久し振りの空戦に、アタシの身体はガタガタだった。身体的な疲れはないが、精神的に色々無茶をやった気がする。
一週間ぶりの空中戦の後、アタシ――Su-35SK-ANMルフィナは帰ってきた。
いや、厳密には
具合は悪くなるし、感覚は狂うし、しまいには『拒絶反応を起こさないだけマシ』とまで言われた。
それでも飛ばして見せた。それが、仕事だからだ。
開放されたコックピットからハンガーの天井を見上げる。
アタシを乗せたまま整備のためにハンガーへ入れられて、空は見えなくなって、無骨なライトが昼間みたいな明るさでこちらを照らしていた。
「大丈夫でしたか?」
ベルクトがまず出迎えてくれた。ジュラーヴリクたちはロシア空軍の連中とファルクラムを連行している途中だ。
一応彼女はアタシ側のアニマだ、妙なことをすれば考えがあるとは告げてある。
まあ、あのリーダーがそんな卑怯者だったとしたなら、アタシは今頃アイツを撃ち落として、唯一無二のフランカーになってるだろうが。
「あの、ルフィナ?」
不安そうにベルクトが呼び掛けてきた。
「わりー。クルー呼んでくれるか、降りれそうにない」
機体の足下――眼下のベルクトへ、アタシは呼び掛ける。
ダイレクトリンクしてしまえば、身体の感覚はドーターに行く。だから足が動こうが動くまいが関係ないが、リンクを切れば別だ。
またさっきまでの不自由生活に逆戻りする。
「わりーな、ベルクト」
クルーたちの手を借りて降り立った。アタシはまずベルクトに謝罪する。
アタシが余計な意地を張ったから、彼女は任務に参加する事が出来なかった。
だけどベルクトはかぶりを振って、気にしないように言った。
「すっかり夜だな」
「そうですね……」
少しばかり寒いか。
ようやく足も言うことを利くようになってきた。ベルクトには車椅子でなく、杖を借りれないか訊ねる。
言うが早いか、ぱたぱたと駆けていった彼女は松葉杖を手に戻ってきた。早いな、おい。
「本当に杖で大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。明日には実験も始める。ただ、ファルクラムに一度会っておきたいんだ。出来るか?」
ベルクトは少し悩むような動作を見せたが、すぐに「やってみます」と前向きな返答をくれた。
ファルクラムからも、仲間たちの状況を訊いておかないとならない。このまま別々に話を進めていくわけにはいかないんだから。
ベルクトはどこかへ電話を掛けるようなそぶりで端末を操作すると、少しアタシから離れて話し始めた。
聞こえてくる受け答えからするに、ファルクラムと会うのは前向きに進んでいるらしい。
それからすぐに、『今から』という話に転がった。
「ジュラーヴリク姉様が待っているそうです。ゆっくりで良いですから、歩けますか?」
「だいじょーぶだいじょーぶ。こういうときは、気楽に行けってビゲンが良く言うからな」
ビゲン。アイツは事態が複雑になればなるほど、一度楽観的に物事を見直す事が多い。
基本的におちゃらけたような態度は、アタシたちを和ませたりするため――らしい。少なくともエイベルはそう言っていたが、本当なんだろうか?
とにかく、今はそんな彼女の教えを守りつつ、かつんかつんと松葉杖を突く。まだ左足に力が入りやすいのが救いだった。
さほど動きに支障は出ない。ようやく車椅子を降りられて嬉しく思うが、合わせて歩くベルクトは何か手を貸したそうにそわそわしている。
広大な工場を歩くと、次第にクロームオレンジの輝きが目に入るようになった。
何人か見張りも立たせているようだったが、ジュラーヴリクはアタシたちを見つけると見張りを払ってくれた。
「大丈夫か、ルフィナ」
「オメーからそういう言葉聞けるとは、生きてみるもんだな」
「当たり前だ。実験じゃ、あんたもあたしも互いに心を開かなきゃならない。隅から隅まで見せ合って――でなきゃ、成功もねぇからな」
次の実験はいよいよジュラーヴリクと共にダイレクトリンクを行うことになる。
それも、別々にじゃない。アタシたちは文字通り
心の奥底から、概念から交じり合い、そして二人を一人としてあの機体を飛ばす事になるんだろう。
そうした時、互いの精神がどうなっているかは……考えるだけ無駄だろう。ロシアにとって、ジュラーヴリクは失うわけにはいかない戦力だ。
それを潰してまで無理にタンデムドーターのデータを取るくらいなら、今のままやればいい。それで奴等は困っていないんだから。
つまり、少なくとも正気を失うだとか、そういうエンディングは待っていないだろうということ。
「ファルクラムについてだが、あいつやっぱり撃墜は避けてたらしい。お前に迷惑が掛かるからってな」
壁に寄りかかりつつ、ジュラーヴリクは閉まりきったドアを親指で指し示す。
意外と出来てるお仲間じゃねぇか。彼女はそう言うと、そのまま手の甲でドアをノックする。
「それからな。ルフィナ、お前のことも半分は理解してた」
ノックの返答がないが、ジュラーヴリクは気にせず話を続ける。
静かな廊下に、ジュラーヴリクの声と何か金属が軋むような音が聴こえていた。
この音は室内からだ。ファルクラム、何をしてるんだ?
「半分は理解して、でも半分は勘違いしてた。色々働きかけて、取り敢えず軟禁で済ませてあるよ。入んな、許可は出てる」
ジュラーヴリクが改めて扉を顎でしゃくって示す。
遠慮なくドアを開け放つと、軋む音の正体が分かった。
基本的に軟禁状態のファルクラムに用意された部屋には、簡素なパイプベッドがひとつ。トイレは無いから、必要なら見張りを付けて出られるんだろう。
そのパイプベッドはマットレスを無造作に床へ下ろされた上で壁に立て掛けられ――
「あっ、お姉さま!」
――そのベッドの足が、ファルクラムの懸垂に使われていた。
ぎしり、ぎしりと音をたてる度に、ファルクラムは細い腕で自分の身体を持ち上げる。
「お前はサラ・コナーかよ……」
昔ソレイユで見た映画を思い出した。場所が精神病院でないことを除けば、ほぼ同じ様相だったが。
汗に濡れた白い肌が運動の負荷を物語るようだったが、ファルクラムは至って普通にこちらへ向き直る。
「あっ! 汗くさいのに、私……」
「今はそういうのいいから……」
「え? そっちの方がお好きなんです?」
「ちげーよ、色ボケ」
駄目だ。色ボケ入ってるファルクラムとは会話にならない。
だけど、話に入れば変わるのも彼女だ。突っ込みはそこそこに、本題に入る。日本から来た彼女には、いくつか訊いておくことがあった。
「向こうの状況は? 空中空母型はどうなった?」
セイイチの話をベルクト越しに知ってはいたが、改めて現場のアニマに問う。
ファルクラムは近くに掛けていたフェイスタオルで汗を拭うと、答えた。
「反応無し、です。今は空中空母型を捜索、侵攻するザイを迎撃しながら様子をうかがってます」
そうですね、とファルクラムが天井を仰いだ。
「事態は深刻だが、同時に緩慢である。というべきですか」
「なるほどな」
危険は去っていない。最大限に警戒しながら、だからといって無闇に焦るものでもないと受け取って良さそうだった。
だが、まだまだ訊くことはある。
「アタシが生きてるの、皆知ってるのか?」
「私がどういうアニマか、知ってるでしょう?」
ぞくりと寒気のする、冷たい声だった。
フェイスタオルから覗く目は、アタシを見透かすように真っ直ぐに向けられている。
「バイタルを追っといて、伝えてないのか?」
「ご想像にお任せします。ただ、私もお姉さまが死んだと言われ続けるのはイヤですし、
独占欲か。それを向けられているであろう自分がそう考えるのは憚られるが、クフィルたちに向けるあの敵意を見てはそう思うしかない。
アタシが生きてるのを知っていて、それを周りが知らない。彼女にとっては都合が良い話になる。だから話さない。行方不明程度に、周りを動かしている。
「まあ、今は不安がる必要はありませんね。ドクヒ側もアニマ過多ですし、私一機抜けても穴は埋まりますよ」
「だからってな」
勝手に部隊を外れて良いわけがない。組まれていたスケジュール全てがまとめて狂う。
そうなれば、敵に準備する時間を与える。こいつはそれさえ関係ないと?
ファルクラムに詰め寄ると、彼女はアタシの松葉杖を足で小突いた。石突が滑り、力の入らない足が身体のバランスを崩させる。
「わっ……!」
転びそうになったアタシを、ファルクラムは力強く抱き寄せた。汗の匂いがする。けれど、不快感は無い。
「私、言いましたよね?」
アタシの耳元で、ファルクラムは吐息を吹き掛けるように囁く。身体に力が入らない。
抵抗したくても、彼女の力はあまりに強かった。
「お姉さま以外要らないんです、って。今回はお姉さまの言うことも利きません」
「どういうことだ?」
「お姉さま無しでは帰らない、ってことですよ」
耳元で背筋が凍るような声がした。
それから何事も無かったように松葉杖を直すと、ファルクラムは笑顔でアタシを立たせる。
「ここは私にとっても故郷ですから。末妹として、暫くお邪魔しようかと」
「駄目だって言ったら?」
ファルクラムはくすくすと笑って。
「やーです、って言います。分かるでしょう?」
やっぱりコイツはおかしい。何かが狂っている気がする。
常識外れは見慣れたが、何かたまに猟奇的なものを感じる。
「悪いな、入るぞ」
ノックと共に、ジュラーヴリクが部屋に入ってくる。
暫く部屋を見渡して、それでも何もなかったようにファルクラムを正面に据えて口を開く。
「お前のあの機動、ルフィナと同じだな」
「当然だけど?」
「あんな綺麗に、コイツの機動に合わせられるのか? お前は」
そういわれればそうだ。前線基地作戦、そしてロシア迎撃戦でも。
ファルクラムはまるでアタシの機動をコピーしたかのように付いてきた。いくら自分の本来の器ではないとはいえ、七割は力を出せた筈だ。
それに対しても、ファルクラムは敢えてアタシと同じ機動を選んだ。
「……ソレイユ初のアニマ、Su-35SK-ANM。お姉さまのデータは、アニマの訓練シミュレーターや、パイロットの対ザイ戦のシミュレーションに使われてる」
アタシに語る口調とはまるっきり違う。敬語と言うものが、一気にファルクラムから消えていた。
「そのシミュレーションデータを利用して作られたのが私。プロジェクト『ANM-S2』、MiG-35-ANMファルクラム」
ANM-S……確か、クフィルたちもシミュレーションで使ってるって話のデータだ。
SはSoleilの頭文字になる。つまり、ソレイユのアニマ。そのデータ、ということになるらしい。
そしてそれは、アタシが飛べば飛ぶほどに情報を更新、進化させていく。
(なるほど……)
ロシアの奴等がまるで相手にならないのが分かった。
ファルクラムの根本的な機動は、アタシの
正直、まだバーバチカ隊と引き分けるのが精一杯なアタシだ。更に強化したデータを利用すれば、上回れる。あとは機体の最適化と、アニマの安定化だ。
ファルクラムはビゲン、クフィル。そしてまだ見ぬもう二人とも違う。
(ソレイユは、アタシを量産しようとしたのか)
愕然とした。いや、納得は出来る。軍ですら容易には製造出来ないアニマの完成例が、アタシだ。
そのデータを大事にしたいのも分かる。複製したくなるのも分かる。何も間違っちゃいない。
ただ、いずれ体制が変わるようなことがあれば、ファルクラムかアタシ――どちらを切っても問題ない存在になる。
必要とあらば設備やデータ、ビゲンたちを売り払ったっていい。今の社長はそういったことはしないだろうが……。
(いや、待てよ)
ファルクラムとジュラーヴリクが話すのも聴こえなくなっていた。
ソレイユはクーデターに遭ったばかりだ。体制を崩そうと目論んでいる人間がいる、ということになるんじゃないか?
だとすれば不味い。今の仕事を早く終わらせて、クーデター連中の根城を明かさなければ――
「って……」
――考えに耽っていて気付かなかった。
ふと意識をファルクラムへ向けると、綺麗な背中が見えた。汗をかいて、着替えているらしい。
下着も外してる。上半身には何も纏っていない。
「ジュラーヴリク」
「あ? なにキョドってんだ、女同士だろ?」
(違うんだよォッ!)
そうだ、ジュラーヴリクは普通だった。そしてアタシの状況も理解してない。
「どうしたんです? もしかして、気になりました?」
「振り向くな! もう一つ訊く!」
右手の松葉杖でファルクラムを押さえ付けつつ、顔を背ける。
冗談じゃない。ジュラーヴリクは知らなくても、ファルクラムは
偏見はないが、応えられないんだから仕方ない。
とにかく、最後にもう一つ気になったことを訊ねよう。
「ライノ。アイツの様子は?」
「相変わらずです。F-14D-ANMも疑ってますよ。『アメリカで何かされた』って」
やっぱりか、といった感想の返答だった。
問題は山積みだが、一つ決意した。
「“ジュラ”、ハサミあるか」
「今、なんつった?」
「ハサミ」
「違う、その前」
「ジュラ」
アタシが彼女を愛称で呼んだのを聞いてか、ジュラーヴリクは目を真ん丸に見開いていた。
「アンタが言ったんだぞ、心の奥底から繋がらなきゃならないって」
「い、言ったけどよ……」
一瞬、ファルクラムの方から殺気を感じたが気にしない。
「だから、まずはここからだ。で、ハサミは?」
「ちょっと待ってろ」
ギクシャクとした動きで部屋を出るジュラーヴリク。
少しして、彼女は戻ってきた。ハサミを受け取り、アタシは壁に寄り掛かる。
「お姉さま、何を……」
「ちょっとした、決意表明だ」
松葉杖を倒し、体重は壁に預ける。
左手で後ろの髪をかきあげ、そして右手でハサミを入れた。一息に、躊躇うことなく。
アタシの色が、床に散らばった。
「横もやるか……」
「お姉さま!」
長い横髪にハサミを入れようとした刹那、血相を変えたようにファルクラムがアタシからハサミを取り上げた。
「女の子の髪は、命と同じなんです。容易く切ったりなんてしないで……」
「ファルクラム……?」
「もう、居なくならないで。お姉さま」
ファルクラムの手が、アタシの左ほほの近くに押し付けられる。
ハサミが左手に握られていて少し恐いが、ファルクラムの雰囲気は違っていた。
ああ……。
(またアタシ、仲間を泣かせた)
ビゲンが。そして今度はファルクラムが、アタシなんかのために涙を流してくれた。
「わかった。これ以上は切らないし、居なくなったりしない。約束する」
「……」
「今回で良く分かったよ。アタシは死ねないんだな。だったら、生きてやる。アタシの使い途を、アタシが捜してやる」
「はい」
ファルクラムからの返事はただそれだけで。代わりに返ってきたのは、口づけだった。
感覚を得る前に終わった、短いキスだった。映画じゃ良く見ていたけど、まさか自分がされるなんて思わなかった。
「今日はごめんなさい。また明日、お姉さま」
「う、うん。またな、ファルクラム。ちゃんと言うことは利けよ」
なんだかギクシャクしてしまう。歯車が噛み合わなくなるような、そんな感覚。
ファルクラムの想いには応えられないのに、なんで彼女は諦めないんだろう。
ジュラーヴリクとは違うベクトルで
彼女の意志は尋常じゃない。
ベルクトと共に部屋へ戻る途中、後ろを振り返る。ファルクラムの部屋には、また見張りがついていた。
「大丈夫ですか? ルフィナ」
「ああ。明日から本格的にやろう」
「無理はしてませんよね?」
「当たり前だろ。まずはドーターに乗るより先に、ジュラとダイレクトリンクしなきゃな。そのテストなら、まだ足が不完全でも迷惑は掛けねーよ」
スノーホワイトの髪が揺れる。ベルクトはアタシが切った後頭部の髪をさわる。
「もう。無理矢理にハサミを入れるから、変になってますよ?」
「仕方ねーだろ。切り方なんて知らないし」
「私が切ってあげますから、早く戻りましょう」
「いや、それは……」
「いいですから、行きますよ」
ベルクトに急かされながら、アタシは彼女との部屋へ向かった。
明日。いよいよ実験を開始できる。ドーターの修復も始まる筈だ。
ファルクラムがここに来てしまったのは想定外だった。どこまで本心を、真実を語っているかもわからないが、今は彼女を信じるしかない。
先を行く雪のように白い輝きを追って、アタシは松葉杖に力を込める。
久々に長々書きましたゆえ……。
次回からSu-30SM-ANM計画の始動になります。
またよろしくお願いいたします!