ルフィナは空港から少し離れた病院のベッドで目を覚ました。
痛む身体に顔を歪めつつ、周囲を見渡す。水中にでもいるかのように滲んだ視界に、ヘルメスブルーの色を見つけて声を上げた。
「ビゲンか……?」
消え入りそうな声に振り返り、ルフィナのいるベッドへ歩み寄るビゲン。枕元に顔を寄せると、彼女は囁いた。
「やっと起きたか、大馬鹿野郎」
ルフィナの意識がはっきりと鮮明になっていくと、ビゲンもまた病衣である事がわかった。
「……ここ、普通の病院だよな」
「そう。バーバチカ側が上手いことやってくれたのよ。ロシアに借り出来たわね」
ビゲンはベッドの傍に椅子を置いて寄り掛かる。きしり、と少し古びたパイプが小さく軋んだ。
少し褪せた白色の壁は年代を感じさせたが、強い消毒液の匂いがはっきりと伝わる。
「アイツらが……」
ジュラーヴリクたちが手を貸した。それが少なからず、ルフィナの心を揺らす。しかしまずは、傍らで椅子に腰かけた友人についてだった。まずは、彼女に謝罪をしなければ。意を決して、言葉を紡ぐ。
「なあ、ビゲン」
「なに」
ビゲンの口ぶりには明らかな刺があった。ルフィナの経験からして、こういう時の彼女は本気で怒っている。怒鳴り散らしたりこそしないが、他者を突き放すような冷たい語調だ。
「その……ワルい。本当に」
「……何があったか、アンタ分かってる?」
「アタシのせいだろ、お前までそうなってるの」
作戦復帰を強行し、無理矢理ビゲンからコントロールを取り返した時のことは忘れていない。一瞬やけに冴え渡った瞬間はあったが、本当に一瞬でしかなかった。
ルフィナはコントロールを取り戻すことしか考えずに、半ば攻撃同然にビゲンを苦しめた。
目を伏せ、彼女は静かに謝罪を口にする。
「本当にゴメン。助けてくれてたのに、無理矢理――」
続く言葉は出てこなかった。病室に乾いた音が響く。ビゲンがルフィナの頬を叩いていた。ルフィナを睨めつけるビゲン。
「アンタは、私のこといってんの!? 本気で私から強引に操縦取り返した事を謝ってんの!?」
絶対に怒鳴らないはずのビゲンが声を荒げた。だがルフィナにはなぜ怒鳴られるのか全くわからなかった。怒鳴り返す気など勿論無いが、静かな反論だけは出来た。
「当たり前だろ。アタシのせいでお前が……」
「その程度で私は死なない。アンタのせいで死にやしない。あんまりバカにすんなよ、じゃじゃ馬娘」
「なっ――」
なんでそこまで言われる? ルフィナはビゲンの態度に理不尽さを感じ始めていた。
一方でビゲンの考えはまるで違っていた。まるで湧き出る湯水のように、ルフィナの反論も待たずに彼女はひたすらに責め立てる。
「私が怒ってんのは、ルフィナ……アンタが死にかけたこと! 一番機を、リーダーを失うことが私たちにとって一番の屈辱なのよ!」
「は、ハァ……? なんでアタシ――」
「当たり前でしょうがッ! アンタを守れなかった私達が惨めで仕方ないのに、アンタは私を心配してた。余計惨めになったわ。助けるべき相手に心配されてたなんて」
まるで感情の泉だった。あたかも今まで抑圧していたかのように、心中の思いが口を衝いて出ていた。固まるルフィナ、肩を揺らして息を整えるビゲン。
「……ゴメン。でも分かって、アンタは一番機なの。何があっても私達はアンタを守る。だけどね、守られる気の無いヤツは守りきれないのよ」
声を上げたのがビゲンなら、それを締めるのもビゲンだった。
彼女はルフィナの手を取り、自身の額を近付ける。
「頼むからさ、もうムチャしないでよ……。あれがルフィナなのもわかる。でも、アンタは確かに利かないけど……本当のバカじゃないんだから」
「ビゲン……」
ビゲンの手は微かに震えていた。強く握り締められるルフィナの手。ルフィナには彼女の手は温かく、だが何処か必死なように感じられた。
「お前……泣いてる……?」
ルフィナが問うと、ビゲンがギリギリと握り締めた手を締め付けた。
痛みに声を上げようとするが、それよりも手を振りほどくのが先だった。
「離せ! いってぇ! いててて!」
「私は泣いてない! ホラ、復唱しろホラホラ!」
「わ、分かった! ビゲンは泣いてない! 離せって、痛い!」
ぱっとルフィナの手が解放される。手を振り回して気を紛らせていると、ビゲンは椅子から立ち上がった。
もう冷たい雰囲気は感じられず、いつもの様子に見えた。ただ、少しだけ潤んだ瞳を除いては。
「分かればいいのよ。まあもう少し寝てた方がいいわ、ドーターの修理も出来るだけやるらしいけど万全じゃないでしょうね」
「そっか……」
「最悪片肺で飛ぶくらいは覚悟しなさいな。自分で壊れにいったようなモンなんだから」
それだけを告げて、ビゲンは病室を後にする。ほんの数分前とはうって変わり、しんと静まり返る。聴こえるものと言えば、遠くの医師らしき声とそれを除けば時計の秒針が時を刻む音くらいだった。
窓の向こうには、晴れ渡った空が見えている。最近はずっと天気が悪かったように思えたが、ようやく晴れたらしい。
(守られる気のヤツは守りきれない、か)
ルフィナは手で目元を覆って、ゆっくりと呼吸する。落ち着いてくると思考も回りやすかった。
自分にはドーターを限界まで飛ばすしか能がないと思っていた。実際それでザイを落としてきた。しかし、仲間から見ればそれは違った。
一人で飛んでいる訳ではない、というエイベルの言葉も、今なら理解できた。それもあまりに遅すぎたが。
(泣いてまで心配してくれるヤツも居たんだな……)
ビゲンは否定したが、ルフィナには彼女の小さな嗚咽が、手の震えと共に聴こえていた。
途中まで意識はあった。ザイに集中しすぎて、彼女は死すら認識していなかった。
「少し休むかな……」
まだ起き上がるには少し頭が痛かった。触ってみると包帯が巻かれているのが判る。頭を打ったような鈍い痛みがまだ残っている。
彼女は少し悩むように視線を泳がせてから目を瞑り、再び眠りについた。
□
「なんなんでしょうか」
カメリアの髪が風に揺れる。クフィルは引き上げる準備を手伝うために、空港に戻っていた。
元々は民間のものだ、長く居座るわけには勿論いかない。バーバチカ含むロシア航空宇宙軍のスタッフは既に引き上げ、残された軍用機はソレイユの物だけだった。
ジュラーヴリクたちはルフィナとビゲンを気にしていたが、上には逆らえない。何かあれば連絡するように言って、空へ去っていった。
それから少しして、謎の通信らしいものがドーターに届き始めたのだ。応答しても、誰かの話し声であるらしいことがかろうじて理解できるだけで内容は一切不明。
それが何度も。クフィル、ビゲン、ルフィナとそれぞれのドーターへ代わる代わる通信が入る。応答すべき主がいるのはクフィルとそのドーターだけだったが、どれだけノイズを除去しても、話し声が小さすぎて結局は聞こえなかった。
「通信を遡ろうにも、私はあまり得意ではないですし」
クフィルは小首をかしげる。意外にも通信系などはルフィナが強い。ECMやEPCCM、ディセプションジャミングといった電子戦にも秀でているのが彼女だった。普段は滅多にやらないが。
ルフィナならば、或いは判るかもしれない。クフィルは何度もそう思い至っては、その場に彼女がいないという考えに立ち返る。
「ルフィナ、嫌な予感がするとは言っていましたけれど……」
ざわつく心。スタッフたちの喧騒に紛れて、またノイズを含んだ小さな通信が入る。
綺麗に晴れ渡った空の下で、クフィルの心に不安という影が差していた。
ふう、なんとか書けまして。
私事ですが、ルフィナのドーター立体化計画が始まりました。
いや、航空機プラモデル初なんで戦々恐々としてるんですが。穴自分で空けるんやって(
私、FAガールしか組んだこと無いんですよ……。
はてさて、ロシア編は実はこれで終わりなんですよね。
次章に続きます。よろしければ、また次回も来てくださいね!