鬼になった社畜【完結】   作:Una

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第8話 社畜さんお逃げなさい

 い、犬鼻少年の覚悟に感動したから協力するのであって、別に注射お姉さんにビビってるわけじゃないんだからね!

 ごめんなさい、本当はめっちゃビビってます。

 ちょっと会話するだけでダイナミック自殺を強制するお方ですよ? そんな人に頭下げられてみろよ、断れるわけないじゃん。血尿出るところだったわ。そんなのお願いじゃないよ、お願いという名前の強制だよ。課長も同じことやってたわ。慌てて頷いて頭上げてもらったけど、そのせいであいつの愛人と遊ぶ時間を捻出するための休日出勤を強いられたし、あいつ課長の俺に頭下げさせたんだぜ、なんて話を広めやがってな。

 

 

 というわけで献血である、が。ここで問題が発生した。

 採血しようとしたら針が刺さらなかった。

 肌にささろうとした針がグニ、とひん曲がったのだ。

 あら、と首を傾げた注射さんかわいい。

 というか、その針どうなってるんですか。手品用のゴム製ですか、なに遊んでるんですかね。

 

「違う、貴様がそれだけ硬くなっているんだ。鬼は人間の血肉を食えば食うだけ強さと硬さ、を……」

 

 七三の言葉が途中で途切れる。

 そりゃね。俺は人を食ったことなんかないからね。あんなもの口に入れたがる神経がわからん。

 

「……どういうことかはわかりませんが、これでは検査ができませんね」

 

 血が欲しいだけなら自分で出せますよ。はいクリムゾンロード。

 俺の指先から伸びる血の触手を、机に置かれた試験管に伸ばす。その蓋を開け、触手の先端を3滴ほど中に注いで再び蓋を閉めた。

 

「器用、ですね。今のがあなたの血鬼術でしょうか。くりむ、なんですか?」

 

 ちょ、聞き返すのやめてくれます?

 実はこんな名前つけたこと微妙に後悔してっから。

 

「気になるのです。学者肌なのでしょうか、一度気になると眠れない性質で。クリム?」

 

 拾わないで! そこから話を広げたって俺の心に傷がつくだけだから!

 

「おい貴様、珠代様が聞いているんだ、クリムソン? とはなんだ」

 

 なんだよぉ、俺をいじめてそんなに楽しいの? せっかく血を分けたのにそんな扱いおかしいよ! なんでそうやって俺の会社員時代を思い起こさせようとするの? ちょっと言い間違えたり上手いこと言おうとして滑っただけでさ、なんて言ったのか何でそんなこと言おうとしたのかってネチネチとさ。その場のノリとか流れってあるじゃん。周りの会話の流れに乗って発言しただけなのに、なんで俺の時だけみんな会話が止まるわけ? 俺が口開くだけで舌打ちとかおかしいだろ。

 

「チッ、戯言はいい、さっさと答えろ」

 

 つら。

 

 

 

 

 

 七三とは絶対仲良くなれないことを確認しつつ、俺は注射さんの使い魔だという三毛猫のミィと、犬鼻君の妹さんと戯れていた。

 なんとなく気になったので、血液の簡易検査の結果を聞こうと思ったのだ。それまでの暇つぶしである。

 猫じゃらしをパタパタ振ると、ミィだけでなく妹さんまで寝転がって前足でじゃれつくのだ。

 超癒される。

 鬱と診断されて以来圧迫されていた思考回路の回転速度が回復しているような気さえする。

 

 で、その検査結果だけれども。

 俺の血を塗布したスライドガラスを顕微鏡で覗いた注射さんは「……えっ」と呟いた。

 な、なんですかそれ、すげえ不安になるんですけど。

 医者が不用意に患者を刺激するのやめていただけませんか。会社の定期診断でやった血液検査の結果見た医者の「うわ……」て顔が思い出されるわ。あなた酒飲みすぎですって、いやここ半年一滴も飲んでないから。そう言ったら「じゃあストレスですかね。肝臓ボロボロですよ」ときた。「何か心当たりはありますか」て、心当たりしかねえよふざけんな。24時間年中無休オールウェイズ心当たりだわ。

 

「恐らく、鬼舞辻無惨があなたにとりわけ多く血を与えたのでしょう。十二鬼月か、それに準ずる程の濃度です」

 

 注射さんが言うに、この世で人間を鬼に変えることができる血はそのきぶなんたらという鬼の血だけらしい。そいつの血が入ると人間はその細胞が変質し、強大な膂力と不死身レベルの再生力を得る代わりに、日光の弱点化と人食欲求、そして『呪い』を受けるのだと言う。

 呪いってなんぞ、またオカルトなものが出てきた。

 

「鬼舞辻の呪いの効果は多岐に渡ります。鬼舞辻の名前を初めとしたどんな情報でも口にしただけで体が自壊するように設定されていますし、鬼同士の共食い強制や、鬼舞辻に対する忠誠心の付与など」

 

 マジか。なにそれこっわ。俺のいた会社なら幹部待遇で迎え入れるレベル。群れることができないって、ストも起こせないし多分労基に相談することもできないんじゃないか。マジ特別顧問枠。

 

「本来血を大量に受けた場合、細胞の変化する速度に体が追いつかず崩壊します。にも関わらず、あなたは人の形を維持し、人食欲求に抗う強靭な理性を持ち、かろうじて人格を保っている」

「理性が強靭であるというより、狂人の理性であるだけかもしれませんよ」

 

 なんでちょいちょい人をディスるのか。

 違うから。社畜は人間としての本能を自己暗示でねじ伏せる能力を習得してるんだよ。上司に叱られてるときや飲みで延々と愚痴を聞かされるときも、自分に暗示をかけて、相手を尊敬してる、敬愛している、あなたの言葉に本当に感じ入ってますって、心の底から思うことができるように自己改造できるものなの。そうでもしないと、表面的な相槌なんてすぐ見抜いて来るからねあいつら。精神改造できるやつから出世していくから。そうでないやつは速攻病んで病院送りからの自主退社だから。そんなサバイバルをくぐり抜けてきた俺にとって鬼の本能なんて意味ないから。

 

「狂人は独自の規則を自分に課し、それを守ることに並ならぬ執着を持つからな。お前の中の規則が、人を食うこととたまたま相反しているために鬼の本能を抑え込めただけ、ということだ。いいか、お前は決して優しさから人を食わないわけじゃないからな、勘違いするなよ」

 

 人の話きけよ。なんで嫉妬心むき出しでマウント取ろうとしてくるのか。俺のこと嫌い過ぎじゃない?

 すると七三は俺の首に腕を回して周りに聞こえない程度の小声で、

 

「嫉妬ではない。貴様が、自分が珠代様より人間に近いと勘違いしているかもしれないからそれを正してやっているだけだ」

 

 意味わかんね。どんだけ注射さんのこと好きなの。

 どんだけ〜。

 

「な、うぐ……!」

 

 七三が赤面して黙ってしまった。

 男がそれやってもキモいだけだからな、勘違いするなよ。そんな嫉妬心をばら撒いてると注射さんも扱いに困るよ。年の差もあるし、注射さんが君を鬼にしたんだから母子的な感情を持たれるのはしょうがないとしてもさ、二十年も二人で暮らしてて未だに関係が進展してないって、え〜きも〜い、DTが許されるのは二十歳までだよね〜。もっと泰然と、余裕を持って振る舞わないと、いつまでたっても子供扱いだぞ?

 

「き、貴様! 大きなお世話だ!」

 

 七三が照れ隠しでパンチしてきた。驚かせるため、殴られたところからクリムゾンロードの触手を撒き散らして大怪我大出血したように見せかけ、仰向けに倒れこむ。

 ま、まさか一撃で心臓を破壊するとはな。だが覚悟せよ、我を倒したところで第二、第三の俺が現れ貴様の恋路を応援してやる。

 こめかみに全力トーキック食らった。

 お前、俺が鬼じゃなかったら死んでたからね。眼球飛んでったやんけ。あ、しかもそれ踏み潰された。

 俺の右目がぁぁぁぁ。

 

 まあ、クリムゾンロードですぐ直るんですけどね。

 触手を伸ばして散らばった細胞を回収して元の位置に並べ直して、細胞間を触手の棘で接着しておけばオーケー。インテグリーン。

 だから何度でも七三を煽ることができるのだ。

 あ、待って、脚やば、股関節はそんなに広がんないから。関節、関節はダメだって。なんで大正時代の人間がヒールホールドなんて知って、

 ぐああああああぁぁ。

 

 

 

 

 犬鼻君はその後すぐに妹さんを箱にしまって出発した。

 犬鼻君には黄色い髪した鬼殺隊員がいたらよろしく、と伝えて別れを告げた。俺は流石に、好き好んで真昼間のうちに外出する気もなく。日没までは注射さんのところに厄介になることにした。この場所が鬼にバレてしまったため、日没と同時にこの屋敷を引き払うことにしたらしい。その引っ越し準備をクリムゾンロードで手伝おうと申し出たら断られた。個人のカルテもあるし、精密機器なんかもあるから医療の知識が無い方には触らせられない、とのこと。しかたないので日没まではミィちゃんと遊んでようかと思ったけど、あの子は犬鼻君について行ってしまったんだと。七三の能力で姿を消して。

 マジか。一気にやることなくなったんですけど。

 仕方ないので、座敷牢に入れられてる鬼相手に猫じゃらしを振ってみた。

 そしたら、今まで牢を破ろうと柵に齧り付くだけだったのが、猫じゃらしを目で追って必死に前足を伸ばして奪い取ろうとしてくる。

 なかなかの好反応である。

 躾次第でお手や待ても覚えるかもしれない。

 そしたら側にいた看守の女性がマジギレで飛びかかってきた。

 ビンタではない、拳を握り込んでのガチ殴りである。マウントを取って、体重を十分に乗せたマジ殴りだ。歯が二本飛んだ。ちょ、やめてクレメンス、なに、なんでそんなに激おこなの。

 半泣きの看守さんの話を聞くと、牢にいるのは看守さんの旦那さんらしい。それを畜生扱いされて腹が立ったのだと。

 マジか。鬼の嫁になるとかマジ度胸ありますね。

 

 

 七三に屋敷から蹴り出された。

 編笠とお面がなければ完全に蒸発していた。

 

 

 

 とぼとぼと道を歩く。

 時系列が違っていたらしい。

 鬼になってから嫁になったのではなく、結婚してから鬼になったらしい。

 というか、鬼になったのは昨日のことだとか。

 言っといてくれよ、それ知ってたら奥さんの前で猫じゃらし振ったりしなかったって。隠れてこっそり振ってたって。

 ホウレンソウて大事だよね。社長の誕生日会なんかが企画されてな。企画したのは社長本人という時点でもうかなりやばいけど、その会場が変更になって、それを俺だけ知らされなくてな。元々の会場予定だった居酒屋に一人で行ってな。そこで本来なら予約がキャンセルになったことを店員さんに教えられて、同僚に電話なりして本来の会場に駆けつけることもできたんだろうけどさ。たまたま似たような名前の会社がその店を予約してて、店員がたまたま聞き間違えてその席に案内されちゃってな。で、俺って人の顔とか名前覚えるの苦手だからさ、そこが自分の会社だと勘違いしたまま酒を楽しんじゃってな。二次会まで楽しんでから「で、あんた誰?」なんて言われて、次の日にはなぜ私の誕生日会に来なかったのかって社長直々に詰められてな。

 

 そんなことを考えながら歩いていると、ようやく日も暮れた。

 そこそこの距離を走ったのに、結局町に着くことができなかった。そのため森の中で野宿しなければならない。木の根元あたりが寝心地が良さそうだ、というわけで近くの森に踏み込む。つーか七三に追い出されなかったらあの屋敷で一泊、いや二、三泊してもよかったのに。あの二人があそこを引き払った後なら好きに使えただろうし、なんだったらまれちーとパンクを探す拠点にしても良かった。黄色い頭で汚い悲鳴をあげるビビりを見つけたらあの屋敷に来てくださいって、住所といっしょに伝言を頼みまくれば、そのうち再会できていたかもしれない。

 惜しいことをした。

 どこか別のところに拠点を作れれば、と。

 そんなこと考えながら笠と仮面を外し、服も質屋で手に入れたスーツに近い洋服に着替える。寝る時はスーツでないと落ち着かないのだ。

 しかし、寝る支度を終えた俺の前に、森の奥から人影が現れた。

 

 それは青年のようにも、妙齢の女性のようにも、子供にも老人にも見えた。

 帽子の下から覗く整った顔立ちはどこか作り物のようで、柔和な笑顔を浮かべながらもその内から滲み出る威圧感はまるで隠せていない。

 なにより、鼻をくすぐる香り。

 いい匂い成分だ。

 先の、屋敷で鞠を投げて遊んでいたメガカイリキーとは桁が違う、濃厚すぎて吐き気すら覚える香りの強さ。その体そのものが、いい匂い成分の結晶でできているのではないかと疑いたくなる。

 

「こんな存在が生まれるなんて、思ってもみなかった」

 

 それは青年の声で、俺に向かって言った。もしかしたら近くに別の誰かがいてそっちに話しかけているんじゃないかと思ったけど、そんなことはなかった。

 青年の赤い目はまっすぐに俺を見据えている。

 俺の中にある社畜としての本能と、鬼としての理性が、どちらも最大限の警鐘を鳴らしている。




そろそろ試験が迫っているので、来週の土曜日まで連載をお休みします。

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