鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第34話 救済

「教祖様、こちらでございます」

 

 信者だろう女に促され、ナチュラル畜生こと童磨は鷹揚に頷きながら部屋へと入っていった。

 でかい、洋風の屋敷である。

 ふんだんに金をかけられた、しかし品のある落ち着きをもつ、白を基調とした建物だ。

 その屋敷がある岡山まで、俺とナチュ畜、あとついでに監視ちゃんは信者が手綱を握る馬車に乗ってはるばるやって来たのだった。

 いやー辛かった。

 移動中ずっとナチュ畜とせまい馬車の中で2時間だよ? いや監視ちゃんもいたけど、あの野郎私は置物ですと言わんばかりに微動だにしなかったからな。

 つうかナチュ畜、監視ちゃんになれなれしく「元気にしてたかい?」「彼の下で働くの楽しい?」とか話しかけてたけど、こいつほんと人を自然に煽るのな。俺と夏至ちゃんで社畜教育施したんだぞ? 社畜に向かって楽しい? て聞くの割と禁忌だろ。会社員時代の俺の後輩も、同窓会で友人に「そんな会社で働いてて何が楽しいの?」なんて聞かれたらしくて精神崩壊してたしな。俺の人生こんなはずじゃなかったって。

 監視ちゃんも身動ぎもしないでシカトの構え取ってたくせに、煽られて静かに涙流してたしな。可哀想に。社畜に落ちてしまった鬼を泣かすなんてほんとこの教祖クソ野郎だわ。

 まあそんな感じでナチュ畜と二人で監視ちゃんを言葉だけで何回泣かせることができるか競って遊んでいるうちに、件の洋風の館に到着したわけだけど。

 案内された部屋には、清潔に保たれたベッドが置かれていた。

 その上には一人の痩せこけた少女が横たわっている。掛け布団から出された右肘には夥しい数の点滴の跡が残っている。すでに瘢痕化し、皮膚に歪な凹凸と赤斑が見受けられる。

 いつ死んでもおかしくない、否、すでに半分は死んでいる有様。

 

「教祖様」

 

 話しかけてきたのは、中年の男だった。短髪で、眼鏡をかけ、鼻下に髭を生やした筋肉質な男である。本来は正気溢れる男であったろうが、焦燥に頬はこけ、頭髪もわずかに乱れている。

 男はベッドの脇に備え付けられていた椅子から立ち上がり、童磨に駆け寄ってその白い頭を下げた。

 

「この度はわざわざご足労いただきまことに申し訳なく……」

「いやいや構わないよ、なにしろ可愛い信者のためだ」

 

 外見的には明らかに年上の男性に対し、童磨はその悠然とした、平成の言葉で表現するならチャラい態度を崩さない。死にかけの娘の隣には男と同年代の女性がハンカチ片手にすすり泣きをしている。その後ろに侍る和風メイドも沈痛な面持ちで俯いている。そんな沈み切った空気の中で、ナチュ畜の快活な笑顔と声は、その場にいる全員の神経を逆撫した。

 

「あなた。この方が、あなたの言う加奈子を救ってくださるお医者様だと言うの?」

「む、あぁいや……」

 

 涙を流していた女性が、身に纏う和服の雰囲気に見合う凛とした声で夫に問う。

 

「おいおい奥さんちょっと待っておくれよ」

 

 赤くなった目を吊り上げて夫に詰める奥さんに対して、ナチュ畜は相変わらずの態度でまあまあと掌を見せながら猫撫で声で話しかける。

 

「娘さんの前で喧嘩はおよしよ。家内円満、家族は仲良くないと。それと、俺は医者じゃないんだ、どこかで誤解があったようだけど。俺は万世極楽教の教祖なんだよ」

「教祖……? 宗教家?」

 

 ギンッと夫を睨み、

 

「なんですか、大金をはたいて呼んだというから何かと思えば、この後に及んで神頼みですか?」

「いやいや、俺のところは浄土系だから、神じゃなくて阿弥陀仏ね」

「お帰りください」

 

 唇を震わせながら、それでも声を荒げずに言える彼女は立派だ。マジで尊敬する。

 

「加奈子が助かるのであれば、いくらでも支払いましょう。どんな対価でも差し出しましょう。しかし断じて神や仏に頼ったりなどしない。仏とやらが加奈子に何をしてくれましたか。加奈子が仏罰を下されるほどの悪行を働いたとでも? 私は仏など信じません。ましてやあなたのような詐欺師に差し出すものなど何もありません」

「そうかい、奥さんと俺は気が合いそうだ」

 

 朗らかに笑いながら、童磨は眠る娘さんに近づいていく。

 

「信じる必要はないよ。ただあなたは知ればいい。我が万世極楽教の霊験あらかたな秘薬の力を」

「な、何をなさるの!」

 

 童磨は奥さんの制止など意に介さず、懐から取り出した小瓶の中で揺れる赤い液体を、家族の同意もなくさっさと少女の口に流し込んだ。

 

「や、やめなさい! 加奈子は何ヶ月も点滴なの、いきなり水を含ませたら窒息してしまうわ!」

「ええっ? なにそれ、不便だなあ」

「……っ」

 

 アホなことをほざく童磨からさっさと視線を外して、奥さんはメイドと一緒に娘さんの口に管を入れようとしだした。痰の吸引用のチューブだろうそれを構え、メイドに少女の口を開けさせる。そしていざ挿管しようとチューブを近づけた時、奥さんの手が止まった。

 

「これは……?」

「お、奥様。お嬢様の肌が」

 

 それは、劇的な変化だった。

 死相すら見えていた土気色の顔に色が戻っていく。それは山の葉が紅を帯びていく様に似て、同時に肌の瑞々しい張りと膨らみも戻っていく。

 隙間風のような音を立てていた喉からは、深く穏やかな呼吸音が聞こえるようになる。

 枯れ木染みた腕には年相応の筋が戻り、肘に刻まれた痛々しい針痕は皮膚の裏に沈んでいくかのように姿を消した。

 極め付けに、少女のまぶたが2、3度ピクピクと痙攣を見せたかと思うと、うっすらと目を開いたのだ。

 

「加奈子……!」

「目が、加奈子の目が」

 

 開かれた瞳は茫洋としているものの、その焦点は確実にベッドに身を乗り出している両親の顔に向けられていた。

 

「お、母……さん。おと、お」

 

 少女の呟きに、あれだけ気丈に振る舞っていた奥さんは我を忘れたように娘にすがりつき、夫である彼は両手を組んでベッドに目を押し付けた。

 周囲のメイドや看護師も、夫婦の再会に涙を浮かべて喜んでいる。全員が視線を交わし、なるべく音を立てないように部屋から退出しようと足を向けた。親子水入らずで娘の快復を喜ばせてあげようという配慮である。

 

「さて、どうかな湯浅殿。我が万世極楽教の秘薬は」

 

 こいつ。いやもうほんとこいつ。死ねばいいのにと心から思う。

 声をかけられ、戸惑いながらも男は娘から離れ、童磨の足下に跪いた。

 

「は、はい。教祖様、教祖様の御威光のお陰で、あのように娘が、娘が……」

 

 言葉が嗚咽で途切れる。感極まって涙が堪えきれないのだろう。

 

「うん。それは良かった。それでは、お布施について話しておきたいのだけれど」

「……はい。極右団体『鬼殺隊』への捜査、でしょう」

「そうそう。危険な連中でね。大正の時代になったというのに日本刀を腰に差して持ち歩くような奴らだ。俺のような非力な一般人からするとね、怖くて夜も眠れないわけだよ」

「……それは、ヤクザものでしょうか。今時刀で武装など。それが潤沢な資金源を背景に徒党を組んでいるとなると、確かに我が特高が対象すべき事案です。情報提供感謝いたします、教祖様」

「うん、では頼むよ、湯浅警保局長」

 

 童磨は男の言葉に満足そうに頷いて、踵を返して部屋から出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 特高。正式名称は特別高等警察。

 内務省警保局保安課の指揮下に置かれるその組織の役割は、国家に対する危険行為の除去──すなわち極右・極左組織によるテロ行為の撲滅である。

 

 

 

 

 

 

 

「うまくいったねえ」

 

 帰りの馬車の中で、愉快そうに童磨が笑う。

 

「やっぱり人を救うことが宗教の本懐だよな。君もそう思うだろう? やはり俺にはこういう、人の救済が天職なんだろうね。まあ教祖だしな。なあ?」

 

 そうっすね。あなたがそうおもうならそうなんじゃないっすか? あなたの中では。

 

「なんだいつれないな。せっかくまた一人、いや二人かな? 新たに信者が増えてお布施が増える、みんな救われたつもりになれて、鬼殺隊も追い詰めることができる。誰も犠牲にしない、みんなが幸せになる方法じゃないか」

 

 何が不満なんだ、とナチュ畜は言う。

 そして、あざとく拳で手を打って、

 

「ああ! それともなんだい、眷属の蚊を使って病を広めることに、今更罪悪感なんて感じているのかい?」

 

 

 

 


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