逃げてばかりの人生だった。
逃げる先は色々だ。木の上だったり、洞穴だったり。じいちゃんが見つけてくれるという甘えだったり、どうせ自分なんてという諦めだったり。
自分にとって都合の良い……否、都合の悪い認識の中だったり。
そうやって、自分にとって都合の悪いものから目を逸らして。
まれちーは言った。俺は、自分にとって都合の悪いように認識を捻じ曲げると。
『あなたの名前通りですね』
『名前?』
『善逸。善いものから目を逸らすのですよ、あなたは』
だからもっと、自分を認めてあげてください、と。そう彼女は言ってくれた。
まれちーが俺に対して全く、何一つ嘘をついていないと知ってから、俺は彼女から告げられた言葉一つ一つを思い返した。
そのほとんどを俺は聞き流していた。騙されることが怖くて、陥れられないための防衛手段として、信じる信じない以前に、言葉を聞かないことを選んでいた。
後悔が押し寄せる。
そんな俺に対しても、まれちーはずっと言葉をかけ続けてくれていたのに。
その有り難みを、今になってようやく理解した俺は、あまりにも愚かだ。
「で、なんで目ぇ閉じてんだお前」
「鍛錬の一環で」
音柱である宇髄さんが尋ねてくる。
まれちー曰く、俺は気を失い、目を閉じている時の方が動きが良いらしい。
最初にそれを聞いた時は何を馬鹿な、と一笑に付した。意識がない時に体が勝手に動いて鬼を斬っているだなんて意味がわからない。
でも、まれちーが言うならそれは本当なんだろう。
俺は耳がいい。特に耳をすまさなくても対面する相手の体内の音を聞き取ることができる。
それは心音や呼吸音、関節の軋みや筋肉の収縮する際の擦過音などだ。他にも衣擦れや重心を移動させた時に出る地面の圧縮音など、人が動く際には、本当に様々な音が伴うのだ。
それらを、俺の耳は一つ一つ聞き分ける。
攻撃を決意した瞬間には心拍数が上がるし、『呼吸』をしたら型を繰り出す合図になる。
俺には、視覚なんて必要ない。
目を閉じて、耳を研ぎ澄まして、自分の世界に入り込んで恐怖を振り払う。
「なめてんのかぁ!」
右側方から迫る木刀を潜るように躱す。右足にかかっている重心の軽さはその足元から鳴った音の軽さからわかる。牽制を兼ねてその右足を払いにいけばその斬撃はあっさりと足を上げることで躱された。
左から宇髄さんの右腕による袈裟斬りが迫る。雷の呼吸の壱ノ型の応用で、一瞬で方向転換、右に泳いでいた体の勢いを脚力でねじ伏せて逆側に弾け飛ぶ。袈裟斬りが前髪を掠めたが一撃にはならない。
地を踏む音。膝関節の軋み。前蹴りの予兆音。
金的に迫る宇髄さんの右足に左足を乗せる。
浮き上がる体。
ここで、目を閉じることの弱点に気づく。
体がいきなり急加速で回転しながら跳ね上がった場合、これもうどうすればわかんないんですけど。え、なんでこんなに回転するの、柱の蹴りの威力高すぎじゃない?
目を開け、地面を認識して受け身の体勢に入ろうとするも、同時に宇髄さんの突きが視界に入る。
柱の攻撃と落下ダメージの二択。
もちろん柱の攻撃に対する防御に全振りして、かろうじて突きの直撃を避け、しかし受け身も取れずに地面に激突して俺は気を失った。
「お前の耳はどうなってんだ」
目を覚ました後、開口一番に宇髄さんにそう言われた。
「体内の音が聞こえるって、意味がわからん。元忍として、薬物やら鍛錬やらで五感の強化もしている俺だけどな、流石にそこまでではねぇわ」
「生まれつきなんですよね」
変わらず目を閉じたまま、俺は宇髄さんと草むらに座り込んで竹筒から水を飲んでいた。
「じゃあ今は? 水筒だって目を閉じたまま淀みなく持ったり置いたりしてるけどよ」
「会話していると声が口から出るじゃないですか。それの反響で周りのものの場所と形を聞き分けてるんですよ。会話しない時や一人の時はこう、口の中で舌打ちするみたいにして音を出してます」
コッコッと口の中で舌を鳴らすと、宇髄さんは感心したように声をあげた。
「その年で常中もできてるし、体捌きも中々。あと単純に速い。音を聞くお陰で『早さ』もある。音感や律動を把握する能力も高いから、俺の『譜面』も受け継ぐことができるかもしれん」
さすが胡蝶が推薦するだけはあるな、と宇髄さんは言った。
「さすが、というのは?」
「胡蝶は柱の中で一番後進の育成に力を入れているんだよ。人材を見極める目は良い、あいつの人選には大体間違いはない。まあ、俺に推薦してきたのは初めてだけどな」
「宇髄さんて癖が強いですからね」
「どういう意味だこら」
お気になさらず、とだけ答える。宇髄さんはしばらく沈黙、おそらく俺を睨んでいたんだろう、していたが、
「雷の呼吸が壱ノ型しか使えない、つーのもまあ良い。単に雷の呼吸がお前に合ってないだけって可能性が高いし、譜面が使えれば正直型を覚える必要もない」
「そうなんですか?」
「相手の音の隙間に斬撃入れるだけになるからな。相手の攻撃を利用した迎撃が主体になるからこちらはそれほど威力を必要としないんだよ。だからあとお前に足りないのは」
「足りないのは?」
「派手さだ」
何言ってんだこの人は。
俺の戸惑いを他所に宇髄さんは立ち上がった。
「お前が眠ってる間に指令が来た。これから任務に向かうから準備しろ」
「派手さは?」
「場所は遊郭、鬼が出てるらしい事件が続いているそうだ。客として滞在して探りを入れる」
「ねえ派手さは?」
「今日の組手次第でお前を連れて行くかを決めるつもりだったが、まあ合格だ。喜べ、経費で遊郭を利用できるぞ」
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「俺の実家に行くぞ竈門少年!」
煉獄さんの継子になることを了承してもらって一月後、機能回復訓練に入って十日目のことだった。唐突にやってきた煉獄さんにそんなことを言われた。
「ご実家ですか? あの、それは何故か聞いても」
「一夜寝て思い出したのだがな、歴代の炎柱の手記が残っているのだ。そこになにか、君の言うヒノカミ神楽について書かれているかもしれない。まあ、俺は読んでいないからわからんがな!」
「そう、なんですか」
「どうする? もう少し体を癒してから行くか? 動けるようになったとはいえ、まだ全快とは遠いだろう、なんだったら俺が手記だけ持ってまたここに戻るというのも」
「いえいえ、さすがにそこまではさせられません! 行きます、行かせてください!」
煉獄さんはニカ、と笑った。
「そうか! では君は出立の支度をするといい、俺は胡蝶のやつにその旨伝えてくるとしよう。ああそうだ、橋下少年、君も来い!」
「……」
「伊之助?」
「ん? ああ、俺のことか」
俺の隣のベッドで我関せずと布団に包まっていた伊之助が覇気のない声で答えた。訓練で女の子に負け続けているのがよほど堪えているんだろう。
「聞いたぞ、君は自己流で呼吸を編み出したそうじゃないか。大した才能だが、それでも押さえるべき基本に抜けがある可能性がある。ついて来れば俺が指導してやろう」
「……あー?」
「ん? どうした橋田少年、声が小さいぞ」
「あ、あの伊之助は最近機能回復訓練で負けがこんでて」
俺が庇うと、煉獄さんはふむ、と眉を潜めた。
「全集中の常中は使えるか?」
「なんですかそれ?」
「全集中の呼吸を常に、それこそ寝ている間も行い続けることだ」
俺は絶句した。伊之助からも驚きの匂いがする。
「そ、そんなことできるんですか?」
「むしろ柱への第一歩だな! これができるとできないとでは身体能力が雲泥の差だ!」
いや、全集中の呼吸って、少し使うだけでもかなりキツイんですが。
「うむ、やはり二人とも俺に付いて来い! 常中を修めるには何より心肺機能を上げることが肝要だ! 俺の実家とこの蝶屋敷を往復する間に指導をつけ、戻ってくるまでには常中を修めさせてやろう! そうすればその訓練で負けることもなくなるはずだ!」
そんなわけで、俺と伊之助は煉獄さんとともに彼のご実家へとお邪魔することになった。
走って。
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人には才能という、厳然とした壁がある。
人がもつ才能の総量は誰でもだいたい同じで、あとはそれをどのように振り分けるか、ということになる。大抵の人は多くの技量に均等に才能を分配して、秀でたものを得るよりできないことを減らす方向に才能を調整する。もちろん鬼殺隊の人間にそんな平和な真似は許されない。剣に才能を費やし剣士としての実力を上げる。
だが、適性の低い分野の技術を習得するには適正の高い分野よりも消費すべき才能の量が多くなる。
これは異能についてもそうだ。
適性のない異能にどれだけ才と労力を費やしたところで、習得できないものはあるのだ。
つまり、なにがいいたいのかと言うと。
眷属化の異能を習得することは、恐らくわたしにはできないということだ。
才能の総量が決まっているなら、私はきっとすでに自分の才能をこの目と剣技に費やしすぎてしまったのだ。
これでは、善逸と連絡をとることができない。
しかもおじさんから聞くに、彼は筋肉の塊のような男と毎日とんでもない速さで走り回り、決して一箇所に留まるようなことはないのだと。
おじさんの眷属である蚊は、鬼の間では血を介した情報伝達が可能だが、人間相手にはそうもいかない。その上飛行速度に難があり、善逸を見かけた鬼から情報を吸った蚊がいたとしても、その蚊から情報を得た時にはすでに善逸は別の場所に移動してしまっているのだとか。
参った。
これでは、いつまで経っても善逸と再会できない。なんとか、彼の目的地を先に知ることができれば、
「まれちーまれちー、パンクの奴遊郭に遊びに行くってさ」
………………………………、は?
以前感想欄でいただいたコメントに、ネタやリクエストを活動報告で受けられるようにしてもらえると、というものがあったので、活動報告のところにネタ受け付け欄を作りました。なにかありましたらそちらの方に。皆さんよろしくお願いします。