白日   作:もう戻れないよ

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久しぶりの更新だよ。四ヶ月ぶりだよ。馬鹿野郎だよ。


闇雲

 よもや、たった四文字の言葉で時が止まるなんて、にわかに信じ難かった。

 

「好きです」

 

 四文字にして、一言。

 必要最低限で、考えうる中で最も短いその言葉に、僕は胸が痛くなった。心臓が限界まで膨張しているようだ。血の流れは勢いを増して、頭皮から不快な痒みが生まれた。

 

 目の前の、僕より少し背の高い同級生の女の子(名前は確か桐谷さん)は、耳を赤く、そして目尻に少しの水分を含ませて、僕に告白をした。

 なんの冗談だ。バレー部のエースが、なんで僕なんかに。

 

 彼女と僕の接点なんて、たまに図書室で会って、オススメの本を紹介し合う程度だ。それこそ彼女の告白のように必要最低限の関わりだ。

 

 どうして?

 なんて、そんなの聞けない。それは勇気を振り絞って(多分)くれた彼女への侮辱だろう。異性から告白をされた経験のない僕でも、それは直勘でわかった。

 

 なにかの罰ゲーム?嫌がらせ?

 そんな人の神経を逆なでする無礼な言葉を投げれるほど僕の性根は腐ってないし、彼女とそんなことをするような人間でないのは確かだ。

 

 時間にして何秒…何十秒だったかは定かじゃない。

 よく言葉を咀嚼して丸めて、口の中で転がせる。

 そしてボードの上にダイスを振り出すように、彼女に言う。

 

「少し、待ってくれないかな」

 

 声が酷く震えていたのが自分でもわかった。唇もパサパサだったから、発音がうまくいかなかったかもしれない。

 けれど彼女は素直に頷いてくれた。頷いたことで、彼女のボブヘアーが少し揺れた。

 

「わかった、待つよ」

 

 僕とは対照的な、よく通る声で、そう言ってくれた。

 

「ありがとう」

 

 手短に、僕はそう言った。

 ちょうどよく、チャイムが鳴り響く。彼女は何も言わず、駆け足でその場を後にした。

 

 忘れていた分を取り戻すように、深く長く、深呼吸をした。心臓はまだ痛い。血の流れはだいぶ落ち着いてきた。でも頭皮は相変わらず痒い。

 

 人生で初めて経験するイベントは、とんでもなく緊張して、屁っ放り腰な形でハーフタイムを迎えた。

 もう一度深呼吸をする。さっきより短めに。

 

 廊下から足音が消えた。誰かの怒鳴り声が響く。巣を作るツバメの囀りが耳に届く。

 

 好きだなんて、初めて言われた。

 でも、なんでだろう。

 僕は不思議と、何も感じていなかった。寧ろ、焦燥感が、僕の血の流れを急かしていた。

 

 

 帰り道の空模様は、随分と綺麗な雲で埋まっていた。

 隣を歩く灯織は、今日は使われることのなかった傘を握りしめて、僕の顔を覗いていた。

 

「僕の顔に何かついてる?」

 

 歩きながら、視線だけを彼女に向けて、そう聞いた。

 

「ううん、何も」

 

 すーっ、と視線から姿を消す。

 

「じゃあ、どうしたの。さっきからずっと僕のことを見て」

「うーん」

 

 小難しそうに唸る。彼女にはあまりに合わない声だ。

 

「なんだか、今日の一葉、ちょっと変だなって」

「……そう?」

 

 完全なる図星だけど。どうやら彼女は人の顔色を伺うのが得意らしい。

 

「うーん」

 

 先のことを話そうと思い悩む。

 ああいうことは他人においそれと話していいことではない、デリケートな内容だ。たとえ話すとしても、切れ味のいいナイフでリンゴの皮を剥くような慎重さで話さなければ、彼女の勇気と想いを突き刺すように裏切ることになる。

 

「話してみて」

 

 僕の制服の裾を引っ張って、車のエンジン音だけで簡単に掻き消えてしまうぐらいの声量で言う。

 

「これはデリケートなことなんだ」

「でも一葉なら、言えると思う」

「どうして?」

「一葉、言葉をちゃんと吟味して話すから」

「ん…」

 

 そんなの、露を払うよりも簡単だろう。

 言葉で無くとも、彼女の目からは、そう見て取れる。

 立ち止まって、耳を澄まして、息を思いっきり吐く。

 暫く考えて、やがて桐谷さんから保険としての謝罪を心の中で述べて、切り出した。

 

「告白されたんだ」

 

 特に驚いた様子もなく、灯織は聞き届けた。

 ズボンのポケットに手を突っ込んで、少し間を開ける。また息を吐いて、切り出す。

 

「相手は……うん、言わないよ」

「それでいいと思う」

「初めてなんだ」

「告白されるの?」

「意外?」

「うん。一葉なら結構モテると思うんだ」

「お世辞でも嬉しいね」

「そんなつもりじゃなかったけど…」

 

 不満そうに目を閉じる。

 灯織にとって、僕はどんな男前に見えているのかわからないけど、僕は彼女が言うような、万人に好かれる人柄と顔はしてない。

 人差し指で頬を少し掻いて、続ける。

 

「答えは言ってない」

「待たせちゃいけないと思う」

「わかってるけど、何もこもってない言葉を矢継ぎ早に言うのと、自分なりに頭を捻って考えた誠意ある言葉を一日明けて言うの、どっちがいいと思う?」

「……後者」

「君ならそう言ってくれると思った」

 

 告白をされたことがない僕にできる最大限に誠意のこもった行動は、情けないけど、一日待ってもらうしない。陰で笑われても仕方がない。

 

「返事は決まってるの?」

「はっきりとは、まだ」

「二択だよ」

「二択は正解か不正解しかない。だからより慎重にならなきゃいけないんだ」

 

 二択なんていうのは、この世で最も残酷で難しい問題だ。あらゆる場面で突きつけられて、僕を悩ませてくる。

 二つあるのなら、正解も不正解も無くして、たった一つだけでいいのに。

 

「一葉、それ失言」

「え?」

 

 灯織にしては珍しい、低くて乾ききった声だった。

 僕の肩を一発だけ、軽く叩く。軽い衝撃が肩に伝った。

 

「人の想いに、正解も不正解もないよ」

 

 また一発、肩にジャブ。

 

「口に出した瞬間に、正解も不正解もない、イコールに辿り着くだけ」

「じゃあ、どうすれば」

「自分を客観的に見て、自分にも相手にも一番誠実で、相応しい言葉を考えるだけ」

 

 まるで詩人のような数式たてと、事務的な答えだ。

 でも、彼女の言いたいことは伝わった。

 

「……わかった。考えて、伝えるよ」

 

 僕が導き出した答えに、灯織は微笑みを浮かべる。

 

「一葉ならできるよ」

 

 その声音は仄かに暖かった。

 

 

 その日の晩、僕は自室の椅子に座って、背もたれに体重をかけながら考えた。

 要は「はい」か「いいえ」か。それだけだ。二文字を口にするだけなのに、その二文字に宿らせる気持ちを考えて、飾り付けるのは酷く難しい。

 

 あれから夕食の時もずっと考えたが、僕は彼女と付き合う気は無かった。それは別に、他に好きな人がいるとかそういうわけではない。

 ただ、僕の力なんかでは、桐谷さんを幸せになんてできないし、きっと僅かに口角を上げさせることすらもできない。

 それはわかりきっていることだ。自信がないのだとも言えるのだろうけれど、それでも、僕は彼女と恋人同士になれる気はしなかったし、なる気も起きなかった。

 

 「はい」か「いいえ」。

 その答えは見つかった。ただ見つからないのは、その式だ。

 イコールから後戻りをしなくてはならない。か細い糸を辿るように、慎重に、言葉を繕う。

 

 それは二次関数よりも、ルートの計算よりもはるかに難しくて、僕の不甲斐なさを、酷く自覚させられた。

 

 

 翌日の放課後、僕と桐谷さんは図書館で会った。

 放課後に生徒なんていなくて、係員がたまに棚から本を何冊か取り出しに来るだけだ。

 

 海外の分厚い文書が並んだ本棚と、自己啓発の類が並んだ本棚に挟まれて、僕は彼女と向かい合う。

 締め切られた窓からは、部活に勤しむ生徒の声が微かに聞こえる。

 

「桐谷さん、部活は?」

 

 景気づけと言わんばかりに、僕は聞く。

 

「今日は無いんだ。ほら、少し前に大会があったでしょ?それの休憩として」

「ああ、なるほど」

 

 気休めにもならない会話だったな、と少し後悔した。

 

「あの、昨日の、告白」

 

 呂律がうまく回らない。唾が不味い。ワイシャツが汗で張り付く感触を覚える。

 

 何かを覚悟したかのように、桐谷さんは小さく息を吸って、左足を前に踏み出す。

 

 その姿を見た僕は、冷水を顔にぶち当てるように深呼吸をする。汗でべったりとした手を握る。

 

「桐谷さんの気持ちは嬉しいけど、ごめん」

 

 彼女の瞳が揺れた。

 

「僕には、君を笑顔にできない」

 

 そんな、場違いなまでに洒落た言葉を紡ぐ。

 そしてそんな紡がれた言葉は、やがて彼女の心臓に達して、締め付ける。

 静かに、彼女は息を吐いた。踏み出された左足を引いて、左胸に左手を添えて、目を閉じる。

 

「ありがとう。ちゃんと、言ってくれて」

 

 彼女のツリ目が、糸のように細くなり、目尻には一滴の水滴が生まれた。

 

 僕は酷く、自分を恨んだ。

 

 その日の夜、僕は灯織にメールで「返事を返した」とだけ送った。返信がすぐに来たけど、僕はすぐにそのメッセージを見ず、スマートフォンと自分の体をベットの上に放り投げた。

 考えてみれば、僕は誰かに告白されたどころか、誰かを好きになったことすらない。そんな僕が、彼女の好意を退けさせるなんて、今思えばおこがましいことこの上ない。

 自分の恋への無知っぷりと、それでも彼女の想いを拒んだことに腹が立ってきた。

 

 スマートフォンを取り、灯織からの返信を確認する。

 「上手くいった?」とだけあった。上手くいったって、なんだよそれ。断る断らないの話なのに、上手くいったなんて。

 

 僕は「丁重に断った。上手くいった」と返した。桐谷さんにはすごく失礼な会話だと思う。

 すると、「よかったね」と返ってきた。よかった?全くよくなんかないだろ。少なくとも彼女にとっては。

 自分の肚のうちに無性に苛立っている僕は、何も考えず「人を好きになることはどういうことなんだろうね」と送った。闇雲に銃を乱射するような、衝動的で愚かな質問だ。

 

 すると、着信音が耳元で鳴り響いた。驚いた僕は体を揺らしてしまい、そのことに少し気恥ずかしさを覚えつつも応答した。

 

『突然どうしたの』

「……ちょっと気になったから」

 

 訝しげに沈黙する灯織。

 

『……もしかして、今から私に告白するつもり?』

「なんでそんな考え……あー、いや、そう捉えられてもおかしくないな、今の」

 

 僕は無意識のうちに思わせぶりな態度を取っていたようだ。

 

「そんなつもりはなかったよ。まあ、酒に酔った詭弁だと思って忘れてくれないかな」

『お酒飲んでるの?』

「だとしたら?」

『あんまり迷惑かけない程度に』

「冗談だよ。飲んでない」

 

 冗談だと通じてるか不安だったから釘をさすように言う。「じゃあ切るね」と伝えると、裾を引っ張るように『待って』と灯織は呼び止める。

 

『最初の質問だけどさ』

「うん」

 

 海面が揺れるような心のざわめきを覚えた。

 

『私は誰かを好きになった経験なんてないから偉そうなことは言えないけど』

 

 その前置きが、心臓に突き刺さったように痛く聞こえる。

 

『好きになることって、そんなに重要じゃないんだと思う……個人的には』

 

 子供が考えた言い訳のように自信なさげに言う。

 ありきたりな言葉で紡がれてるけど、どこか腑に落ちる不思議な魔法の呪文ようだった。

 

『……それだけ。じゃ、おやすみ』

 

 僕が「おやすみ」と言い切るよりも先に彼女は電話を切った。

 

 少し、呆っと天井を見上げる。

 人を好きになることは重要なことじゃない。

 少し考え巡らせてみると、それはとても理にかなっている考えだ。桐谷さんもきっと、僕への想いを重要なことと捉えずに告白したのかもしれない。

 

 けれど、もしそれが世の心理で、みんながそう捉えているのだとしたら。

 僕は恋なんてしたくないと思う。重要でもないことを胸に秘めて、他人に伝えるなんて、僕にはとても酷なことに思えてくるのだ。

 なんて、そんなJ-POPの歌詞みたいなことを思い馳せながら、さっきから心のうちで幾つも広がる波紋が体に残る。

 その波紋から目を背けるように部屋の電気を消した。月明かりの無い夜は、目が眩むほどに真っ暗だった。

 

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