しばらくザイの発生もなく、少なくともアメリカは平穏だった。
なぜアニマに対して理解がないのかが判る程度には、ザイの脅威がない。日本では厳戒体制でも、アメリカはそういうわけではないらしかった。
ソレイユ社のアニマ、ビゲンは珍しく社内を散歩している。ヘルメスブルーのロングヘアーが、歩く度にさらさらと揺れた。
特に目的の無い散策であったが、彼女がふと外へ出た時だった。
(……騒がしいわね。なにか問題?)
入り口ゲートに、白衣の男性を先頭にした数名の人間たちが足止めされている。
ただ、それを止めているのは歩哨のオペレーターだけでなく、セイイチの姿もあった。社長自ら歓迎しない相手となると、よほど厄介な相手か。興味を抱いたビゲンが足を一歩踏み出すと、力無く何かが彼女のジャージの裾を引っ張った。
振り返った先に居たのは、真っ白な肌をした小さな少女。サスペンダースカートに、肌と同じくらい白いブラウス。胸元の赤いリボンがアクセントになっている
何より特徴だったのは、梅紫色の髪だった。地面まで届くような長い髪をポニーテールに結っているから、手入れしていない訳ではないのだろうとビゲンは推測する。
少女は光の無い瞳でビゲンを見上げ、無表情のままジャージを引っ張り続けていた。
まるで『行くな。早く場を離れろ』とでも言いたげだが、彼女は一切声を発する事はない。
「……まさかアンタ、行くなって言ってる?」
意思を汲み取るようにビゲンが問う。目の前の人形のような少女は、小さく頷いた。
少しだけ引っ張る力を強めた少女はビゲンを連れ、その場から離れた。ふと、ゲートから男の声が聴こえる。
「早くF/A-18E-ANMを渡せ! でなければ、会社ごと始末してもいいんだぞ!?」
ビゲンに、その怒声が聴こえる事はなかった。
□
少女に連れられ、ビゲンはステラ社敷地の端にあるくたびれたハンガーにいた。
すえた匂いがして、天井は崩落したのか陽光が射し込んでいる。だが、間違いなく少女とビゲン以外に人の気配は無かった。
そもそも、こんなところには誰も近付かないだろう。なぜステラがこんな危険な建物を放置するのかは、ビゲンには知るわけもなく。
それよりも疑問は目の前の少女だった。民間軍事企業に出入りするには、あまりにも幼いように見える。いや、その常識が通じていない理由はビゲンには分かっていた。
「アンタ、アニマなの?」
古びたカーペットの上で、スケッチブックにぐりぐりと絵を描いていた少女はビゲンの問い掛けに、顔を上げただけだった。
否定の声をあげる事も、ましてや首をかしげもしない。眉一つ動かさないどころか、表情筋一つ動かない。
「アンタから連れ出しといて、訊かれた事を話す気も無いってワケね」
苛立ちも隠さずビゲンは語気を強めた。少女は少しの間真っ直ぐにビゲンを見つめて、すぐにスケッチブックに視線を落とす。
握ったクレヨンで描いているのは絵ではなく、文字だった。
『Je suis Super Etendard. Je ne peux pas parler parce qu'il n'y a pas de corde vocale』
フランス語らしい文字。ビゲンは目を細め、唸りつつ意味を読み解いていく。
(『私はシュペルエタンダール。声帯が無いから声が出ない』って……? 確かに、人間らしくはないから、アニマだとは思ったけど)
ビゲンが空を仰いだ。「一体ステラはどれだけアニマを維持しているのか」と、もはや変な笑い以外出るものがない。
シュペルエタンダールと名乗った少女は、天井を見上げるビゲンのジャージをくいくいと引っ張って注目を引く。
スケッチブックには、更に別な文字が記されていた。
『Dans diverses circonstances, je suis né ici en France. Mais je ne retournerai jamais dans le pays』
またビゲンが頭を悩ませる。ソレイユでは事務仕事もやっていた関係で、多言語エンジンは有しているものの、母国語と英語、日本語以外を続けて訳すはめになるといささか頭も疲れてきた。
「『諸事情あってフランスで生まれて、ここにいるけど国に帰る気はない』ってトコか……なんで?」
『Je ne peux pas expliquer. Je ne connais pas les mots pour expliquer』
またスケッチブックに新しい文字が綴られた。さすがのビゲンも疲れからか眉間を揉んで、深いため息をつく。
「説明できないって、なんで? 説明する言葉が無いって意味わかんないわよ。声が出ないだけなんじゃないの?」
シュペルエタンダールは何も答えない。スケッチブックも元々枚数が少なかったからか、新しく文字を綴るページも無いようだった。
代わりに、小さな手はスケッチブックの最初のほうのページを切り取って、ビゲンへそれを差し出した。
受け取り、綺麗に切り取られたページを見るビゲン。文字ではなく、絵だった。クレヨン絵の割には、比較的繊細で解りやすいように描かれている。とはいっても、多少の推理が必要なことに変わりはなかった。
「人がたくさん……向かい合ってる?」
シュペルエタンダールが差し出したページには、人が何人も描かれている。ただ、一人は他の人間と対するように描かれていて、その後ろにいる小さな人物を庇うようだった。
ページの隅には『
まるで意味が分からない。ビゲンも質問を投げようとは試みるが、シュペルエタンダールは大きく吸い込まれそうな紫色の瞳を向けるだけで、何もアクションは起こそうとはしなかった。
仕方なく廃ハンガーを出ると、ちょうど良くトムキャットが待ち構えていた。
腕組みして足を鳴らす様子を見るに、相当気を張って待っていたようだ。
「シュペルエタンダールに会ったみたいだね、ビゲン」
「やっぱりアンタは知ってたのね。で? あれは何なの?」
シュペルエタンダールは答えなかったが、トムキャットならば受け答えは出来る。
暫し顎に手を当て悩むしぐさを見せるトムキャットは、絶対に口外しない事を条件に口を開いた。
「EU流のアニマの作り方を知ってるかい、ビゲン」
「まあね。一機のドーターに、サブのアニマを複数用意する使い捨て。理には叶ってるかもしれないけど、人道的とは言えないわね」
「私たちは人か? ザイの部品が人道を語っても仕方ない」
トムキャットは自嘲気味に笑って、それから真っ直ぐにビゲンを見据えた。
「EUの成功例はラファールMだけだ。タイフーンはやられたらしい。で、ラファールのアニマを大量生産したはいいが、その中に彼女は居たんだ」
「まさか。奴等だって反応すれば気付くでしょ」
「フランスはラファールのドーター化に注力していた。そんな中、事故で生まれた退役機の反応をチェックすると思うかい?」
やれやれだな、とトムキャットは深いため息と共にかぶり振る。
「ラファールに反応しなかった彼女は、声も感情を表現する術も与えられず、廃棄待ちの存在になった」
「それが、どうしてPMCに?」
「脱走したんだ。廃棄寸前に、“工場”からな。手引きがあった、とは聞いている。会社にあったシュペルエタンダールが反応を示したのを知っていたのは、セイイチだ」
まさか、とビゲンが眉を潜める。しかしトムキャットはあくまでも確定的でない、と切り捨てた。
「とにかく、セイイチはシュペルエタンダールを社に迎えドーターオペレーターとして働かせている。フランスの工場で破壊されるのを待っていた彼女を救った、と言えば聞こえはいいな」
「でもそれじゃあ、フランスからの信用は……」
ビゲンの問いに、トムキャットは迷わず頷いた。フランスへの直通はすでに不可能であると。
しかし、セイイチには別な繋がりがあるとも彼女は語った。
「ラファールのアニマが、どうも彼と連絡しているらしくてね。シュペルエタンダール関連は、ラファールが隠匿している――って、噂だよ」
「わかんないわね、この会社」
「だろう? でも、アニマである私たちも平等に立場があるんだ。ザイの部品だとか、彼らは気にしない」
それよりも、とトムキャットは切り出す。彼女が指したのはビゲンが持つスケッチブックのページだった。
そもそもビゲンにも良く分からないもの故、トムキャットの知恵も借りようと手渡してみると、彼女の表情はすぐに険しくなっていった。
「シュペルエタンダールがこれを?」
そう語るトムキャットの言葉には、緊迫感があった。
「どうして彼女がビゲンにこれを……。ビゲン、このページを借りるよ。セイイチに訊きたいことが出来た」
「良いけど、答えわかったら教えてよ?」
「ソレイユを巻き込む問題になるなら、ね」
すぐに踵を返し、駆け出したトムキャット。残されたビゲンの後ろで、シュペルエタンダールは強まった風に長い髪を揺らして、無表情に立っていた。
文字を綴るのに使ったスケッチブックの裏面が、風で捲れて露になった。
トムキャットとシュペルエタンダール本人と、セイイチ。そしてもう一人、明るい青で髪を塗られた少女が仲良く手を繋ぐイラストが、そこには描かれていた。
ページにはこう綴られている。
『
シュペルエタンダールちゃん。
昨日か一昨日かにイメージをつくって、ようやく出せました。
出したかったんです、シュペルエタンダール。