クソの役にも立たないチート能力もらって転生した   作:とやる

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第2話

 第一印象は決して良くはなかった。

 

「【ディオ・テュルソス】!」

 

 遠目に怪物に一方的に襲われている人が見えて、咄嗟に魔法で助けた。

 戯言を言って気を失ったヒューマンの男が武器も鎧も何ひとつないのが分かり、何を考えているんだと呆れつつも、赤々と腫れあがる右手やぱっくりと裂け血を流す頭を見てポーションを使う。

 新興ファミリア故の資金難にポーションの1本でも節約したいのは山々だが、気付いてしまった以上は放置するのは憚られた。

 バベルの治療施設にでも運んでやるのが1番なのは分かるが、エルフという種族は貞淑を重んじる傾向がある。

 もちろんエルフである私にもその傾向はあり、一刻を争う状況ならともかく……いや、たとえ一刻を争う状況であっても、心を許していない異性に触れるなど考えられなかった。

 ……それによほど怖かったのか、その……粗相をしてしまっているようだし。

 とは言っても意識のないそいつを放置する事も出来ず、私は適度な距離を取って怪物に襲われぬよう見張りをしていた。

 

「ぅ……? あれ、おれは確か……」

 

 微かなくぐもった声に目を覚ましたかと首を向ければ、意識が戻り、身体を起こしてきょろきょろと辺りを見回す男と目があった。

 

 交差する視線。

 クワッと男の目が見開く。

 

「やっぱり美しい……」

 

 ほうっと内心の感情を抑えきれなかった、というように熱のこもった声が溢れた。

 瞬間、素早く立ち上がった男は早口で何かを喋りながら私に近づき手を取ろうとする。

 

「ごふぁっ!?」

 

 思わず、私は装備している短杖を男の腹に叩き込んだ。

 ぐいぐい迫られる忌避感もあったが、何より見ず知らずの男に肌を触れられるなど冗談ではない。

 しかし、腹を抑えて蹲る男に流石にやりすぎたかと少しばかり反省を……。

 

「ぐ、おおお……出会った美少女エルフさんは暴力ヒロインだったか……っ。おれが悪かったとはいえっ。しかし我々の業界では……杖を介していてもご褒美になるのか?」

 

 ……反省をしようと思ったのだが、何やら葛藤をし始めたその様子にそんなものは秒で吹き飛んだ。

 頭と右手の痛みが引いていることに気がついたのか、不思議気に私を見る男に治療をした旨を伝えて立ち去る。

 何やら呼び止めようとしているようだが、冒険者として最低限の義理は果たしたのだから、これ以上私が関わる必要性はどこにもない。

 やがてその声も聞こえなくる。

 装備なしでダンジョンに潜るような男だ……恐らくもう会うこともないだろう。

 

「エルフさああああああんっっ!!!!」

 

 離れたというのに何故か近くから聞こえた声にちらりと後ろを振り向けば、無駄に良いフォームで猛然と走ってくる男がいた。

 ひっ。

 驚いた私は反射的に逃げ出した。

 

 男が必死の形相で迫るというのは普通に怖い。

 というかなんで追ってくる!? 怪我は治したというのにまだ何かあるのか!? 

 

「怪我治してくれてありがとう! でもひとりにしないでくれ! あと良ければ耳を触らせてほしいし結婚して欲しい!」

 

 その言葉に、私の思考が一瞬止まった。

 ……耳を触る? 結婚? 

(何故耳なのかは全くわからないが)出会ったばかりの男が、私の肌に触れ、あまつさえ番いになれと言うのか? 

 

 ………………ふざけるな!? 

 私をエルフと知ってそんな事を言うのなら、どれほど軽薄なのか自ずと分かると言うもの。

 出会ったばかりの異性に求婚など、薄情者以外のなんだと言うのだ。

 エルフである私にとって、その男は酷く下賤の輩のように見えた。

 こんな男にこれ以上関わることもない。

 

 男の敏捷値は高くないのか、すぐに距離が開いていく。

 ……距離が開く? まだルーキーである私とここまで差が出るのはおかしくないか? 

 まさか【神の恩恵】が……いやいやそんな馬鹿がいるわけがない。昨日今日冒険者になったのだろう。このまま引き離してそれで終わりだ。

 

「待つんだエルフさん! おれはめちゃくちゃ弱いぞ! エルフさんが居なくなったらおれは死ぬぞ! エルフさんが見捨てたから死んじゃうぞほんとマジで!!!」

 

 ぴた、と私の身体が止まる。

 男はまるで生き死にがかかっているかのように私に訴えかけようとしていて、その声は数巡前の私の思考に真実味を帯びさせる。

 まさか本当に……いやでも流石にそれは……それに1階層で死ぬ冒険者は滅多にいない。つまり、それほど出現する怪物が弱いということだ。

 

「でも実際おれは死にかけていただろう? へへ、あまりおれの弱さをなめない方がいい」

 

 くっ……! 

 何故か自信満々に宣言する男に、私は思わず拳を握り込む。

 確かに、私が助けなければこいつは死んでいただろう。

 普通ならば死なないような、弱い怪物しか出ない1階層で。

 それは確かに、男の弱さを裏付ける確固たる証拠だった。

 

「後味の悪い思いはしない方がいいだろう? 一緒に地上まで行こう。いやほんとまじでお願いします」

 

 ……非常に腑に落ちないが、確かにこんな男でもこの後直ぐに死なれると後味が悪い。

 せっかく使ったポーションも無駄になるわけだし。

 頭を下げる男に数秒……いや数十秒悩んだ末に、私は男と地上まで行くことにした。

 

「美少女エルフさんと2人で並んで歩く……これが洞窟デートというやつか……」

 

 だが条件がある。私の半径5M以内には近づくな。

 

「ええっ!?」

 

 当たり前だろう。なんでそんな驚天動地みたいな顔が出来るんだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 いつ距離を詰めてくるのかと警戒していたが、意外にも男は私の言葉をしっかりと守った。

 最初は私の警戒心に気づいているのかと思ったが、そもそも近づこうとする素振りが一切なかった。

 まあ、だから何だという話ではあるが。

 それにやたらと話しかけてくるのは鬱陶しかったし。

 

 日光を浴びて伸びをする男を尻目に目的は果たしたと踵を返す。

 この男といるとどうにもペースを乱されてしまう。普段の私は声を荒げるのも珍しい方だというのに。

 身体がどっと疲れたような気がするが、これでようやく終わりだと思うと肩の力が抜けるようだった。

 

 しかし、運命は私を見逃してくれなかった。

 

「おや? フィルヴィス?」

 

 私の名を呼ぶ声に弾かれるように振り向けば、そこには私の主神であるディオニュソス様がいた。

 

「フィルヴィスっていうんだ……」

 

 ぼそりと呟く男に私の名を知られたのは面白くなかったが、それだけならまだよかった。

 問題はこの後だ。

 

「ふ、ふふっ、はははっ! そんなフィルヴィスは初めて見た!」

 

 男の自己紹介に怒った私のやりとりを見ていたディオニュソス様が愉快だと笑う。

 その後、些か以上に世界の常識に欠ける男がいくつかの問答をディオニュソス様と交わし、天を睨みつけたりとよく分からない行動を取ったりした男は、力強く言った。

 

「おれを【ディオニュソス・ファミリア】に入れてくれ!」

 

 ──は? 絶対に嫌だ。

 思わず、私の口から自分でも驚くほど冷たい声が出た。

 

「さ、さっきの話を聞くに【神の恩恵】があればおれのチート能力が使えるから役に立つ……はず……!」

 

 私の態度に焦ったのか男が言葉を重ねるが、役に立つ立たないの話ではない。

 何を言っているか半分ぐらい分からなかったが、私はエルフとしての性で軽薄な男を嫌う。

 だから、嫌だと言っているのだから。

 

「……いや、いいだろう。彼にうちのファミリアに入ってもらおう」

 

「っしゃあっ!」

 

 しかし、そんな私の想いも虚しくディオニュソス様は男をファミリアに入れるように決めたようだ。抗議をするも、まあまあとディオニュソス様は苦笑を浮かべるばかり。

 喜ぶ男とは対照的に、急速に感情が死んでいくのが分かった。

 そんな私の視線に気がついたのか、男はビシッとキメ顔を作り宣言する。

 

「大丈夫だ! 直ぐにおれに惚れさせてみせる!」

 

 ほら見てくださいディオニュソス様! こいつはあんなやつですよ! 本当にこんな奴入れるんですか!? 

 

「……攻略不可ルート入ってない? 大丈夫これ?」

 

 無視してディオニュソス様に詰め寄る私の後ろから不安げな男の声が聞こえる。一瞬で聞き流した。

 

「フィルヴィス、よく聞いてくれ」

 

 ディオニュソス様が声を小さくして、私の耳に口を寄せる。

 擽ったいのでやめてほしい。

 

「彼について気になることがある。そのためにはファミリアに入れた方がいいと思ったんだ」

 

 そうは言っても、同じファミリアになれば関わり合いは避けられない。

 私の本音としては、それは嫌だった。

 そう告げる私に、ディオニュソス様はまるで杞憂だというように笑った。

 

「……ははは、フィルヴィス。彼は1度も『嘘』は吐いていないよ」

 

 …………? 

 その言葉の意味が飲み込めず、私の頭の中でぐるぐると回る。

 嘘を吐いていない。それはつまり、誰にでも愛を囁けるような薄情な男だということに他ならないではないか。

 だって、私とあの男は出会ってからまだ1日も経っていないのだから。

 

 ──でも。

 ディオニュソス様の言葉の意味はそうではない気がして。

 男とディオニュソス様の言葉が、ぐるぐる、ぐるぐると頭を回り続けた。

 

 その後、住む場所もないという男と一悶着あったが、男はディオニュソス様から【神の恩恵】を刻まれ冒険者になった。

 

「ざけんなボケェ!! あんのクソジィィィィ!! 次会ったら覚えてろよォ!?」

 

 その最中、そんな声が聞こえたが、やはり私とはとことん合わない男だ。何というか品がない。

 将来の番い、なんて年頃の乙女の様な事は考えた事もないが、今日もし私にそんな相手が出来るのなら誠実に私だけを想う人がいいと思った。

 例えば、幼い頃に憧れた『護人ベリアス』のような……。

 

 そこまで考えて、私はそれを打ち払う様に頭を軽く振る。

 なんにしてもあの男には全く、これっぽっちも関係のない事だ。

 

 こうして私だけだったファミリアに本当にしょうがなくひとりの男が入り、2人の冒険が始まった。

 

「チートはクソだったけど【神の恩恵】でスーパーマン自体にはなれるみたいだし、まあいいか。これからよろしくなフィルヴィス!」

 

 私はよろしくしたくはないけどな。

 ……で、お前なんで木を削って弓なんか作ってるんだ。

 あと私の名を呼ぶな。

 

「え? 痛いの嫌だし死にたくもないから弓で後衛やるつもりだからだけど。自作してるのは節約のため。最強職ってだいたい弓でしょ? 背中は任せてくれ!」

 

 私は魔法剣士だぞ。バディで後衛は入らないからさっさと剣を持ってこい。

 

「なん……だと……!? いやでも剣と盾なら魔法と合わせて勇者スタイル……っておれのチート僧侶じゃねえか!? 絶対使わねえけど!」

 

 いいから早く行け。

 

「ぶっきらぼうなフィルヴィスも超かわいい。結婚しよう。耳触らせて」

 

 死ね。

 私は短杖を振るった。

 

「ごふっ。相変わらず容赦ねえ……」

 

 いいか? ディオニュソス様のお言葉で仕方なくお前と組む事を忘れるな。

 もし近づいたり触れたりしたら私は自分を抑えられるか分からない。

 あと私の名を呼ぶな。

 

「おいこれ難易度ルナティックってレベルじゃねえぞ。ボムどこだボム」

 

 何を言っているのか分からないが取り敢えず短杖は常に持ち歩こうと思った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 誰にでも平等に時は流れていく。男が【ディオニュソス・ファミリア】に入り約2年の時が過ぎ、私がLv.2にランクアップしたことで遂に中層へ挑む事になった。

 

 事前準備をしっかりと行い、10人となった団員全員で初の中層へ踏み入る。

 ランクアップをしているのは私だけだが、団員全員アビリティがひとつはB以上とファミリアの総合力としては中層でも申し分ない。

 16階層以下に入らなければそう苦戦はしないだろうという評価だった。

 

 結果は上々。

 団員たちの尽力もあるが、自分で言うのもアレだがランクアップした私の能力は驚くほどに上がっていた。

 踏み込みは軽く、地を駆ける身体は羽根が生えたように速い。

 振るう剣は豆腐のように怪物を斬り裂き、放たれた魔法は別物かと思うほどに威力が跳ね上がっていた。

 初のランクアップにより上昇する身体能力に高揚してしまったが、上層を探索していた先日までの倍近いヴァリスを稼ぐ事が出来た。

 

「わー! こんなにいっぱい!」

 

「団長のおかげで危ない場面もなかったしな!」

 

 換金所で喜ぶ団員たちを見ると、私の胸にも温かな気持ちが込み上げる。

 お世辞にもコミュニケーションに優れているとは言い難い私だが、自分でも驚くほどにファミリアに馴染んでいた。

 以前ファミリア内での女子会なるものに誘われたときに、私がいてはリラックスもできないだろうと遠慮したのだが、私を誘いにきた団員たちは顔を見合わせ『副団長といる時の団長を見てそんなこと思う人いないよ!』と笑った。

 初めて参加した女子会は楽しかった。

 

 ……認めるのは中々複雑だが、確かにあいつはファミリアに貢献していた。

 口では「痛いしんどい苦しい転職したいのに弓がまさかこんなシビアな武器だったとは」と不平不満を言いつつも、毎日隠れて鍛練をしているのを知っている。

 今日もその剣と盾を持って最前線でその顔を汗と泥に汚させていた。

 ……私も、危ないところを助けてもらった事もある。

 それに、いい意味でも悪い意味でも距離感というものを測らないあいつは団員たちとのコミュニケーションも多い。私だけでは多分ここまで和気藹々としたファミリアにはならなかっただろう。

 認めたくはないけど! 

 

 2年も経つというのに未だに私に求婚はしてくるし、いい加減諦めないのだろうか。

 毎回(何故だか本当に理由は分からないが)耳を触らせてくれと言うし。

 というか、団員には同朋の女性もいるのだがまさかやってないだろうな……? 

 辟易としてファミリアを脱退するかもしれないし、そういうのは止めるよう一度強く言う必要があるかもしれない。未婚のエルフは貞淑を本当に重んじるのだから。

 いや、私にならやっていいという意味ではないのだが。

 やめろと言ってもやめないからな……名前呼びしかり求婚しかり。半ばやめさせるのを諦めつつある。

 

 そこまで考えて、ふと。

 腰に吊っている短杖に指先で触れた私は、そういえば今日はこの短杖を戦闘にしか使わなかったなと思った。

 いや、それが普通なのだが。

 

 それから約1ヶ月後の迷宮探索の際。

 

 産み落とされた怪物に向かって駆ける私を追い抜く1つの影。

 それは、中層の怪物を一撃で屠った。

 

「うわ!? 副団長すごっ!?」

 

「えっ、副団長ランクアップしたの!?」

 

「はっはっは! おれにかかればこんなもんよ!」

 

 驚く団員たちに囲まれるやけにぼろぼろの装備を纏うあいつは、その輪の外からそれを見つめる私に気がつき、満面の笑みを浮かべた。

 

 それに、胸が少しだけ疼いたような気がしたが、きっと気のせいだ。

 気のせいったら気のせいだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……本当にやるのですか? 下手をすれば死にますよ。貴方は強くはないのですから」

 

「……それでも、今ここで何もしなかったらおれはフィルヴィスに置いていかれる。今日、それを初めて痛感した。……それに死なねえよ! そのためにアウラさんに保険を頼んでるわけだし! ……フィルヴィスには内緒にしててね?」

 

「……それは別に構いませんが。それにしても、怪物の集団をおびき寄せての連戦ですか。効率重視で危険度外視……普段の口癖はどこに行ったのやら」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 私がランクアップしてから約2年の時が過ぎ【ディオニュソス・ファミリア】のホームが完成した。

 

「「「かんぱ〜い!!!」」」

 

 団員たちの掲げるグラスがカチンと音を立て、祝いの席が始まる。

 ファミリア念願のホームという事もあり、団員たちも一様に笑顔を浮かべて喜んでいる。

 かくいう私もホーム完成は嬉しいので純粋に喜びたいのだが……。

 

「念願のフィルヴィスと1つ屋根の下……!! おれが寝る屋根の下ではフィルヴィスも眠っている……もうこれは同棲、いや結婚と言っても差し支えないのでは?」

 

 隣にこいつがいるので台無しだ。

 ファミリアの皆が食事を取るための食堂にあたる場所にはそこそこ大きい卓を囲むように20の椅子が置かれている。

 別に座る場所を明確に決めているわけではないのだが、団員たちに自然と上座の方へ誘導されてしまった。

 そしてさり気なくこいつが私の隣に座ろうと来たので団長命令で遠ざけたのだが、気がつけば私の隣に舞い戻っていた。一体何をしたお前。

 

「あのフィルヴィスがついにデレた……!? やっとおれの気持ちを受け入れてくれる決心をしてくれたのか! 早速結婚しよう、フィルヴィス。耳を触らせてくれ」

 

 ええい、近寄るな! 一体何を根拠にその判断を下した!? 

 手を私に向かって伸ばしてきたので椅子を引いて避け、そのまま女性団員が固まっている席へ向かう。

 あいつはガーンという音が聞こえそうなほど落胆しているが私の知ったことではない。

 ……まあ、避けなくてもあいつは私の許可なしに私に触る事はない。それをやったのは出会ったときの最初の一回だけで、その後は全て私に確認を取っている。変なところで律儀というかなんというか。ならいい加減私に求婚するのをやめろと言う話で、そもそもエルフハーレムとか頭の痛くなる事を言うなという話でもあるが。

 あと本当になんで耳なのだろう。四年も経つが未だに分からない。

 

「あ、団長」

 

「こっち来たんですか? 副団長は……ああ、なるほど」

 

 私に気がついた団員たちが上座の方に目を向け、納得したように頷く。

 ファミリアの内外問わず、何故か私とあいつはセットのように扱われることが多い。あいつが何かと私に付き纏うからだと思うが、私の気持ちの事も考えて欲しい……。

 

 話に花を咲かせるうちに、最近ファミリアに加入した同朋の少女がディオニュソス様との話を終えて戻ってきたので私はある事を聞くことにした。

 あいつのエルフに対する執着は中々のもので、迷惑を被っていないか心配だったのだ。

 なんせエルフハーレムを作ると堂々と公言するようなクソ野郎だ。

 

「あれ? 団長知らなかったんですか?」

 

 しかし、その問いには同朋の少女からではなく、アウラと同時期に入団したヒューマンの団員から答えられた。

 

「副団長がああいう事するのって団長だけなんですよ」

 

「ねー」

 

「何から何まで言ってる事とやってる事全然違うよね、副団長」

 

「あれ絶対照れ隠しだよ」

 

「ありそう! 副団長ぐいぐい行く奥手っぽい」

 

「なにそれ矛盾してるじゃん」

 

 そのまま井戸端会議に突入する団員たちを前に、私はその言葉の意味が分からず呆けてしまっていた。

 いや、それはないだろう。だって、あいつは出会って1日も経たない私に好きだと言えるような男なのだから。

 エルフの私を前にしてエルフハーレムとか言う軽薄な男なのだから。

 

 でも、確かに私以外にそういう事をしているのを見た事も、聞いた事もなかった。

 

 前に、何やらアウラとコソコソやっているのに気が付いたときは遂にやったかと心の底から軽蔑したが、その後直ぐにあいつがランクアップしてそれは無くなった。

 アウラに聞いても「フィルヴィスが考えているような事ではありません」と言うだけで教えてくれない。あれは結局何だったのか……そういえばあの頃のあいつの装備はやけに傷付いていた様な気がするが、まあ関係ないだろう。

 死なないための鍛練こそすれ、痛みを嫌うあいつが自分から命を危険に晒す真似をするとは思えない。

 

「ぶっちゃけ団長は副団長のことどう思ってるの?」

 

 その声に意識が現実に引き戻される。

 見れば、目を輝かせた女性団員たちが私を見つめていた。

 しまった、恋の話題は年頃の女性にとって格好の栄養である。

 あいつの奇行にも慣れたしどうとも思っていない、と答えただけでは逃がしてくれそうにない雰囲気だった。

 

 ……どうとも思っていない? 

 

 自分の思考に、魚の小骨が喉に引っかかるような違和感を覚える。

 私は、あいつのことが嫌いではなかったのか? 

 軽薄で薄情な、下賤な男だと思っていたのではないのか? 

 そうだ、確かにそう思っていた。でも、今、あいつとのやり取りを悪くないと感じている自分がいなかったか? 

 

 ぶんぶんと首を振る。

 そんなはずはない。

 そんな事があるはずがない。だって、それではまるで──。

 

「おーい! フィルヴィス──! おれのエルフハーレムの1人目になってくれー! 耳も触らせてくれー!」

 

 死ね。

 ほら見ろこいつはこんな奴だ。クソ野郎だ。

 机を挟んだ向かい側から笑顔を向けるあいつを見て、私は数巡前の思考を打ち消す。

 団員の問いがあいつの乱入によって有耶無耶になったことに、僅かな安堵を覚えながら。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……スキルも魔法もないのに良くやりますね。本当に死にますよ?」

 

「……死なないから。意地でも生き残ってやるわ。おれは自分の命が1番大事なんだ。それに魔法ならとっておきのやつがあるし。いや絶対使わんけど」

 

「……へえ、それは初耳です。気になりますね」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ホームが完成してから1年が経った。

 団員も順調に増え、到達階層も22階層にまで伸ばした。今や【ディオニュソスファミリア】は中堅どころ1歩手前となっている。

 当然、それに伴う変化も多々あった。

 

「くっそ……アニメや漫画だと簡単そうにやってたのにな……」

 

 その中でも1番の変化は、こいつが戦術や指揮を本気で勉強し始めた事だろうか。

 人数が増えだした最初の頃は中衛である私が指揮官のような役割をしていたのだが、いつしかこいつが代わりにやるようになっていた。

 私や団員たちの様子をつぶさに観察し、危ないときには直ぐにフォローに入っていたのでもしやとは思っていたが、こいつの広域を把握する観察眼とも言うべきものは相当だ。

 たとえ大勢の人でごった返す密集地帯であってもこいつは難なく走り抜けられるだろう。

 ……私がそれを褒めると鬱陶しいぐらい舞い上がるだろうから絶対に言わないが。

 兎も角、団員が15人のうちは独学でやっていたそれを、なにやら他のファミリアにまで赴いて教えを請うているその姿に思うところはある。

 痛いのは嫌、しんどいのも嫌、苦しいのも嫌だと今でも口癖のように言うのは変わらないが、その実こうして陰ながら努力していた。

 

 ……まあなんだ、最初の第一印象からは随分と変わった。それは認めよう。

 私が並行詠唱の習得に熱を上げ始めた時期と一致するのが気になるが、気のせいだろう。あいつも一応ファミリアの命を預かる副団長の身として責任感があるのだろう。流石にあるよな? 

 因みになんで陰ながら努力している事を知っているかというと、アウラが頼んでもいないのに報告してくるからである。

 何でも「言うなと言われた事は言ってませんもの」との事らしいが、正直よく分からなかった。

 

 しかしだからと言ってあいつの事を受け入れたわけではない。

 男性団員たちと一緒になって子どものような悪ノリはするし(むしろ主導している節すらある)、発言はだいたいクズだし、何より私の水浴びを覗くし!!! 

 

 あれは許せなかった。初めて18階層にまで到達した際、そこまでの道中で疲弊した団員たちを先に休ませるために野営地を整えたあと私とあいつで消耗品の補充をし、キャンプ地に帰り汗やら泥やらでベタついた身体を清めようと水浴びをしていた私をあいつはあろう事か覗いたのだ!! 

 ホームで散々私の風呂を覗くと言いつつも1度も実行しなかったので完全に油断していた。磨き上げた並行詠唱を十全に用いて魔法を撃ち放った私は悪くない。

 あいつは不可抗力だと言っていたが覗きの不可抗力などあってたまるか。

 私だけだからまだ良かったものの……いや良くはない。何を考えているんだ私は。あいつはちょっとしか見ていないと言っていたが、実際どこまで見られたか分かったものではない。未婚のエルフの一糸纏わぬ姿を見るなど信じられない。

 その日から2週間ぐらい口も利いてやらなかった。

 ……日に日にあいつは窶れていったが。

 

 それに出会ってから5年も経つ今になってもあいつは変わらない。

 相変わらず求婚するし、本当に意味がまるで分からないが耳を触らせてくれと言ってくる。

 いい加減諦めないのだろうか。まだエルフハーレムなんて言っているし、本当にその気があるのなら私など放っておけば良いものを……いやエルフハーレムを推奨しているわけではない。

 兎に角あいつは薄情な奴なのだ。

 

「本当にそう思っていますの?」

 

 ある日、アウラにそんな愚痴を零せば、彼女は呆れたようにそう言った。

 

「私たちエルフの5年とヒューマンである彼の5年は違います。この意味を良く考えなさい、フィルヴィス」

 

 アウラは、教え諭すように私の顔を見つめた。

 

 誰にでも時間は平等に流れる。でも、その時間の重みは平等ではない。

 寿命の長いエルフと短いヒューマンでは、こと恋に置けば『今』に置く比重がそもそも違う。

 彼女は、そういうことを言った。

 

 ……じゃあ、どうだというのか。

 あいつは、本気の本気で、私のことが好きだとでも言うのか。

 なら、なんで冗談のように結婚してくれと言い、エルフハーレムなんて戯言を言うのか。

 私がそれに忌避感を持っているのは気づいているだろうに。

 私には、分からなかった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……並行詠唱を身に付けたフィルヴィスに置いていかれないよう学び始めた指揮が実を結びつつあるのは何よりですが……どうして覗きを?」

 

「……いやその、リヴィラで買い物デートしてるときに嫌な視線を感じて……警戒してたら案の定覗きに来た男どもが居たからバトってたら……ね? 男どもとまとめてテュルソられたから一瞬しか見てないけど、正直めっちゃ綺麗で女神かと思った。あ、男どもにはおれの命に代えても見させなかった」

 

「……これは擁護できないですね……私に相談するより今までのように大人しく誠意を持って、フィルヴィスの許しが出るまで謝り続けてください」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 それから、さらに1年が過ぎた。

 

【ディオニュソス・ファミリア】は単独での【ゴライアス】の討伐に成功した。

 17階層の階層主の討伐は熾烈な戦いだった。それを死者0で成し遂げられたのは団員たちの奮戦と、あいつの指揮のお陰だろう。

 もともと数年の積み重ねがあったあいつの指揮能力は、先達に教えを請い貪欲に学ぶことで飛躍的に伸びた。

 一口に指揮能力と言っても、それを十全に成し得るためには団員ひとりひとりの事を細かに把握し、様々な状況から最善手を導き出すための知識と経験がなくてはならない。

 あいつは一体、どれほどの努力をしたのだろうか。

 団員はあいつの指揮を心の底から信頼し、だからこそ戦うことにのみ集中して全力を尽くせる。

 それは、もちろん私もだ。

 

「あ、おはようフィルヴィス。いつもの戦闘着も超かわいいけど私服のフィルヴィスは新鮮でちょっとどうかしちゃいそうなぐらい可愛い。結婚しよう。おれのために毎日耳を触らせてくれ」

 

 なのに当の本人はこんなんである。

 

「ごふっ。私服なのに短杖は装備していたのか……抜かりねえ」

 

 もう半ば癖になってしまった短杖を叩き込む動作をしながら、私は思う。

 ああ、認めよう。このやり取りを悪くないと私は感じている。

 何年も何年も続けてきた、こいつがいつものように私に迫ってきて、私がいつものようにあしらって、それを見たディオニュソス様や団員たちがいつものようにまたやってると苦笑をもらす。

 それは、いつしか冒険者として苛烈な日々を送る私の、穏やかな日常の象徴のひとつになっていた。

 

 こいつが私に近寄ることすら心がざわついていたというのに、今はもう隣にいる事を受け入れてしまっている私がいる。

 きっと、その手を握ることだって……。

 

「えっ? フィルヴィスがおれに教えて欲しいことがあるってマジ? ……まさか手料理を作ってくれるとか!? 大丈夫! 美少女エルフが作ってくれたものは全部おれの好物だ!」

 

 本当にこれさえなければ……。あとアレとアレとアレとアレ。

 教えて欲しい事があると言っただけで目を輝かせるのを見て、私はため息をこぼす。

 

 信じていなかったが、こいつが私にしかこういう事を言わないと私はもう知ってしまった。

 同じファミリアの同朋にも、オラリオに住む同朋にも……そして、あのリヴェリア様にも。

 彼女たちと出会っても、1度もこいつは求婚はおろか(こいつの耳に対する執着は6年も経つが未だに分からない)耳を触らせてくれとも言わなかった。

 

 ここまでくれば、アウラの言葉の意味が分からないほど私は阿呆ではない。

 つまり……その、つまり。

 

 出会ったあの日からずっと、今日まで。

 こいつは、私だけを想っている。

 

 ……だからどうしたという話だけど! 

 だいたい、そうならもっと誠実に振舞うべきなのだ! 

 なんだ、エルフハーレムって! どうしてなんて事ないように結婚してくれと言う!? あと耳を触らせろって本当になんなんだ!? 

 それは、もっとこう、雰囲気というか……! とにかくもっと大切な言葉であるはずだろう!? 

 

 頭の中で一息に言い切ってゼェゼェと荒い息を吐く器用な真似をしながら、私はやっぱりと結論づける。

 

 そういう事を軽く言ってるうちは応えてやるもんか。

 私の心が欲しいのならクズっぽい発言もやめて、もっともっと、誠実な男になれ。

 ……私だって女だ。例えば英雄譚のような……そういうのに憧れたりだって、するのだから。

 

 まあ、本人には絶対に言わないけども。

 

「……え。教えて欲しい事って指揮……」

 

 舞い上がっていたこいつは、私が教えて欲しいことの内容を告げると急降下するように気落ちした。

 ファミリアの人数が増えたために、私とこいつの2つの班に分けようかという話が出てきた。

 こいつは全力で阻止しようとしたが結局その方向で話が進んだので、私がこうして指揮を学びに来るのは予想できる事だと思うのだが……。

 

「フィルヴィスにおれが教える……2人きりの勉強会……夕暮れの図書室……静かな空間で隣にいる彼の存在をどうしても意識してしまって……いやでも……」

 

 ブツブツ言っていることの半分以上意味が分からなかったが、こいつが渋るとは思わなかった。

 自意識過剰みたいであまり言いたくはないが、私と一緒に……やっぱり恥ずかしいのでそこで思考をやめた。

 

 今日は都合が悪かったか? 

 

「そういうわけじゃないんだけど……ファミリアの為になるっていうの分かるし……でも、その……ほら、ね?」

 

 ほら、ね? と言われてもさっぱりだ。

 やけに歯切れの悪いこいつの返答に業を煮やした私は、理由を言わないと1週間無視すると言い放った。

 こいつの気持ちに付け込んだ悪辣な手段のようで心が痛んだが、もしかしたら団員の命に関わる事態になる可能性あるし。

 私の言葉に膝から崩れ落ちたこいつは、消え入るような声でぼそりと呟いた。

 

「フィルヴィスが指揮まで出来るようになったら……おれがファミリアに要らなくなるような気がして……今度こそフィルヴィスに、置いていかれちまう……」

 

 その声は、すぅっと私の鼓膜に染み込んだ。

 ………………ふ。

 こんな事で悩んでいたのか、こいつは。

 何に悩んでいたのか理解した私は、思わず小さく笑ってしまった。

 

 仮に私がお前のように団員たちを導けるようになっても、お前を必要ないと言う団員は【ディオニュソス・ファミリア】には1人もいない。

 私に置いて行かれるというのはよく分からないが、団長の私が団員を放っていくわけがないだろう。お前は自分がどれだけ団員たちに慕われているか分かってなかったのか? 

 

「──────ー」

 

 そんな事を笑いながら言った私を、こいつはぽかんとした顔で見つめていた。

 普段の団員たちの様子を見れば分かるだろうに……副団長、副団長と頼りにされているではないか。

 怠い嫌だしんどい嫌だ腹痛の予定があるから嫌だと言うわりに、何だかんだ理由を付けてしょうがない風を装って力になろうとしているくせに。

 

「ふぃ、フィルヴィスが……おれに……無防備に、え、笑顔をみせ……っ!」

 

 聞き取れないほどの小さな声で何かを言ったあいつは、まるでこれ以上は耐えられないとでもいった様子で弾かれたように走って行ってしまった。

 

 ……? 

 常ならざる珍しい反応に、なんだか顔も朱かったし調子が悪かったのかと少しばかり申し訳なく思いながら、また別の日に教えてもらおうと今日は自分で勉強する事にした。

 

 その数時間後。

 

「フィルヴィスー! おれだ──! 結婚してくれ──! 耳を触らせてくれー!!!」

 

 朝からそんなに時間は経っていないぞ。いい加減にしろ。

 

「ごふっ。朝と同じ場所を的確に……腕を上げたなフィルヴィス……あれ、その短杖……」

 

 なんで評論家気取りなんだ。

 ちょっと心配をしたら直ぐこれだ。

 今日という今日はお前に誠実さというものを教えてやる。

 

 正座をして私の説教をどこか幸せそうに聞くこいつにイラッとする。

 そんな私たちを、ディオニュソス様は優しい目で見つめていた。

 

「彼が居てくれてよかった。そう思うだろう?」

 

 ……私がそう言うとあんな風に調子にのるので全く思いません。

 

 日常が流れていく。

 団員たちが居て、笑って、あいつが変な事をして、私が怒って。

 そんな『今』を私は甘受していた。こんな日々も悪くないなと。そう、思っていた。

 それがこれからもずっと続くのだと思い込んでいた。

 ──そんな事、あるわけがないのに。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「……教えるお礼に名前を呼んでほしいって言えば呼んでくれると思う?」

 

「……いつものように茶化さなければ、大丈夫だと思いますよ。でも、出来ますか?」

 

「……恥ずかしくて、多分無理。……その、アウラさん。ちょっとお願いがあるんだけどいい? プレゼントでちょっと──」

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ギルドからの強制任務。

 それにより私たちは27階層まで赴くことになった。

 

「あ──────めんっどくせ」

 

 隣で心の底からありったけの気持ちを吐き出しましたとばかりにダラけるこいつに思わず私の目も冷たくなる。

 

 強制任務の内容は27階層に集まるという闇派閥の打倒。

 直前まで秘匿された強制任務により闇派閥に動きを悟らせず、電撃作戦によって奇襲を仕掛ける。

【ディオニュソス・ファミリア】は最高レベルこそ3だが、団員全てがLv.2以上という中堅ファミリアへと成長していた。

 

 時間がないのでさっさと準備をしろと言うと、面倒くさそうではあるもののやるべき事をこなしていく。

 その淀みない処理能力は、これまで真面目に取り組んできていることを何よりも雄弁に物語る。

 

 本当に随所のクズっぽさがなければ……。

 しかし、それも含めてこいつだ。何だかんだ、やるときはやってくれる奴である事も。

 

「そういえば」

 

 出発のための諸々を終え、あとは消耗品の確認のみとなってこいつは今思い当たった、という風に言った。

 

「最近はよく一緒に雑務やるね。もしかしてついにおれの魅力に気がついてくれた? 結婚しよう。耳を触らせてほしい」

 

 ………………はあ。

 もはや無意識化の行動にまで落とし込まれた短杖を振るう動作を自動で身体が行う。

 あと何で耳なんだ。私たちエルフの耳は形が違うだけでヒューマンの耳と大差ないぞ。

 

「ごふっ。もうこの状態がおれの身体のスタンダードになってるな……」

 

 乾いた笑みを浮かべるこいつは、直ぐに「でも!」と立ち上がり、

 

「明日を楽しみにしておくんだなフィルヴィス! 今日がフィルヴィス・シャリアという名を名乗る最後の日になるぜ!」

 

 自信満々にそう宣言した。

 何処からその自信が生まれるのか皆目見当も付かないが、だったら私を少しでもどきどきさせてくれとため息を吐いた。

 

「ごふぁっ!?」

 

 きゃあっ!? 何するんだおまえ!? 

 急に近寄ってきたこいつを反射で蹴り飛ばす。

 どきどきさせろってそういう意味じゃない。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 地獄というものがもしあるのなら、それはこんな光景だろうと思った。

 

 視界を埋め尽くす怪物から漂う獣臭と、至る所で流される血の臭いが空間に充満する。

 27階層に踏み入った私たちを待ち受けていたのは、自滅覚悟の闇派閥による階層主さえ巻き込んだ怪物進呈だった。

 

 敵も味方もない大乱戦が幕を開けた。

 

「壁際へ!!!」

 

 瞬間、状況を把握したあいつが唾を飛ばす。

 あまりの光景に呆然自失となる団員もいたが、これまでの信頼関係の積み重ねがその身体を動かす原動力になった。

 未曾有の混戦に浮き足立ちながらも、怪物を打ち倒しながら叫ぶあいつの声を信じ己を奮い立たせる。

 

 魔法を連発する私が先頭で怪物を破竹の勢いで撃破し、殿であいつが怪物を抑える。最も密度が薄い壁際に即座に移動し、素早く壁を破壊して態勢を立て直した。

 これにより前方と左右の怪物を相手にすれば良い事になり、動く事も厳しいこの空間ではそれは生存への大きな一歩となる。

 

「くそ、どけよっ!!!」

 

 血を吐くようなあいつの叫びが響く。

 その目の前には怪物の物量に押し負けたのか逃げ遅れた団員がいたが、怪物が邪魔であいつの位置からだと間に合わない。

 

 咄嗟に私は魔法を唱えた。

 超短文詠唱からなる白亜の盾は怪物の攻撃から団員を守り、それを予期していてかのように距離を殺したあいつが怪物を斬りふせる。

 その連携には確かな月日の積み重ねがあり、それは私とあいつが共に過ごした時間の密度だ。

 団員を守るように構える私とあいつの背中がぶつかった。

 

「……半径5M以内には近づかないんじゃなかったか?」

 

 いつの話だ。そんなものとっくの昔になくなっている。

 私は檄を飛ばすように叫び、弾かれるようにお互いが飛び出した。

 

 目の前の怪物をとにかく倒す。

 倒して灰にしていかなれば、無尽蔵かと思うほどに押し寄せる怪物の物量に押し潰されて死ぬだろう。

 今、何よりも求められているのは火力だ。

 そして【ディオニュソス・ファミリア】で怪物を最も打ち倒す事ができる火力を持っているのは私だ。

 こんな状況だ、ファミリア間での協力など望むべくもない。

 つまり、私の尽力にファミリアの命運が掛かっている。

 

「踏ん張ってくれフィルヴィス!」

 

 盾で冷静に攻撃をさばきつつ団員たちに指示を飛ばすあいつが、信頼を宿す瞳で私を見る。

 ……ああ、任せろ。団長としてファミリアの仲間は絶対に死なせない。

 でも、私だってお前のことを信頼しているんだ。お前なら、きっとこの絶望的な状況でもファミリアの仲間と共に生還する道を掴み取ってくれると。

 

 だから、お前こそ私に遅れるなよ。

 

「……おれは夢を叶えるまで死なねえよ! フィルヴィスこそおれのエルフハーレムに入るんだから死ぬんじゃねえぞ!!」

 

 こんな状況だというのに、いつもと変わらぬ笑みをあいつは見せた。

 私を入れたハーレムとか思ってもないくせに。冗談を言う暇があるなら大丈夫そうだな! 

 

 私とあいつがそれぞれ単独で奮戦し、アウラを中心とした団員たちがあいつやアウラの指揮のもと尽力する。

 皆が皆、決死であり全員で生還するために命を振り絞っていた。

 喉から気合を迸らせ、仲間に近づく怪物を片っ端から消し飛ばす。

 剣で斬り裂き、魔法で撃ち払い、短杖で殴り飛ばす。

 あいつとの日々で磨かれた短杖による打撃は思いの外威力が出た。

 ──そんな日常に戻るために、今を生き抜く。

 

 空になったポーションを投げ捨て、間断なく襲い来る怪物に立ち向かう。

 あいつも、アウラも、団員たちも、私も傷ついていた。

 根本的に数が多すぎる。戦いにおいて数とは絶対の力だ。それが、自分とほぼ同程度の相手に数の絶対的有利があるなど悪夢にも程がある。

 

「ぐっっ、そ!!」

 

 血の叫びが鼓膜に届く。

 あいつは既にぼろぼろだった。

 私と同等のステイタスを持っていても、あいつには【スキル】も私のような【魔法】もない。

 それに加え、団員たちの指揮を取りつつ守るように戦っているため余裕がないのだろう。

 それでも、あいつの瞳は生への渇望で燃え上がっていた。

 痛いのは嫌だ、しんどいのは嫌だと口癖のように言うあいつは、生きるために命を燃やしていた。

 

 負けていられない。

 他人を踏み台にしてでも自分が生き残ると豪語するあいつが仲間との生還のために命を賭しているのに、団長である私がそれに応えなくてどうする。

 

 決意に呼応するように身体に力が張り巡らされる。

 しかし、現実は甘くはない。

 

 意識しないようにしていたが、ついにそれも叶わぬほどの倦怠感を身体が覚え始めた。

 精神疲弊(マインドダウン)

 最初に道を切り拓くために連発したのもあり、私の身体は悲鳴をあげていた。

 動けなくなるのは不味い。それはダメだ。だが、状況が私に魔法の行使を強要してくる。

 剣で即座に斬り裂けない怪物は私が魔法で倒すしかない。

 そうしなければ、仲間が死ぬかもしれない。

 そうして使わされた魔法の数は既に10を超える。

 

 ──あと、1発が限界だ。

 撃ってしまえば、もう魔法は使えない。

 怪物と切り結びながら脂汗を浮かべる私に、怪物の攻撃を盾で弾き斬り捨てるあいつの後方から、凶爪を振り上げる怪物の姿が見えた。

 団員の元へ迫る怪物の迎撃に身体が流れるあいつは、それに気がつかない。

 

 ──私は、迷いなく最後の魔法を撃った。

 超短文詠唱により瞬発力のある私の魔法は、白き雷光を待ち散らして怪物を数体巻き込んで焼き殺し、直線上にいたあいつを後方から襲おうとした怪物と団員へ迫る怪物を灰にした。

 

 物理的な重さを持っているのかと錯覚するほどの倦怠感が私の身体に降りかかる。

 歯を食いしばって顔を上げれば、私に飛びかかるモンスター。

 

 迎撃に振るった剣は弾かれて地を滑り、その衝撃に苦悶の声が絞り出され膝が沈む。

 その私を、別のモンスターの剛腕が狙っていた。

 

 ──あ、死んだ。

 

 すとん、と。

 驚くほど冷静に私はその事実を受け入れた。

 精神疲弊の寸前で耐久値もさほど高くない私が下層の怪物の剛腕の直撃を食らえば、死なずとも確実に意識が飛ぶだろう。

 意識を失った私は、直ぐに遺体も残らぬ程に怪物に喰われる。

 死ぬ直前の引き伸ばされたように感じる時間でその未来を幻視した。

 

 まあ、でも。

 私は、最後にあいつを生かせた。

 自分の命が大事で、どんな状況でも生きる事を最優先するあいつなら。

 バレバレなのに、本人は陰ながら努力してると思い込んでるあいつなら。

 クズっぽい事を言いつつも、ファミリアの仲間を大切に思っているあいつなら。

 ……7年も振られ続けているのに、私のことをちっとも諦めなかった、諦めの悪いあいつなら。

 きっとこんな絶望の中でも、みんなを連れてあのホームへ、ディオニュソス様の元へ生きて帰ってくれるだろう。

 私はそう確信をして、死を受け入れるように目を閉じた。

 

 

 

 

 

「フィルヴィス!!!」

 

 

 

 

 

 ──もう耳に馴染んだ声が聞こえて、どん、と強く押し飛ばされた。

 

 予想外の衝撃に瞠目する私の目に、良かったというように笑う、そこに居るはずのないあいつが映り、直後怪物に殴り飛ばされて視界から消える。

 

 冗談のように吹き飛ばされたあいつは直ぐに別の怪物を巻き込んで止まり、地に横たわるあいつの腹を別の怪物が食い破った。

 

 あいつの絶叫が耳にへばりつく。

 

 状況を考える余裕すらなかった。

 早くあの怪物を殺さなければあいつが死ぬ。

 その恐怖だけが身体を突き動かし、意識を落とすような倦怠感に蝕まれていた身体はあいつが落とした剣を握りしめていた。

 

 悲鳴を上げて疾走した私があいつに覆いかぶさる怪物を薙ぎ払う。

 事態に気がついた団員たちが私たちを守るように決死の防衛ラインを敷く。

 抱き抱えたあいつの腹からは塊のような血が流れ落ち、右手は食い千切られていた。

 

「……あいつら……フィルヴィス、……を守るのは……おれの……やく、め……だぞ……」

 

 いつもの軽口を叩こうと開く口が血を吐き出し、私の白い服に赤黒い模様をつける。

 やめろっ!! 喋るなっ!! 喋らないでくれっ!! 

 口を開けば命が際限なく零れ落ちて言っているようで、私は悲鳴のような声を絞り出す。

 

「……へへ……フィルヴィスの顔、……こんな近くで見たの……はじめて、……だ……」

 

 なのに、口を開くことをやめてくれなくて。

 溢れ出しそうになる涙に、涙を流す時間すら惜しいと私はポーションを取り出そうとして、指が空を切り一瞬固まった。

 直ぐにこいつのポーチに手を伸ばすも、そこに望んだ感触はなかった。

 何も、なかった。

 

 喉が、震える。

 それがどういうことを意味するか理解した私の喉が少女のようにか細く震え、しかしまだだと辛うじて残った理性が希望を私に叫ばせた。

 

 今すぐ回復魔法を使えば間に合うかもしれない。

 いや、きっと間に合う。間に合わさせる。

 だから、叫んだ。

 喉が枯れるほどの大声をだして、喉が破れて血を吐くぐらいに何度も叫んだ。

 回復魔法を使える人がいるなら早く来てくれ。

 今直ぐこいつの怪我を治してくれ。

 お願いだから、私に出来ることならなんだってするから。

 だから、こいつを死なせないでくれ……!! 

 

「……もう、いいよ……フィルヴィス」

 

 ……なんで、そんならしくないことを言うんだ。

 いい訳ない。

 いい訳がないだろう!? 

 お前が死んでいいはずがないだろう!!? 

 お前はファミリアに必要な奴だ! みんなに慕われている奴だ! だから、私はお前を助けて死ぬならいいと思ったんだ!!! 

 

「いいや……もう、……いいんだ……おれは、もう無理だ……」

 

 うるさい!! 

 いつものお前はどこに行ったんだ!? 自分の命が大事じゃなかったのか!? 痛いのも苦しいの願い下げだと言っていたじゃないか!! 

 なのに、なんで……!! なんで私なんかを助けた!!? 

 私は、お前に生きていて欲しかったから……!! 

 

 ………………ああ。

 

 そうして、私は取り返しのつかない段階になってから、自覚した。

 

 出会いは最悪でも。きっと私は。

 月日を重ね、共に日々を過ごすうちに、お前に──。

 

「美少女エルフは……泣いても、美しいなあ……耳を……触らせてくれ……」

 

 止血をしても、勢いが緩むだけで止まる気配のない出血。

 急速に失われていく体温。

 腕に抱く存在が儚くなっていく。

 私の頰を堰を切ったように大粒の涙が次々と伝って、落ちていく。

 小さく呟かれたのはいつもの言葉のようで、ほんの少し違った。

 

 ……結婚してくれとは、言わないのか? 

 

「……言ったら……結婚、してくれる……?」

 

 死を受け入れたように揺れる瞳に生きる意志を与えようと、私は叫んでいた。

 

 生きて地上に帰ったらちゃんと応えるから。だから、お願いだから……死なないでと。

 

 でも、やっぱりいつものように私の気持ちなんかちっとも考えてくれなくて、お前は満足したように微笑むだけで。

 やめて、やめて。そんな顔をしないで。

 死なないで……私といっしょに、いっしょに生きてよ……。

 

「……あ……、ひとつだけ……お願いがあるんだ……いいかな……?」

 

 もう声を出すのも辛いのか、周囲の戦闘音に紛れてほとんど聞こえない。

 お前の顔が、いつのまにか吐息の触れる距離にあった。

 

「……エルフ耳……触るの……さ……おれの……夢なんだ……最期に……触らせてくれ……」

 

 それは、もう何度も聞いた言葉。

 7年間、毎日のようにお前から聞いていた言葉。

 本当に触りたかったのなら風俗街に行ったり、仲の良いアウラに頼めば良かったのに、私にしか言わなかった言葉。

 やっぱり、なんで耳なのかはちっとも分からないけれど。

 変な夢だ。本当に……変な夢だ。耳ぐらい、好きなだけ触っていい。触っていいから……最期なんて言わないでくれ。

 

 お前の左手がゆるゆると緩慢に持ち上がって、支えるのだって辛いだろうに優しく、壊物を触るように私の耳に触れる。

 労わるように指先がなぞり、最後に耳の先で指先が円を描き、ぱたりと落ちる。

 それがあまりにも弱々しくて、優しくて、触れた指が震えるほど冷たくて。

 ありがとうと言う顔が安らかで、本当に幸せそうで。

 私の心は痛くて、痛くて、痛くて仕方がないのに。

 涙が、止まらなかった。

 もう、瞬きをした次の瞬間にお前がいなくなってしまいそうで。

 

「……フィルヴィス……おれを……立たせて……くれないかな……」

 

 だから、何かを決意したお前の瞳に私は縋った。

 逃げるためには立たないといけないというお前の言葉を信じて。

 お前は、よく分からないことはよく言っても、私に嘘をついたことは一度もなかったから。

 生きる事を諦めないでいてくれたのだと、そう思ったから。

 

「アウラぁ!! フィルヴィスを頼む!!!」

 

 支えていた手が、振りほどかれる。

 側にあった体温が離れて、埋めるように冷たい空気が触れた。

 私の目は、怪物の群れに向かうように走る、宙に血の軌跡を描くお前の背を見つめていた。

 

 ──やめて。そっちにいったら死んでしまう。待って、お願いだから、待ってくれ! 

 

「フィルヴィス!! だめよっ!!」

 

 咄嗟に追いかけようとした私を、アウラが羽交い締めにして引き止める。

 それを後ろ背に見たお前は安心したように笑って、地を蹴った。

 

 隙間を見つけるのが難しいような空間なのに、お前はどんどん先へ進んでいく。

 振り返らず。行かないでと叫ぶ私の声が聞こえていないかのように。

 

「死にたくない奴はおれの後ろに下がれぇ!!!」

 

 僅かな命のかけらを咀嚼して声を張り上げたお前の身体から、空間が歪むほどの魔力が吹き荒れる。

 27階層の何処にいても気付きそうなほどの濃密なそれは、闘いに必死な他のファミリアが気付くには十分だった。

 一目散に私たちの方に駆けてくる彼らを追いかけるように怪物が押し寄せる。

 

 ただ前を向いて走るお前の腕が吹き飛ぶのを見た。お前の腹が喰われるのを見た。それでも、お前は一度も止まらなかった。

 お前の身体に突き刺さるように溢れ出した白い光は、命の輝きのようだった。

 何をしようとしているのかは分からない。でも、でも! お前がいなくなる事だけは、分かってしまった。

 

 ──やめて……っ! いくな……っ! いかないで……っ!! 

 

「フィルヴィス……! 堪えて……!! 彼の覚悟を無駄にしないで!!!」

 

 泣き叫びアウラを振りほどこうともがく私を抑える彼女も、涙を流していた。

 

「──っっ!!!」

 

 止まって欲しくて、行かないで欲しくて。初めてお前の名を叫んだ私を、最後にお前が振り返った気がして。

 

 白い光の柱がダンジョンに突き立った。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 彼の名は極東由来のようだったから、葬儀は極東の風習に則ろうとディオニソス様は言った。

 

 初めは【ディオニュソス・ファミリア】だけで行う予定だった葬儀は、気がつけば大規模なものになっていた。

 あの27階層の事件の時に彼に助けられた人たちは全員列席したのが大きいだろう。

 あの【ガネーシャ・ファミリア】の団長が妹を連れてディオニュソス様にお礼を伝えにきた時は驚いた。

 ディオニュソス様は、良かったら線香でもあげてやってくれと微笑んだ。

 その目元は少し赤くなっていた。

 

 多くの人を救った。

 彼はそんな柄じゃないと言うだろうけど、彼に救われた人たちにとって彼は間違いなく英雄だった。

 

 彼以外の全員がホームに帰還し、事の顛末を聞いたディオニュソス様は「そうか……」と宙を仰ぎ私たちに気持ちの整理をつける時間を数日設けたあと、彼の葬儀を執り行った。

 2日間部屋に篭ったディオニュソス様は、常の優雅な姿が消え失せた状態で部屋から出てきたらしい。

 床には、葡萄酒の瓶が何本も転がっていた。

 

 彼が居なくなったホームはがらんとしていて、とても空虚な気がした。

 いつも彼が座っていた私の隣には、誰も座ろうとしなかった。

 そうしていれば、いつかひょっこり彼が帰ってくるような気がしたのだろう。

 彼は明るく、煩く、空気を読まない人だったから。

 

 それでも、悲しんでばかりもいられない。

 止まっていても、進んでいても時は流れていく。

 

 一週間が過ぎ、二週間が過ぎ、三週間が過ぎる頃になって【ディオニュソス・ファミリア】は立ち上がった。

 彼があの世で自慢できるファミリアにしようと。

 残された者の自己満足でしかなくても、それでも【ディオニュソス・ファミリア】はそうやって立ち上がった。

 

 空席になった副団長には、アウラがついた。

 

「……そうですね。知っていました」

 

 彼が最期に何をしようとしたかについて、彼女は察しがついていたという。

 

「……貴女に隠れてこそこそ特訓している時に、1度だけ言っていました。「おれにはすげー魔法があるんだぜ。絶対使わんけど」と。……まさか、あんな魔法だとは思いませんでしたけど」

 

 空を見上げたアウラは「殿方って勝手ですよね」と言った。

 

「置いていかれる私たちの事なんて知らないと先へ行ってしまって……帰ってこなくなる。エルフを愛したなら、しっかり考えないといけないでしょうに」

 

 それ以降、アウラは彼について話すことはなかった。

 それが、彼女なりの気持ちの区切り方だったのだと思う。

 

 強いな、と思った。

 私は、未だにあの日に囚われたままだ。

 

 ばたん、と部屋の戸を閉める。

 様々な書物が乱雑に積み重なったこの部屋は彼の部屋だ。

 荷物を整理する前に、好きなものを持って行きなさいとディオニュソス様は言った。きっと、彼もその方が喜ぶと。

 

 本は戦術書がメインで、彼の努力の跡が窺える。でも、中には恋愛に関する本もあって、それが付箋だらけなのがおかしかった。

 一度もデートになんて連れて行ってくれたことないくせに。

 いや、私が素直にならなかったからだけど。

 

 ふと、机の上に細長い箱が置かれている事に気がついた。

 それは丁寧にラッピングされていて、誰かへのプレゼントなのだろうと一目で分かった。

 その横に、直前まで渡すかどうか散々悩み、決めかねていたのか裸の手紙が雑に置かれていて、私はそれを手に取った。

 

「……ばか」

 

 つぅ、と頰を流れる涙がぽた、ぽたと手紙に落ちしみを作る。

 涙は後から後から溢れてきて、本当に、どれだけ私を泣かせたら気がすむのか、あいつは。

 

「……本気のプロポーズ、しにきてよ……」

 

 ──そうしたら、私も本気で貴方を想うから。

 

 堪えきれず、啜り哭く私の声だけが部屋に反響していた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 私は、彼が持っていたいくつかの本と、彼が用意した杖と手紙、そして剣を引き取ることにした。

 あの事件で彼の身体は消滅してしまって、残ったのはこの剣だけだった。

 女々しいな、と自分でも思うけれど、しばらくはこの剣を使おうと思う。

 そうしたら、彼が側にいるような気がするから。

 

 私はダンジョンに潜っていた。

 

 彼がいなくなってから1ヶ月。

 もうそろそろ私も前に進まなければ、彼に笑われてしまう。

 もしかしたら「美少女エルフは落ち込んでても美しいなあ。結婚して耳を触らせてくれ」なんて言いそうだけど。

 

 産み落とされる怪物に向けて杖を構える。

 紡ぐ詠唱式は私の得意な魔法。

 彼が好きだと言ってくれた、私の魔法。

 

「【ディオ・テュルソス】!」

 

 放たれた白き雷は空間を蹂躙し、怪物を一瞬で飲み込む。

 

 杖の性能に瞠目しながらも、私はまた歩きだす。

 今はまだ難しいけれど、彼が守ってくれた未来の何処かで、いつか。

 仲間たちと、笑いあえるように。

 

 腰に吊られた剣が、応援するようにきん、と小さく震えた気がした。




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