はて、なんのことやら?(
「あれ? ビゲンはいねーのか」
ライノがステラ社を離脱してから数日。ルフィナはふと、いつもはどこかには必ずいる仲間の姿がないことに気が付いた。
ライノがいないと知られてから、シュペルエタンダールを始めとして社の雰囲気は最悪ともいえた。家族として、米軍に引き渡すまいとしていたシュペルエタンダールの願いも叶わず、ライノは社のために自ら米軍へと戻って行ってしまった。
そのことを彼女が知るわけもなく、私室に籠ったまましばらく出てきていない。セイイチは状況を理解しつつ、だがシュペルエタンダールの気持ちも痛いほどにわかっていた。だから、強く出ることは出来ずにいた。部屋から無理やりに引っ張り出して、仕事をさせるのは酷だと考えていた。
ただ、検査にも非協力的となれば話は別だ。アニマは定期的な検査と投薬が無ければ一月も生きられない、デリケートな存在であるが故、放っておくわけにはいかなかった。
「ビゲンなら、先ほど社長に言われてどこかへ出かけましたよ?」
ふと、クフィルがルフィナへ声をかけた。
出かけた? このろくに知らない土地のどこへ行くんだ?
ルフィナの問いは言葉にならず、そのまま呑み込まれた。
□
「社長様が直々に私に何か用事?」
ビゲンの姿がない、と話題に上がる数時間前。彼女はセイイチの執務室に呼ばれて、ソファに腰かけていた。
コーヒーカップを片手に、彼女はあくまでも余裕を見せつつ眼前の男を見据えている。
「ライノについてだ」
「あら、まだ彼女自身の決定に心残りが?」
ビゲンが問うと、セイイチは『いや』と素直に否定する。そうではない、と。
「シュペルエタンダールから、何かもらったんだろ? トムキャットが言ってたぞ」
「ああ、あれ返してもらってなかったけど……」
「悪いな。ただまあ、あの絵は彼女の願いそのものだった。ライノと、トムキャットと、俺と彼女と。皆で、笑ってみたいって」
小さく息を漏らしつつ、セイイチはソファの背もたれに背中を預けて語る。
「だけど、そんな夢が叶う前にライノは離れちゃったからな」
「まどろっこしいわ。わざわざ
ビゲンはあまり長ったらしく話をされることは好まない。物事は簡潔に分かりやすく、それが彼女だった。
そんな彼女にセイイチは笑いで返す。見込んだだけはある、と。彼は一つの端末をテーブルに滑らせると、ビゲンへ手に取るように促した。
「マクラーレンのキー? アニマに車運転しろって?」
鍵、と呼ぶにはいささか未来的なデバイスとなっているそれを怪訝そうに眺める。セイイチは迷うことなく肯定し、今度は手早く仕事の説明へ移った。
「ライノを少しでいい……連れ出してほしい。シュペルエタンダールに、せめて別れじゃないんだって彼女から伝えてもらうべきなんだ」
「厳重な米軍基地に車で乗りこんで? 配属空母が決まってたら?」
「いや、ライノには連絡をして、まだテスト段階で艦載はされてないって聞いてる。それに怪しまれない時間帯も聞いてある。いなくなったと奴らに気付かれる前に、彼女をここから基地に送り返す。その為には、ぶっ飛んだ運転ができる人間が欲しいんだが……」
セイイチは語る。「あいにくと、そんな輩はアニマにしか思い当たらなかった」と。
彼は少なからず、トムキャットからの報告でソレイユ社での彼女を知っている。銃撃の気を引くために車を使ったこと、大の車好きで、アニマにしては異常なほどの運転技術もあること。
どこで習ったのか、それもわからないままだが適役はビゲンしかいないとセイイチは考えていた。
「時間なさそうね、ギャラは後で――いや、これはあんたの為だけじゃない。シュペルエタンダールの為なのよね?」
立ち上がったビゲンの問い掛けに、セイイチは確かに頷いた。
納得したように声を漏らすビゲン。部屋を出るために踵を返し、背中越しに彼女は言った。
「家族の為なら、ギャラのやり取りはナンセンスだわ。ただ、危険手当くらいはもらうからね」
執務室を後にして、車の置かれているらしい格納庫へ向かう。戦闘機用では無いようだが、ついてみればそこは広大なショールームのようだった。
ヒュウ、と口笛一つ吹いて並ぶスーパーカーの数々を眺めていくビゲン。借りたキーを操作すると、一台が甲高い警告音と共にアニマの女を迎え入れた。
戦闘機とは違う進化を遂げたスピードへの答えがそこにあるようだった。RCS低減や、空中機動性向上の為とは違う、丸みを帯びたデザイン。エンジンやブレーキを冷やすための多数の空気取り入れ口がボディのそこかしこに空いている。
「やりますかね、それじゃ」
斜め上に開いたドアから運転席に座り込み、エンジンスタートボタンを押す。これも戦闘機とは違ったものだった。通常の戦闘機でも無ければ、ダイレクトリンクのような複雑さとも違う。ただボタンを押すだけで、背後から獰猛な唸りと振動が返ってくる。
紺色のボディは格納庫の灯りに照らされ、ビゲンのスイッチ操作で、平たいボディラインに一体化していたリアウィングがフラップのように跳ね起きる。
数回エンジンが吹かされ、車はリアタイヤを滑らせながら発進した。シュペルエタンダールの願いを乗せるために。家族をもう一度、たとえほんのひと時でも揃えるために。
□
数時間後、紺色のスーパーカーは助手席にサファイアブルーの輝きを持った少女を乗せたまま、ゲートを猛スピードで通過し、スピンターン。180度正反対を向いて停止した車から、焦り気味にビゲンが這い降りる。
「急ぐわよライノ!」
「わかってるけど、ちょっとこれはクレイジーすぎない? 大作カーアクションに参加させられてる気分だったよ」
思いの外時間が経過していたのか、ビゲンは頻りに時計を気にしつつ、ライノを宿舎へ引っ張る。
向かった先はもちろんシュペルエタンダールの私室だった。閉じこもるシュペルエタンダールをなんとか外へ呼び出そうと四苦八苦する研究スタッフたちをかき分け、ビゲンはサービスドレス姿のまま連れてこられたライノを部屋の前へ案内する。
「シュペル……いるんだよね?」
静かなノックと共に、ライノは部屋の内側へ呼びかけた。ドアに耳を当ててみると、物音はしている。逃げ出したり、倒れたりはしていないようだった。だが、まだ紫色の輝きは姿を現さない。
ドアに手を添えて、ライノは俯き加減で語った。
「ごめんね。本当は、ちゃんとシュペルにも相談すべきだったんだよね」
固唾をのんで見守る研究スタッフたち。ただ、その心中も穏やかではない。米軍に籍を移したライノを連れ出した事もそうだが、シュペルエタンダールのバイタルもまた、危険かもしれないのだ。
米軍が乗り込むのが先か、シュペルエタンダールがライノの言葉を聞き入れるのが先か、宿舎の廊下には一種の緊張が走っている。
「あたし、少し勘違いしてたみたい。皆に言わないで出た方が、きっと混乱しないって……そう思ってたんだけど。違ったね。もっとしっかり話をして、みんな――みーんなと! 思い出作ってさ、それから行くべきだったんだ」
ドアに添えられた手が、小さく握られる。まだシュペルエタンダールはドアを開けようとはしていないようだった。
「もうあたしはここにはいられないけど、それは別れじゃないんだよ。あたしたちは、同じ空でずっと、ずぅっと! 繋がってるの! ねえ、あたしはもう向こうに行って何日かしたけど、皆のこと、忘れてない。でもシュペル、もう意地を張っちゃダメだよ。君が倒れたら、今度はあたしが怒る」
がたん、とドアの向こうで何かの物音がした。研究スタッフがざわつき始める。よもや倒れたのではないか? 最悪の事態まで想定に入り始めていた。
「開けて、シュペル。お願いだから……」
願うように瞳を閉じたライノ。不意にその扉が開かれて、ライノがバランスを崩す。慌ててバランスを取ろうとすると、彼女は部屋の主であるシュペルエタンダールに抱き留められた。
まるでずっと待ち望んでいた家族を離すまいと抱きしめる子供のように、その小さな両腕でライノを全力で抱きしめている。
「せめて記念写真くらい撮って、シュペルに渡したら? また会えるんでしょ? 一段落したら」
一連の出来事にも口を挟まず眺めていたビゲンが、ようやく口を開いた。時間がない。邪魔をすべきではないと分かっていても、半ば誘拐同然にライノを連れ出しているとあっては、猶予は無かった。
ならばせめて、形に残せるものを。ライノは「それでいい?」とシュペルエタンダールへ問い掛ける。小さく悩むようなそぶりを見せて、彼女はうなずいた。状況が理解できないほど、彼女も子供ではなかった。
ただ少し、わがままになりすぎただけだった。本当は部屋から出なければいけない、ライノがいない事実を受け止めなければならないと分かってはいた。
まさか、ここまで事態が大きくなるとはシュペルエタンダール自身考えてすらいなかっただろう。
「はいはい! 研究スタッフのみんなは一旦、はける、はける!」
しっしっとスタッフたちを手で払いながら、ビゲンも共に離れようとすると、シュペルエタンダールはその服の襟をいつかのようにつかんで引き留めた。そしてかぶりを振る。『みんな一緒』だと言いたげに、スタッフにも手招きして、呼び寄せていた。
シュペルエタンダールの生活感がまるでない部屋に押し込められたスタッフたち。カメラはデジタルカメラを用意して、タイマーと共に棚へ置いて高さを合わせた。
みんなで集まり、ライノはシュペルエタンダールに肩を寄せて満面の笑みを見せた。
写真撮影のその後、再びビゲンはライノを車に押し込めて走り去っていった。その車の後ろ姿を、シュペルエタンダールは少し見送ってから、研究スタッフの誘導に従って検査へ向かった。
□
ライノのフォローもあったのか、一連の騒動でステラ社が米軍と問題になることはなかった。ただ、紙一重だったのは言うまでもなく、間違いなくビゲンの働きあってこそなのは間違いなかった。
蒼天を、スマートなシルエットの単発機が飛んでいく。マリーヌ・ディヴェールの濃い紫が輝くシュペルエタンダール-ANMは元気よくロールし、上昇していく。
ドーターのコックピットには、先に皆で撮った写真が大事そうに貼り付けられていた。ライノに頬を寄せ、カメラを見ているアニマの少女はどこか小さく微笑んでいるように見えていた。
写真には目立たないように、文字も添えられていた。シュペルエタンダール当人の文字だ。
『
その写真に少し視線を配らせて、シュペルエタンダールはドーターを旋回させる。その機動には、いつも以上のキレがあるように見えた。
まっすぐ、青い空を見る。その空のどこかに、きっとライノもいるのだと彼女は信じて、機体を加速させた。家族のサファイアブルーを想起させる、青い空めがけて。
と、いうわけで。15話です。
半分車小説に化けそうになったのをなんとか抑えつつ……。
分かる方向けにお話しすると、今回出てきたのは720Sというスーパーカーです。かなり好み分かれる形してますけど……。
いやいや、車の話しに来たんじゃないんだよ。
バッドエンドになってしまったお話を目にしていない方がいる方を祈りますが、あれは個人的にも投稿後に「やべえ、やりすぎた」と思う話でして……。
多分、あの話からしたら200パーセントくらいハッピーエンドです。これ。
ライノは離脱、ただしシュペルエタンダールへの思い出も残して、アメリカ編は実はこれで終わりです。
次は――みんな大好き日本、つまり独飛編でございます。まだクーデターには触れないのよ……。
次回もぜひ、楽しみにしていただければな……と思います。
あと、からふる☆でいず!もまだネタが一つあるので、そっちもちゃんと書きたいと思っておりますよ。
では皆さま、また次回お会いしましょう。