孤独な悪魔は友達が欲しい   作:塩崎廻音

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第一話 朝

 全くもって最悪の朝だ。目が覚めたのは確かだが、誰もこんな目覚めは望んでいない。神さまは一体何をしているの?

「痛いよ、もう…」

 誰にともなくそう呟きつつ、強かに打った肩をさする。なんだか『この世界』に来てから急に寝相が悪くなった気がする。前はベッドから落ちたことなんて無かったのに、こっちに来てからは三度目だ。下の階で寝起きしているハルミアさんに落ち着きのない子だとか思われていないだろうか。

 頭を振ってそんな考えを打ち消す。この前ハルミアさんに言われたことだが、すぐ悪い方に考えるのは僕の悪い癖だ。早く顔を洗って嫌なことは忘れてしまおう。

 髪を紐で簡単に括った僕は、机の上に置かれたケースを開いてヴァイオリンを取り出す。そして、軽い調弦を済ませて、ごく単純な願いの旋律を演奏した。寝起きの状態は演奏に向いているとは言い難いけど、十年以上も楽器とともにあった僕の体はごく自然に動いていた。

――水よ、ここに。

 すると、部屋の隅に備え付けられた配管を通って井戸から水が汲みあがった。三階にあるこの部屋から見ると十メートルは下にある井戸から。蛇口から出る水のように、配管の口からざばざばと水が流れ出る。

「…やっぱ、何度やっても不思議だよねえ」

 思わず、そんな独り言が口をつく。前の世界では考えられなかった魔法のような現象、『奏術』は、数か月経って十分に使いこなせるようになった今でも信じがたいものだった。

 音楽をもって奇跡を願う。まるであの絵本がそのまま現実になったみたいだ。しかも、たった一人が簡単な曲を演奏するだけで使うことができる。

「ホント、便利だなぁ」

 いっそ無体なほどに有用な技術である。思わずため息が出るくらい。言ってはなんだがこの世界の文明レベルはそう高くない。動力は水車と動物くらい、道路はでこぼこ、消耗品も職人の手作り、上下水はイマイチ。それでも現代っ子の僕が割と快適に暮らせるのは、ひとえにこの奏術のおかげだった。

 配管の下に置いた木桶に十分な水が溜まったことを確認して、願いの演奏を止める。

「…つめた」

 楽器を置いて桶の中の水を掬い上げる。地面の下で冷えた水は冷やしたわけでもないのに随分と冷たい。寝起きの顔を洗うにはぴったりだ。

 掬い上げた水をばしゃりと顔にかけると、ひんやりとした感覚で僅かに残っていた眠気が洗い流されていく。うん。朝って感じだ。

「これで後は、熱いコーヒーでもあったら完璧?」

 無いけど。

 というか、こっちだとコーヒーや紅茶の類は嗜好品で、大衆向けではない。ハルミアさんはこっちでは珍しく食堂でコーヒーを出しているけど、値段も張るのであまり売れてはいないみたいだ。

 僕は懐かしさもあってときどき注文するけど、予算的にはけっこう苦しかったり。一杯で一日分の食費と同じくらいだろうか。頼めないことはないけどそうそう気軽には飲めない感じだ。

 他に飲み物と言ったら山羊乳かビールで、どちらも僕には馴染みがない。山羊乳は癖があって苦手だし、ビールは言わずもがな。幸い、奏術で水を浄化できるため水をそのまま飲むこともできる。これがなかったらちょっと大変だった。

 なんて、色々考えているうちに体に血が巡ってお腹が空いてきてしまった。住む場所が変わっても食欲だけは変わらない。当たり前のことだけど、こっちに来て一番実感したことだった。

「…とりあえず朝ごはんかな」

 腹が減っては何とやら。朝食は王様のように、は違うか。ともあれ、ざっくりと身だしなみを整えた僕は、ハルミアさんに朝食を頼むべく部屋を出て階下に降りていった。

 

「おはようございます、ハルミアさん」

 僕が泊っている宿の二階、食堂に降りるとちょうどハルミアさんが朝食を作っているところだった。

「ああ、おはよう。よく眠れた?昨日はだいぶ疲れてたみたいだけど」

「…まあ、昨日は偶々ですよ。お祭りが近いから仕事が多くなっただけで。でも今日は大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

「まあいいけど。あんまり無理しちゃダメだからね」

 そう言って、ハルミアさんは僕が座った席にパンとスープを置いた。食欲をそそる良い匂いが漂ってくる。この羊肉を煮込んだスープはハルミアさんの得意料理だ。

 この世界にきて驚いたことは、意外にも食べ物がおいしいという事だ。そしてそれは、食事がほとんど唯一の楽しみだった僕にとってとても喜ばしいことだった。

 母さんのせいで世間知らずな僕でも現代の食事の質というのが運送技術、保存技術、加工技術などの様々な要因によって成り立っていることは知っている。だから正直、この世界で現代っ子が満足する料理を食べられるとは思っていなかった。

 ただ、奏術によって火や水を自在に操ることができるためか、この世界の食事はかなりレベルが高かった。しかも、この街は海端であるため塩も簡単に手に入る。奏術があれば海水から簡単に塩を作ることができるのだ。流石に他の香辛料はまだ貴重だが、塩を十分に使えるだけでも大違いだった。

 そして、その中でもハルミアさんの料理の腕はピカイチだ。食材の目利き、火加減、塩加減、香草の扱い、そのどれもが絶妙なのだ。正直、なんでこんな片田舎の街に引っ込んでいるのかが分からない。

「…ん、おいしい」

 いつも通りの絶品スープに思わずそんな言葉が漏れ出す。焼きたてで熱々の黒パンも良い。

「そりゃよかった。マコトはいつもおいしいおいしい、って言って食べてくれるから作った甲斐があるよ」

「だって本当においしいですから。ハルミアさんもこの宿だけじゃなくて街の人に出せば良いのに」

 これだけおいしい料理を作ることができるハルミアさんであるが、実は彼女の仕事は料理人ではない。この宿の女将と口入れ稼業、つまりは人材派遣業だ。

 ハルミアさんは非常に懐が深い人で、訳アリで身元を明かせない人や喧嘩っ早くて煙たがられるような人でも宿に泊めてしまう。とは言え、犯罪者などの危険人物まで見境なく受け入れると言う訳ではなく、あくまで一般市民から零れ落ちた人たちの受け皿といった意味合いだけど。

 そして、そんな人たちに日雇いの仕事を斡旋するのがハルミアさんの大きな仕事の一つである。はみ出し者とはいえ恩知らずではないため、ハルミアさんの顔に泥を塗るような行為はしない。そんなわけで、仕事先では意外とまじめに働くという評判らしい。

 まあ、その分宿の中ではいつも大騒ぎするんだけど。

 僕がこの街から追い出されていないのも、そんなハルミアさんに拾われたからという面が大きいと思う。何せ身元を明かせないどころか何処から来たのかも分からない不審人物だ。自分で言ってて悲しいけど。

 僕自身そういうハルミアさんの優しさには助けられているわけだけど、それでも彼女の料理を食べるといつも料理人として働けばいいのにと思ってしまう。この街のレストランには食べに行ったことがあるが、ハルミアさんほどの腕ではなかった。

 でも、ハルミアさんにその気はないみたいだ。

「…私は元々部外者だからね。後から来てこの街の人の仕事を奪う訳にはいかないよ」

「ハルミアさん…」

 料理人になったら仕事を奪っちゃう自覚はあるんですね、という野暮なツッコミはしない。しないよ。

 さておき、僕自身もハルミアさんの宿に泊っているという事で、当然のごとく口入れの方でも世話になっている。ただ、僕の場合は奏術を使えるというのもあって、宿の他の人たちとはちょっと扱いが違うけど。

 ハルミアさんの口入れの仕事は、基本的に街の皆が労働力を必要とする仕事をハルミアさんに持ち込んで、それに適した人材をハルミアさんが選んで派遣するという形式になる。このため、派遣される人間が役に立つかどうかはその人を選んだハルミアさんが保証していることになる。

 一方、僕の場合は違う。僕以外に奏術師はいないため、奏術師を必要とする仕事の依頼は僕に対する依頼に他ならない。つまり、僕自身の信頼がなければ仕事をもらえないという事である。

 一応ハルミアさんが間に入って僕の人格もろもろを保証してくれているおかげでちゃんと仕事の依頼は来ている。ただ、未だにあまり信用されていないというのは仕事先の態度で良く分かっていた。

「…僕もハルミアさんみたいに受け入れてもらえる日が来るんでしょうか?」

 思わず、そんな弱音を吐いてしまう。元の世界ではありえなかったことだけど、ハルミアさんは弱音もしっかりと受け止めてくれるのでついつい気を許してしまうのだ。

「大丈夫だよ。マコトはそんだけうまく奏術を扱えるんだから。頑張ってればきっと皆認めてくれるよ」

「そうでしょうか…」

「そうそう。ほら、今日の分の仕事だ。一つ目は始まるのが早いから遅れないように。少しずつ信用を積み重ねるのが一番だからね」

「…そうですね。はい、頑張ります!」

 ぐっと気合を入れて、ハルミアさんから受け取った依頼書の束に目を通す。今日の仕事は鍛冶屋、レストラン、肉屋の三つ。特に最初の鍛冶屋は初めての依頼主だ。認めてもらえるよう、頑張ろう。おー!

「よし、じゃあ早速行ってきます!」

「はいよ、気を付けてね」

 ハルミアさんに食べ終わったお皿を渡して鍛冶屋へ向かう。おいしい朝ごはんも食べて意気軒昂だ。鍛冶屋の職人さんに気に入ってもらえるよう、全力で頑張ります!

 最初の依頼の集合指定は仕事始めに鍜治場にて。まだ時間はあるけど早めに行っておくに越したことはない。そう考えた僕は、朝焼けの街に向かって走り出した。

 

 楽器を忘れているのに気付いたのは宿を出て暫く走った後でした。

 取りに帰ったときにハルミアさんに笑われてしまってすっごく恥ずかしかった。

 

***

 

「…全く、そそっかしいったらないねえ」

 顔を真っ赤にしたマコトが出ていくのを見て、ハルミアはそう言った。ただ、その言葉とは裏腹にその視線はまるで我が子を見るかのように穏やかなものだ。

 ハルミアにとって、マコトはかつての自分を見ているように思えてならなかった。ハルミア自身、かつては遠い街から夫と共にこの街に流れ着いた人間である。年の頃も、その時の自分とほとんど同じ。

 だからだろうか、宿に泊めている他のろくでなし共に対してよりもずっと、ハルミアはマコトに親身になって接している自覚があった。

 まあ単にマコトがやたらと危なっかしいからかもしれないが。何せマコトは他人に対する警戒心が薄く、疑うことを知らない。異郷の地で困り果てていたとはいえ初対面の自分に何の疑いもなく付いてきたときは、この子は大丈夫なのかと本気で心配してしまったほどだ。

「一体どこのお姫様なのかしら、ってくらい純粋だものね」

 良く言えば。

 本音を言うとちょっと世間知らずが過ぎると思う。だけどそれすらもあの時の自分と同じで、なおのこと自分と重ね合わせてしまうのだ。

――自分に子供がいたらこんな子だったのかしら。

 そんな妄想がしばしば頭をよぎってしまう程に。

 子供ができないハルミアにとって、宿の皆はろくでなしばかりとは言え子供のようなものだと感じていた。彼らの面倒を見たり仕事を斡旋したりするハルミアを街の皆は優しいと言う。だが、何のことはない、それは単なる自己満足、代償行為でしか無いのだ。

 そして、そんな中でもマコトの存在はハルミアにとって特別だった。

 身元の保証もない余所者として流れ着き、街の皆から排斥され、その状況を何とか改善しようと東奔西走する。それはかつての自分が歩いた道のりそのものだ。

 だからハルミアはマコトがいつの日かこの街の皆に受け入れられるだろうと自信をもって言うことができる。少しお嬢様な性格ではあるがそれは自分も同じだったし、彼女は自分よりもずっと能力がある。きっと、このまま頑張っていればすぐに認められるだろう。

 ただ、一つ気がかりなのはどうにもマコト自身が他人との距離を測りかねていることだ。

 例えば、宿のろくでなしどもに対して。彼らがやたらと馴れ馴れしいのは分かるが、それにしてもマコトは苦手意識を持ちすぎだ。未だにきちんと会話が続いている所を見たことがない。

 街の皆に対してもそうだ。確かにマコトは警戒されているが、それでも好意的な人が全くいないわけではない。だというのに、マコトと仲良くなった街の人というのをまだ聞いたことがない。彼女がこの街にきて、もう何か月も経つというのに。

「…でも、私の時もそうだったか」

 ハルミアの脳裏に、遥か昔の情景が浮かび上がる。

 もう二十年以上も前になるだろうか。ハルミアが街に来た頃、この街の皆は今よりもずっと排他的だった。当時は今と違って街の外から来た人間が住み着くなんてことはなかったし、魔獣という外敵も多かった。街の皆がまるでハリネズミのように刺々しく部外者を排斥しようとするのも無理はなかったのだ。

 当然、余所者のハルミアが簡単に受け入れられるはずもない。

 領主代理の計らいで何とか追い出されずには済んだものの、しばらくは居場所のない日々が続いたものだった。

 そして、そんな孤独な日々の中で初めて仲良くなったのが――

「――あの子、元気かしら」

 そう言って、ハルミアは自分の浅ましさに苦笑した。

 元気なはずがない。だって、私たちは皆であの子を排斥した。それは仕方なかったとはいえ、誰一人としてあの子の味方にはならなかった。友達だと言ったはずの、私でさえ。

 彼女は恨んでいるだろうか、私のことを。私たちのことを。

 それは、ハルミアの中にずっと蟠っている後悔の気持ちだった。もしかしたら、マコトに手を差し伸べたのはそんな後悔に対する代償だったのかもしれない。

 だけどそれは、もう終わった話だ。私たちはあの子を外敵と定め、排斥し、あの洞窟に閉じ込めてしまった。それ以来、誰一人としてあの子に会いに行ってはいない。行くことを許されていない。

 あの子はただ、一人でいることに耐えられなかっただけなのに。

 そしてそれは、多分マコトも同じなのだろうとハルミアは感じていた。

 他人に近づくのを怖がって距離を置いてしまうようだが。ただ、それでも時々寂しそうな顔をしたり、大騒ぎする馬鹿どもを羨ましそうにしているのを見る。

 多分過去に辛いことでもあったのだろう。ヘタに近づきすぎて拒絶されるのが怖いのかもしれないと思う。それも、ハルミア自身がかつて通った道だった。

 だから、ハルミアは依頼にかこつけてマコトをいろいろな所へ送り込んでいた。真面目な質のマコトは依頼だと言えば初めて会う人の所にも文句ひとつなく行く。そうやって色々な人と関わっていけば、いつかは本心で繋がることのできる人も見つかるだろうし、寂しさも埋まるだろう。

 そもそも、街の皆だって余所者として警戒こそしているものの、内心では腕のいい奏術師であるマコトに興味があるはずなのだ。依頼を通して交流を続ければ、きっと近い将来には受け入れられるに違いない。

「…だからマコト、頑張ってね」

 ちょっと無責任な言い草だろうか、などと考えつつ、ハルミアは心の中でマコトにそうエールを送った。

 

***

 

 一方そのマコトは鍛冶屋で泣きそうになっていた。

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