言いたいことは山ほどあった。
私のことを忘れたのか、別の女を選んだのか、怪我していないか、病気はどうだ、修行は順調か、どのくらい人を助けてきたのか……そんな言葉の数々は、一瞬で脳から焼却された。
目の前の光景が、あまりにも衝撃的過ぎたからだ。
なにせ女装である。
旦那が、女の格好をして、遊郭に勤めてるのである。
言いたいことが消えた代わりに、新たに聞きたいことが山のように出てきた。
それらが出口を求めて同時に口へと殺到し、結局そのどれもが言葉にならずに喉奥へと押し戻されて意味のない唸り声になった。
それでも、かろうじて出てきた質疑は、こんなものだった。
「何を、しているんですか、善逸」
震える横隔膜から絞りだす声は、普段の張りが全く込められていない情けないものだった。
しばしの沈黙を挟んで、今度は善逸が、
「…………………………です」
「え?」
声が小さ過ぎて聞き取れなかった。思わず聞き返すと善逸は覚悟を決めた凛々しい表情(化粧付)で、
「善子でぇす(汚い高音)」
「まじかよ」
思わず声が漏れてしまった。
まじか、まじなのか善逸。あなたを見つめてきた私に対して、こんなしょうもない女装が通じると思っているのか。
それは流石に人をバカにし過ぎではないか。
…………いや。
私の脳裏に、背筋の凍る予想が過った。
まさか。
そういうことなのか。
善逸は、善逸ではなくなってしまった……?
善逸は善逸ではなく善子ちゃんになってしまったと。
つまり、すでに善逸の善逸は旅に出てしまった、と。そういうことなのか。
「ご、ごめんなさい善逸……いえ善、子ちゃん」
「え、ちょ、なんで泣いて(汚い高音)」
もはや取り返しの付かない。どこで切り取ったのかは知らないが、もはや文字通り、取り返したところでくっ付かないのだ、善逸の善逸は。
認めがたい事実だ。一体どういう経緯で善逸が女性として生きることを選択してしまったのか。鬼殺隊の命令か、あるいは私が逃走した罰則として、切腹の代わりに割礼を強いられる去勢刑を受けたのかもしれない。
だとすれば、これは私のせいだ。
恐らくは、介錯も付けられず、匕首をもって自分で切断させられたのではないか。広場で、一人孤独に、下半身丸出しで羅切を実行したのだろう。
しかもその上に、だ。そんな仕打ちを受けておきながら、さらに鬼殺隊は善逸を遊郭に売り払い、女として客を取らせているのだ。
そんなのあんまりではないか。
頑張ってきた。善逸は、その臆病な心に鞭打って、ずっと頑張ってきたんだ。頑張って、頑張って、頑張り抜いたその果ての結末がこれなんて、そんなのはだめだ。
頑張ったのなら、その分報われるべきではないか。
少なくとも、このままここで男を取り続けるのはダメだ。
「いくらですか」
「な、なにが? (汚い高音)」
「善、子の値段です。身請け金はいくらですか」
「ちょっと待って(素の声)」
らちがあかない。というか、身請け云々は本人に言うより女将や番台に言うのがいいだろう。
善子の脇を通って店内へと踏み込む。さすが、遊郭の中でも指折りの店なだけある、綺麗な建物だ。ネズミの毛やら糞やら、力尽きた鬼がそこらに転がっているおじさんの研究所とはえらい違いだ。
「待って、まじ待ってまれちーこれ任務」
「なんですか善子、大丈夫ですよこれ以上意に沿わない形で体を売る必要はありません。お金は心配いりません、おじさんが結構な出世をしまして、そこから経費で落ちますから」
「体⁉︎売るって」
「これからはずっと一緒にいましょう。今まで離れ離れになっていた分を取り戻すために、四六時中手を繋いで、お風呂もいっしょに女風呂に入って、寝床も一つで添い寝です。子供が作れなくなったのは少々残念ですがそんなことは些細な問題です。おはようからおやすみまでずっとずっと一緒です」
善子の顔を正面から見据えた。
「もう大丈夫です。もう男と寝る必要はありません。これからは私があなたを守りますから」
この世に蔓延る悪意から守る盾になる。その誓いを今ここに、改めて誓う。私のせいで善逸は善子になってしまったけど、その贖罪もかねて、私は生涯彼女の盾となる。
「……あ、わかった! 女風呂って、違うぞまれちー! 俺別に性転換したわけじゃないからな⁉」
………………?
性転換、していない?
「で、では、善逸の善逸はまだあるのですか?」
「ああ、俺の善逸君はまだ健在だ」
「善逸には善逸が付いているから善逸は善子ではなく善逸のまま?」
「ああそうだよ善逸は善逸のままだよ、善子じゃない、ごめんな嘘ついて……てなんだこの会話」
待って。待ってくれ。じゃあ、どういうことだ?
つまり、善逸の体は真っ当な男性のままで、にも関わらず男相手に商売をしている、と?
いや、もちろんそういった嗜みがあることは知っている。時代によっては女性との交わりは子供を作るためだけで男性間の交際こそ真の愛情であるとする価値観もあったということは聞き及んでいる。
がく、と膝から力が抜けた。掃除の行き届いた床に四つん這いになってしまう。
まれちー⁉︎とこちらを心配してくれる善逸の声が遠く感じる。
「……体が」
「え、は?」
「体が女になってしまったんなら、まあしょうがないという諦めもつくわけですよ。その体でも作れる愛の形というのもありますから、失ったものに拘泥せず前向きにいきましょう、と思えるわけです」
「いや諦めないでくれよ! やだよ俺の善逸君失くすの!」
震える足に力を込めて、なんとか立ち上がろうとするもどうにも足が定まらない。
「善逸を他の女に取られることを考えて、私は怒りに震えました。これ以上の怒りはないというほどに怒り狂いました。なんか額に変な痣が出るくらい怒りました。でもそれよりもっと恐ろしく、もっと惨めなことがあるのだと気付いてしまったんです」
「いや、他の女に靡いたりとかないからね?」
「女に取られるならまだいいんですよ。それは、その女より私が至らなかったということですから。また努力して寝取り返してみせます。でももし、もし善逸を男に寝取られてしまったら、女の私にはもうどうしようもないではないですか……!」
「ひでぇ心配だな⁉」
「あ、でも私眷属としての力を使って身体改造すれば新しくくっつけることも、よし」
「くっつけたもので俺に何をするつもりだ!」
「ちょっと虫の足っぽくてトゲトゲついてますけど」
「どうしたのまれちーちょっとおかしいぞ!? なに、もう付けちゃったの!?」
おかしいのは当然だ。
正直に言わせてもらうと、私はもっと劇的な再会を期待していた。
蚊を使った情報網から善逸が大した罰も受けずに済んだと聞いていたからこそではあるが、あの那田蜘蛛山で思いが通じ合い、地下牢で約束しあった私たちだ。人外へと落ちたことも厭わずに受け入れてくれた善逸の優しさを思いながら、いつか再会した時のために努力を続けていた。
そんな努力に相応しい、劇的かつ感動的な、それこそ上弦の鬼に追い詰められた善逸の許に颯爽と駆けつけて救出しぃの、二人の愛の力で打倒しぃの、という展開だってありえたわけだ。
それが、このざまである。意味のわからない女装をした善逸と涙の再会なんてできるわけねーのである。かと言ってこれで「やっほー久しぶりー最近どう?」なんて普通の友人風な会話を続けられるわけもなく。
おっかしいなぁ。こんなはずじゃなかったんだけど。
もうどんな調子で善逸と会話をすればいいのかもわからない。
そんな困惑を、おそらく善逸も感じているんだろう、館のような娼館の廊下で互いに俯きがちに見つめ合っていると、
「何をしてるの? 善子」
「あ、雛鶴さん」
通路の横道から出てきた豪奢な着物姿の女性が、善逸に話しかけてきた。
「ゴホッ、そちらは?」
そうとうな美人だ。泣きぼくろがまた色っぽい。だがそれ以上に目につくのはその顔色の悪さだ。蒼白で、目の下の隈もひどい。編み上げた髪も一部が解れ、発汗も顕著だ。
「あ、こちらは俺の、えっと」
善逸に軽く促されて一歩前に出る。
「初めまして、善逸の妻のまれちーです」
「……妻? まれちー?」
「まれちー、この人は雛鶴さんと言って、俺の上司の奥さんだ」
「え、善子、この子はまれちーが名前なの?」
さすがにちょっとムッとした。
「そうですよ、私の名前が何かご迷惑でも?」
「あ、ううん。ただ、素敵な夫婦だなって」
なんだ、いい人か。
「雛鶴さん、体調が悪いんですか? 随分具合が悪そうですけど」
「あら、そうかしら」
善逸の指摘に雛鶴お姉さんは首を傾げたが、この発言が嘘であることが私にはわかった。恐らく善逸も見抜いただろう。しかし同時に、なにかに警戒しているような瞳孔の動きが見られた。
ここで働くなら遣手にまず話を通すのよ。そう言って雛鶴さんは奥の部屋へと引っ込んで行った。
ステキな女性だった。あんな女性を嫁にもらえる男は幸せ者だ。私たちをお似合いと言ってくれたし、とてもいい人だ。
「というか、善子や今の雛鶴さんはどうして遊郭に? 雛鶴さんは既婚者で、善子は男です、善子は男に転んだわけではないんですよね?」
「そんなわけあるか、俺は女の子でしか興奮しないから。あったかくて柔らかくてなのにほっそりしていて乳尻太ももが二つずつ」
「善逸」
「いや、えっと」
善逸は一拍の間をおいて。
「俺たちは、遊郭に潜む鬼を探しているんだよ」