上弦の壱こと黒死牟もまた、柱を相手に戦っていた。
その六つの目を用いた視野は異常なほど広く、その斬撃は人体ではありえない距離まで届く。彼の歩法は数百年の研磨であらゆる無駄がはぎ取られ、ただの一歩が凡俗には空間を渡る妖術にしか映らない。
音もなく遠距離を移動するその歩法に、黒死牟は名前をつけていない。鳥が空を飛ぶことにわざわざ名前をつけないように、この瞬間移動じみた歩は彼にとってただ歩くことと変わらないのだ。
それだけの修練を積んできた。
鬼と化してより数百年、気も遠くなるほどの年月を修練に費やしてきた。
無限の体力を持つ鬼の身で、人の身では到底耐えられぬ密度と時間でもって技の研磨を続けてきた。
そんな上弦の壱の視界に捕らえられれば、警官隊と鬼殺隊員は斬殺の結末以外はありえない。
斬り捨てる。
人間であるなら、鬼殺隊も警官隊も容赦なく斬り捨てる。
斬り捨てた。
鬼となって以来、あらゆる侍を、鬼狩りを、老も若きも、老若男女区別なく。
斬り捨ててきた。
数百年に渡り、無駄なものをひたすらに斬り捨ててきた。
剣の振り方も、歩の進め方も。
家も、妻も、子供も。
武士としての誇りも。
人間であることも。
そして、あの男も。
強さを求め、あの男の影に怯え、振り払うように剣を振り続けた。
あらゆるものを斬り捨てて、斬り捨て続けて、その果てに得たものは何か。
何もない。
刀すら手放したこの手に残ったものは、化物の如き生き汚い己のみ。
何も無く、何にもなれず、結局あの男にも及ばず。
挙句、高が人間に斬り殺されるとは、
──一体、
崩れ去る自身をまるで他人事のように眺めながら、鬼は思う。
──私は一体、何のために生まれてきたのだ
最期に、胸元から溢れたガラクタを眺めながら、
──教えてくれ
───────────────────────
と、言うわけで。
「はい」
無事上弦の鬼が全滅してくれましたー。拍手!
「いえーい」
夏至ちゃんがおざなりに拍手してくれる。もっとうまく上司をよいしょしようや、そんなんじゃこれからやっていけないぞ?
「すべき時にはちゃんとやるからお気遣いなく。てぃーぴーおー、というやつだ」
なるほど、俺に対しては上下の壁なくそれだけ親しみを持ってくれているということですな。
「ぶはっ」
吹き出しやがった。
お仕置きの必要がありますねこれは……。
「お仕置きだと? 貴様忘れていないか、今の私は上弦の参と伍の血を取り込んだ、いわば超零余子。今こそ復讐の時、散々簀巻にした挙句実験台にしてくれやがった積年の恨み!」
そうなのだ。手分けして無限城を監視していた俺たちは、上弦が死んだらその血を回収するように決めていたのだ。
参と伍の死に様を看取った夏至ちゃんは、当然その二人の血を取り込んでいたわけで。
きええぇぇ! と怪鳥のような叫びをあげながら夏至ちゃんが飛びかかってくる。あたりに血の触手を張り巡らせてこちらの逃げ場を塞ぎながらの突撃だ。このままでは強化された身体能力を活かした膝蹴りが俺の顔の中心を襲う。
もちろん、そんな蹴りが当たるはずもないんだけど。
「⁉︎ な、なんだ、体が……」
夏至ちゃんの膝が当たる直前で、彼女の体は空中で静止した。
なんで忘れていたのか……まあいきなり力を得てハイになっちゃったんだろうけど。
君が二体の上弦からしか血を取れていないっていうことは俺は三体、陸の兄弟の分も入れたら四体分の血を取り込んでいるってことだよ?
「⁉」
で、できるようになったわけだよ、このナノ単位の細さの血の触手。この細さに加えて、人一人程度の重量ならこうして宙に固定できるようになったわけさ。
「ふ、ふん。持ち上げられるからなんだ。そんなことをしたって無駄だ、覚えているぞ。お前の血鬼術は鬼の皮膚を破壊できない、攻撃する手段になり得ないとな」
ドヤあ、とこちらを見下ろしてるとこ悪いけどさ。
触手で外傷を与えなくても、細胞を傷つける方法はいくらでもあるんだわ。
「え」
俺の言葉に混乱した夏至ちゃんは、次の瞬間に大量の血を吐いた。
「オグ、ぐほ、なっなんだ⁉」
肺胞が壊れたんだね。超細い触手を先端から細かく分離させていくんだ。すると血の粒子になって空気中をいつまでも漂うようになる。それを吸い込んじゃったんだわ。今の俺の血って上弦の陸がやってたみたいに毒を含んでるから、それが肺胞の細胞を破壊したわけ。お兄ちゃん鬼の記憶を受け継いだからね、体内で毒を作るノウハウは習得済みだよ。
「ど、毒、だと? では何故貴様はその毒に犯されていない⁉」
当たり前だろ、フグが自分の毒で死ぬか? なんて冗談はともかく。毒が効果を発揮するのは細胞に侵入してからだ。じゃあ血管内では自分の血漿で毒分子を包み込んでしまえば毒は効果を発揮しない。俺の血鬼術ではそれができる。
「そんな……」
ゴホゴホと結核患者のように血の咳を吐き出す夏至ちゃんの口に、血の触手をまとめて突っ込む。気道の末端にある肺胞を探って、出血部位から血管へと触手を侵入させていく。そこから全身を巡って、上弦から採取した血を回収していく。
「もが、がああああ!」
泣きながら必死に触手を噛みちぎろうとする夏至ちゃん。だが咳中枢をごりごり刺激してるから口を閉じることなんてできやしない。何もできないまま、夏至ちゃんはいい匂い成分含めて体内の液体成分のほとんどを失ってしまった。
うん。
やっぱり上弦の鬼ってむーざんにとって特別だったんだろう、含まれているいい匂い成分の量が他の下弦たちと比べても桁違いだ。
夏至ちゃんの支配から逃れた琵琶さんの脳味噌を再び触手まみれにして五感と襖を操作する。さて、第一目標だった上弦どもの血も採取できたことだし、むーざんはどうなってるかな? 繭のままなら生き残ってる柱をけしかけて殺してもらおうって感じです。
と思ったら、ちょうど繭から出てきちゃった。
ちょっとだけ遅かったわ。
夏至ちゃんが下克上企まなかったら多分すんなりむーざんを殺してもらえてたのに。
下克上狙うとか最悪だわ。
上下関係しっかり叩き込んどけよな。
そのせいで俺がむーざんを倒す手順が増えるじゃんね。
で、出てきたむーざんが何しているかというと、多分女医さんに入れられた人間薬の分解に力を使いすぎたせいだろう、その力を補充すべく無限城を走り回っている。
『鳴女よ、人間はどっちにいる』
おっと、琵琶さんに話しかけてきた。すごい便利だよね、テレパシー能力。
でもむーざんしか使えないし、脳味噌弄ってハッキングできちゃうから蚊通信と比べて一長一短かな。
『こちらでぇす』
とか琵琶さんのふりして対応しながら、警官隊が集まってカバディしている映像を送ってやる。警官の連中は兜で顔隠してるから映像作るのも楽だわ。
位置情報も送ってやると襖ワープより走ったほうが早いと判断したんだろう、全身から肉の鞭みたいなものを生やして無限城を縦横無尽に最短ルートを駆けていく。それに合わせてクモの子が散るように、むーざんがいる方向とは逆向きに走る警察隊の映像を送る。
どうやら、よほど腹が減っているみたいだ。
むーざんに入れた毒は、人間化薬と藤の花から作った細胞破壊薬の二種類だ。
他にも色々女医さんは作っていたみたいだけど。
だが残念だったな、今この城には生きている人間なんて二十にも満たない!
しかも上弦の鬼どもによって生じた一千超のフレッシュな死体は全て俺の触手で収穫済みだ! ここに来る前には社畜教育した鬼どもも収穫したしな!
腹減った状態で、俺が作った人間の幻影と力尽きるまで鬼ごっこしているがいいわ! 鬼だけに!
これで収穫すべき残りはむーざんただ一つ。
勝ったな、風呂入ってくる。
おら夏至ちゃんいつまで寝てんの。お前は仕事の時間だおらぁ。