Su-35SK-ANMフランカーことカバーネーム、ルフィナが帰投してから社内は騒然としていた。
主に機体への負担を考慮しないルフィナの飛ばし方に問題があるが、それ以上に彼女たちはPMCだ。傭兵であり、戦うことで金をもらう。今回のクライアントは特にいない、という現実が最大の問題だった。
「あーもう。うちらがザイのFOB見つけたのはいいけど、お陰で金にもならないのに無茶苦茶やってくれたわねぇ」
気だるそうに頭を掻きつつ、廊下を歩く女が呟いた。
上下ジャージ一式に、ぼさぼさとした長髪が屋内の明かりに照らされてヘルメスブルーの輝きを放つ。とにかく、その見た目は周囲からひどく浮いていた。
「頼む、ビゲン。ルフィナじゃ計算ごとは出来んし、クフィルは検査にいってるだろう?」
ビゲンと呼んだ女の傍らを歩く社員らしい男が必死に頭を下げている。
「ギャラ以外の計算苦手なの知ってるでしょ?」
ビゲンは呆れたような深いため息と共に目をつむる。社員の男は引きそうに無く、心底仕方なしであるが彼女も折れるしかなかった。
「しゃーないか……」
「助かる! 今はアニマの手も借りたいからな!」
「今度アイツに言っといて、次は手掛けんなって」
「お前が言わないのか? アニマとドーターの部隊統合で一緒に飛ぶんだろ?」
「冗談! 私はギャラ以外に興味ないの。あんなアドレナリン中毒と一緒にしないで」
ふん、とビゲンは男からふて腐れたように視線を逸らせた。彼女も同じアニマとして空を飛ぶこともあるが、ドーター整備中につき専らデスクワークをこなしていた。
ルフィナだけが空へ飛び立ち、ギャランティーも発生しない任務で乱暴に機体を痛め付けただけとあっては、何度考え直してもビゲンには腹立たしく思えた。
しかしアニマとはいえ、立派な一社員である。ビゲンの仕事にも給料は発生している。無論、ルフィナにも。
(ったく! アイツが散々楽しんでるのにもサラリー払われてんのに! ちっと苦労する気にはならないのかしらね)
ちくちくと今何処にいるかもわからないルフィナへ、ビゲンが恨み言を突き立てていく。
「じゃ、頼んだ! 計算終わったら、俺の端末まで見積もり送ってくれ」
「その前にグリペンに電話するわ。遅れたらキッチリ残業するから、残業代宜しくね」
「ちょ、オイ勘弁してくれ。Su-35SKの塗装がやり直しなんだぞ? 残業代出すくらいならキッチリ休ませろって上から言われてる」
「じゃあルフィナから引きなさいな。私はキッチリ貰うものは貰うわよ?」
スマートフォンを取り出しつつ、社員の男を一蹴するビゲン。これ以上はビゲンも絶対に引かないと社全体が理解している。
余計な事をすればビゲンがストライキを起こしかねない。実際何度か起こしたこともあって、その際は本当に“何もしなかった”。ザイが現れていれば大惨事になっていたかもしれないと叱責しても知らん顔で『払わない方が悪い』と言い放って見せる始末。
ルフィナも厄介だが、そうなったビゲンも相当に厄介だった。しかしルフィナは戦闘において優秀で、ビゲンもまた戦闘と事務処理両面で会社に貢献しているのだ。
廃棄しようにもするわけに行かず、国家プロジェクト単位でPMCに預けられた彼女たちにデータにならない行動をさせるわけにはいかなかった。
ルフィナはPMCで生まれたアニマ。ビゲンはPMCで研究、製作され、適合機体がビゲンであると発覚したのちにスウェーデンからドーター用機体調達を行ったアニマである。勿論スウェーデンには常時データを提供している。
「あ、もしもーしグリペン? どう、上手くやってるー?」
気楽に電話している彼女は、永世中立国家であっても重要なデータの塊なのだ。
『私は元気に日本で暮らしている。あまり頻繁に電話を掛けないでほしい』
「寂しいこと言わないでよー。ご飯は? ちゃんと食べてる?」
『……食べてる』
「グリペーン? もしかして、また際限無しに食ってないわよね?」
沈黙。気付けばビゲンの周囲には誰もいなくなっていた。電話口には通じないだろうに、ビゲンは暗い笑顔で応答を待っていた。
『ち……ちゃんと言われたように――』
『グリペン! これで良かったのか? えーっと、ケンタッキーの……あ、悪いグリペン』
『け、慧!』
「ほー……」
にわかに騒がしくなる電話の向こう。ビゲンの間延びした声が、グリペンと呼ばれた少女に突き刺さったようだった。
「いや良いんだよ。グリペンの給料だしね? たださ、彼氏の前で食いまくるのはどうよ」
『慧はそんな私でいいと言ってくれている。問題は起きていない』
「太ってない?」
『運動しているから大丈夫。問題ない』
「じゃあ、慧に代わって?」
『う……』
口ごもるグリペン。暫くしてから、慧と呼ばれた青年が通話を引き受けたようだった。
『ビゲンか?』
「おひさー。グリペン、最近また食べてない?」
『そうか? 俺は特に気にしてないけど……』
「甘やかしたら際限無く食うよ? たまにはそっちからビシッと言ってよね」
『ああ、了解。っと、そうだ。そういえばもう日本には来ないのか? 騒ぎになりそうだけど、仲間と一緒にさ』
「行きたいけど暫くはムリね。ウチのバカが盛大にザイと大立ち回りしたせいで、ドーターの整備も追い付かないの」
廊下を歩きながら、ビゲンは慧との会話を続けていた。途中にあった窓の前で立ち止まった彼女は端末を耳に当てたまま、窓辺へ歩み寄る。
曇り空はまだ続いていた。雨が降りだしそうで降りださない、分厚く暗い雲が頭上を覆っている。
『ビゲン?』
「あ? ああ、ごめん。暇が出来たら個人的に行くから。グリペンにはちゃんと言っといてねー?」
『わかったって。ビゲンは姉だしな』
「そうだよー? んじゃ、仕事戻るから。じゃねー」
終話。待受画面に戻った画面を見つめつつ、本日何度目かのため息を漏らすビゲン。
空を飛ぶこともなければ、今やっているのはルフィナの尻拭いにすら等しい。次に顔を合わせたら一発頬をはたいてやろうか。ビゲンはルフィナがどう言い返してくるか予測を立てつつ、今自分に任された仕事をこなすために歩き出した。
□
今日は社屋のあちこちが騒がしい。ザイにPMC一社単位でぶつかって、無事に済んだのは奇跡だった。
無論、ルフィナというアニマとドーターSu-35SK-ANMの活躍あってのものだ。裏でビゲンたちが処理に悲鳴を上げることになっても、人死にが出なかっただけ奇跡なのだ。
「ありがとうございました」
社屋、研究室の前で小柄な少女が深々と頭を下げる。切り揃えられた髪がさらさらと揺れる。カメリアの輝きを纏うようなその髪を軽く指で掻き分けて、少女は研究室の前から立ち去った。
向かう先はハンガー。少女もまた、アニマだった。KFIR C7-ANM、ミラージュベースの戦闘機でドーター。イスラエルの協力で、クフィルは生まれた。
40年以上使われ、今もなお改良の続く機体らしくルフィナともビゲンとも違って礼節を弁えた彼女はおとなしかった。
「クフィル! 少しいいか?」
無言で歩いていたクフィルを、白衣を羽織った社員が呼び止めた。
「エイベルさん? まだ何か?」
「いや、クフィルには無い。問題はルフィナだ」
語る研究員、エイベルは白衣のポケットに手を突っ込んでかぶり振る。
「相当暴れたようだというのは知っていますけれど……」
「ああ、まさしくだ。お陰でビゲンまで会計に駆り出されちまったからな。さっきも愚痴のメッセージ来ててな……」
エイベルの話を聞いたクフィルは困ったように笑う。彼女にとってはいつもの光景であるものの、その度に会社単位で忙しくなるのだから他の部署は堪ったものではないだろう。
「ビゲンさんはまだ仕事を?」
「まだまだ掛かるだろうな……。とりあえず、ルフィナに会うことがあったらよろしく頼む」
「はい。あの人を抑えるのも、私の仕事だと思うので」
「本当にお前がいないと、アイツはどこまでも暴れるからな……」
「じゃあな」と離れていくエイベルへ小さく頭を下げて送るクフィル。研究室に戻っていく白衣を暫し見送って、彼女は再びハンガーを目指した。
□
「げっ、クフィルかよ」
ハンガーには三機のドーターが収められている。その中の整備員が群がるSu-35SKから少し離れた場所にルフィナはいて、クフィルを見つけると心底嫌そうな顔で憎まれ口を叩く。
「今日はずいぶん活躍されたそうですね?」
「なんだよ、聞いてる話だろ?」
クフィルの存在が、少なからずルフィナを身構えさせる。恐いもの知らずのルフィナが唯一苦手とするのが、クフィルだった。
「ただ、むやみに暴れたのはいただけません」
「勝てばいいだろ? そりゃ、ビゲンが喜ぶような金にはならなかったけど……」
「それ以上にドーターは大事にすべきです。ビゲンも怒りますよ?」
「もう既にキレてんだろ、アイツ……」
ルフィナの読みも鋭い。キリキリと痛む胃を押さえるクフィルはルフィナに聴こえない程度に小さく唸った。
自分がいない程度でこんなに大事になるのか、と無力さを嘆く。
「会計、手伝いましょう」
「ハァ!? アイツの仕事じゃん!」
「じゃあ整備をやります?」
「む……」
クフィルが提示するのは、ルフィナが嫌がる事ばかりだ。ふてくされたように口を尖らせるルフィナは下を向いて唸っている。
どの選択肢も有り得ない。機嫌の悪さを体現するように、スカイグレイの髪もどこか光が無かった。
「まさか、嫌なんですか……?」
「まさかってなんだよ!? 普通イヤだろ!?」
「でも、迷惑はかけてますよね?」
「ザイ落としてなお責められる理由がわかんねぇよ」
話はいつまでも平行線を辿りそうだった。とはいえ、クフィルも諦めて折れるほど優しくはない。彼女の任務にはしっかりと『ルフィナに仕事をさせること』というものも入っているのだ。
アニマとは人間ではないが、少なからず彼女たちには仕事をする感覚が刷り込まれている。国単位で生まれていないがために、少々刷り込みも特殊だった。
「じゃあビゲンさんを手伝いに行きましょう。手伝っておけば、あとで叩かれる事も無い筈ですから」
「いやだから――待て! 離せよッ! テメエ、アタシの半分も飛べないクセに生意気だぞッ!」
「航続距離は地上では関係ないんですよ? ほら、行きに飲み物でも買って差し入れましょうね」
嫌がるルフィナを引き摺ってクフィルはハンガーを出ていこうとする。必死に抵抗するものの、ルフィナはずるずると引き摺られていった。
「イヤだー! 頭使いたくない!」
駄々をこねる様は小さな子供のそれである。クフィルの方が外観は幼いものの、精神年齢では逆転していた。
ルフィナは戦闘のセンスはアニマらしくずば抜けているが、頭を使うことはからっきしである。直情型というべきか、ありのままの感情で考えたことがそのまま真っ直ぐ出てくるタイプである。
憎まれ口も、彼女は一切感情を誤魔化さないからこそ出てくるもの。
「やっぱり一人の方が気が楽じゃねーか!」
「はいはい、行きますよ。飲み物はちゃんと私もお金出します」
「お、マジで?」
「あなたとビゲンの分はそちらで」
「半分おごりだろそれ!?」
「自分の分は自分で買いますから」とクフィル。暴れる犬のように必死に身をよじるルフィナは相も変わらず引きずられたままだ。
どれだけ暴れてもクフィルは手を離さない。ビゲンのところに辿り着く頃には、ルフィナも疲れからかぐったりとしていた。
「いやいやクフィル、使い物にならないわよこれ」
ビゲンも頭を抱えた。普段でさえ計算などろくに出来ないルフィナが、余計使えなくなったところで何の役にも立たない。魂が抜けきったようにぐったりと横たわるルフィナを眺める二人は、揃って今日一番大きなため息を漏らした。