火の呼吸と呼ぶべからず、と言われているといったところまで教えてもらった。そのあたりの詳細は自分より炎柱である煉獄という方に聞くのが良いとの助言まで与えてもらった。しかもその煉獄さんという方に手紙を送ってくれるという。

 この上治療までしてもらえるのだから至れり尽くせりだ。

 礼を言い、着替えて伊之助の隣のベッドで体を落ち着ける。

 そうして治療が始まり1週間後。生まれてごめんとまで言いだした伊之助を必死に慰め励ましていると、思っていたよりずっと早くに煉獄さんからの返信がやって来たのだった。しかも、なんと本人が直接蝶屋敷にやってきての返答だ。正直驚いた。

 

「久しいな溝口少年!」

「竈門ですが!」

 

 なんでも煉獄さんは遠方での任務からの帰りであり、その途中でたまたま近くを通りかかったところでカラスから手紙を受け取ったため、そのままこちらに立ち寄ってくれたらしい。

 唐突ではあったけどありがたくもあったので、脇にあった椅子を出して座ってもらい、こちらはベッドに腰かけたままヒノカミ神楽や火の呼吸について話をさせてもらった。

 

「知らん!」

 

 にべもない。

 

「初耳だし、まず間違いなく君の父の舞や呼吸は炎の呼吸とは無関係だな!」

 

 この話はそれで終わりだ、と言って別の話題に進もうとする。

 この煉獄さんという人は、随分とまっすぐな人だな、というのが俺の抱いた印象だ。物事を簡潔でわかりやすく捉える。

 

「俺の継子になれ。立派な剣士にしてやろう。君が父から受け継いだ技術についてなにか助言できるかもしれないしな!」

 

 面倒見のいい人だな、とは思う。ただ、どこを見ているのかわかりにくいだけで。

 

「継子、ですか」

「うむ。溝口少年は見所がある」

「竈門です。誰ですか溝口」

 

 思ったのだ。

 まれちーさんと善逸に、俺は何もできなかったのか。

 あのとき、二人を待って、四人で山に入っていれば、また別の結果になったのではないか。

 善逸を置いて行ったのは、怖がる善逸に無理強いはできないという判断だった。でもそれは誤魔化しではなかったか。自分では怯える善逸を守りきれないから、足手まといだから、自分も危険にさらされるから、なんて汚い感情がなかったか。

 自分に嘘をついて誤魔化してはいなかったか。

 

「俺の、どこに見所なんてありますか」

「不死川のやつに頭突いたところだな! 剣の速度と鋭さではあいつは柱でも随一だ。それを両腕を拘束されたまま躱して頭突くなど、そうできることではない!」

 

 匂いからは、嘘や悪意と言ったものが全く嗅ぎとれない。まれちーと同じくらい、嘘の匂いがない。ただ目の前にあるものを見据え、誤魔化さず、言い訳もせず、自分の心に正直に鍛錬を続けてきた克己の塊。

 そのあり方は、単純なようで難しいと思う。

 柱にまでなった人だ、今まで多くの苦境や困難があったろう。それでも曲がらず、挫けず、進み続けた剣士の匂い。

 俺も、こうなれるだろうか。

 禰豆子を人間に戻すことは、きっと、多くの困難がつきまとう。

 鬼殺隊にだって完全に認められているわけではない、どころかあの傷だらけの人のように嫌悪されることだって普通にあるだろう。

 それでも、どんな困難にあっても、挫折しそうなことに直面しても、挫けずに進む剣士に。

 

 

 気づけば、俺は煉獄さんの継子になる旨を、頭を下げて願い出ていた。

 煉獄さんは、うむ! と頷いて、下げた俺の頭を軽く撫でてくれた。




祝、10万文字。
テスト期間があったことを考えても、一月程度でこのペースはなかなかではないかと自画自賛してます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。