暖かな日差しが、窓から差し込んで来る。小鳥の鳴く声が響く。ラウ・ル・クルーゼはゆっくりと目を開いた。
(……生きている。)
彼はゆっくりと毛布を除けると、寝台から起き上がる。自分の身体を見下ろしてみると、病院で支給されるような、病人服を着用していた。いつになく、身体の調子が良い。手足をぐるぐると回し、首を回し、一通り全身の動きをチェックする。何処にも故障は無い模様だ。
(わたしは……。あの化け物、人間サイズだったが、決して人間ではないあの化け物に撃墜された……。まるで悪夢だった。いや、まさか本当に夢、か?あれだけの重傷を負ったはずが、後遺症も何も無く……。
いや、まさかこちらの方が夢なのでは無いだろうな。)
クルーゼは窓に近寄り、外を眺める。青い空、輝く海、白い砂浜。この建物は、海辺近くに建てられている様だ。ここは断じてコロニーではない。プラントのコロニーの様な砂時計型でもないし、ヘリオポリスの様なシリンダー型でもない。こんな平坦で広大な……。水平線まで見えて、その水平線が微妙に丸く見えるなど……。これは、地球の風景だ。
(……日差しが、暖かい。……!?仮面、が、無い!?)
彼は顔にあたる日差しの柔らかい暖かさから、彼が仮面を着用していないことに気付く。しかし彼は一瞬焦ったが、すぐに落ち着きを取り戻した。と言うか、開き直った。
(何をいまさら……。ここにわたしを運んだ者がいたとして、その者たちが、わたしを着替えさせたのだろうさ。仮面はその時に取られたのだろう。いまさらどうにもならん。
……?誰か、来たな。)
己の憎んでも憎み足らない血筋に秘められた、超感覚とも言える能力で、クルーゼは何者かが部屋の外の廊下を歩いて来るのに気づく。そして、扉がノックされた。
「……どうぞ。」
「失礼する。……もう大丈夫な様だな。一度ならず、心の臓が止まっていたのだがな。運が強い……。」
「貴方は……。何処か、で?……!?」
覚えのある気配に愕然とし、クルーゼは身構える。それを相手は笑い飛ばした。
「ははは、馬鹿な真似をするな。丸腰どころか、うすっぺらい病人服一着しか着ていない裸同然の恰好で、わたしに勝てるわけが無いだろう?」
「……たしかにそう、だな。生身で宇宙を飛翔し、シグーの攻撃は何一つ効かず、逆に一瞬でシグーがズタボロにされるのだからな。」
「まあ、こちらは「獣神変」していたのだがな。」
「じゅう……しん……へん?」
そう、クルーゼの部屋を訪ねて来たのは、クルーゼを撃墜した上で、ここクロノス本拠地シラー島まで連れて来た、アルーミック・ミラービリスであったのだ。
アルーミックは、クルーゼをそれでもあまり刺激しない様に、やわらかい口調で用件を告げた。
「さて、我が主……いや、我々の組織のトップが君に会ってくださるとの事だ。けっしてご機嫌を損ねない様に。懐の深いお方だが、だからと言って怒らないわけでも無いし、怒らせたら最後、命は無いからな。」
(普通、自分の組織の上役について語る時は、その対象について敬語は使わないものだが……。いや、そこまで常識無しの人物には思えん。となると、その相手とこいつの間には身分的にとんでもない差があるのかもな。)
クルーゼは口に出したわけではなかった。心の中だけで思ったに過ぎなかった。しかし……。アルーミックは口を開く。
「ああ、その通りだ。あのお方とわたしでは、地位に天と地の差がある。まあ、これでも組織のNo.2ではあるのだがな。」
(読まれた!?)
「読んだわけではないさ。そちらが思考を垂れ流しにしているに過ぎんよ。精神感応力を持っている以上、わたしにとって君は、静かな場所で全力でもって絶叫しているのに等しい。もう少し訓練したまえ。くくく。」
「……放っておきたまえ。と言うか、貴方もなんらかの形で精神感応力を持っているのだな。
さて、だがこの格好でそのお方にお会いするには、失礼ではないのかね?」
微笑んだアルーミックは、壁に多数ならんだスイッチ類……灯りやエアコンのスイッチも含まれていると思われるが、それのうち1つを押す。すると壁の一部が、ガコンと音を立てて観音開きに開いた。その中は、ウォークインクロゼットになっている。
そしてクルーゼは、そのウォークインクロゼットから、階級章の類がついていない、礼服としても使用できそうな軍装を選んで引っ張り出す。彼はさっさと着替えると、ウォークインクロゼット入り口扉の裏に姿見の鏡が付いているのでそれを使い、着こなしをチェックする。
いや、しようとした。
「……!!」
「どうしたね?」
「か、顔が……。わたしの顔が!!」
そう、本来クルーゼの顔は年齢に見合わず老いており、それを隠すためもあって彼は仮面を身に着けていたのである。だが鏡に映ったその顔は、怨敵ムウ・ラ・フラガに良く似ていた。否、そうではない。恨み重なる彼のクローン元、アル・ダ・フラガの「若い頃」に酷似していたのだ。そう、「若い頃」だ。
彼はピタピタと自らの顔を叩く。その掌には、彼が失敗作クローンであったが故の急速な老化によるシワが、まったく感じられない。明らかに彼は若返っていた。
「ああ、わたしたちの仲間、ドクター・ベサントが君の負傷の治療をするついでに、愚か者ユーレン・ヒビキの行った雑なクローニングによるテロメア問題等々、いろいろな身体トラブルを治療してくれたそうだ。片手間だがね。」
「馬鹿な……。片手間、だと?」
「うむ。片手間、だ。」
クルーゼは激昂する。
「アレが……。わたしが苦しみ、嘆き、死を恐怖し!!この20と余年もの間、ずっと……ずっと思い悩んできたアレが、アレが!!片手間で解決できるほどの!!そんなモノでしか無かったと言うのか!!わたしの20年は、アレはなんだ!!何故もっと早く、現れてくれなかったのだ!!そんな!そんな!!」
「わたしには君の苦しみ悩み恐れはわからんよ。そこまでわたしの精神感応は強くはない。……だがな。君には悪いが、われわれにとっては……。」
そこでいったん言葉を切り、アルーミックはとどめを刺す様に言った。
「「片手間」に過ぎんよ。ラウ・ル・クルーゼ……いや、「ラウ・ラ・フラガ」と呼んだ方が良いかね?」
「!!うぅ……。
うぉ、ぐうううぅぅぅおおおああああ゛あ゛あーーーッ!!あああーーーッ!!」
クルーゼは崩れ落ち、そして号泣しつつ床を拳で何度も殴りつける。それを見遣りつつ、アルーミックはため息を吐いた。
そして薄暗い、しかし「主演」の周囲だけは明るく照らされている、まるで謁見の間の様な広い部屋に、クルーゼは通された。彼は思う。
(いや……間違いなく謁見の間、なのだろうな。)
彼は「主演」ではない。いいところ、「ゲスト出演」だろう。彼はそう感じる。「主演男優」は、既にそこに居た。彼は玉座の様にも見える、高機能端末が供えられたシートに座っている人物を、無礼にならない程度に見遣る。アルーミック・ミラービリスの話によると、その人物の名はサマエル……この秘密結社クロノスの、頂点に立つ人物であるらしい。
クルーゼは、その人物を一目見て理解した。
(ああ、これは駄目だ。勝てない。)
そして彼は、赤絨毯の上に膝をつき、頭を深々と下げて臣下の礼を取った。本音では、床に伏して服従を誓いたいところであったが。
サマエルは、眼前で臣下の礼を取っている男の評価を少々上げた。
(一般の民草程度しかプレッシャーを感じさせない様にしていたつもりだが……。その欺瞞を貫き、わたしの本質に気付くか……。)
そして彼は、クルーゼに声を掛ける。
「顔を上げたまえ。」
「ははっ!この度は閣下と部下の方々のお力添えを持ちまして、九死に一生を拾い、なおかつ……。」
「ああ、やめたまえ。気恥ずかしくて、背中が痒くなる。……それで、これからのお前の事なのだが、残念ながら我々の事を知られた以上、素直にプラントに返してやるわけにはいかぬのだ。勝手に連れて来ておいて何を、と思うかも知れぬがな。」
「いえ、もはやザフトに居る理由は無くなりました。わたしは……今まで怨讐のためだけに、燃え尽きようとする命を強引に薬物で繋ぎとめておりました。そして世間に……人類社会に対する復讐を成し遂げるため、ザフトを利用していたのです。ですが……。」
彼の前に跪くクルーゼの瞳は、恨みや憎しみから解放された、澄んだ水色をしていた。ただ、未だ怒りはあったが。
「……正直、いまだに何が起こったのか理解できておりません。自らの感情さえも制御できていないのです。怨讐も憎しみも、以前までの自分を支えていた柱でありました。その梯子が外されてしまい、己の立脚すべき場所が見いだせなかったのです。ザフトに戻る事には、もはや何の意味も感じられません。
サマエル閣下、いえ我が主サマエル。どうかわたしを、このクロノスに置いていただけないでしょうか。そして我が主のため、働ける場所をいただければ、幸いにございます。」
「……ラウ・ル・クルーゼ。その言葉、相違ないか?「これ」を見ても、同じ台詞を吐けるか?」
サマエルは右手を掲げた。次の瞬間、その場にいた者達全てが……サマエルを含めた全ての者が、異形へと変じる。
獣化兵、超獣化兵……そして獣神将。秘密結社クロノスの主戦力であり、そしてその根幹を成す存在だ。
「お前がこの組織に留まると言うならば、お前も我らと同じ異形の存在となってもらわねばならぬ。くくく、我らから言わせれば、獣化できぬ者たちの方が旧人類であり、半端者なのだが、な。ことに、宇宙に浮かぶ砂時計に住まう、新人類を標榜する輩たちは、道化にも劣る。
してクルーゼ……。いかがする所存か?」
「わたしの意思は変わりません、我が主よ。どうか、わたしをクロノスの末席に加えていただければ、この上ない幸いに存じます。どうか、お願いいたします。」
「……よかろう。ホレイシオ、お前にこの者を預ける。編制中のMS・MA部隊を率いる指揮官型超獣化兵として、調整のプランを早急に作成し提出せよ。そして資質のチェックは最大限に行え。その結果如何によっては……。目をつけていた者が『エイプリル・フール・クライシス』で喪われてしまったのでな。浮いているゾア・クリスタルを授けるやも知れぬ。」
ドクター・ホレイシオ・ベサントと、クルーゼが頭を下げる。
「御意に……。」
「ははぁっ!感謝いたします、我が主よ!」
サマエルは満足げに頷いていたが、ふとある事に気付き、再度クルーゼに声を掛けた。
「ところでな。本当にプラントに未練はないのか?」
「……ザフトには、欠片もございません。なれど……。
我が主サマエル、この上お願いをするのは厚かましいと言うものでございますが……。ザフトではなく、プラントそのものには1つだけ……2人だけ、心残りがございます。実は……。」
そして、クルーゼは言葉を続ける。その言葉を聞いたサマエルは、自らの考えがあたっていた事に対する小さな満足を感じつつ、クルーゼの願いを叶えるための命を下した。
士官アカデミーに在学中の候補生レイ・ザ・バレルは、身元引受人であり保護者である遺伝子工学者、ギルバート・デュランダル博士の元に呼び出されていた。そこには3名の黒服の男たちが同席している。レイはデュランダル博士に問いかけた。
「今回の急な呼び出し、いったい何があったのです?この人たちは?」
「レイ、何も言わずこの荷物を持って、彼らと共に宇宙港へ向かえ。わたしも後から行く。」
「ギル!?」
「詳細は、荷物の中の手紙に書いている。」
デュランダル博士は、アタッシュケースをレイに押し付けると、黒服の男たちのリーダーに、小さく頭を下げる。
「レイを頼みます、ガシュタル殿……。」
「任せてくれ。必ず彼は送り届ける。」
「ま、待ってください!ギル、せめて……。」
「クルーゼが……ラウが、生きていた。お前を待っている。」
「!?」
ヘリオポリス襲撃作戦においてMIAとなり、まず死亡したと考えられていたラウ・ル・クルーゼが生きていて、自分を呼んでいる。レイの心は決まった。
「わかりました。ガシュタル殿……でしたね?よろしくお願いします。」
「ああ。時間が無い、急いでくれ。デュランダル殿、本当ならば貴方も連れて行く様に命じられておるのですが……。」
「何、ちょっとした感傷さ。決着をつけてからでないと、共に行く事はできない。」
「……意思は固い様ですな。では……。」
ガシュタルは2名の部下と共に、レイを促して歩き始めた。レイは一度だけ振り返り、そして前を向いて歩きだす。目指すは宇宙港だ。
そしてレイは今、銃撃戦の真っただ中にいた。遮蔽物の陰で、ガシュタルが溜息を吐く。
「やはりデュランダル博士邸は、見張られていたか。」
「見張られていた!?なんで!!」
「パトリック・ザラ評議員は、身内でも信用していない、と言う事だよ。それにデュランダル博士にプラントを去られては、色々と困るのだろうさ。」
「……ギル!!」
急ぎ、デュランダル邸に戻るべく踵を返しかけたレイの右腕を、ガシュタルの部下が掴む。
「放してくれ、ギルが!!」
「大丈夫だ。自分が行って、救出してくる。ラモチスC-108、ラモチスC-109、あらかじめ獣化を許可しておく。必要な場合はためらわず使い、追手を殲滅しろ。……ではな、レイ君。わたしは博士の救出に向かう。まあ、その前に今撃って来ている連中は、わたしが片付けるがね。」
次の瞬間、ガシュタルの姿が変わる。ビリビリと黒服を突き破り、2mを軽く超えるトカゲと人のあいの子の様な姿があらわになった。レイは一瞬、恐慌状態に陥る。悲鳴を上げなかったのが、奇跡だ。
「では行って来る。」
「「ご武運を。」」
「くくく、あの程度の相手に言う言葉じゃないな。ではな。」
ステルス機能を使い、透明になった超獣化兵ガシュタルは、間断なく銃撃を送り込んで来る敵兵4名を瞬殺し、そのままデュランダル博士の確保に向かった。レイは自失状態であったが、必死に自分を取り戻し、落ち着こうとする。ラモチス、と呼ばれた者たちの片方が、レイを急がせようと声をかけた。
「プランBに移行する。近場の緊急用エアロックから脱出するぞ。そちらに迎えが来ているそうだ。」
「あ、あの人は……。あ、あなたたちも?」
「?……ああ、獣化の事かね。その通りだとも。我々2名は通常型の獣化兵、ガシュタル殿は正式採用タイプ中では最高峰の超獣化兵と言う差はあるがな。」
「頭がパンクしそうだ……。」
ラモチスC-108は笑った。
「慣れておいた方がいいぞ。これから君が行く世界では、あたりまえの、と言うよりも基本的な事柄だからな。」
レイは、とりあえず考えるのをやめて、促されるままに近場の緊急用エアロックへと向かった。
そしてプラントから、レイ・ザ・バレル、ギルバート・デュランダルと言う稀有な才能を持った2名が失われた。何者かによる誘拐と判断されたこの事件は、しかし未解決に終わる。デュランダル博士が失踪直前に会っていたとされるザフト士官タリア・グラディスは、この事件への関与を疑われて一時拘束された。だが後に彼女は、証拠不十分で釈放されている。
クルーゼ、陣営乗り換えです。と言うか、下手するとゾア・クリスタルですよ(笑)。
まあ妄執も晴れているので妙な事にはなりませんが。ただいかに妄執や怨讐が晴れたと言っても、それで全ての怒りを捨てきれているわけでは無いのですがね。