鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第39話 玉壺

 鬼の組織を構築し、部署ごとに完全に分業させ担う役割にも重複がない。

 数多いる鬼を効率的に運用しようとした結果だ。

 だから今宵、無惨が鬼狩りの全滅に乗り出した時、無限城には戦闘を担う上弦の鬼しかいないのだった。

 無惨がその気になれば、知性の有無を度外視すれば下弦程度の力を持つ鬼を量産することは容易い。しかし柱相手にそのような、雑魚と言って差し支えない鬼がどれだけいたところで無意味。無惨の血を無駄にするだけだ。それに、そのような雑魚で殺せるのは同じく鬼殺隊員の中の雑魚のみであり、そういった弱者は人間の手で始末させている。だから、上弦の五体のみで残る鬼殺隊の鏖殺を命じるのが最も効率が良い、と考えていた。

 ところが、だ。

 どこから侵入してきたのか、人間に拘束させたよりも圧倒的な数の人間が大挙として無限城に押し寄せてきたのだ。

 しかも、その全員が呼吸を使うのだという。

 珠代に打ち込まれた薬を分解しながら、無惨は上弦達からの報告を聞く。

 肉の繭に包まれながら、彼は怒りに震えていた。

 あの男。

 己を社畜と呼ぶ、胡散臭い男だった。

 有能ではあったが、それ故に苛立ちを湧き上がらせる、そこに存在するだけで殺したくなるような笑い方だった。

 一体どうやって自分の監視から逃れていたのかは不明だが、裏で準備を整え、虎視眈々と待ち焦がれていたのだ。

 裏切りの準備を。

 この、鬼舞辻無惨を殺す機会を。

 腹立たしい、腹立たしい、腹立たしい。

 永遠不変を目指す自分の感情をここまでかき乱すとは。

 許すまじ。

 いくら有能だろうと、太陽の克服の可能性ももはや免罪符となり得ない。

 この身に薬を入れられようと、あの男が裏切っていなければ、柱の連中に蚊を介した毒の注入でそれこそ戦わずに一網打尽にできたのに。

 次に視界に奴が入れば絶対に殺す。

 その点では、無限城に入ってきた雑魚どもも悪いことばかりではない。

 雑魚が何倍にも増えたということは、つまり新鮮な餌が豊富に収穫できるということ。

 薬の分解に力を消費する自分にはむしろ朗報とも言える。数が必要となれば玉壺に魚を増産させれば良いし。

 ただ、分解した後に血肉を補給するために、柱どもは全滅させておかねばならない。

 というより、今の状態で柱に見つかれば相当まずいことになる。

 死ぬことはないだろうが、回復に多大な時間と力を要する負傷を得ることになりかねない。

 まあ柱とはいえ、痣も赫刀もないのだ。上弦一体につき柱二人ずつ殺していけばお釣りが来る。

 どうだ、お前ら。もう柱の一人は倒したか? いいか、私が薬を分解し尽くすまで貴様ら私の下に柱を近付かせるなよ。

 ……。

 ……………………。

 ……………………おい。

 返事をしろ。おい。

 聞こえていないわけじゃないだろう。

 おいって。

 

 

 

 

 

 ────────────────────

 

 

 

 

 

 三次元的に入り組んだ和風屋敷の中を駆け回りながら、善逸は懐かしい音に気づいた。

 鬼殺隊に入ってから直接会ったのは二度。どちらも一方的に罵倒されただけで、自分からなんとか交流を持とうと手紙を何度も送っていたが、返事は当然のように一通もなかった。恐らくあいつは読みもせずに捨てているのだろう。

 襖を開け放った。

 そこには、装甲に身を包んだ十人組の集団がいた。

 その装甲は外観よりもずっと厚く、体内の音が聞き取りにくい。兜で顔を覆っているため面相がまるでわからないが、それでも数年毎日朝から晩まで聞き続けた音を聞き紛うはずもない。

 向こうも善逸の存在に気づいたようで、兜に覆われた顔で五人が同時にこちらに振り向き、手に持った散弾銃をこちらに向けた。

 

「……獪岳」

 

 善逸が呼び掛ければ、真ん中にいた装甲服が一歩前に出て、兜を外した。

 

「なんだお前、生きてたのか。久しぶりだなァ善逸。相変わらずチビだな」

「なんでこんなところに」

 

 はっ、と鼻で笑い、獪岳は右手をさっと上げた。背後の九人はそれを合図に銃を下ろす。

 

「鬼を皆殺しにする作戦に従事してんだよこっちは」

「警察に捕まったって、聞いたんだけど」

「捕まった? ははは、相変わらず馬鹿だなお前。こっちから乗り換えたんだよ、鬼殺隊を見限ってな」

「なんでだ! 雷の呼吸の継承者が! あんたが特高に捕まったって聞いて爺ちゃんがどれだけ悲しんだか」

 

 ガシャッ、と。

 獪岳は黒く光る銃口を善逸に向けた。持っていた兜が落ち、善逸の足元へと転がる。

 

「知ったこっちゃねえんだよ、あんな俺を正当に評価しない爺なんてよ」

 

 静かな声だった。静かな怒りと、諦観と、寂寥が入り混じった声だった。

 

「テメエと二人で後継だと? 耄碌しやがって。大体呼吸の継承なんて肩書きになんの価値があるんだ?」

「価値、だって?」

「鬼を殺し尽くしたら鬼殺隊なんて解体される。そしたら俺たちはみんなまとめて無職の集まりか? 許可なく刃物をぶら下げて、殺し屋家業かヤクザの下っ端がせいぜいだろうが。誰が評価してくれるんだそんな連中」

 

 善逸は言葉を失う。

 鬼を殺し尽くす? そんな未来のことなんて、考えたこともなかった。痣を発現してしまった自分が考えることでもない、と無意識に思考から除外していたのだ。

 

「そんな先のことなんて……」

「先? 俺たちは今日が鬼との戦いが終わる日だと定めて訓練してきたんだ。その後を見据えるのは当然だろ。俺はこうして、警察組織の中で隊長職に就いた。公務員だ!」

 

 自慢げに叫ぶ獪岳に善逸は言葉をかけようとした。完全に道の分かたれたかつての兄弟子に、しかし何を今更言えばいいのか。せめて爺ちゃんの意思だけでも伝えようと口を開き、しかしその口から溢れた言葉は全く別の言葉だった。

 

「────逃げろ!」

 

 瞬く間に装甲服のうち四人が死んだ。

 次の瞬間には、何事かと振り向いた装甲服のうち二人が死に、さらに一秒後茫然としていた二人が死んだ。

 彼らの装備していた盾も、装甲服も、そしてその内側の鍛え上げられた肉体も、全てが牙の生えた魚の群に貪り尽くされて、ものの数秒で跡形もなくなった。

 獪岳は振り向きざまわが身に迫る魚群に向かって散弾銃を発砲したが多勢に無勢、一万匹の魚の群には焼け石に水だった。

 善逸にできたのは、一番近くにいた獪岳を抱えて下がることだけだ。それ以上の人間を庇うことは時間的にも距離的にも不可能だった。

 抱えたまま後退し、背後に投げ捨てて、向かってくる魚群を切り飛ばした。上弦の陸が放った壁のような血鎌の群に比べれば楽だ。

 しかしその程度の技量では、庇うことができるのは獪岳一人だけだった。

 できることとできないことはある。

 そんなことはわかっている。

 だが、それとこれとは別だ。

 身の奥底から湧き上がる怒りを我慢する理由にはならない。

 

「ひょひょひょ」

 

 そこにいるのは、言ってみれば巨大な魚だった。

 善逸の耳でも、一体いつ現れたのか捉えられなかった。

 人の顔らしきものが付いてはいるが、目があるべき眼窩には口が、額と口腔には眼球が埋まっている。下手に人間に近い造形をしている分、生理的嫌悪感を催す顔立ちだった。

 顔の上下に覗く瞳孔には「上弦」「伍」の文字が刻まれている。

 いつのまにか置かれた壺から身をくねらせて出てきたそれは、目元に付けられた二つの口から慇懃な挨拶の口上を述べた。

 

「初めまして、私は玉壺と申す者」

 

 何か言おうとしているが、それを遮ったのは獪岳だった。

 

「し、死ね!」

 

 上擦った悲鳴と共に放たれた散弾は真っ直ぐに魚のような鬼の首へと向かっていく。当たれば首を吹き飛ばし鬼に致命傷を与えただろうが、その弾丸は宙を素通りして壁にヒビを入れるだけに終わった。

 消えた。

 

「待たれよ、まだ話は終わっていない!」

 

 またも、耳で捉えられない移動。おそらく単純な速度ではない、移動する一瞬前に突然現れた壺が奴の移動の肝。別の場所に壺を出す、足元の壺に入る、出現させた壺から現れる、の手順だ。壺から壺への移動に過程が存在しない、だから自分の耳でも捉えられないのだ。

 ならばどうする? 

 決まっている。

 自分にできることなど決まっているのだ。

 真っ直ぐ行って切り飛ばす。ただそれだけ。

 

「シイイィィィィィ……」

「⁉︎おい善逸」

 

 震える獪岳の声を無視して、善逸は納刀した。

 左脚を引き、体重の八割を右脚にかける前傾姿勢。気息を整え、呼吸によって意図的に心臓の拍動数を上げる。血が巡る。全身の血管が破裂する直前まで血が加速し、それにつれて体温も上がっていく。

 最後の引き金は、怒りだ。

 目の前で九人もの人間を細切れに食い殺した鬼がいる。

 怒りの熱を、矢を引き絞るように練り上げていけば、ふ、と。ある瞬間に体が軽くなる瞬間に辿り着く。

 柱合会議の後、師である宇髄さんや医学に詳しい胡蝶しのぶと共に調べ、痣の発現機序の体系化に成功した。お陰で自分はいつでも痣を出すことができるようになった。

 とは言えまだ柱の誰も痣の発現に成功しないし、そのままこうして最終決戦に臨むことになってしまったが、だからこそ自分ができることは大きいと思う。

 だから、行こう。

 敵が上弦だろうと恐れるな。

 恐れは身を冷やす。恐怖を忘れ、怒りに身を任せろ。

 行け。

 

 

 ──雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃

 

 

 ──十二連

 

 

 雷鳴が響く。壁に囲まれた密室の中で、善逸は壁のみならず天井まで使って上弦の伍に迫る。

 初めの三連は揺動と追跡に使い、次の斬撃で首を狙う。しかしそれでは仕留め損ね、一瞬で移動を許してしまい、また追跡と揺動のために三連を消費する。

 三度の追跡と一度の斬撃。つまり霹靂一閃、十二連でこの鬼に対して放てる斬撃は都合三撃ということになる。

 一撃目は空振り、二撃目で薄皮を削り、三撃目で皮下の筋組織を僅かに裂くことに成功した。仕留め損ねる度に確実に致命に近づいているが、しかしそこで限界だった。

 今出せる全力で、仕留めるつもりで放った渾身の霹靂一閃だったのだ、それが躱されればあとには技後硬直で上弦の鬼の前で大きな隙を晒すことになるのだ。

 

「ま、まったく驚かせてくれましたね!」

 

 善逸の背後に新たに現れた壺の中から、玉壺の声がする。

 

「ヒヤリとしましたがそれもまたよ、し……?」

 

 玉壺が言葉を詰まらせる。

 すでに新たな壺を手にしていて、壺から出てすぐその中に待機させている魚群を用いて動けぬ金髪のガキの背後から魚を浴びせようと思っていたのだ。

 それなのに、いざ壺からにゅるりと這い出ようとしたところで、頭だけ出たところで動けなくなってしまった。

 糸だ。

 粘着性の高い、無色の糸が壺の口に蜘蛛の巣状に張られていて、そこから出ようとも頭一つ出したところで遮られるようになっていた。それだけ絶妙な張力と靭性が備えられている糸の存在に玉壺は一瞬混乱し、善逸から一瞬意識を逸らしてしまった。

 その一瞬で善逸は構えを終えていた。

 玉壺は即座にその構えに気づくも、まだ余裕があった。すでに十二回もこのガキの居合を見た。確かに驚異的な速度だが、この距離なら──

 

 

 ──雷の呼吸 漆ノ型 火雷神

 

 

 それは、圧倒的な速度だった。

 霹靂一閃を大きく上回る速度でもって放たれた居合の斬撃は、正面から喰らった玉壺の目をもってしても何が起きたかすら認識できなかった。

 気づけば首を斬られて死んでいた。

 

「……はぇ?」

 

 そんな間の抜けた言葉を最後に、玉壺は塵となって消えた。

 後のことを何も考えていなかった善逸は、玉壺を斬り飛ばした直後、その速度のまま壁に激突し、鼻血を吹き出しながら床にひっくり返った。

 

「いった……」

 

 大の字のままで呼吸を落ち着け、心臓を押さえ込んで痣を消すことに専念する。鼻血が思った以上に呼吸の妨げになる。刀を納めるついでに袖で鼻下をぬぐっていると、

 

「おい」

「なんだよ」

 

 声は頭上から聞こえた。心音から何故か怒っていることがわかった。わざわざキレてる兄弟子の顔を見る気にもならないので、善逸は目を閉じたまま返事をした。その態度がさらに気に食わないのか獪岳はさらに声を苛立たせて、問うた。

 

「やっぱり、あの爺は贔屓してやがったんだな」

「……なんのことだ?」

「漆ノ型だと? そんなもん俺は教わってねえ。霹靂一閃が使えなくても、それが使えりゃ十分だったじゃねえか。なのに爺は俺には教えないでお前だけに」

「違う」

 

 鼻声のそれは『ひがう』と聞こえた。

 

「爺ちゃんを侮辱すんな。これは俺の型だ」

 

 ここで、ようやく善逸は目を開けた。

 再会して初めて、二人は目を合わせた。

 その目に宿る静けさに、獪岳は一歩後ずさった。

 

「俺が考えた俺だけの型。いつかあんたと……肩を並べて戦うための型だった」

 

 それだけ伝えて、善逸はまた再び閉じた。

 獪岳は言葉もなく、ただ無言で佇む他なく。

 二人きりの空間に、しばらく善逸の荒い呼吸の音だけが響いた。




無惨様について調べてたら、無惨様を称える蔑称に「汚いフェイスレス」なるものを見つけて超笑いました。

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