シャルが帰った次の夜は夕方から降り始めたスコールが降り続け、時折窓から入ってくる稲光と大きな雨粒が屋根を叩く音がせわしなく響いていた。
寝巻から作業着へと着替えている間にも時折風が小屋の窓を打ち付け、軋ませる。薄らとしか覚えてはいないものの多分今まで見ていた夢もこんな暗く荒れた状況だったために見たのだろう。すぐに見当はついた。
予想していたよりも彼の低い声が現実で声をかけてきた白木の声だったと気が付いたのは数秒してからであった。
「なに、夜這い」
「馬鹿を言っている暇はない、さっさと着替えて出てこい、少々厄介なことになった」
「ちょっと待ってよ。何のことよ」
白木は一度振り返るとこっちをじっと見て言った。
「お前の居所が見つかった」
「はぁ」
ぶっきらぼうに言うその言葉には返答を言わせないような重さが乗っている。
唐突に部屋に入って来た白木は緑色の雨合羽を着て、水を滴らせていた。部屋の中が濡れるのも構わないといったように白木は部屋の中に入り、置いてあった本や水、何かの装置を持ってきていたバッグの中に次々と放り込んでゆく。
「まだ夜中の二時じゃない。いったい何よ」
「これを持ってろ」
「なにこれ」
白木から渡されたのは小さな箱のようなものであった国語辞典程度の黒い箱には取っ手が付いていた。
「それ着てついてこい」
白木はバッグの中から自分のものと同じような雨合羽を差し出してきた。有無を言わさぬ様子の白木。雨合羽を着ながら少し強気に尋ねた。
「見つかったってどういう事よ」
「五分前に機影の反応が見つかった。真っ直ぐこっちに向かって来ている」
「それがどうかしたの」
「未確認の戦闘機が真っ直ぐこっちに向かって来ているっつってんだ。それも二機」
「こんな天気だし一時的な居留地を探してとか」
「今の自分の状況を考えてみろ」
白木はもう一度部屋の中を見回す。
「どこへいくのよ」
速足で出て行く白木について外へと出て行く。暴風が吹き荒れていた。すぐに雨が雨合羽の隙間に入り込んでくる。渡された作業着でなければ既に内側は水浸しになっていたかもしれない。雷の音が段々と近づいてきた。開けた海岸へと目をやると次々と稲妻が走っていくのが見えた。少し遅れてくるその轟音に身を縮ませながらそそくさと歩みを早める。真っ暗な森の中を白木に続いて進んでゆく。位置的に島の西側、鬱蒼とした森の岩陰に突き当る。
白木はその岩陰で立ち止まり、蔦に覆われた断層の一部を剥がした。現れたのは岩のように迷彩されたコンクリートの扉であった。
「こんなところがあったの」
「先に階段を下りてろ」
白木に促され、暗い階段を下りてゆく。岩盤と岩盤の間に仮設のように取り付けられた階段を下りてゆく。鉄のカンカンという音を響かせ、時折雨水で滑りそうになりながらも降りてゆく。明かりは無く、二階分ほど地下へと潜ったところだろうか。入口が島の北西、この島で最も高地であったことから考えると、この辺りは丁度海抜ゼロメートルほどであるだろうか。階段を降り切った先には蛍光灯の光が煌煌と輝いていた。
「何ここ」
波の浸食によってできたのだろうか天井は五メートルほどの高い洞窟には所狭しと、様々な工具やガラクタたちが積まれていた。蛍光灯の光が弱く、すべてを見れるわけでは無いものの、ちょっとした倉庫程度の広さはあるらしい。地面はコンクリートで固められ、硬い足音が響く。自分と反対側には蛍光灯のちらついた反射光が見える、どうやらあそこから水が入り込んでこの洞窟は出来たらしい。波の被害のない、洞窟の壁際にはいくつかのモニターが設置され、今も映し出している。二つの赤い点といびつな丸の形をしたマーク。どうやらそれが彼の言う未確認機らしい。海水の磯臭さと、工具油の混ざった匂いが辺りに漂っている。その様はいつもトライスターのバルキリー格納庫の小型版といった様相を呈してた。
「さっさと奥へ行け」
追いついてきた白木にせかされ、端に追いやられる。
無いやらいくつかの機材を調整し、右耳にヘッドホンを当て何やら聞きとっている。
「いい加減説明してくれてもいいんじゃない。何がどうなってるのよ」
「その作業着はどれくらいまで耐えられる」
質問を質問で返される。しかし、白木の切羽詰まったような声色に追及はやめる。
「耐えられるって何よ」
「耐Gの話だ。それ着て飛んできたんだろう。まだ使えるか」
「整備のおっちゃんとかは普通にこれでテスト飛行とかしてるの見るけど」
「新品か」
「開けたのは一週間くらい前」
白木はぶつぶつと計器のチェックを始める。時折吹き込んでくる風の音にも耳を貸さずメーターと古臭い画面を睨みつけていた。
「どこだ、違う、違う、ちっ、最悪かよ。行けるか、無理だな、無理だ。じゃあどうする。くそっ、ふざけるなよ。誰がふざけてんだよ。くそ」
ぶつぶつと呟く白木はそのまま頭を抱え始めた。
「どこからだ、分からない、トライスター、理由は、ここまで、違う、本意じゃない、別の意思、べつところ、違う、違う、そうだとして、何のために、何のために、何のために」
コツコツと机をたたき、右手にはヘッドホンを当てていた。
「保留、どうするか、何者か、バンパイアもどき、雨、どこからだ、どこから来た、カンツァ方面、ギリギリか、出来なくはない、何機だ、二機、船は、この天候じゃ無理、くそっ」
雷の音がここまで響いてくる、この島に落ちたのだろうか天井から吊り下げられた蛍光灯が少し揺れた。
「なんでこんな時に、なんでこんな、必要はない、関係は無い、くそ、そのままでいればいい、出てくるな、引っ込んでろ、黙ってろ、くそ、くそ、くそ、」
呟きはだんだんと大きくなり、唸るように叫んでいた。白木は頭を掻きむしり、腕には力が入っていた。対照的に膝は振るえ、ヘッドホンを持っていた左手も震えだす。
「白木っ」
洞窟の中に鈍い音が響き渡る。白木は突然立ち上がり近くの壁へ自分で頭を叩きつけた。
額は裂け、血が流れ始めていた。痛みによるめまいなのか、少しだけ動きが止まる。
「何やってんだっ」
彼の額から黒い血が壁を伝う。自分に言ったのか、呟くように発したその声は耳を澄ませなければ聞こえない。自分に言い聞かせるような、自分を詰問するような、喉の焼けたようなつぶやきが聞こえる。白木は動くことも無く、声を上げることも無く、止まった。
泣いているというには余りにも惨めで
嘆いているというには余りにも罪深い。
流れ出る赤い血は彼の目を辿って流れ落ちていく。
力の入った右手は小刻みに震える。
彼の姿は告解する罪人の様だった。
だから
「ていっ」
「いってっ」
手元にある金槌を投げる。
放物線を描き、肩槌は白木の頭に落ちる。
「なにしやがるっ」
振り返った白木、真っ赤に染まった顔が血で尚更赤くなった。
ハンマーの衝撃でかけていたサングラスが地面に落ちた。
いつもの眉をひそめた彼の顔が見えた。
勝手に動いた体、慣れたように金槌を放り投げた右腕を見る。顔を上げれば、白木が自分の方を見ている。この島に来て、初めて彼の髭面を真正面から拝んだ。似合わない髭に少しだけ笑いがこぼれそうになって、口の端が上がる。なんだか分からないけれど頬が緩む。大きく息を吸って、叫びたくなる。体の中を何かが駆けまわっていく。
敵が来ていて、命の危機で、どうしようもないはずなのに、なぜかそれらすべてが取るに足らないことに思えて。そんなことよりも、今この時が何故か狂おしいほど愛しい。
「何が起きてるんだとか、ここはどこだとか、あんたは何者だとか。いろいろと言いたいことはあるけど」
怒っているというよりも困っているように眉を顰める彼の顔。三白眼でその上、白い瞳。真っ白い彼の視界。
いつものように困った彼の、
いつものように迷った彼の、
いつものように嘆く彼の
白い瞳。
その彼に言うことはいつも一つしかない
「今日も私を助けてくれるんでしょ」
私は笑いながらそう言った。
彼はため息をついた。少女の言葉を聞くと、大きく深く長いため息をついた。
「あれ、何言ってんだろ」
少女は自分の言葉に困惑するように首をひねる。その姿は少しだけコミカルで、けれど笑うほどではない。
「本当に俺は何をしてるんだろうな」
落としたサングラスを拾うと再び掛けなおす。
当惑する彼女を見下ろす。
「お前、名前は」
「マリーダ・セイル」
「白木コウジ、いいぜ、今日も今日とてお前を助けてやるよ」
彼はいつものように不機嫌そうに鼻を鳴らした。