《やったぜ!一機撃墜!》
「こっちは避けられた。右の二機は俺がやるから左に逃げた奴を頼む」
《了解!》
第二波のミサイルを警戒してか敵が編隊を解く。ヴァイパーはそのうちの一機に肉薄すると、あっという間に背後に回り
「このっ、おとなしくしやがれっ!」
全身が浮き上がるほどのマイナスGに耐えながら急降下して相手を追いかける。同時に、相手を追い抜かないよう速度と機動を相手に合わせつつチャンスを伺う。そしてそれはすぐにやってきた。
「もらった!」
敵機が機首を起こして背面を晒したその瞬間、ヴァイパーは兵装発射スイッチに這わせていた指を押し込んだ。直後、パイロンからミサイルが発射、目標に向かって飛翔すると弾頭が起爆し、敵機を破片で蜂の巣に変える。
「命中!さあ次は――おっと!」
バックミラーを見ると、いつの間にか別の敵機が背後からこちらを狙っていた。今まで気づかなかったのは敵が誤射を恐れてミサイルを使わず、機銃で仕留めようとしていたからだろう。僚機が墜とされた事によほど逆上しているのかしつこくヴァイパー機を追い回してくる。だが、そんな絶体絶命の状況にも関わらずヴァイパーの表情に絶望や焦りの色は無かった。
「おいおい、そんなに俺ばかり見てていいのかよ?」
ヴァイパーの唇が孤を描いたと同時、敵機が突如火を噴いた。煙を噴いて墜ちていく敵機を炎のエンブレムが追い越していく。
《ヴァイパー、大丈夫ですか?》
「おかげでな。オメガはどこだ?堕とされて地上か?」
《こちらオメガ。生憎だが空を飛んでるぜ。右後方だ》
戦闘開始から約三十分。頭上で輝いていた太陽は今や傾き地平線に消えようとしている。ちらりと下に目をやるとではソブレフの街と黒海が夕陽を照り返して宝石のように煌めいていた。そして、赤く染まった空を同じく夕焼けで翼を赤く染めた三機の戦闘機が西に向かって飛んで行く。その光景を地上から多くの人間が見つめていた。
*
「なあ、この階段長くないか?上るれ気がしねえんだけど」
「安心してください、目の錯覚です。見かけほど長くはありませんよ」
とある日のよく晴れた昼下がり、若い男女の二人組がオデッサにあるポチョムキンの階段を前に佇んでいた。
「ちなみに実際の長さは?」
男は二十代ほどの若い男だった。下に蒼いジーンズ、上に白シャツを着たその姿は一見するとどこにでもいる若者だったが、筋肉で太くなった両腕は彼が日々尋常ではないトレーニングを行っていることを如実に示していた。
「この本によると……192段ですね。ここを上るのが最短ルートですがどうしますか?」
一方、女の方は男より更に若かった。蒼のジーンズと白のブラウスという服の色合いこそ同じものの、整った顔立ちと艶やかな黒髪、雪のように白い肌がまるでデザイナーに作られた人形のような印象を与えていた。
「なら上がるさ。ところでエージェント、場所は分かってるよな?」
「もちろんです。では行きましょう、オメガ」
エージェントはそう言うとすたすたと階段を上り、オメガはその後ろを付いていった。
そもそも何故こうして二人が一緒に行動しているのか。その理由は二時間ほど前にヴァイパーから受けた依頼が原因だった。
「お前ら、暇か?」
早朝、人もまばらな格納庫にてババ抜きをやっていたエージェントとオメガにヴァイパーが声をかけた。普段なら既に哨戒任務で空を飛んでいる時間帯だが、今日は非番であり特にする事が無かった二人は時間を持て余していた。
「まあな。こっちに来てからずっと働きっぱなしだったが、いざ休みを与えられると何もすることが無い」
「そうか。なら、これはお前らに頼もう」
ヴァイパーはそう言うとメモ用紙を差し出す。それを受け取ったエージェントは紙に記されていた内容を呼んで怪訝に眉をひそめた。そこには自分たちが乗っている戦闘機の名前と何らかの住所が書かれていたからだ。
「ヴァイパー、もしかして頼みというのは……」
「プラモデルを買ってきてくれ。車は駐車場にあるやつを使っていいそうだ」
そして現在に至る。
「それにしてもプラモデルを何に使うのでしょう?オメガ、あなたは分かりますか?」
「ああ。ほら、デブリーフィングでどういう風に動いたか毎回確かめ合うだろ?その時にプラモデルを使うんだ」
「成程。勉強になりました」
長い階段を上りきって少し進むと広場に出た。その真ん中に立っているエカテリーナ二世像を通り過ぎると、二人は街の中心部を目指して歩を進める。かつては観光地として賑わっていたオデッサだが、現在は戦争で観光どころではなくなり人はちらほらとまばらに見える程度だった。
「着きました。ここです」
電脳にインストールした地図に従って歩いていたエージェントが歩みを止めた。そこは大通りに面した小さな模型屋で、ショーウィンドウ越しに店内をのぞき込むと客の姿がまばらにいるのが見えた。キィという蝶番が軋む音と共に戸に付いた鈴を鳴らしながら店に入ると、小さなカウンターに座っていた店主であろう初老の男性と目が合った。
「いらっしゃい」
「こんにちは」
会釈を交わすと棚に並べられた模型の中から紙に書かれていた機体を探していく。フィッシュベッドとタイフーンはすぐに見つかったものの、ストライクイーグルだけが鍵付きのガラスケースの中へしまわれていた。
「すみません、ストライクイーグルのプラモデルを取ってくださいませんか?」
「あれは輸入品だから少し値が張るけど良いかい?」
「構いません」
エージェントの返事を確認した店主はカウンターの引き出しから鍵を取り出すと立ち上がってケースに近づく。そして持っていた鍵を鍵穴に差し込み、左に一周捻った。内部のシリンダーがガチャリと音を立ててガラスケースが開く。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
店主から目的の品であるイーグルのプラモデルを受け取り、買った他の二つと合わせて代金を支払う。外に出ると、いつの間にか一足先に店を出ていたオメガがガイドブックを読みながら待っていた。
「終わったか?」
「はい、頼まれた物は全て手に入りました」
時刻を確認すると丁度1時。オメガの提案で遅めのランチを食べる為に街を歩く。幸い近場にレストランがあり、店を探して彷徨う事は無かった。そのレストランは通りに面した場所にあり、黄色に塗られた外壁とそこに吊るされたいくつかの花壇がどこか牧歌的な雰囲気を醸し出していた。店内はこじんまりとしており昼過ぎという事もあってか客はエージェント達だけだ。
「こうして街に出るのは日本以来ですね」
「だな。こっちに来てからは出撃と待機の繰り返しだったし」
「航空支援に飛ぶこともありましたが、ほとんどは航空阻止で文字どうり休む暇もありませんでしたね」
「俺らがこんな調子なら毎回やってくる敵の奴らはどうなってることやら。目の下に隈でも出来てるんじゃないか?」
「いえ、もしかしたら私と同じ人形かもしれませんよ」
「お前と会う前の俺なら、有り得ないって言って笑ってたんだろうな」
オメガが小さな溜め息をついた時、頼んでいた料理が運ばれてくる。戦争中ということもあってメニュー表の殆どに提供不可の文字が書かれている中、提供できる数少ない料理の一つであるボルシチを二人は注文していた。端に置かれたスプーンを手に取り、皿の中央に添えられたサワークリームをテーブルビートで染まったスープに混ぜて口に運ぶ。
「うん、やっぱりウクライナに来たならボルシチは外せないな」
「酸っぱい……でも少し甘い。ビートが入っているからでしょうか」
「そうか?俺にはトマトの酸っぱさしか感じないけど」
「あぁ……、それは恐らく人形の――」
そこまでエージェントが喋った時、唸るような低い空襲警報が聴覚センサーを刺激した。同時にオメガのポケットから携帯の着信音が鳴り響く。
「休みは返上だな」
「そうですね。店員さん!ボルシチおいしかったです!ありがとうございました!」
二人は席を立つと、誰も居ない通りの中へ全力で駆けて行った。