鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第36話 会議

 煙草の煙が、まるで雲のように揺蕩っていた。

 縦に長い机に座す、黒い制服に身を包んだ男たち。若くて三十代、最も高齢な者で七十に届こうという男もいた。

 日も落ちて久しく、照明の灯りが漏れないようカーテンを降ろしている。部屋の周囲は口の固い警官がそれとなく監視し、盗み聞きなどされないよう万全の態勢が取られている。

 それは、異常なほどの警戒態勢。

 国を揺るがしかねないとある議題について語るために集められた面々、皆一様にしかめ面で押し黙っていた。

 その原因は、それぞれの前に置かれた藁半紙の報告書の束である。

 

「で、この文芸作品の設定集がなんだというのかね」

 

 髭も豊かな男が苛立たしげに口元の葉巻を揺らす。

 彼の肩書きは特別高等課長。組織としては、内務省における特別高等警察、外事警察、労働争議調停の三部門をまとめ上げる課の長である。

 文芸作品、という表現はまだしも優しい方だ。報告書を読んだ者たちのうちほぼ全員の脳裏によぎったのはただ一言『荒唐無稽』。

 

 

 ・鬼殺隊を名乗る詰襟姿の武装集団がいる。

 ・潤沢な資金源を持ち、市井の中にも医者や法律家を初め農家や商家など幅広い層に協力者が紛れ込んでいる(詳細は別紙3参照のこと)。

 

 

 ここまで読んだとき、農村などを巻き込んでいることから彼らは鬼殺隊をすわ社会主義思想の過激派かと警戒したのだ。数十年前に巻き起こった自由民権運動に対して明治政府は公権力のみならずヤクザ者に組織させた任侠右翼と呼ばれる政治団体とともに弾圧してきた。以来その取締り対象は大逆事件を境に暴力的な社会主義団体やらなんやらへと推移していき、その流れの中でもお上と任侠者は持ちつ持たれつの関係を保ち続けてきた。一方で各政治団体は任侠右翼との武力的拮抗を求め独自の武装集団を組織し、水面下で暗殺やその報復やそのまた報復と戦いを激化させている。

 この鬼殺隊という連中も、そういった新参の政治団体のお抱え武闘派集団だろう、と考えられていたのだ。

 だが。

 

 

 ・鬼殺隊は鬼(*1)と呼ばれる人食いの怪物を狩ることを生業とする。

 

 

 この一文で一気に意味が分からなくなった。

 鬼とはなんぞや、熊か何かの暗喩か、さては鬼殺隊とは猟師の組合か何かか、と思い文末にある補足の*1を見てみれば、

 

 

 *1 鬼とは人食いの怪物である。容姿は様々であるが基本は日本人と大差なく、眼球の赤色が共通している。成人男性の肉体を容易に引きちぎる膂力と不死身を思わせる回復能力を併せ持ち、また老いることも病に倒れることもない。これを殺害する手段は日光で炙るか鬼殺隊の所持する特殊な日本刀(*27)でもって首を切り落とすのみである。

 

 

 特別高等課長がその古傷が散見する太い指で報告書を荒く叩く。

 

「どこの伝奇小説だ。誰かねこんな報告書をあげたのは」

「私です」

 

 特別高等課長の問に手を挙げたのは、湯浅と呼ばれる壮年の男だった。童磨の齎した薬によって娘の命を救われた男である。

 会議が一気に紛糾した。

 

「湯浅殿、一体どういうおつもりなのか」

「娘御の事情はお察ししますが」

「局長殿はお疲れになっているのでは? 御家内ともうまくいっていないと聞く」

「警保局長といえど、あまりに撹乱が過ぎるようですと罷免も免れぬかと」

 

 事実にそぐわぬ暴言を好き勝手自分を貶す言葉を一切無視して、湯浅は手元の報告書のページを数枚捲った。

 

「補足に記載されている、鬼を唯一殺しうる刀。その名を日輪刀というそうですが」

 

 一拍置いて、

 

「それを数本、押収することに成功しました」

 

 ざわり、と会議場が騒めく。

 

「押収までの流れも記載されています。浅草の質屋にて押し入り強盗があったそうで。その時、衣服をはじめいくつかの品が盗まれるのと引き換えのように5本の日本刀が抜身のまま置かれていたと」

「それが、件の刀である証拠は?」

「色が違う、という点が一つ。材質は鉄でありながら、如何な加工を施したのか、青みがかっているものや黄色、緑と様々でした。それともう一つ」

 

 湯浅は表情を変えぬまま、告げた。おそらくは日本の歴史を大きく変える報告を。

 

「実際に、鬼を相手に試したところ記載した通りの効果を発揮しました」

 

 しん、と。今度は会議場が静まり返った。誰もがその言葉の意味を図りかねていた。

 

「その、湯浅殿。いくつか聞いても良いだろうか」

「なんなりと」

「鬼、なる存在が実在した、と?」

 

 湯浅はこくりと重々しく頷いた。

 

「鬼を殺す尋常ならざる規模の組織があった。これだけであれば新手の宗教かとも思いましたが、鬼殺しの武器なるものまで彼らとは全く無関係の場所から見つかったのです。ならば鬼も……あるいはそれに準ずるなにかがいるのではと考えるのが道理。よって特高警察の人員を大幅に割いて捜させました」

「そして、探し当てたと?」

「別紙の5をご覧ください。見つけた鬼はいずれも山奥の農村や寂れかけた漁村など、人口の少ない地域に根付く荒神信仰の対象として生き延びていた者です。村に恩恵をもたらす代わりに生贄を要求する、さもなければ祟りが起きるぞ、とまあそのような形です」

 

 ぺらり、ぺらり、と紙をめくる音が響く。この段になってようやく会議の参加者が報告書に真剣に目を通すようになった。

 

「神や妖の信仰が根強い地域は未だに多い。そういった地域の住民は祟りを恐れ、決して鬼の、彼らからすれば神の、ですが。その存在を漏らさない。鬼は村を安全な食料源として支配し、村は神の存在に精神的に依存する。村の法や裁判を鬼に任せていた村もあります。こうして一つの小規模で歪な国が出来上がるわけですな」

 

 あの教祖もそうなのだろう、と湯浅は思う。奇妙な目をした、人間味のまるでないおかしな男。彼もここ数十年全く姿が変わっていない、という証言を得ている。

 

「しかし、鬼なる存在を信仰の対象とするには、それなりの説得力のある土台が必要なのでは?」

「鬼が不老不死であること、人を大きく上回る膂力があることで説得力という点では十分かと。また、鬼は個体によってなにかしらの、妖術染みた奇術が使えるようになるそうで。さらに恩恵として、村の外から入ってこようとする賊を捕獲し、村人の前で大々的に捕食して見せたりもしたそうで」

「……賊から村を守っていたと?」

 

 特別高等課長が厳つい眉を歪ませながら尋ねた。まさか、本当に守神としての役割も担っていたのか。

 

「さて……そんな寂れた村を山賊の類が襲ってなんの得があるのか、という疑問はありますが。次の用紙にも記述がありますように、鬼なるものが支配していた村はどれも極端なほどに排他的な風潮があったと。病や災いは全て外から入ってくるものだと、だから外部の人間と関わってはならない、とまあそのようなしきたりが老若男女区別なく浸透していたわけです」

「それは、まあその方が隠れ潜む鬼からすれば都合がいいだろうからな」

「もちろんそういった理由もあるでしょう。加えて、鬼としては村人に対する示威行為の機会が得られる、という利点もある」

 

 示威行為。その場にいた全員の脳裏に不快な予想が過ぎった。

 

「……つまり、あれかね。例えば村にやってきた善良な旅人なり商人なりを、災害の象徴として喰い殺していた、ということか?」

「外の人間だけでなく、病に冒された村人も同様に殺していたそうです。外と交わったために病に冒されたのだ、放置すれば疫病が村に広まる。その前に病ごと食って浄化し村を守るのだ、と。そんな理屈だそうで」

「大層な恩恵だな、反吐が出る」

「鬼とは狡猾です。人の心の弱みを巧みに突いてくる。そんな鬼を殺して回っているのが、この鬼殺隊という組織な訳です」

 

 報告書を読み進めていけば、それらの村の住民たちの暮らしぶりや風俗に関することが詳細に書かれていた。村の住民のうち、口が聞ける者ほぼ全員から証言を得ている。これら詳細な証言を得るためにはたして特高警察の長である湯浅がどのような命令をだしたのか、あるいはどの程度までを許したのかを知る術はこの場にいる人間にはなかった。

 重い沈黙が降りる。村民たちの暮らしが、その歪んだ重圧が文字の羅列を通して読む側に伝わってくる。その沈黙を破ったのはやはり特別高等課長の男だった。痛むこめかみを揉みほぐしながら、

 

「……この会議は、鬼殺隊を名乗る連中の対処についてではなかったか?」

「まずは、彼らの戦力に関して共通の認識を得ておこうと思いまして」

 

 そう、ここまではただの前座。本題はここからだ。

 湯浅は今までの流れを無視し、こう述べた。

 

「では今後、鬼殺隊を如何にして解体させるべきか、ですな」

 

 な、と驚きの声が数人から漏れた。

 そのうちの一人、この会議場の中でもっとも若い短髪の男が手を挙げ発言の許可を求めた。

 

「解体と言いましても、この報告書が事実であれば彼らは日本国の安寧のために活動していた団体ということになります。そんな彼らにそれはあまりにも」

 

 若手らしい甘さのある発言を湯浅は一蹴した。

 

「武力を持つ政府非公認の組織が存在することなど、許してはなりません。その戦力が鬼以外に向かわない保証などないのですから。そもそも、怪物すら殺せるような危険な刀を帯びて外を歩いている時点で犯罪であり、法治国家たる我が日本国への挑戦に他ならない」

「ではなんとする? 正直、この鬼殺隊を解体させたとしてだ。この鬼とやらの相手を警察がするのか? それとも陸軍に討伐を要請するか?」

 

 ここで、湯浅が立ち上がった。演説のように拳を握る。

 

「目的は単純です。ただ祖国日本のために、ただそれだけです。鬼どもの持つ不死性や身体能力の秘密。鬼殺隊が持つ不死身の怪物すら殺してみせる技術。その両方を我々政府が掌握し、来たる列強諸国との戦争に備えるのです」

 

 そして、できるならばあの軽薄な宗教家が持ってきた薬の製造法も。

 湯浅はそう心の中で付け加えるのだった。

 

 

 

 ─────────────────

 

 

 

 みたいな会話があったんだよ夏至ちゃん。

 

『それはいいのだが、今私たちはどうやって会話しているんだ?』

 

 血の触手を君の鼓膜に繋げて直接振動させてるんだよ。会議の声も糸電話の要領で遠くから盗み聞きできて超便利。お陰で監視ちゃんには会話が気づかれてないでしょ。

 

「気づくとか以前に、上弦の弐のところから帰ってきてからずっと動きがないというか、白痴状態なのだが……」

 

 ああ、あの畜生教祖に精神を壊されてね。笑顔で弄り回されてね、見ていて可哀想だったよ。

 本当あいつ畜生だわ。

 待っててくれ監視ちゃん、君の仇は俺がとるから。




だいたい社畜のせい。

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