マクロスM   作:廓然大公

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第8話

 あれから二日が経った。

 日に一度のレイチェルからの電話ではどうやら後に五日もすれば正式な居留条約が結ばれマクロス・エクソダスからの渡航も可能になるそうだ。しかし、マリーダが墜落し、既にエルサレーナ国内にいることは機密事項であり、大々的には動けない。そのために今しばらく迎えには時間がかかる、そう告げられた。

早朝のレイチェルからの電話を切ると既に八時を回っていた。朝食でも食べようと冷蔵庫を開ける。

「しまった、もうないのか」

昨日の夜、トマトソースのパスタとサラダを作ってしまったことにより、冷蔵庫の中にはマーマレードのジャムだけが寂しく冷やされていた。食パンも無く、何も食べるものがない。いつものようにジャムを食べれば食いつなげるだろうが、間借りしているこの島でそれは憚られる気がする。餓死するわけでは無いものの腹が減った現状は変わらない。ほとんど無人島でこんな形で食糧難になるとは思わなかった。

「どうするかな」

部屋の中にはやはり男の姿は無く、ここ数日、砂浜でしか見かけることは無い。一つしかないベッドはマリーダに貸したまま本人はどこで寝ているのかも分からなかった。小屋に残された食料にも手を付けた形跡は無い。島のどこかに別の寝床でもあるのだろう、そう予想することは大して難しくも無い。

「生きてはいるんだろうな」

寝ぐせのついた髪を撫でつけながら欠伸をする。最初に感じていたベッドを占領しているという少しの罪悪感も

「乳臭い餓鬼と同じ部屋で寝るくらいなら、野宿する方がまし」

という男の言葉で吹き飛んでいった。

男に話しかけることは憚られるものの腹の虫が泣き止むことは無い。背に腹は代えられない、男に食べるものでも分けてもらおうかと、砂浜へと出ると、いつものカウチにはまだ起きていないのか男の姿はない。

「だるいなぁ」

既に高く登っていた太陽の日差しを手で隠し、誰もいないカウチの上に寝そべる。着てきた作業用の繋ぎの代わりに男物の下着とTシャツを貸してもらった。新品ではあるものの男物である。しかし、ずっと同じものを着ている事が出来るわけもなく、着ている。トランクスの解放感にも三日あれば慣れた。

 鳴く腹の虫とさざ波と、木々の擦れる音。力の出ない朝の倦怠の中、目の前の真っ青な世界を聞く。ひいては返す雑音の中の静けさは温い空気と共に自分の体を包み込むように響いてゆく。

ぱぱぱと軽い音が響いてきたことに気が付いたのは二度寝に入る少し前だっただろうか。

 だんだんと近づいてくるその音に目を覚ます。

目を凝らした水平線の向こう、小さな船がこの島へと向かって来ていた。咄嗟に物陰に隠れ、木々の陰からこっそりとのぞき込む。そこに船首が丸く反りあがっている船があった。カナルグランデに着く前に映像で見たことのあるそれは、ゴンドラであった。四メートルほどの小型のゴンドラがこの島へと一直線に近づいてきていた。

多くても五人乗ってしまえば沈んでしまうような小さなゴンドラではあるものの、軽快なエンジン音と切り裂く水しぶきを上げ接近してきた。どうやら島の東に着岸しようとしているらしい。今動けば見つかってしまうかもしれない。しかし、不気味な来訪者の動向を確認しないというのも気持ちが悪い。乗っている船員は見たところひとり。盗賊団のようにも見えず、かといって自分では対処できない。

 

何故なら今、マリーダは下着をつけていないのだ。

昨日のスコールでテンションが上がり、雨の中をシャワー代わりに打たれた。洗濯がてらそれまで着ていたものを干し、短パン替わりのトランクスとTシャツ一枚で寝ていた。そして寝ぼけ眼で起きてきた今、対応はできていない。

真っ青な空と海と真っ白な砂浜と、テレビもラジオも新聞もないこの暇な島、男の姿も時々浜辺のカウチにあるだけ、話すわけでもない。誰もいないという開放感も手伝ってそのままでいてしまった。気分としては実家で雑な格好で居たら姉の彼氏にそれを見られてしまったものに近い。上も下も洗濯中の今、なんとしても見つかるわけにはいかない。

 岩陰にゴンドラが見えなくなる。

今のうちに干してある下着たちと繋ぎを入手しなければならない。ゴンドラが東の端に止まったらしい、エンジンの音も止まった。

同時にスタートのピストルの音が頭の中に響く、走り出した。砂浜からすぐ後ろの林の中へ飛び込む。木々の間を抜け、林を走り去る。雑木林の中を飛ぶように駆ける。跳ねる、飛ぶ。

計測していたのとしたら世界記録が出たであろう、五十メートル五秒台の俊足に誰も気が付くことは無く、ただその目的は自分のパンツの確保のため。

雑木林から続く小屋の裏手へ廻る。木々の影が途切れ、小さな野原となっている小屋の裏手、境界の一歩手前、最後の木々の影に身を潜める。この野原を抜ければパンツまではすぐ手が届く。しかし、砂浜から一直線に視界が開けているために東の海岸からも丸見えである。エンジンの音が止まって一分弱、乗船していた人影もじきに降りてくる。時間は無く、パンツもない。

背に腹は代えられない。ここから洗濯物へは十メートル、近くの木々にひもを張り洗濯ばさみで止めているだけ。干された洗濯物たちをかすめ取って再び林の中へととんぼ返り。二秒もかからずに計画は完遂される。。

狙いを定め、撃鉄を起こし、引き金を絞り、そして打つ。

今だ。

飛び出した白いTシャツが風にはためく。

伸ばした指先で挟むように繋ぎへと手が届く。

掴んだ。

すぐさまその手を払うようにブラジャーをもぎ取る。

左手に巻き付けるようにして確保。

よし。

開いた右手で最後のパンツを狙う、指先が触れた。

途端、海風がさらに遠くへとパンツを振る。

「こんなくそっ」

体ごと捻り、右手を伸ばす。

掴んだ。

あとはこのままバックステップで林の中に。

しかし、唯一の誤算は昨日の雨で水を含んだ土が予想以上に柔らかく、足が滑ったこと、そしてこけたこと、そして泥をかぶったこと。

「痴女か」

「痴女ね」

そして既に二つの人影がこちらを凝視していたことだった。

青い空に甲高い悲鳴が吸い込まれていった。

 

「なるほど、あなたがコウちゃんの言っていた女の子って言うわけね」

 ゴンドラに乗って来たのは身長二メートルを超えるほどのスキンヘッドの大柄な男であった。筋骨隆々の彼ははちきれんばかりのタイトなTシャツを着ていた。ボディービルダーのようなその男は先日、男が言っていた食料の宅配に来てくれたらしかった。コウちゃんと呼ばれた男は一言二言と会話すると、またすぐに何処かへと消えてしまった。

「これでも急いできたのよ。火曜に突然コウちゃんから電話がきて今度の宅配の時には女ものの衣類一式もついでに頼むって。びっくりしちゃって。コウちゃんはいうだけ言って切っちゃうし。もう。」

 それまで着ていたTシャツも洗濯してた繋ぎも泥に汚れてしまった。髪にまでまとわりついた泥を簡易シャワーで落としてゆく。

「ここに着替え置いておくから」

「ありがとうございます」

「いいのよ、お代はコウちゃんにつけておくから」

離れてゆく足音を聞きながら服を脱ぎ、シャワーを浴びる。

「今日、来てくれてよかった」

もし明日以降であれば着るものもなくどうなっていたことやら。しかし、もともと原因を考えてみればあの人が来ていなければ洗濯物を取りに走ることもこけることも、あの男にその痴態とみられることも無かったと考えるとイーブンでもある。

「なんだかなぁ」

昨日の雨水をためたシャワーもなんだか憎らしく感じた。

 

シャワーから出ると部屋の中には大きな背中があった。

船から下してきた食料品や日用品を倉庫へと運び込んでいた。

「着替えありがとうございました」

「あら、もう上がったの」

男はこちらに気付くと作業をやめ歩み寄って来た。二メートルはあろうかという大きな体に、それに見合う様な山のように膨れた筋肉、丸太のような腕は同じ人の腕とは思えなかった。

「あなた名前は」

「マリーダです。マリーダ・セイル」

「私はシャル。シャルお兄さんでも、シャルお姉さんでもいいわよ」

野太く低い声ではあるものの女性的な立ち振る舞い。数日間の見知らぬ男だけのこの島での生活を考えれば、その女性のようなおおらかさは久しぶりであった。大きな手の握手に包まれるような感覚はどこかこそばゆい感覚がした。

一通り荷物を運びこむとシャルは早々に昼食の準備を始めた。狭い台所では二人経つことは難しく、またマリーダ自身も料理が上手いわけでもなく、部屋の中、大きな中華鍋を振る色黒の大男と小さな少女の姿。換気扇の白い煙が漂い始めてる。せっかくの天気だということでテーブルを外に出して朝食をとることになった。新たに干された洗濯物がはためくすぐ横、木陰になっている砂浜にテーブルを映し出した。自分が滑ってこけた水たまりももう乾き始めていた。換気扇から白い煙が上がり、香辛料の香りが漂ってきた。

「無人島って言うより避暑地みたい」

青い空に積み重なっていく積乱雲。都市型宇宙船ではまず見ることのできない雲。映像では見たことのあるその空は憎らしいほど高かった。

 

「バトロイドに乗ってたら急に操縦不能になって、気が付いたらこの島に墜落していたねぇ」

「はい」

 料理中の傍ら、シャルにこの島へと不時着した経緯を話していた。

「ちょっと信憑性に欠けるわね」

「信じてないってことですか」

「違う違う、あなたが自分の意思でここに来たんじゃないって言うことは疑ってないわよ。第一、マリーダちゃんは飛行機乗りにしては細すぎるもの」

確かにバルキリーに乗るパイロットたちは女性も男性も自分より一回り大きいように見える。体格や筋肉量が違う、コンパニオンとは文字通り鍛え方が違うのだろう。

「機体の残骸も見せてもらったけど機種のところのエンブレムもこの辺りの物じゃないし、エクソダス所属で、長期飛行の過負荷でブラックアウトしたって言うこともあながち嘘とは思えない」

「それじゃあ」

「でも、あなたがここにいることは事実、あなたの意思によるものなのか違うのかはまだ分からない、まだお互いのことも知らないしね」

振り返って小さくウインクするシャル。信じてくれているのか、疑っているのか半々といったところだろうか。

「まぁ、あたしはマリーダちゃんみたいなかわいい子の事だったら何かあったとしても百パーセント信じて壺でも絵画でも買ってあげるけどね」

とりあえず敵ではなさそうなシャルの反応にマリーダは少しだけ胸をなで下ろした。

「まぁ。コウちゃんとか私はそれで信じるけれど、その話はあまり人にはしない方がいいかもしれないわねぇ。口外したらどこからかバキューンなんてされたら笑い話にもならないわ」

「さすがにそこまでは」

「分からないわよぉ。世の中いろいろあるから」

「現在進行形で危な事に巻き込まれた身でさらにそう言われたら冗談になりませんて」

シャルは笑いながら鍋を振る。

「いざとなったらコウちゃんもそこそこ強いんだから」

コンロの火を止めて最後の皿をテーブルの上に置いた。

「コウちゃんは。ま、あとで適当に食べるでしょう」

盛り付けた最後の皿を手に部屋を出て行く

「それじゃあ、お昼ご飯にしましょうか」

 

「シャルさんはいつもこんな風に宅配に来てるんですか」

昼過ぎ、洗濯物が靡く様を眺めながら二人だけの昼食をとる。あの小さいコンロ一つでよくこんなにパラパラなチャーハンが作れるものだ。

「いつもじゃないわ。これでもそこそこ忙しくてね。私が来るのは月に一回くらいかしら。後は生鮮食品と新聞とかを別の配達の子が届けてるの。あの人の生存確認も兼ねてね」

「生存確認ですか」

「そう。この島にはほかに人もいないし。通信手段も電話しかないくせにその電話も大体つながらないのよ。コウちゃんったらほんと面倒くさい男」

ぷりぷりと怒りながら烏龍茶を飲み干す。

「あのコウちゃんって、この島のあの人ですよね」

「そうだけど、もしかして名前知らないの」

首を縦に振る。

「あの人私が何か言えば必ず棘のある言い方してきて、それでつい言い返してしまって、それでなんだか聞きそびれちゃって」

シャルは微笑みながら春巻きとチャーハンを取り分けてくれる。

「あの男らしいというかなんと言うか。いいわ、あの男の名前は白木コウジ。みんなコウジとかコウちゃんとか呼んでるわ」

「白木コウジ」

「この島のオーナーで厭世家。水瓶座、B型。私から言えることはこれくらいかしら」

確かに、厭世家でもなければわざわざこんな辺鄙な地で生きてはいないだろう。

「モグラって言ってましたけど」

「それはあの人のあだ名みたいなものよ。いつもサングラスかけてたから」

「確かに少し体形もそんな感じします」

「昔はもっとシャープでかっこよかったのよ」

「シャルさんとはどう知り合ったんですか」

あの態度では人づきあいがうまいとは到底思えない。現時点でこんな辺鄙なほぼ無人島に住んでいることからも明らかだろう。

「親戚みたいなものかしら。それに今は食料デリバリーの契約者様ってとことかしらね。古い付き合いだし友達みたいなものよ」

「そうなんですか」

油淋鶏を食べながらシャルの話を聞く。主に物資流通関係の仕事をしているらしく、入植祭とマクロス・エクソダスの入港によって物価と流通量が一気に増加し、普段の数倍忙しい。その上、群島の一部でストライキの発生や海賊がたびたび発生するようになり、さらに仕事が増えているらしかった。

「この辺りは安全だから良かったわね。もしデレル方面になんて落っこちてたらそれこそ政治的問題ってやつになってたかもしれなかったわよ。」

「でもニューヴェネツィア政府が一応保護の確約は取り付けてくれました。」

「カナルグランデも一枚岩じゃないってことよ」

シャルはそう言うと一度手を叩いた。

「そんなこの星の仕方ないと頃の話をしてもつまらないわね。この辺りにもまだ観光地も多くあるし、見るべきところもいっぱいあるから、とりあえずエクソダスに帰ったら友達とでも遊びにいらっしゃいな」

シャルはポケットから出したチケットをマリーダに渡した。

「オーロフリーパスって、これ高い奴じゃないんですか」

一定期間公共交通機関や各種観光地の入場料や入館料が原則無料になるフリーパスその中で最上級の国立博物館などへの入場も出来る観光フリーパス、それがオーロフリーパスであった。

「いいのよ、期間限定だし。せっかくこの星に来たのに最初にこんなついてない目にあったマリーダちゃんへのお見舞い、ってことで」

「いいんですか、返しませんよ」

「貧乏性ね、好きなだけ使いなさい。それにそうやって少しチケットをばらまいてSNSで拡散させて一般の旅行者を呼び込む、そのために掛ける広告量に比べたら微々たるものよ」

「ワオ、ステルスマーケティング」

「ビバ、ステルスマーケティング」

「「イエーイ」」

「お前らは何をしとるんだ」

木陰から白木が出てきた。いつもの白のランニングシャツには所々黒く油がにじんでいた。

「とりあえず、各種点検とプラグコードの劣化があった。アイドリングが上がらなくなってたろうから、交換して置いた」

「いつもいつもお世話になるわね」

「ラフールの整備部に任せればいいだろうが。こんな小島の期間工に整備頼むよりもそっちだったら社員割でもっと安く済むだろうが」

「でも、コウちゃんの整備の後の方が調子いいもの」

「馬鹿を言うな、天下のラフールの整備部に一介の期間工が敵うわけないだろう」

「シャルさんってラフールの社員さんだったんですか」

「言ってなかったかしら」

ラフール・ギャラクシー・トランスポートと言えば銀河ネットワーク全体に広がっている商業運輸業者であり流通最大手の一つである。特に太陽系外の移民船団や辺境惑星、植民惑星や発見された先住惑星などへの流通を得意とする多惑星籍企業である。特にカナルグランデのようなほぼ寡占状態となっている辺境惑星でラフールの社員となればエリートと同義ともいえる。

「そんなにすごいものじゃないわよ。雇われよ、雇われ。人手が足りないから現場にも出なきゃいけないし、残業代も付かないような名ばかりブラックよ」

「何がブラックだ。お前がまともに働いてたところなんて見たことも無いんだが」

「あら、失礼しちゃう。これでも少し前までは新人研修の教官もしていたんですからね」

「若い燕を青田刈りしようとするのは新人教官とは呼ばん」

「あらら」

白木はウエスで手を拭うとポケットから取り出した領収書を切った。

「すこしばかり、高すぎるんじゃない」

「こんな離れ小島では部品も輸送量もかかるからな、ラフールに負けない整備工の技術料だ、お前からしたらそのくらい昼飯代にもならんだろう」

「まぁいいわ、それじゃあ入金はいつも通りに」

去って行こうとする白木を止めるようにシャルは立ちはだかった。

「まだ何かあるのか」

「昼ごはんまだ食べてないでしょう。食べて行きなさいよ」

「余りが出たなら冷蔵庫にでも入れて置け。明日の昼飯にでもすればいいだろう」

白木はマリーダへと視線を移す。

「中華料理は火の料理。冷めたらおいしくないにきまってるでしょ。さっさと座って丁度。いい豆腐が入ったからちょっと待っててね」

丸太のような腕と橋脚のような足、壁のようなシャルを前に白木は一つため息をつくと、降参を示す様に椅子に座り、シャルはまた上機嫌で台所へと向かう。

マリーダは隣に座る白木の姿を見る。空になったどんぶりにチャーハンを盛り、その上に次々と大皿の料理たちを乗せてゆく。うずたかく積まれてゆくその塔。

そう言われてみれば起きて初めて白木が作ってくれた朝食の時も彼はバゲットの間にベーコンやら目玉焼きやらをやたらに挟んで食べていた。そういう癖なのだろう。

「何か言いたいことでもあるのか」

マリーダの視線に気が付いたらしい白木がどんぶりをかき込みながら聞いてくる。

「いいや、なんかお父さんみたいな食べ方するなって思って」

「爺臭くて悪かったな」

「別にそうは言ってない。なんとなくそう思っただけよ。気を悪くしたんなら悪かったわよ」

マリーダの少しすねたような声を聞きながら、それでも白木は特に意に介した様子もなく、どんぶりをかき込んでゆく。

先ほどの会話、今までシャルの乗って来たゴンドラを点検していたのだろう、粘土のような油臭い匂いと所々黒ずんだ白いランニングシャツ、そして箸を持つ指の先、短く切られたつめの間は黒く汚れが残っていた。所々にやけどのある手の甲、どうやら整備工という話は嘘ではないようだった。

「悪いな、あまり人に人に見せられた手じゃないからな」

「いや別にそう言うわけじゃない」

白木は一度箸をおき、もう一度手を拭った。

「ほんとに中華丼ね。コウちゃんそんな食べ方してたら彼女できないわよ。せっかく作ってくれたご飯を混ぜられたら皆いい気はしないわよ」

もう、とため息をつくシャルは新たに麻婆豆腐やら酢豚やらを追加した。

既に山盛りの半分ほどが減ったどんぶりにまた新たにどんぶりに乗せていく。

「お口に会うかしら」

「もちろん、でもなんで中華料理を」

大きな鳶色の瞳と高く通った鼻、大柄な体格は見たところシャルにアジア系の血は入っていないように思えた。

「いい海老が入ったのよ。それで久しぶりにどうかなって」

元々料理が得意なのだろう、手際よく調理するその後ろ姿は手慣れているように見えた。

「男って言うのは女の子が手料理を作ってくれたらそれだけでポイント高いのよ。それがおいしければポイント二倍、良い人がいるなら試してみるといいわよ」

料理と言ってもカップ麺とインスタント、パスタをゆでて出来合いのソースをかける程度のものしか作れないマリーダにとってその話は少し耳が痛い。笑いかけるシャルに曖昧な表情を浮かべるしかない。

「まぁ、そんな手料理を何も言わずに食べる人とはちょっと考え直した方がいいかもね」

シャルの視線が白木の方へと向かう。当の本人は知らぬ存ぜぬの様子でどんぶりをかき込むと、そそくさと箸をおいた。

「ごちそうさん」

最後に一本春巻きを口にくわえ、席を立ちまた林の奥へと消えていった。

「あ、コウちゃん、待ちなさい、行儀悪いでしょう、まったく」

エプロンを外している内に逃げられた白木にため息をつくシャルの姿にマリーダは少しほおが緩む。

「なんか、お母さんみたいですね。」

「もう少しかわいげのある子がいいわね」

「つまみ食いした子供みたい」

つかみどころの無い様な、人に壁を作るような人だと思っていたのに拍子抜けしてしまう。

「昔から変わらない、本当に子どものまんま、体だけ大きくなっちゃって困っちゃうわ」

あのグラサンに小太りで髭面の子供時代、想像しにくいものの子供っぽいというところは腑に落ちる。

「それで、迎えはいつ来るって」

「厳密には決まってないんですけど二週間はかかるだろうって」

「本人だけでいいからさっさとエクソダスに返せばいいのに」

「条約締結前の領空侵犯ですし、まだエクソダスからもカナルグランデからも人の行き来は簡単じゃありません。それにあのVF11のこともありますし、幸い、無人島だったわけでもありませんでしたし、何とか食べ物に困ったわけでもありませんし、そういう風に指示も来ましたし」

取り皿にエビチリを取る、そのまま麻婆豆腐をよそってしまった。辛いのか、酸っぱいのか、酸っぱいのか口の中で味が混ざっていく。

「少し長めの休暇みたいなものです。こんな南の島に来るのも初めてですしね。しかも交通費、宿泊費も会社持ち。大盤振る舞いですよ」

さらに残った料理を掻き込んだ。

「そんなに一気に食べたら喉につかえるわよ。お茶でも飲みなさいな」

一気に飲み干した湯呑、少し苦い味がした。

「少し前にもらったからマリーダちゃんにもおすそ分け」

取り出されたのは小さな黄色い花が描かれたパッケージ。

「中華料理の締めがこれって言うのも乙な物ってことで許してね」

杏仁豆腐と共に差し出された二杯目は少し甘い香りがした。

 




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