二人の前に魔帝の刺客が立ち塞がる。
弱肉強食を絵に描いた様な世界―魔界。
その絶対的な不文律の前に力の弱い妖精や地霊は、常に虐げられる立場にある。
妖精族であるゴブリンのチククもその例に漏れず、周囲の力ある悪魔達から、搾取される存在であった。
抵抗しようものなら、圧倒的暴力で捻じ伏せられる。
しかし、チククだけは違った。
同族達が、奴隷の如く傅く中、チククだけは死に物狂いで抵抗した。
やっと手に入れた食べ物を奪われた時、背後からソイツ等に襲い掛かり、何度も硬い石で奴等の頭蓋を叩き割った。
しかし、所詮は力弱きゴブリンに過ぎない。
やられた仲間の報復として、壮絶なリンチに合った。
見せしめに血みどろになったチククを縛り上げ、大木に吊るした。
このまま死ぬのか・・・・・。
散々、殴られた為、身体は既にボロボロ。
両目の瞼は腫れ上がり、何も見えない状態である。
力無く項垂れる彼の前に一人の女性が現れた。
燃える様な真紅の髪をした美しい冥府を統べる女王―死の女神・ペルセポネーに。
チククの握った小刀が、オルフェウスの肉厚な背中に突き刺さった。
「ち、チクク・・・どうして?」
何故、エリューシオンに下級悪魔のゴブリンが?と、思うよりも、冥府で初めて余所者である自分に優しくしてくれた妖精が、こんな暴挙に出た事が信じられなかった。
「へへっ・・・アンタに良い事教えてやるよ・・・悪魔の言葉は信じちゃ駄目だ。」
赤色の肌をしているゴブリンの左手には、先程、妻のエウリュディケーが振り払って落としたクリフォトの果実が握られていた。
「オルフェウス!!!」
目の前で行われている凶行に、エウリュディケーが悲鳴を上げる。
愛する夫を小刀で突き刺しているゴブリンを引き離そうと駆け寄るが、オルフェウスの躰に突如異変が起きた。
突き刺された箇所から、みるみると石化し始めているのだ。
「い、一体どうして?」
石と化す夫を目の前に、妻は攻撃魔法どころか回復魔法すらも、唱える事を忘れていた。
「ヒヒッ、この刃は、バジリスクの牙で出来てるんだ。デカラビアの強欲爺から高値で手に入れたかいがあったな。」
デカラビアとは、魔界の北にあるネツァクという大都市を中心に魔具の取引をしている武器商人の事である。
魔具以外にも様々な希少アイテムや宝石も取り扱っており、魔界では結構名前が知れていた。
「え・・・う・・・りゅ・・・・。」
さしもの半神半人のオルフェウスでも、バジリスクの呪いには敵わなかった。
物言わぬ石像と化し、その瞳から一筋の涙を流す。
「あ、あなた・・・いや・・・こんな事って・・・。」
震える手で変わり果てた夫の頬に触れる。
紅茶色の髪をした美女から、ボロボロと涙が零れ落ちる。
冷たい石の感触を伝える夫の頬。
先程までは、あんなに熱い抱擁を交わしていたのに。
「これで俺っちは神になる・・・・誰にも負けない神様に。」
そんなオルフェウスとエウリュディケーを他所に、チククは、左手に持つ魔力の果実を見つめた。
こんなに上手く物事が進むとは思わなかった。
死んだ妻に会う為、足繫く通う愚かな男。
半神半人の優秀な魔術師であり、実力は、あのオリュンポス12柱と同等だという。
この馬鹿でお人好しな男を利用すれば、クリフォトの種籾を確実に実らせる事が出来る。
そう考えた赤色のゴブリンは、言葉巧みにオルフェウスに近づき、冥府に生息するクリフォトルーツを現世に持ち帰らせた。
早速、果実に喰らいつく。
ドクン!!
果実を内に取り込んだ瞬間、激しく心臓が脈打った。
庭園を抜けた先は、大きな船着き場があった。
まるで海賊映画に出て来そうな巨大な帆船がそこに、停泊している。
「今度はカリブの海賊ごっこか・・・。」
かつては、美しい船だったのだろう。
塗装はかなり剥がれてはいるが、綺麗な色彩が船の外壁に施されているのが分かる。
しかし、長い年月が経ち、既にボロボロの姿になっている上に、暗闇に佇むその姿は、まるで幽霊船そのままであった。
「明らかに罠だと思われますが・・・?」
誰がどう見ても誘っているとしか思えない。
この船に乗れば、二度と現世には生きて帰れないだろう。
「エネミーソナーが強く反応してる・・・多分、この船自体が魔界へと続く地獄門なんだろうな。」
腰に吊るしてあるガンホルスターから、愛用のGUMPを取り出したライドウが、蝶の羽の様な液晶パネルを展開させる。
画面には、船の中心部辺りから、異界の反応が強く示されていた。
「確かにお前が言う通り、コイツは俺達を誘う為の罠だな。オルフェウスが使っていた地獄門は別の所にあるんだろ。」
「ならば、その正しい道を進んだ方が宜しいのでは?」
「それが分からんから苦労してる・・・オルフェウスは、俺なんかじゃ足元に及ばない程の術者だ。そう簡単に見つけられない様に幾重にも結界を張って巧みに隠してる。」
心底困った様子で、ライドウは顎を掻いた。
アラストルは、罵詈雑言にオルフェウスの悪口を言ってはいるが、悪魔使いは相当な力を持つ魔術師として過大に評価している。
魔導を齧った程度の悪魔使いでは、その道のプロであるオルフェウスに太刀打ちなど出来る訳が無い。
「コイツも一応魔界に繋がってはいるからな・・・こうなりゃ、強硬手段でいくしかない。」
罠と知りつつも、敢えて躰を張って踏んでいく。
それ以外に魔帝に辿り着く手段が思いつかない。
「何故そこまで・・・・・まさか、あのダンテとかいう男の為ですか?」
船に乗り込もうとしている主に向かって、漆黒の騎士が険しい表情を向けた。
普段なら慎重に事を進める主らしからぬ行動だ。
それに何処か焦っている様にも見える。
漆黒の騎士が予想する通りなら、主はこれ以上、あの便利屋に深入りさせない様に、事件の首謀者である魔帝を倒そうとしているのかもしれない。
「あのなぁ、俺がさっき言った事忘れたのか?」
オルフェウスが隠している異界へと続く正しい道が分からない。
否、そもそもその門が未だにあるのかすらも判別出来ないのだ。
この城の主が危険と判断すれば、簡単に地獄門を壊して二度と使えなくしてしまうという可能性すらある。
「マスター・・・私は貴方の剣・・・貴方を護るのが役目です・・・。」
自分は少し考え過ぎているのかもしれない。
主があんな青二才に構う必要が何処にあると言うのだ?
そんな逡巡している従者の長い黒髪を主が掴むと、グイっと自分の方に引き寄せた。
「頼りにしてるぜ?相棒・・・何処までも俺について来てくれるんだろ?」
「な・・・ナナシ・・・・。」
いきなり髪の毛を引っ張られた痛みよりも、主の吸い込まれそうな黒曜石の隻眼に、黒騎士は思わず見惚れてしまった。
オケアノスでの一件後、ラダマンティスとミーノスの二人に指示を出した月の女神、ヘカテーはエリューシオンに辿り着いた。
「な・・・・・なんだぁ?こりゃぁ?」
本当に此処は、死者が最後に送られる安らぎの地なのだろうか?
一面の花畑は全て枯れ果て、醜い魔界の植物で埋め尽くされている。
クリフォトの果実の影響で、冥府の楽園は完全に異界化しているのだ。
「あれは・・・・!?」
月の女神の視線の先に、ぶよぶよとおぞましい肉の塊が蠢いていた。
肉の塊は、無数の触手を飛ばして何かを攻撃している。
石化したオルフェウスを砕かんとしているのだ。
そうはさせないと、彼の妻であるエウリュディケーが風属性中位魔法”ガルーラ”の風の刃で肉の槍を切り裂いている。
「へぇ?人間の癖に魔法が使えるのかよ。」
感心した様にグリフォンが、エウリュディケーの戦いを眺めている。
「馬鹿な事言ってないで、助けに入るわよ。」
ヘカテーは、仲魔の魔獣達を促し、エウリュディケーを救助すべく、二人の所に駆けだした。
「ぐぐっ・・・・しぶとい女だな・・・?」
肉の塊―クリフォトの果実を取り込んだチククが、忌々しそうに石化したオルフェウスを必死に護るエウリュディケーを睨み付けた。
「はぁ・・はぁ・・・オルフェウスには指一本だって触れさせない。」
最早魔力残量は限界値に達している。
これ以上、肉の槍から夫を護りきれない。
しかし、彼女の燃える様な蒼い瞳は、決して諦める様子が無かった。
我が身を犠牲にしてでも愛する夫を護り切る。
その確固たる想いが、彼女を奮い立たせていた。
「何でそこまでこの男を護る?お前を生き返らせる為に、何の罪も無い人間を平気で魔界樹の餌にする様な悪党なんだぞ?」
嘲笑う赤色のゴブリン。
止めとばかりに無数の肉の槍をエウリュディケーと石化したオルフェウスに向かって放つ。
と、突然、空から巨大な落雷が肉の槍を打ち砕いた。
「ぐぉおおおおお!?誰だ?俺の邪魔をする奴は!!」
怒りの咆哮を上げる肉の塊。
呆然とする紅茶色の髪の女性の前に漆黒の毛並みをした黒ヒョウが唐突に、地面から姿を現す。
「一体何がどうなっているのか皆目見当がつかないけれど、これは放っておける事態じゃないわね?」
少々、S気のある高飛車な台詞と共に、長い黒髪と深紅の双眸をした16・7ぐらいの美少女が肉の塊とエウリュディケーの元にゆっくりとした歩調で近づいて来た。
「シャドウ、彼女を安全な所まで避難させて。」
エウリュディケーの前に立つ魔獣に、黒髪の少女―ヘカテーが指示を出す。
主の命令に頷くと、黒ヒョウは無理矢理その逞しい巨躯に紅茶色の髪をした女性を乗せると遥か高台に向かって走り出した。
「待って!あそこには私の大事な夫が!!」
いきなりの出来事にどう反応して良いのか分からない。
しかし、愛する夫を置き去りにする事は出来ない。
黒ヒョウの背に無理矢理乗せられたエウリュディケーは、何とかその巨躯から降りようとするが、いかせん中位魔法の連発による疲労により身体がいう事を聞かなかった。
悔し気に遠ざかっていく夫の姿を見守るしか他に術がない。
「さて、よくも好き勝手に暴れてくれたわね?たっぷりとお仕置きしてあげるわ。」
侮蔑の色を多分に含んだ深紅の双眸が、目の前の肉の塊を睨み付ける。
「ぐぐっ・・・・貴様は、月の女神・ヘカテーか・・・?」
魔獣・グリフォンを従えた黒髪に深紅の双眸を持つ美少女。
オリュンポス12柱を統括する女神・ヘラの双子の妹であり、魔獣調教師(トレーナー)兼魔具を造り出す職人、ハンドヴェルカーとしても知られている人物である。
「へぇ?私の事を知っているの?まぁ、貴方が何者かは知らないけれど、状況を鑑みて排除させて貰った方が良さそうね?」
ヘカテーが指を鳴らすと、空から巨大な何かが降って来た。
隕石の如く地面を爆散して現れたのは、一つ目の巨人―ナイトメアである。
ヘカテーによって生み出された人造の巨人は、主人を背に乗せ、ゆっくりと立ち上がった。
マレット島の端にある闘技場から、再びオルフェウス城に戻ったダンテ達。
僅かに残る死の女神・ペルセポネーの匂いを辿り、白銀の魔獣は、かつて魔剣士・ネロ・アンジェロと対峙した書斎に足を踏み入れた。
「おい、本当にこんな所に冥府の女王様がいるのか?」
時刻は既に夜の8時を過ぎている。
暗闇に沈む書斎は、夕刻時と違って不気味な雰囲気を醸し出していた。
「私を信じろ・・・この部屋の何処かに、隠し部屋へと続く通路がある筈だ。」
その隠し部屋の先に冥府の女王・ペルセポネーとオルフェウスの妻の生まれ変わり、エウリュディケーが居る筈である。
白銀の魔獣―ケルベロスは、ペルセポネーの気配を探りつつ、壁の大半を埋め尽くす巨大な姿見の前に立った。
「此処だな・・・。」
ケルベロスは、小声で古代ヘブル語を呟く。
すると姿見の鏡が忽然と消え、巨大な扉が出現した。
「おいおい、どんな手品を使ったんだ?ワン公。」
「隠遁の術で上手く隠されていた・・・まぁ、私にかかれば造作もないが。」
冥府の門を預かるケルベロスにとって、幾ら魔法で隠し部屋へと繋がる扉を隠した所で全くの無駄である。
その鋭い嗅覚は、扉の位置を正確に把握していた。
「それと、目上の者に対する言葉遣いは気を付けるんだな?スパーダの子倅。」
隠し扉を押して中に入ろうとしている銀髪の青年に向かって、ケルベロスが呆れた様子で言った。
この男に一般的常識を教えたところで無駄だろう。
「目上の者ねぇ?入り口を見つけてくれてありがとうお犬様とでも言えば良いのか?」
皮肉な笑みを口元に浮かべ、軽口を叩くダンテにケルベロスは溜息を零す。
成程、主人に絶対的忠誠を誓うあの魔槍士では、到底受け入れられないだろう。
隠し通路の中へと姿を消す魔狩人の背中を眺め、魔獣は溜息を一つ零した。
やっとこさ投稿出来ました。