孤独な悪魔は友達が欲しい   作:塩崎廻音

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プロローグ

 星に願えば夢が叶うと誰かが言った。

 別の誰かがそんなわけないだろうと言った。

 だったら試してみるよと最初の人が返した。

 それがすべての始まり。

 

 音楽が楽しいものだなんて母さんの嘘に決まってる。

 僕にとって音楽は凄く身近なものだ。それこそ物心ついたころにはもう音楽に浸かりきりの毎日だった。なんでも母さんが小さい頃に音楽家を目指していたらしく、自分が果たせなかった夢の続きを僕に託したのだ。

 ただ、僕は母さんの夢を代わりに叶えるなんて真っ平だった。自分の子供に楽器を習わせるくらいなら構わない。だけど母さんは、音楽家になるためにはこれくらい当然なんて言って僕に毎日何時間も楽器を練習するように強要してきた。

 楽器の練習だけじゃない。音楽家になるためだからと言って、母さんは学校の勉強もそっちのけで音楽理論や音楽史の勉強をさせた。父さんが学校の勉強も大切だからと言ってくれなければ宿題だってさせてもらえなかっただろう。もっとも、父さんもそれ以上は母さんに口を出せなかったみたいだけど。

 おかげで僕は友達と遊びに行ったことなんて一度もない。それどころか、友達自体が一人もいなかった。当然だ。何度遊びに誘っても「母さんに怒られるから」と断ってすぐ帰るような奴と誰が仲良くなれるものか。

 一度、クラスメイトと遊べないことについて母さんに文句を言ったこともある。だけど、母さんは友達なんてできたら楽器の練習が疎かになるからそれで良い、なんて言って取り合ってくれなかった。

 授業の合間、僕が見たこともないテレビ番組や映画の話題で盛り上がるクラスメイトの皆が羨ましくてならなかった。僕が話せることと言ったら、音楽理論の話とか作曲家の伝記とかそんなことばっかり。そんなものを聞いて誰が楽しめるというのか。

 音楽は苦痛だ。母さんの理想を押し付けられるだけだから。

 学校は苦痛だ。楽しそうに笑うクラスメイトの輪に入ることができないから。

 生きていることは苦痛だ。楽しいことも好きなものも、何も見つけられないから。

 恨めしい。僕から普通の人生を奪った母さんが。そして、そんな母さんに反抗することもできない僕自身が。

 そうして毎晩、ベッドの中で丸くなって泣くのが習慣になっていた。

 

 その本を見つけたのはそんなある日のことだった。

 数日前のコンクールでもう何度目かも分からない選外になった僕は、学校を休んで一日中練習するように母さんに言われていた。

 この頃になると僕には現実が見えていた。同世代の音楽家志望の子たちと比べて、僕の演奏の腕前は大きく劣る。足りないのが才能なのか努力なのかは分からない。だが、これではどうあがいてもプロの演奏家になるのは無理だろう。レッスンの先生も同意見みたいだ。

 母さんだけはいまだに自分の夢を諦めていないけど。

 内心では馬鹿馬鹿しいと思いつつも、僕は母さんに逆らうことができない。だから、僕は母さんの言われるがまま楽器を弾き続けた。

 練習の最中、休憩のため一時的に自分の部屋に戻った僕は、本棚に見慣れない絵本が置かれていることに気付いた。取り出してみると、古い本特有の埃っぽい紙の匂いがした。

 タイトルは『願いの宝珠』。星空から降りてきた宝珠に人々が願いを叶えてもらうという内容の絵本だった。

 その絵本を最初に見つけたときは、なんでこんな本がここにあるのだろうと不思議に思った。だって、母さんは音楽に関係ないものを買ってくれない。余計なものに気を取られて練習時間が減ると困ると言って。

 ただ、内容を見返してみると納得した。絵本の中で、人々は宝珠に祈るために音楽を使っていた。大方、母さんはこれを見せて僕にやる気を出させようとしたのだろう。音楽を続けていれば、願いは何でも叶うよと言って。

 反吐が出る。

 音楽で願いを叶える?馬鹿馬鹿しい。それが本当なら毎日たくさんの演奏をしている自分の願いはとっくに叶っているはずだ。

「…本当に願いが叶うなら、僕に友達を作って見せてよ」

 ついそう口走ってしまった事に僕はひどく赤面した。何だそれは。これではまるで、駄々をこねる子供みたいではないか。違う。僕はもう子供じゃないし、世間がままならないことを知っている。これは何かの間違いだ。

 ぶんぶんと頭を振って、その幼稚な思考を追い出す。こんなところを母さんに見られたら大変だ。ただでさえ何度も続く選外に気が立っているのだ。音楽以外のことに気を取られているなんて思われたらどれだけ怒るか想像もつかない。

 僕はその絵本を本棚の元あった場所に戻すと、何かに追われるように自分の部屋を後にした。絵本を閉じる前、描かれた宝珠がきらりと光ったような気がしたが、見間違いだと思うことにした。

 どうせそろそろ休憩の時間も終わる。この絵本を読み返している時間などない。僕の関心はもはや、いかにして母さんの怒りをやり過ごすかというその一点だけにあった。

 

 その夜、僕は夢を見た。

 ゆらゆらと、何処までも暗く冷たい水の底へ沈んでいく。不思議と息苦しくはない。でも、このまま沈んでいったらどうなるのだろうか。溺れてしまうか、それとも永遠に沈んでいって帰れなくなる?そんな想像に怯え、僕は必死にもがいて水面まで浮かび上がろうとした。

 だけど、手足がうまく動かない。まるで縄か何かで縛りつけられいるように。それでも、僕は必死にもがいて手足を動かそうとした。でも、そうやってもがいているうちにどっちが上かも分からなくなってしまった。

 そして、僕はどんどん沈んでいく。どれくらい深いのかも分からない水の底へ。真っ暗な水底に吸い込まれていく恐怖に僕は泣き出してしまった。

 そんな時のことだった。

―― La shioh lim uht, na la vinah, fia la gast sem il vih. Si lia Vin gil alim zit. La shif nyan at liem Ihla lim vinah, si gil tah daglah fi lim il. ――

 歌が聞こえる。

 水の中だというのにとても透き通ったその歌声は、すすり泣くだけだった僕の心の中にするりと入りこんできた。

 自らの孤独を嘆く、物悲しい歌。

 ふと脳裏に夜空の下ひとりぼっちで歌う少女の姿が浮かんだ。

 僕には彼女の言葉の意味は理解できなかったけど、何となくどんな気持ちが歌に込められているのかは分かった。それは多分、僕もいつも同じ思いを抱いているから。

 いつしか、僕はその歌声に合わせて一緒に歌い始めていた。そうすることで、彼女と寄り添っているような気持ちになれたから。自分が沈んでいっていることなんてもう気にならない。ただ一つ、その歌声だけが僕の関心の対象だった。

――もっと、もっと近くで聴かせて。

 自然と、そう願っていた。

 その瞬間、何かが僕を呼び寄せる感覚とともに、僕は自分が別の場所に移ったことに気付いた。水底に沈んでいく感覚が無くなり、自分の足でしっかりと立ち上がる。

 ここはどこだろう。その疑問がまず思い浮かぶが、すぐにその考えは頭の隅へと追いやられた。何故なら、目の前に現れた巨大な光の球体に目を奪われたからだ。

 ただの光ではない。いくつもの色が複雑に絡み合ったような不思議な光。それが、大きな球となって僕の前に鎮座していた。

――『(ヴィンタラ)

 自然と、その言葉が頭に浮かんだ。

 その星は眩いばかりに光り輝いていたけど、なぜか直視しても平気だった。そして、その柔らかい光をじっと見つめていた僕は、その光が脈を打つように揺らいでいる事に気付いた。

 この星は生きている。意志がある。根拠はないけど、そう直感した。

「…僕をここに呼んだのは、あなた?」

 一度だけ、星が少しだけ強く瞬いた。言葉はなかったけど、僕はそれが肯定の意味だと解釈した。

「どうして僕を呼んだの?」

 続けて問う。今度は何の反応も得られない。

 しかし、よく考えてみたら星の言葉で説明されても僕には理解できないはずだ。だから、「どうして」なんて聞いても何の意味もない。

 その時僕は、ここに呼び出される直前のことを思い出した。ここ来る前、僕が何を思っていたのかを。

「僕の願いを、叶えてくれるの?」

 再び、星が少しだけ強く瞬いた。

 驚きはなかった。むしろ、得心がいった。ああそうか、この星はあの絵本に書かれていた『願いの宝珠』なんだ。

 そして同時に、いろいろな思いが胸に去来した。なんでもっと早く。今さら望むものなんてない。願いなんて叶うはずがない。あれは作り話なんだ。もう僕を惑わさないで。

「――友達が欲しい」

 気付けば、そう口にしていた。

 瞬間、目の前の星が大きく瞬く。と同時に、僕はその星に連れられて、びゅん、と大空へ飛び立っていた。突然の事に驚いて動けない僕をよそに、星は僕を連れてどんどんと空の向こうへ昇っていく。

 突然、眼前に満天の星空が現れた。

「…ここは?」

 きょろきょろと辺りを見渡す。星はいつの間にか目の前から消え去り、僕は一人虚空に浮かんでいる。輝く満月のため周りは良く見えるが、その景色に見覚えはなかった。

 眼下に広がるのは、何処までも続く大海原。所々に魚の群れが水面を跳ねまわり、月明かりに照らされてキラキラと輝いているのが見える。そして、目を凝らすと遥か彼方に陸地が見えた。

 その時、あの歌声が再び聞こえた。

―― La shioh lim uht, na la vinah, fia la gast sem il vih. Si lia Vin gil alim zit. La shif nyan at liem Ihla lim vinah, si gil tah daglah fi lim il. ――

「どこ?!」

 思わず、そう叫んでしまう。だって、それはここに来る前にもっと近くで聴きたいと願ったものだ。会いたいと思った人だ。

 僕は必死になって歌声の主を探した。そして、遥か彼方の陸地、その海辺に、一人で歌う少女の姿を見つけた。僕は彼女に近づこうとしたけど、そもそもどうやって宙に浮いているのかも分からないのに動くことはできなかった。歩いてみようとしても足がうまく動かない。

 それでも僕は、彼女に少しでも近づこうと手を伸ばす。すると、はるか遠くにいるはずの彼女が僕の方に目を向け、その美しい手をこちらに伸ばした。まるで、この手を取って、とでも言うように。

 彼女のその仕草に応えるよう、僕はさらに手を伸ばして彼女に近づこうとする。

 そして――

 

***

 

「のぎゃっ!!」

 ベッドから転げ落ちた僕は少々品のない悲鳴を上げて目を覚ました。

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