月を背に立つ少年が納刀した。
それは戦意を失った、わけではない。
むしろ、先までよりもその殺気とも呼べる気配の濃度が増している。
眠らない街吉原とはいえ、その路地裏であれば煌々と夜を侵す提灯と電灯は届かない。暗く、死臭すら漂う路地裏で、少年の醸し出す殺意と憤怒が闇に染み込んでいく。
そんな空気の中で少年が口を開いた。
「まれちーを返せ」
静かな、しかし断固とした意思とともに吐き出された言葉に、上弦の陸の主格たる妓夫太郎が傾いていた首をさらに傾げた。
「稀血だあ? そんなんここには」
「お前がまれちーの名前を気安く呼ぶな!」
「……何言ってんだあ、あのガキ」
いつの間にか首を繋ぎ直した堕姫が怒りをあらわにしながら、
「不細工の分際で調子に乗りやがって、お兄ちゃんがいるんだからあんた絶対死んだからね! お兄ちゃんに人間が勝てるわけないんだから!」
「そうだなあ、頭の弱い妹をいじめやがってなあ。許せねえなあ絶対殺してやるからなあ」
「そうやって不細工な格好して油断を誘うつもりだったんでしょうけど、残念だったわね! 普段からお兄ちゃんの顔見てる私はそんな程度の不細工じゃ油断なんかしないんだから!」
「……」
兄は曰くし難い表情で沈黙した。
「まれちーを返せ」
「またそれ……! 聞いてよお兄ちゃん、あの不細工さっきからずっとあんな感じなの! 稀血稀血ってそればっか」
声が途切れた。
妓夫太郎が背後を振り返る。
屋根の上に立っていた頭のおかしい見た目の子供が、たったの一歩でそこまで移動していた。
彼を盾にして少年を罵倒していた妹の、繋いだばかりの首がまた落ちていた。
どす、と地面に堕姫の頭が転がる。
落ちてからようやく自分が切られたことに気づいた堕姫は驚愕に目を見開き呟いた。
「なん、なんで?」
妓夫太郎は目を細めた。
今まで柱を15も殺し、食らってきた鬼である。そんな自分の目でも、今の居合を追うことが困難だったのだろう。
傍目にもそれはまさに神速。その髪の色だけが闇夜のなかに残した残像のお陰で、かろうじて女装した剣士の斬撃の軌道を把握できた。
「……なんだぁ、てめえ」
振り返りながら妓夫太郎は己の右手に持つ血鎌を視界の隅で見た。
欠けている。
堕姫の首を刈り取ったついでとばかりに放たれた斬撃を受けた時にできたものだ。
神速の斬撃に無意識ながらに反応できたのは、彼が生来所有していたその情報処理能力のお陰である。
「あの方の言うとおり、だなあ」
その一撃で妓夫太郎は悟ったように言葉を口にした。
主たる鬼舞辻無惨の言葉は正しかった、と。
自分の妹は、足手まといになる。片目を貸して、妹を動かしながら戦うなど、目の前の女装剣士にはただただ隙を晒すだけである。
「おい」
「うぅぅ、なんでわたしだけ……なに? お兄ちゃん」
「お前は首抱えて逃げろ、で早く繋げとけ」
なぜ。そう激昂しかけた妹を兄は右眼の視線一つで黙らせた。
兄の視線に宿る緊迫を、その緩い頭で感じ取ったからだ。
「……わかった。でも絶対殺してよその不細工! ブス! 童貞!」
捨て台詞を吐き捨てて、堕姫は路地のさらに奥の方へと消えていった。
「……童貞は関係ねえだろがあ」
何故か兄の方がダメージを受けていた。理由はわからない。ボリボリと彼は自分の顔をその鋭い爪で掻き毟る。癖なのだろう。
彼は嘆息しながら善逸へと視線を戻す。
「お前も大変だなあ、そんな不細工に生まれてなあ」
これは、普段の彼からはありえない言葉だった。
妓夫太郎は生まれつきその醜い外見で、あらゆるものを奪われてきた男だった。何も持たず、与えられず、疎まれ恐れられ。だから他者から奪い続けてきた。
自分以外の人間は、自分より多くのものを持っているのだから。
自分は奪われてきたから、多きを持つ者から取り立てても構わない。自分には取り立てる権利があるのだと。
そんな思考が根幹にあるこの鬼が、そんな独りよがりな哲学だけで上弦に辿り着いた男が、目の前の少年に対してまるで慰るような言葉を吐いた。
「そんな顔に生まれちまってなあ。神やら仏やらが本当にいるかなんて知らねえけどな、もしいたらそいつは大層性格が悪いんだろうなあ。俺もまあ醜く生まれてきたと思ってたけどなあ、流石にお前ほどではねえわ。お前、親は?」
上体ごと首を傾げ、またボリボリと今度は首元の肌を自らズタズタにしながら問いかけた。
「……顔も知らない。名前をつけられる前に捨てられた」
「そうか、そうかあ……俺には妹がいたからなあ、下には下がいるもんだなあ。お前みたいなやつ結構嫌いじゃねえ。俺は惨めで汚いものが好きだからなあ。なあお前、鬼にならねえか」
「ならない」
善逸は即答した。
「まあそう言うなよなあ。鬼になって、今まで奪われてたもんを取り立てんだよ。自分が不幸だった分は幸せなやつから取り立てるんだ。辛かっただろ? 不幸だっただろ? 幸せを満喫している馬鹿面見るとぶっ壊したくなるだろ? わかるぜ、お前の匂い、卑屈で、自分の存在すら疎んでる匂いだ。孤独で、誰からも疎まれて、女にも相手にされずになあ」
「俺には妻がいる」
時が止まった。頬を掻く指の動きも止まる。
慈しみの目を善逸に向けていた妓夫太郎は、彼の言葉を聞き。
一拍を置いて、沸騰した。
「お前女房がいるのかよおおおお! ふざ、ふざっけんなよなああああああ‼」
妓夫太郎が両腕を振るう。血の色をした二本の鎌から、血でできた薄い刃が飛んだ。路地を満たす、縦横無尽に風を切りながら飛び交う死の刃。その数は大小あわせて三十強。それらがまるで壁となって剣士に迫る。このような狭い路地裏では回避できる場所も限られている。刃の隙間をさらに刃で埋められ、女装剣士がどれだけ速さに自信があろうと回避は不可能。
それを善逸は一本の刀で捌いていく。掠れば必殺の猛毒が込められた血鎌を、彼は真正面からいなし、捌き、凌ぐ。
一歩、前に進んだ。
怒りに任せた、赤い壁と見紛う斬撃の嵐を前に臆することもなく、一歩上弦の鬼へと距離を詰めた。
「曲がれ飛び血鎌」
妓夫太郎が呻く。善逸が弾き、背後の闇の中に消えていった血の鎌が、旋回しながら善逸の背へと戻って来た。
前後からの挟撃。それは前後から二枚の壁が人間を圧殺しようと迫るのに近い。眼球が前にしか付いていない人間に対処できるものではない。
それを善逸は捌いた。
一刀流の定石から逸脱した動きで、一本しかない刀を自在に操る。一太刀で背後から迫る数本の血鎌の軌道を逸らし、逸らされたそれらが別の血鎌と衝突してまた軌道を逸らす。血鎌どうしが干渉し、最終的に七度の斬撃で善逸は擦り傷一つ負わずにしのぎ切った。
「なんだあそりゃあ」
まるで背中にも目が付いているかのような挙動。前後から迫る全ての血鎌の軌道を読み切っていないとできない芸当だ。
言うのは簡単だ。
だがどうやって? なぜそんなことが人間にできる?
目の前で行われた絶技が信じられない。そんな驚愕でできた思考の空白の間にも戦闘は続く。
血鎌の壁をくぐり抜け、たった一歩の踏み込みで刀の圏内に入り込んだ金髪の剣士が、いつのまにか鞘に戻していた刀を腰の捻りと共に抜いた。
音を置き去りにする抜刀。
それを二本の鎌で受けつつ剣士の腹めがけて蹴りを放つ。空気を裂く、槍のごとき前蹴り。当たればたかが人間の体など風船のように割れ弾けるそれを、剣士は横に回転しながらかわし、同時に袈裟懸けの斬撃を放ってきた。
斬撃の応酬。
必殺と滅殺と確殺の猛毒が巡り巡り、隣の家屋を一つ二つと倒壊させる。
二人の頭上から瓦と漆喰の壁が瓦礫となって降り注ぐ。
もちろん妓夫太郎はそんなものに頓着しない。むしろ人間である目の前の剣士がそれに臆せば、その隙を突いて血鎌を放つつもりだ。
そんな思惑を踏破して、剣士はまっすぐ妓夫太郎に迫る。
その躊躇のなさに逆に妓夫太郎の方が面食らった。新たに放たれた斬撃を受けるのではなく下がることでの回避を選んだ。
瓦礫が降り注ぐ。土埃が舞い、視界が遮られる。
妓夫太郎にも瓦礫は激突したが、鬼の体では当然なんの痛痒も与えない。それより金髪の剣士だ。これだけの質量に潰されたのだ、ひき肉になってもはや原型も留めていまい。
埃が薄れる。
瓦礫の向こうに人影が見えた。
額から少なくない血を流すその人影は、金色の頭をしていた。
「雷の呼吸 一の型」
納刀し、極端に重心を前に傾けた攻撃一辺倒の構え。
剣士の足元を見て理解する。
倒壊し降り注いだ家屋の壁には、窓があった。彼は窓のお陰でできた瓦礫の空白にその身を滑り込ませていたのだ。
だがそんなことが可能なのか。上弦の陸を相手に死と毒の戦闘を繰り広げながら、落ちる瓦礫の密度を把握するなど、まして戦闘しながらそこに踏み込むなど。
それは、戦闘における上弦の陸の挙動を把握できているということではないか。
「霹靂一閃……六連」
雷鳴。
それと聞き紛うほどの轟音が金髪の剣士の踏み込みとともに響いた。六度の踏み込みが一つに聞こえた。戦闘に怯えて逃げる住民たちが両耳を押さえて蹲るほどの大音量。
しかし上弦に至った鬼がたかが音程度で身を竦めるなどあり得ない。砂埃の中から剣士の姿を視認してから彼の挙動に自身の処理能力全てを使って注視していた。
一歩目。
善逸は妓夫太郎の右を駆け抜けた。
二歩目。
減速も無いまま瓦礫を踏み台に、妓夫太郎の頭上を超える角度で跳躍。
三歩目。
辛うじて残っていた家屋の柱を水平に蹴り飛ばす。この時点で妓夫太郎は善逸の姿を見失った。
四歩目。
妓夫太郎の左側に着地し同時に地を蹴る。ここで妓夫太郎が血鬼術を発動させた。円斬旋回。鎌を介さず、自身の血をそのまま刃として八方にばら撒く、自分を中心にした範囲攻撃。
五歩目。
妓夫太郎の背後をその視界を潜るように低姿勢で駆ける。自身が出す速度のために、上弦の陸が放った斬撃の群れが身に迫る速度は相対的に膨大なものになる。それを善逸は全て弾いた。まるで斬撃の位置を予め知っていたかのように。それは、音柱たる宇髄天元の修行の賜物。宇髄が譜面と呼ぶ独自の戦闘計算式。絶対音感と律動の把握能力に優れた善逸は、その人間離れした聴力と相まって、すでに宇髄並の完成度を誇っていた。
そして、六歩目。
我妻善逸の真骨頂。渾身の力を込めた踏み込みは、それ単体で見れば決して妓夫太郎の認識能力を上回るものではない。しかし霹靂一閃六連。減速無しの鋭角での方向転換を六度繰り返す、物理法則を無視したその動きは100年以上も鬼として鬼殺隊を殺してきた妓夫太郎をして常識の埒外であり、その動きを予想することは不可能であった。
加えて、善逸はすでに妓夫太郎の譜面を完成させていた。
どんな楽器でも弾きこなす善逸にとって、すでに妓夫太郎は慣れ親しんだ三味線と変わらない。愛用の三味線がどこを触ればどんな音を奏でるか知るように、自分がどう動けば妓夫太郎がどんな反応を返すか、その視線がどこに動くか、すでに完全に理解していた。
雷ノ呼吸の一の型と譜面を組み合わせた、神速の機動力をふんだんに盛り込んだ幻惑。
だから、最後の踏み込みとともに放たれた音速超過の抜刀は、まるで不意打ちのように、なんの抵抗も許さずに妓夫太郎の首を切り飛ばした。
以上、社畜の実況でお送りしました。
鬼滅の刃公式ファンブックを読んで一番笑った記述は鬼舞辻無惨による上弦への評価、という項目での童磨への評価『あんまり好きじゃない。』
他にも無惨は貿易会社持ってるとか、下弦の肆の名前が零余子だったとか、色々な情報が知れて面白かったです。