鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第32話 人間

「愚かな男だった」

 

 青年は、何の感情も込めずに言った。

 

「妹も愚かだと思っていたが、それに劣らず愚かで、何より人間らしすぎた」

 

 青年は天井に逆さまに立ったまま、こちらに関心を全く見せず、手元のスポイトの操作に集中していた。

 

「妓夫太郎には提案していたのだ。妹を常に人の近くに置いておけ、戦うのは貴様だけにしろ、直接刃を交わすのではなく、飲食に混ぜるとか撒菱を踏ませるとか、毒殺に全能力を注げと。それをあろうことか、激昂して自分から突っかかっていくなど愚昧の極みだ」

 

 青年こと無惨様の言葉に、城に詰めかけた五人の上弦たちは皆神妙に項垂れる。

 ここ百年に渡り、上弦の顔ぶれに変化はなかった。その圧倒的な実力でもって人を喰らい、鬼殺隊を殺し、柱を葬ってきた彼ら。歴代の上弦の中で恐らく最も極まった精鋭であり、無惨様としても満足していた錚々たる顔ぶれであった。

 その一角が崩れた、と彼は静かな口調で上弦に告げた。

 

「まあ、いい。負けるべき者が負けただけのことだ。妓夫太郎の血は回収したのだろう?」

 

 ええ、まあ。

 

「ならば良し。何も問題はない。新たに上弦を選出するだけのことだ」

 

 関心を見せない、と先程思ったが、あれは正にこちらには関心が無いのだろう。

 鬼舞辻無惨の目的は、太陽の克服。

 強さを得るのも、上弦を揃えるのも、鬼殺隊の滅殺も、結局は完璧なる存在に至るための手段か、あるいは障害故に排除したい、というだけのこと。

 ここに俺という太陽の克服のための有力な手段が存在する以上、これ以外のあれそれは既に無惨様の関心を誘うものではなくなっているのだろう。その思考はもはや、太陽を克服した後にどのような生活を送るかにシフトしているはずだ。

 

「とはいえ、私は貴様ら上弦を甘やかし過ぎていたようだ」

 

 無惨様はそんなことを言う。

 というかむーざんさ、実験しながらペチャクチャ喋るのは正直どうかと思う。それ絶対試験管に唾液入ってるから。マイクロ以下の単位で分量調整しながら試薬加えてんのに唾液コンタミとかさあ。しかもよりによってむーざんの唾とか劇薬じゃんよ。実験しながら何をメモしてんだか知らんけど、お前それ絶対まともな実験になってないと思うぞ。

 

「………………」

 

 あ、むーざんがポケットからマスク取り出した。え、付けるの? それ付けちゃうの? 上弦の連中キョトン顔だよ? そんなの付けてると威厳が七割減だよ? それとも風邪なの、虚弱なの? 不変が好きとか言いながら季節の折り折り体調崩すの? えーまじー? 有給許されるのはインフルエンザからだよねー。でも結局休みの間もメールで仕事送られてくるっていうかぁ、電話での打ち合わせなら寝込んでてもできる的なぁ? 

 そう思考した瞬間、頭部にチリリと痛みが生じた。むーざんが俺に対して呪いを発動させようとしたのだろう、それとほぼ同時に俺は自分の呪いをクリムゾンロードでもって解除した。

 呪いの発動が空振りに終わり、むーざんはすんげえ目でこっちを睨みつけてきたものの、結局何も言わなかった。

 

「……私はもうお前たちに期待しない。そもそも、鬼だけで鬼殺隊や産屋敷一族を根絶やしにする必要などないのだ」

 

 ピペットをテーブルに置いて作業を中断したむーざんの言葉に、上弦の面々が首を傾げる。自分たちがやらずに誰が鬼殺隊を根絶やしにすると言うのか。そんな表情だ。

 

「単純な話だ。鬼殺隊といえども人間に過ぎない。人間は人間の軛から外れることはできない。鬼にでもならない限り」

 

 つまり。

 

「人間の相手は人間にさせるに限る。そのための布石はすでに打ってある。あとはそれが芽吹くのを待つだけだ」

 

 そう告げたむーざんの顔は、やはりなんの感情も映していなかった。

 

 

 

 

 

 ───────────────────────

 

 

 

 

 困惑があった。

 一般には知られていないが、この世には鬼がいる。一千年の昔から存在していた奴らは夜闇に紛れ、人を喰らい、狡猾に逃げ回る。その姿形も一通りのものではなく、人の形から大きく逸脱するものも多い。そういったものが稀に目撃され、物の怪の類として語られることになる。

 目の前にいるこれも、その類のなにかだろうか。

 見切り小屋で妻の容態を確認した直後のことだった。吉原に巣食う鬼の一部であろう帯の監視を苦無で瞬殺し、妻の無事の確保と脱出の指示を出して、さあ妻を害したクソを殺してやろうと小屋を出た時だ。

 帯を振り回す鬼と、逃げ回る巨大な蜘蛛が屋根の上を駆け回っているのを見た。

 即座にそれを追うことを決め、周囲の建物を破壊しながらの取っ組み合いを盗み見、二匹の怪物の戦いの決着を見守った。幸いこの近辺は吉原の恥を溜め込んだ場所で人は碌に住んでいない。二匹の戦いはどんどん街の端へと向かっているため、一般人を守ることに意識を割かなくて済む立地だった。

 そして、ついに。

 蜘蛛の顎から生えた見覚えのある日本刀が、帯鬼の首を切り飛ばしたのだ。

 鬼は蜘蛛に体を拘束されながら、ゆっくりと灰になって崩れ落ちた。最後までなんでどうしてと喚いていたがどうでもいい。

 さて、と。

 あとは、この蜘蛛をどうすべきか、だ。

 なんなんだこりゃあ。そんな困惑が胸を占める。

 正直これが鬼かどうか疑わしい。

 無論、見た目は文句なしの怪物だ。蜘蛛と少女を溶かして混ぜ合わせたような造形に加え、悲鳴嶼さんよりもでかい体を覆う毛と棘。こんなものが街を練り歩けばたちまち阿鼻叫喚である。気の弱い妊婦はその場で堕胎するかもしれない。それぐらい悍ましく醜い姿だ。

 だが、だ。

 忍として五感を鍛え上げた自分には、何となくだが鬼と人間の区別がつくのだ。鬼が巣食うような町や村なら、嫌ぁな感じが立ち込めるのだ。まして、こいつが先に殺した帯鬼は下弦程度の力があった。それを上回る鬼を目の前にすれば間違いなく気配とともにそれとわかる。染み付いた血の匂い、人を見る目に宿る温度が、自分にその鬼の脅威度を教えてくれる。そのような鬼は、それだけ人間を食ってきたということなのだから。

 その、鍛え上げた忍の五感が告げるのだ。

 これは鬼ではないと。

 それは予感と呼ぶのもおこがましいほど微弱なもので、普段の自分なら無視して切りかかっていた。恐らく一瞬で首を飛ばせる、その程度の実力差はある。特に造作もなく始末できる。

 それを押しとどめたのは、蜘蛛が使った日輪刀の存在だ。

 その辺の隊士から奪ったものを使っている、という可能性もあるが。記憶の端に引っかかる。隊士、蜘蛛、女。

 忍として、隠密任務に必要な技術として叩き込まれた記憶術で脳髄の底を洗うと、一つの心当たりが浮かび上がった。

 善逸だ。

 あいつが柱合会議に出廷する原因となった存在。蜘蛛型の鬼の眷属に堕とされ、蜘蛛の特徴を体に宿したとされる元隊士。確か名はまれちー。

 継子となってから不自然なほどその名前を口にしていなかったが、それでもあいつは自身の妻となる女を探している節があった。

 強くなるのも、柱の担当圏を駆け回る自分に文句も言わず付いて回るのも、自分の妻を探すためだろう。

 その努力を知っている。忍である自分と同じように寝ずの鍛錬、三日三晩任務から任務へと走り続けることもあり、毎日のように自分にボコボコにされ。それでもあいつは弱音の一つも吐かなかった。

 それだけの努力でもって探し求める女がこんな怪物に成り果てているだなんて、それは、あまりに救いがないではないか。

 物陰から一歩踏み出す。

 音もないその踏み込みに、しかし蜘蛛は気づいた。

 額に置かれた八つの眼のうちの一つがこちらを意識しているのがわかる。

 背中に負っていた日輪刀を拘束から外し、構える。

 すでに必殺の間合いだ。

 もしこの蜘蛛が、理性なく暴れるような怪物に成り下がっているとすれば。

 善逸には申し訳ないが、そうであるならこの蜘蛛はここで始末しておく。ここにいた帯鬼も、俺が殺したことにしておく。

 自分の妻が理性のない化け物になったと知るより、人のまま生きていると思っていた方がマシだろうという判断だ。

 自分なら、この蜘蛛が動き出したのを見てからでも瞬殺できる。

 しかし俺の動きは、次の瞬間完全に止まった。

 

「鬼殺隊の方ですか」

 

 鈴のような、少女の声だ。

 蜘蛛の顎の下にできもののように生える少女の顔が発したものだった。

 

「……喋れるのか」

「え? はい、それはまあ。口はありますし」

 

 なにズレたこと言ってやがる。

 

「ちょっと待ってくださいね、よいしょ」

 

 間の抜けた掛け声一つ挟んで、蜘蛛はその身をブルリと震わせ、七輪に載せた魚のようにその体を縮めていった。額の眼は全て閉じられ、先までの硬質な肌が粘土じみた柔軟性をもって形を変え、無駄に多かった脚が引っ込んでいき、ついには刀を腰に差した、鬼殺隊の隊服を纏った少女の形をとった。

 

「初めまして。まれちーと申します」

 

 そのまま、あまりに自然な流れで、まれちーとやらはこちらに頭を下げた。

 呆気にとられる、とはこのことか。

 黒髪を後頭部で一つにまとめ、若干吊り上がった目と相まって女だてらに侍のような雰囲気を纏っている。

 というよりは、むしろ一太刀の刀を想起させるような佇まいだ。

 自分の妻たちには及ばないが、まあいい女である。善逸が命を懸けるのもわかる。

 とはいえ、だ。

 

「お前には捕縛命令が出ている。大人しくお縄につくか、抵抗して首を刎ねられるか選べ」

「……捕まった場合どうなりますか?」

「隊士として切腹だ。人として死ねるし遺体は望む相手に受け取ってもらえる」

 

 告げながらも、ジワりと重心を右足に移していく。

 まれちーの額の皮膚にうっすらと切れ目が入る。その隙間から紅い複眼が覗く。それら全てがこちらの一挙一動を見ていることがわかる。

 一筋縄ではいかない。

 ただ切りかかったところで、先の帯鬼と違い二振りしか刀を持たない自分ではこの蜘蛛女の警戒をくぐり抜けることはできまい。

 

「あ」

 

 その警戒が揺らいだ。

 すでに全身の筋肉に指令は出し終わっていた。あとは何か刺激があれば勝手に体は動き奴の四肢を刻むように神経は待機していた。まれちーの精神がぶれたことが神経の発火刺激となって、寸分の間もなく体が動き両の刃が音速で走る。

 まれちーはそれに全く反応できていない。結局棒立ちのまま、柄に手を添えることもできないままに体を刻まれることになる──その寸前、雷光が割り込んできた。

 甲高い金属音が響き、火花が散った。右の袈裟斬りが黄色い刀身に弾かれた。

 肩を狙う左の横薙ぎは、脚を払われ重心を落としたまれちーの後ろ髪を数本切り飛ばすに終わった。

 

「女の脚払いながら俺の斬撃を捌くたぁ、随分派手な真似するじゃねーかよ」

 

 割り込んできた雷光は、黄色い髪をしていた。黄色い袴を羽織り、黄色い刀を振るう、雷の呼吸の使い手。

 庇った自分の妻を横抱きにして、いつの間にか鞘に納めた刀に手を添えて、眠ったように瞳を閉ざした少年隊士。

 それだけを見るなら随分ド派手な登場シーンだ。演劇で見るような派手さである。

 にしても、だ。

 

「俺がやっておいてなんだがな、その化粧いい加減とったらどうだ」

 

 いや、罷り間違って客取らされることのないようにっつー配慮もあったんだけどな。ちょっとどこまで不細工になるか試してみたところも否定できんわ。

 

「取ったらいいとかどの口で言ってやがる……!」

「あ?」

「あんたがあたいを騙して京極屋に売り飛ばしたんだろーが!」

「あたいってお前」

 

 すっかり染まってやがる。

 見ろよ、お前の妻も腕の中で微妙な顔してんだろ。

 なんとも言えない空気になってしまったが、それを打ち破るように甲高い耳障りな警笛の音が俺たちの耳を劈いた。

 同時に何人もの、おそらく十を超えるくらいか、そのくらいの人数の足音が四方から聞こえてきた。

 その中で最も先を進んでいた音の持ち主が叫ぶ。

 それは、黒い制服を着た、筋骨隆々の男だった。

 

「何をしておるか貴様ら! 抜き身の刀を持って、街を破壊したのはお前か!」

 

 俺たちは、警官の群れに囲まれた。


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