鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第40話 薬剤

 胡蝶しのぶは困惑していた。

 血の匂いを追って辿り着いた大部屋にいた鬼を、自分は探し続けていた。

 頭から血を被ったような容貌で。

 にこにこと屈託なく笑い。

 穏やかに優しく喋る。

 姉が死に際に語った特徴にそのまま合致する、飄々とした鬼だった。

 瞳に刻まれるのは上弦の弐。

 姉の仇だ。

 生半可な相手ではない、と。姉の話を聞いた時からわかっていた。それこそ自分の命を引き換えにしても殺してみせる、と。

 そんな決意を胸に研究を重ね、胡蝶は自身の肉体そのものに藤の花の毒を詰め込むことに成功した。

 加えてとある鬼の協力の下、毒の濃縮率は桁違いに上昇し、鬼の致死量のおよそ七万倍に至った。

 とはいえ、上弦や鬼舞辻にこの毒が効くかはわからない。

 効いたところで確実に滅殺できるかもわからない。

 どんな副作用が出るかも不明だ。

 そんな不確実な可能性に命を賭けざるを得ない、それほどの強敵。鬼の首も斬れない虚弱な女の身では、一縷の望みに賭けるしかないのだ。

 そう。

 私はこれから、目の前の鬼に喰われる。

 そのために私はここに来た。

 見ていて、姉さん。

 

 

 

 

 血の匂いがする襖を開けば、そこには池があった。板張りの桟橋が縦横に渡り、水面には白蓮が浮かんでいた。その中央には大量の女性の死体の山と、その上に腰掛けて人の頭部から頬肉を噛み切っている鬼がいた。

 

「可哀想に。何か辛いことがあったんだね……。聞いてあげよう話してごらん」

 

 生理的嫌悪と怒りが湧き上がる。なぜ人間を喰いながら人間の悩みを聞こうなどという発想ができるのか。姉が亡くなり、以来姉を模して浮かべた笑顔で蓋をした激情が、火山のように噴出しようとする。

 しかしそれを抑えつけて、できうる限り冷静に誰何する。

 

「姉を殺したのはお前だな? この羽織に見覚えはないか」

「朝日が昇って食べ損ねた子だよ、覚えてる。ちゃんと食べて」

 

 我慢の限界だった。

 ほとんど癇癪の発作のように放った突きは、上弦の弐が翳した手指の隙間を塗って左眼球から脳幹を貫通した。

 同時に毒を打ち込む。

 これで、自分の作戦が成就するかがわかる。

 鬼どもの協力を乞うてまで完成させた毒が果たして上弦に通用するのか。全く効かないのであれば戦略は破綻する。僅かでもその肉体を腐食させることができるのであれば、あとは程度の問題だ。

 そうなれば、自分がこいつに喰われればいい。きっとカナヲが奴の首を切ってくれる。

 通用してくれ、少しでも効いてくれ、お願い姉さん、と。

 神頼みのように、上弦の弐を祈るように見つめる。

 すると、上弦の弐が血を吐き出した。

 

「ガハッ! これは……」

 

 ビシャア、と勢い良く口からどす黒い血が吹き出した。内臓全体に藤の毒が回り、下部消化管にも潰瘍が生じ大量に出血しているのだ。出血量が多く、一畳ほどの広さまで広がる。

 効いている。

 私の毒が効いている──! 

 

「累君の山で使っていた毒より強力……ゲホ、グッちょ、ちょっと待って」

 

 あとは戦い、なんの切り札もない振りをしてこの鬼に喰われれば──

 

「あれぇ? 毒、分解、できない……」

「⁉」

 

 四つん這いの体勢から、自重を支えきれず肘から先の下腕が捥げ、顔面を板張りの床に強打する。その衝撃で頭が砕け、脳漿が散らばった。

 

「え、あれ? 首も斬れない剣士ですらない雑魚の毒で死ぬの? あんなに人を救ってきたのに? 可哀想すぎじゃない?」

 

 鼻から下しか残っていない口元で。

 両腕のない、土下座のような態勢で。

 上弦の弐はぶつぶつと呟いている。

 

「あ──でも、やっぱり何も感じないなあ。負けて悔しいとも、死ぬことも怖くないし」

 

 そんな負け惜しみじみたことを呟きながら、上弦の弐こと童磨の体は完全に崩壊した。

 何かの罠なのではないか、実は本体は別にいて、「童磨だよー!」などとほざきながらそこの扉から三十人くらい入ってくるのではないか。一匹見れば、と言うし。

 そんなことを半ば呆然と考えていたら、本当にその扉が開け放たれた。

 ぱぁん、と勢い良く開いたそこにいたのは、

 

「師範!」

「……カナヲ」

 

 入ってきたのはもちろん童磨などではなくて、家族とも言える愛弟子、カナヲだった。

 

「これは、遺体? 鬼がいたのですか?」

「……ええ。上弦の弐が」

「! 弐は、カナエ姉さんの仇では」

「そう、ね。そうなのよね」

「や、やったじゃないですか! しかも無傷で、上弦の鬼を倒せるだなんて」

 

 そうだ。仇を取ったのだ。姉を殺した憎き鬼を。奴は毒で苦しみながら死んだのだ。これ以上ないほどの大願成就。姉もさぞいい笑顔で親指立ててくれることだろう。

 だが、だけど、なんだろう。

 

「すごいもやもやする……!」

「師範? どうしました? 師範?」

「あ、いいえ、なんでもないのよ。大丈夫。大丈夫よ、感情の制御ができないものは未熟者ですもの、えぇ大丈夫以外の何者でもないわ」

「師範⁉」

 

 死を覚悟していたのだ。蝶屋敷の面々ともすでに今生の別れの挨拶を済ませ、机には遺言を認めた手紙まで置いてきている。それが、毒が効くかを確認するための試験的な突き一つで、試合で言うところの牽制一つで終わってしまった。肩透かしもいいところである。

 というか、毒が強すぎるのだ。

 そのせいで、自分で仇を討ったという気がまるでしない。

 一回の突きで打ち込める毒の量は50ミリリットルといったところ。たったそれだけの量で上弦の鬼の致死量に達するとは、

 

「あの男、一体どんな技術を……」

 

 あの胡散臭い男が、何を考えてこれだけの技術を提供したのか。

 わからないものは恐ろしい。

 確かに恩はできた。しかし、結局自分たち鬼殺隊を利用するために協力しているだけではないのか。そんな黒く冷たい疑心がしのぶの心を満たした。

 

 

 

 

 ─────────────────────

 

 

 

 

 戦局はなかなかいい感じだ。

 夏至ちゃん越しに琵琶さんの血鬼術を操作して無限城全体の様子を見学している。

 上弦の伍と弐が、無限城全体にトビウオやら氷の人形やらの眷属をばら撒いて人間を蹂躙していた。

 散弾銃で首を破壊すれば殺せる、と聞いていた警察部隊からすれば首の無い魚や水があればいくらでも再生する氷人形は初見殺しにも程がある。

 氷人形の背中には玉壺が血鬼術で作った水がこんこんと沸き続ける壺を背負わせているからほぼ不死身だし、そのふんだんな水量で上弦の弐と同等の血鬼術を使えるものだから、氷人形が歩いた後には肺胞をズタズタにされて血反吐の海に沈んだ死体がごろごろ転がっている。どんな鎧を身に纏っていても呼吸を抑えられるわけではないからね。いやなヘンゼルとグレーテルだ。

 で、警官隊の八割が死んだところで、大活躍だった眷属がまとめて死んだ。

 何事? まさかあいつら飽きたん?

 

「上弦の伍と弐がやられたようだな」

 

 えぇ……早くない? まだ警官隊残ってるじゃん、やっぱり柱にやられたの? 

 

「弐はそうだな。毒使いの女だ。だが伍を斬ったのは金髪の平隊員だな」

 

 マジか、パンクまじか。陸に続いて伍もか。すげえなあのチキン。

 いつの間にかそんなに成長しちゃって、おじさん嬉しいよ。

 やっぱりあの痣が重要っぽいな。

 他の柱と上弦の戦いを見ても、柱数人がかりで上弦一体にあしらわれているところがある。

 ここは柱の皆さんに痣を発現してもらうしかないな。

 

「どうやってだ?」

 

 パンクと柱が色々話し合ってたんだけど、痣を出すには心拍数を上げて体温を上昇させる必要があるんだと。じゃあアドレナリンとかレプチンとか、甲状腺の活動上げて代謝機能上げて、あとメタンフェタミンでも突っ込んでやればさ、痣の一つや二つくらいでるんじゃないの知らんけど。

 

「では柱のいる部屋に小窓作るぞ」

 

 いや、柱だけじゃなくて他の鬼殺隊員にもお薬注入してあげよう。痣持ちは多ければ多いほど良いしね。

 

「警察の方は?」

 

 ゴツい服着てるし、蚊がさせる隙間ないね。そっちはスルーで。

 

「了解だ」

 

 というわけで鬼殺隊の生き残り五十二人の下にお薬を送った。やっぱりこのまま上弦の鬼に何もできず嬲り殺しだなんてあまりにも可哀想だからね、生き残りの可能性を上げるんだ、感謝で咽び泣いていいぞ。




メタンフェタミン=通称魔神薬
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