鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第30話 地中

 大したものだ。

 土の中で俺は安堵のため息をついた。

 もちろんパンクのことである。

 まるで見違えてしまった。いったいどんな経験を積めばこんな成長を遂げるのか。一体パンクの師匠は何を教えたのか。まれちーと再会したときどんな会話が繰り広げられるのか、知りたくて仕方がない。

 まれちーはこれを見てどう思うだろう。まあすごいびっくりするとは思う。

 考えてもみろ、パンクと初めて会ったときなんて、惨めな悲鳴をあげながら鬼から逃げ回っていた。涙と鼻水で顔を汚し、あとこれまれちーには言ってなかったけど、あの時パンクちょっと小便漏らしてたからな。そのくせ女と見れば声かけまくってすぐ求婚したりしてな。あんなきっつい汗臭醸してて求婚もなにもねーだろっていう。まあ1週間も山にこもってりゃ汗垢その他で誰でも体臭やばいことになるもんな、尿の1リットルや2リットル誤差の範疇か。

 あの時の情けないお漏らし少年がこんな成長をするなんて、おじさん想像もしていなかったよ。

 

 まさかあのパンクが、女装に目覚めてしまうなんてな。

 

 しばらく会わない間に男色に目覚めてしまうとか誰が想像できるよ? わざわざ女装して風俗店に勤めるなんて、もしや鬼殺隊を除隊したりしたんだろうか。それにしたってもう少しマシな格好もできただろうに。誰の趣味なんだあの口紅の塗り方は。

 女装趣味のあるブ男ってこの世で一番悍ましい存在なんじゃないだろうか。

 妓夫太郎がやけにフレンドリーに接したのも、なんかわかる。

 その優しさは即座に裏切られたわけだけど。

 ん? 上弦を単独撃破したこと? 

 あれはほら、俺が張り巡らせてたナノ単位の血の糸は回収してなかったからさ。その糸に触れた血鎌から血を吸い取ったら鎌の威力とか回転数とか、あと毒性とか? その辺もろもろ半減してたしね。

 それにこのお兄さん、血の鎌で傷付けて毒を注入して弱ったところをタコ殴りっていう初見殺しに頼ってるところがあるからね。だから正直上弦の陸って、殺傷力は高いけど戦闘の技量的には上弦の壱や参みたいな武術ガチ勢と比べると格落ちするというか。まあどちらかというと壱や参が頭おかしいって話なんだけど。

 以前上弦の参の鍛錬を見せてもらったことあるけど、最初は何やってんのか目が追いつかなくてな。体が霞んだと思ったら巨木がへし折れてたり瞬間移動じみた速度で十メートルくらい移動して正拳突きをぶちこんだり。まあそれもまれちーの血を取り込んでからは結構見えるようになってきたけど。それがなければ今回のパンクとお兄さんの戦闘だって何一つ実況できなかったはずだ。

 まれちーの視力とか動体視力の良さは生来生まれ持った性質だけど、それが鬼の眷属になったことで、なんと言えばいいのか、ある種の血鬼術に昇華されたのだ。

 その手の、人間であった頃の性分や特性が血鬼術に変化したり肉体の特徴として現れることは割とあるのだ。俺の社畜の呼吸なんかがいい例である。そうした血鬼術は血液を介して他の鬼に伝達されることは実証済み、というかリアルパラノイアと化している鬼の組織では処刑のたびに血鬼術と仕事のノウハウを血液ごと奪い合うようになっている。

 というかお兄さんさ、血が毒になるのって生前どんな経験したらそんな血鬼術ができるのかね。毒虫とか食いまくってたとか? ありそうで困る。あんな見た目じゃマザーテレサもゴミ箱に捨てるレベル。

 前に一度、むーざん越しにヒットアンドアウェイな戦略を提案してみたんだよ、相手に毒を入れたらすぐ逃げて死んだ頃を見計らって死体回収して食べたらいいよって。どうせ正々堂々とか尋常なる勝負とか気にする性質じゃないっしょ? だから毒を入れることだけに注力するように戦術を練ればいいのにって。聞いた話、それを結構忠実に実行するようになってたみたいなんだけど、今回はちょっと、ね。パンクの突然の裏切りで頭に血が上っちゃったみたいな。本来なら正面から切りつけるんじゃなくて、極小の撒菱状にした血鎌をこっそりばら撒きながら逃げればいいのにね。それをやらずにタイマン張って、しかもその毒注入を提案した俺が妨害しちゃってたしね。わざとじゃないです。血の糸しまい忘れてただけです。いやぁ不幸な事故でしたね。

 まあ、妹が安全なところにいる限りどれだけ斬られてもお兄さん死なないから、別に? て感じだ。大したことにはなんないっしょ。

 で、その妹はどこ行ったのか、パンクとお兄さんの戦闘がひと段落ついたところで探しに行こうと思ったわけなんだけど。

 血の糸をこっそり妹の背中につけていたので、それを辿っていけば追える、の、だけれど……? 

 

 

 

 

 

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 たかが人間から、それも柱ですらない不細工から逃げなければならないという屈辱に頭が沸騰しそうだった。

 ちくしょう、ちくしょう、どうしてアタシが。そんな呟きが穴の中で響く。

 もちろんあの不細工はお兄ちゃんが殺してくれるだろう。アタシをあれだけ痛めつけやがったのだ、毒でもってじっくりと悶え苦しみ、後悔しながら死ぬだろう。ざまあみろ。

 ただ、その様を見ることができないのが残念だ。さぞ笑える死に様を披露してくれるだろうに。まあ、不細工が小便漏らしながら命乞いする様を見たところで、という気がしないでもないが。

 今アタシは地中を移動している。

 吉原全域に構築した、アタシだけが通れる地下道だ。

 10年ほどかけて作り上げたこれのおかげで、アタシは吉原にあるどんな店にも侵入できる。

 屋根裏に、床下に、壁や柱の内側に。

 わずかでも隙間があれば、体を帯状にして、音もなくすり抜けることができる。

 そうして様々な店の遊女たちを自分の目で品定めして、帯に指示して捕獲してきたのだ。

 さらには、その帯の内側に人間を収納し、連れ去り、貯蔵できるという異能も付加されている。

 とはいえやはり帯であるから、何人もあるいは何十人も貯蔵すれば、その分多くの生地面積が必要となって、帯の厚みと合わさって箪笥に収まりきらないほど嵩張ってしまうのだけれど。

 だからアタシは地下に道だけでなくその中心に広い空洞をくり抜いて、美しい女を好きな時に食べられるようにとっておく貯蔵庫を備えているのだ。

 その貯蔵庫を目指してアタシは移動している。

 安全な場所、と言われて真っ先に思い付くのが地下空洞の隠れ家。無惨様に戦い方の変更を命じられて以来、鬼殺隊らしき人間が近づいて来た場合その対処にはお兄ちゃんが単独で出張るようになった。

 アタシが鬼殺隊を引きつけ、お兄ちゃんがそれを狩る。

 狩りの間アタシはこうして、絶対にみつからない隠れ家でお留守番だ。

 つまらない。

 はっきり言って屈辱だ。

 足手まといと言われたのも同然である。

 アタシだって上弦なのに。まだ陸だけど、これからもっと美しい女を食べて強くなって、もっともっと柱を殺して無惨様に褒めてもらうはずだったのに。

 ちくしょう。

 そんな苛立ちに頭が茹だったまま貯蔵庫へと向かう。

 いっそのこと、今まで貯めていた女を一気喰いしてもう一度あの金髪醜男を襲ってやろうか。

 このアタシが、あんな不細工に手も足も出なかったなんて何かの間違いだったんじゃないか。

 それか、油断だ。そうだ。油断してたんだ。

 

「あんな不細工が不細工な化粧してたんだから、きっと無意識に油断してたんだ」

 

 そうに違いない。さっき油断しないとかなんとか言った気もするけど、まあ気のせいだ。

 いきなり襲われて、首を何度も切られていたから分裂していた私の体を取り込む暇がなかった。保存している女ごと取り込めば、もうあんな不細工に劣るようなことは、

 

「……なに?」

 

 おかしな音がする。

 カサカサと、得体の知れない音だ。

 地上の音か? 何かが這いずっている音が地中のここまで響いているのか。

 いや、違う。

 音は、アタシがいるこの空間と繋がっているどこかからしている。空気そのものが震えているのだ。アタシしか入れない地下道に、アタシ以外の何者かが入り込んでいる。

 音が近づいてくる。

 音が少しづつ大きくなってくる。

 蟻の巣のように、縦横深さと複雑に入り組んだ、新しい建物ができるたびに増設を繰り返したこの地下道で、音の発信源は迷いなくまっすぐ、最短距離で私に迫ってくる。

 速い。

 人間ではあり得ない。野犬かなにかが入り込んだか。

 

「なんだってのよ、一体」

 

 いいさ、何だろうと構わない。この狭い穴の中では体を帯状にできるこちらが圧倒的に有利だ。通りすがりざまに首を締め潰してやる。除け者にされた苛立ちを僅かでも解消できればいい。そうしてすぐ帯を取り込んで死にかけてるであろう金髪の下へと取って返し指先から寸刻みにしてやる。

 そんなことを考えながら進んでいくと下方向への曲がり角まで来た。

 音がすぐそこまで来ている。

 ガサガサガサガサ、気味の悪い雑音が空洞の先から聞こえる。

 ぬ、と姿を表した。

 そこには、赤い八つの眼光が、無機質に私を捉えていた。

 

 

 

 

 

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 善逸と再会して少し。

 互いの近況を伝えあおうと、善逸が潜入している店舗で空室を求めて歩いていたところ、いきなり私は床下に引きずり込まれた。

 善逸と再会した喜びで浮かれていたのもあるし、こんな昼のうちから鬼が現れるなんて思ってもいなかったのもある。それよりなにより、もう二度と離れないと誓った善逸の背を注視していたのが大きかった。

 服越しでもわかる、背に着いた筋肉の厚み、密度。

 重心が低く、かつ左右へのブレが全くない歩法。歩行中のいかなるタイミングで不意を打たれようと即座に反応し切り捨てることができるだろう。

 胸部の動きから見て、呼吸で出入りする空気の量はおよそ私の1.3倍。

 明らかに私と別れた時より強くなっている。

 全身が極限まで鍛え上げられた、一振りの刀のようだ。

 というか、善逸さっきからずっと目を閉じていないか。

 聴覚だけで周りを把握しているということなのか。

 それでこの迷いのない足取りって一体どういうことなのか。

 そんな、今まで善逸に抱いていた善逸らしさと、今目の前にいる善逸との間にある差の大きさに、私は戸惑うと同時に嬉しく思っていたのだ。その嬉しさが再会に浮ついていた私の心をさらに浮つかせ、周囲への注意をおざなりにした。

 社畜の呼吸を使えばそんな心を平静に戻すなんて訳ないのだが、その時はその喜びと幸福感に浸っていたかったのだ。

 結果、私は無様に攫われた。

 二度目である。

 一体何度攫われれば私は気がすむのか。

 下手人は、床板の裏側に微動だにせず潜んでいた、鮮やかな柄の帯だった。

 床板の隙間から飛び出てきた帯は一瞬で私の体を簀巻きにした。

 振り返り、刀に手をかけていた善逸と一瞬だけ目があう。

 しかしこの時、善逸にできることは何もなかった。帯に隙間なく包まれた私の体は瞬きにも満たない時間で帯の柄となってしまったのだ、善逸が刀を振れば間違いなく私の体を裂いてしまう。そのまま私は床の下へと引きずりこまれ、地中の穴を通って広い空洞に放置された。

 怒りが募る。

 自分への怒りと、何よりこの帯畜生に対してだ。

 ふざけんなよ。

 いやほんと、マジふざっけんなよ。

 なんなの? もう、なんなの? 善逸と再会したんだよ? それなのに再会後10分で誘拐とか、ちょっとマジ意味わかんないんですけど。というか私、簀巻きにされ過ぎじゃないか。簀巻きにされる星の下に生まれたのか。どんな星だ。爆散してしまえそんな星。

 あと狭い。帯の中すごい狭い。全く身動きできない。全身がきつく縄で縛られてる感覚。

 それでもなんとか脱出しようと全身の筋肉を総動員して踏ん張っていると、ある瞬間、体の拘束が緩んだのだ。

 ここに攫われてからどのくらいの時間が経ったかはわからない。地中の、全く灯の灯されていない洞だからか、時間の感覚が全く掴めない。

 ともかく今が好機と、体を蜘蛛化させ、背中からも蜘蛛の節足を生やして力の限り暴れれば、帯は悲鳴を上げながら私を吐き出した。

 額に開かれた四対の複眼で周囲を一瞬で把握し、背中から生やした蜘蛛足を振り回す。

 帯に封じられた女性を避けて帯を切り刻み、彼女たちを解放する。

 帯の断片は悲鳴をあげて逃げ惑い、バラバラに穴から逃げ出していったが、それを追う前に私は捕まっていた女性たちの安否を確認しなければならない。

 ざっと見渡した感じ、皆呼吸があるようだ。

 鬼の習性として、生きた肉と血を食したいという欲求があるからだろう。どういう原理かは知らないが、この帯に封じられた人は食事や排泄がなくとも命を維持できるのだろう。

 全員の安否を確認し終え、ようやく私は穴から外に向かう。

 痩せ型の私でも少々狭い穴だが、蜘蛛の脚と血の糸を使えば移動自体に苦はない。

 そうしてガサガサごそごそと進んだ先に、鬼がいた。

 とんでもない美貌を讃える顔立ちであるが、その赤く染まる瞳孔と白く色の落ちた髪、なにより首から下が先まで私を拘束していたのと同じ柄の帯になっていた。見た目人の頭が付いた蛇に近い。

 なるほど。

 こいつか。

 こいつが私と善逸を引き裂いたのか。


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