鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第46話 左腕

 日の出まで残り1時間半。鎹烏が叫ぶ。

 それまでこの場に無惨を拘束できれば、陽当たりのよいここでなら、無惨を殺せる。

 つまり自分たちがすべきは時間稼ぎであり、逃がさないよう絶え間なく攻撃を加え続けることだ。

 

「まれちー、獪岳を連れて後ろに下がっててくれ」

 

 善逸の言葉を受けて、巨大蜘蛛ことまれちーは、大きく欠落した体を引きずって無惨から距離を開けていく。炭治郎には、あの巨体がまれちーであるなどあまりに信じがたいことではあるが、善逸の落ち着いた言動にそれが事実だと突きつけられる。

 

「私はいつも善逸のそばにいますよ」

「……ありがとう」

「無理しないでくださいね」

「それは無理だよまれちー」

 

 歯を噛み締める。歯の隙間から漏れる呼吸の音は、炭治郎が以前聞いていたものより各段に大きい。

 脚を引き、納めた刀に右手を添えて、全身の筋繊維一つ一つに丹念に力を込める。

 

「嫁を抉られて頭に来ない男はいないから」

 

 ──雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃 十六連

 

 善逸が斬りかかる。上弦の陸すら幻惑させたその挙動に、しかし無惨は余裕をもって追従する。情報の処理能力が妓夫太郎よりも高い。六度目の踏み込みを終えても未だ善逸は無惨の視界から逃れられていない。

 その原因を、善逸はその聴覚で聞き取っていた。

 脳が五つ、心臓七つ。

 無惨は、五感から得た情報を五つの脳で処理しているのだ。前後左右の高速機動、虚実を交えた連続の霹靂一閃は確かに脳を幻惑させるに足るものではあるが、一つの脳を惑わしたとしても他の脳が情報を補完する。

 また、これが無惨が首を切られても死なない理由だろうと善逸は思う。

 上弦の陸が兄妹の首を共に切断しないと殺せなかったように、無惨の場合は全ての脳を分断しなければならないのだろう。それもあの回復力を潜り抜けて。

 歯噛みする。

 十度目の踏み込んだ先に無惨の触手が六本、善逸を囲むように迫る。他の触手で誘導されて嵌まり込んだ袋小路。

 十二度重ねるはずだった霹靂一閃を途中で取りやめ、その時点で抜刀。自分の嫁を傷つけた怒りを指に込めて全力で振り抜く。

 

「っ⁉」

 

 驚愕したのは無惨だった。

 金髪の小僧が握る日輪刀の、赫赫とした刀身の色に。

 切り払われた触手の断面の違和感に。

 焼けるような、痛み。常より圧倒的に遅い回復。

 覚えがある。思い出すのも忌まわしい記憶。

 それは、数百年も昔。

 ここ数百年ぶりの、あの男の斬撃を受けて以来の痛みだった。

 

「……忌々しい!」

 

 悍しい記憶を振り払うべく無惨は腕を伸ばす。抜刀直後の技後硬直に合わせ、地に脚が付くより早くその頭を齧り抉ろうと襲いかかる。

 善逸の視界の外から襲いかかった無惨の腕は、空振りして地面に叩きつけられた。

 何かに引っ張られるように善逸の体が体一つ分真横に滑ったのだ。

 糸だ。

 善逸の背中に張り付いている糸が巻き取られ、着地点がズレたのだ。

 驚くべきは、金髪の剣士の動きだ。

 意思疎通も合図もなくいきなり体を横に引かれたのだ、体に走る衝撃や視界の変化に対応しきれず、そこには必ず隙が生まれるはずである。

 しかし伸ばされた無惨の左腕の外側に逃れた善逸は、反射的に風を吸う孔に向け逆手に握りしめた刀で斬り上げを放つ。自分の真横に開いた異形の孔が空気を吸おうとしているのを聞き取ったためだ。

 そのまま流れるように納刀。

 呼息を整え、渾身の踏み込み。

 

 ──雷の呼吸 漆ノ型 火雷神

 

 糸に引かれた動揺を全く見せぬまま、善逸は無惨の切断された腕に切っ先を差し込んで、上腕を縦に切り裂いていく。上腕二頭筋と上腕骨の間で脈打つ心臓を一つ斬り捨て善逸の刃が無惨の胸部を抉り、左胸に納めていた心臓を砕く。

 

 無惨は苛立っていた。

 

 ガヒュ、ガヒュ、と触手の先端や腕に開けた口から空気を吸い込み善逸の行動を阻害しようと試みるも、その聴覚でほとんどを回避する。その踏み込みはあまりにも深い。その距離は柱である伊黒や甘露寺ですら真似できるものではない。にも関わらず暴風の様に荒れ狂う無惨の懐に潜り込んでなお善逸が無傷であり続けるのは、無惨に技の出し終わりを狙われる度に蜘蛛の糸が体を動かし、金髪の剣士もまたそれをわかっているかのように牽引直後に走り出すためだ。

 その場にいた四人も、触手や腕の切断を狙って刀を振るう。

 無惨にとってさらに腹立たしいことに、後から続々と柱が集結してきているのだ。

 

「よくやった善逸!」

「よく耐えた炭治郎、伊之助! さすが我が弟子だ!」

 

 ──音の呼吸 肆ノ型 響斬無間

 ──炎の呼吸 肆ノ型 盛炎のうねり

 

 派手な二人が豪快に触手を斬り払い、その隅で冨岡が無言で無惨の右腕を斬り落とした。

 悲鳴嶼が念仏を唱えながら鉄球を左腕に叩きつけ、不死川が涙を流しながら斬りつける。無惨の攻撃に体を削られた竈門以下四人は交代の形で下がり、後方に控えていた胡蝶とカナヲの治療を受け始めた。

 

 腹立たしい。

 

 集う柱がどいつもこいつも本人の了承もなく投与された薬剤のせいで痣を発現している。無限城におびき寄せた時には金髪の剣士にしか痣は出ていなかったのに、いつの間にこうなったのか。金髪ほどではないが、痣を持つ剣士がおぼろげながらもその手に持つ刀に赫刀の兆しが出ていて、これに切られた触手が多少なりとも再生が遅れてしまう。

 柱が総出で作った隙を利用して善逸が離脱し、叫ぶ。

 

「無惨には脳が五つ、心臓が七つある! 孔から空気を吸って体を削ってくる!」

 

 ああ腹が立つ、腹が立つ。

 

 空気孔から削る攻撃方法を金髪によって周知され、柱たちは触手を大きく回避するようになる。

 治療を終えた柱たちも戦線に復帰し、金髪の剣士の赫刀がさらに身を削るようになる。

 生き残った鬼殺隊が全て自分に向かってくる。痛手を負わせるでもなく、ただただこちらを足止めするためだけの、戦闘とも呼べない立ち回り。

 

 本当に、羽虫のようにしつこい奴らだ──

 

 

 ガヒュ

 

 

 それに反応できたのは、噴出口周囲の肉の蠕動に聴覚で気づけた善逸と悲鳴嶼、宇髄と、肌で空気の動きを知覚できた伊之助の四人だった。

 今まで吸気しかしていなかった無惨が、それらを突然逆転させたのだ。吸われないようある程度の距離を開けて剣を振っていた他の剣士たちは皆、近距離から吐き出された、圧縮された空気の直撃を喰らっていた。

 柱たちによって動きを制限されていた触手が解放される。それに気づいた善逸はそれでも前に進む。ここで手を緩めれば日が出る前に無惨に逃げられてしまうから。残った鬼殺隊員は二十にも満たない。隠のほとんども無限城に引き込まれたと聞いた。

 

 今この機会を逃せば、無惨を殺せる機会を永遠に失うことになる。

 そんな焦りが自分にあったことは自覚している。

 糸から伝わるまれちーの制止の意思も伝わってくる。

 それでも止まれるはずがない。

 背中をまれちーに任せて、無惨へと向かう。

 

 

 ガヒュ

 

 

 音は、善逸の背後から聞こえた。

 善逸の背後に回っていた触手が、彼の背中と繋がっていた糸を吸息によって巻き込み、切断したのだ。

 無惨の右腕が、触手を七本引き連れて自分に迫ってくる。あと数瞬後には、自分は全方向からあの孔によって全身を抉り尽くされることになる。

 善逸、と叫ぶ声を耳が拾った。

 それでも、踏み込む。

 

 ──雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃<神速>

 

 触手に囲まれるより一瞬早く、片足を犠牲にして駆け抜けた。以前より鍛えられた右脚に痛みが走る。無惨の首筋に切傷を与えながら交差し、奴の背後に着地する。

 狭い隙間だった。一瞬でも躊躇していたら死んでいた。

 

 左腕一本と引き換えに命を長らえたのだから上等だろう。

 

 腕一本でもまだ戦える。

 四人で踏ん張っている彼らも、まだかすり傷だけだ。

 吹き飛ばされた者たちも死んでいない。

 まだ大丈夫。まだ──

 

「終わりだ」

 

 依然触手を振り回す無惨は、静かに口にする。

 

「貴様らの体に私の血を混ぜた」

 

 それは、膝を折るには十分な絶望だった。

 

「鬼にはしない、大量の血だ。それは貴様ら人間には猛毒と同じ」

 

 ふん、と無惨は鼻で笑う。

 

「全身の細胞を破壊されて死ね」

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