巨大な帆船を発見し、罠と知りつつ、魔界へと唯一通じる地獄門の為、敢えて乗り込む。
一方、ダンテは、オルフェウスの隠し通路を発見し、ケルベロスと共に進む。
初めて自分が見た世界は、全てが絶望で黒く塗りつぶされていた。
逃れる事が決して叶わぬ暴力と死の世界。
何時しか心は死に果て、意思の強い双眸は只の硝子玉となった。
いずれ自分は、あの化け物共の餌にされてしまうだろう。
でも、それは別段悲しい事じゃない。
この苦痛でしか無い世界から解放される唯一の方法なのだ。
そう思うと絶望で塗りつぶされた重い心が少しだけ軽くなる。
己の死を望むだけの毎日。
それに終止符を打ったのは、一人の美しい少年だった。
朽ち果てた遊覧船に乗ると、舵を取る者など一人も居ない筈なのに、巨大な帆船がゆっくりと動き出した。
周りは逃げ場のない海。
やはり、これは魔帝が仕組んだ罠だったのだ。
「まぁ、こうなる事は想定済みだったんだけどな・・・。」
ライドウが船の先端・・・バウスブリットと呼ばれる場所に視線を向ける。
すると何時の間に現れたのか、そこには禍々しい鎧を纏った巨漢の騎士が立っていた。
「お前が道先案内人か・・・・・バージル?」
「!?」
主の予想外な言葉に、籠手に封じられている魔具・・・イフリートを解放した漆黒の騎士は驚いて双眸を見開く。
「バージル?・・・・まさか、あのダンテとかいう男の双子の・・・。」
「そうだ・・・初めは信じたくなかったんだけどな・・・・流石にコッチの眼は誤魔化されない。」
普段、呪術帯に収められている魔眼が、布越しに微かに光っている。
蒼き魔眼は主に伝える。
この魔剣士は、ダンテの双子の兄、バージルであるという事を。
(お袋さんの一撃を喰らって即死しなかったのは大したもんだが・・・・酷ぇことしやがるぜ・・・・あの糞野郎が・・・。)
3年前のレッドグレイブ市を襲った『テメンニグル事件』。
その首謀者の一人であるダンテの双子の兄・バージルは、ライドウのお目付け役兼指南役である魔獣・ケルベロスによって、一刀の元に斬り伏せられた。
しかし、悪魔の強靭な生命力故か、それとも咄嗟に急所だけは護ったのか、バージルは死なず、魔界の淵で辛うじて生き延びていたのだ。
瀕死のバージルを救ったのは、よりにもよって、魔界を統べる四大魔王の一人”西の地・ティフェレト”の領主、魔帝・ムンドゥス。
奴は、バージルを自分の配下として改造し、操り人形としていた。
悪魔に道徳を求めるのは、非論理的であるが、流石にこの所業には腸が煮えくり返る。
「唯一の救いは、ダンテじゃ無くて俺に殺されに来てくれたって事か・・・。」
スラリっと合体剣『七星村正』を鞘から抜く。
偉霊”アリラト”の宿った魔剣から、紫色のオーラがユラユラと立ち昇った。
そんな悪魔使いを嘲笑うかの如く、大剣を虚空へと掲げる魔剣士。
するとライドウ達の立っている甲板に巨大な魔法陣が浮かび上がる。
危険を察知し、左右に跳び退る二人。
しかし、そこから無数の歪な触手・・・”クリフォトの根”が現れ、悪魔使いの脚を絡め獲ってしまう。
「マスター!!」
瞬く間に異界の扉へと引きずり込まれてしまう悪魔使い。
主を助けようと向かった漆黒の騎士の目の前に、禍々しい鎧を纏った魔剣士、ネロ・アンジェロことバージルが立ち塞がった。
サイバース・コミュニケーションの通信大手企業のチーフ・テクニカル・オフィサーである氷川の依頼で、組織『クズノハ』最強の悪魔召喚師・17代目、葛葉ライドウの後を付けていたイギリスの女諜報員・トリッシュ。
いかにも敵の罠と分かる巨大な帆船に何の躊躇いも見せずに乗り込む悪魔使い達を見て、彼女は思わず大きな溜息を洩らしてしまった。
(全く、警戒心とか無いのかしら?逃げ場の無い海に出られたら一巻の終わりじゃない。)
『クズノハ』最強の召喚士は、実は只の馬鹿でした・・・何て笑い話にもならない。
その後を付けている自分は一体何なのだろうか?と疑問に思いつつ、トリッシュは渋々帆船の中に乗り込んだ。
「マスター!!」
番である”クランの猛犬”の悲痛な叫び。
魔法陣により開かれた異界から現れた”クリフォトの根”は、華奢な悪魔使いの左脚を絡め獲ると一気に引きずり寄せてしまう。
成す術も無く異界へと消えていく悪魔使い。
その光景を目の当たりにした女諜報員は、舌打ちすると、無意識に悪魔使いが消えた異界の穴へと飛び込んでいた。
「冥府の女王様とは一体どういう関係だったんだ?」
オルフェウスの書斎から地下の隠し部屋へと向かう通路の中。
真紅のロングコートを纏う魔狩人は、冥府の女王・ペルセポネーの残り香を辿る魔獣・ケルベロスに向かってそう言った。
「ほぉ?お前から話し掛けるとは珍しいな?」
三年前の『テメンニグル事件』で、唯一の肉親を手に掛けた自分を憎んでいると思っていた。
ライドウの提案で一時的に協力関係にあるが、隙を見て寝首を掻かれるぐらいは覚悟していたのだが・・・。
「・・・てめぇとあの色男は、正直気に喰わねぇ・・・だけど、お前等に手を出したらライドウの奴が黙ってねぇからな。」
バツが悪そうに舌打ちする。
便利屋として修羅場を幾つか潜り抜け、トップクラスの荒事師としてそれなりに矜持も持っていた。
しかし、それを粉々に打ち砕いたのが”クランの猛犬”こと、クー・フーリンであり、決して越えられない壁として、立ち塞がったのが組織『クズノハ』最強の悪魔使い、17代目・葛葉ライドウだ。
まぁ、後者はその圧倒的なまでの強さに心底惚れてしまったのだが・・・。
「・・・・17代目を好いてしまったか・・・・ほとほと難儀な男だな。」
そっぽを向くダンテの様子に何かを察したのか、ケルベロスは溜息を零す。
「お前に忠告しておくが、悪魔使い・・・魔導師相手に恋愛感情を抱くのは愚かな行為だ。悪い事は言わん・・・・止めておけ。」
「うるせぇ、俺の質問とは関係がねぇだろうが。」
お前ではライドウと吊り合いが取れないと言われているみたいで、気分が非常にささくれ立つ。
何時もはクールでスタイリッシュなダンテではあるが、この時ばかりは、語気が自然と荒くなった。
「もー、お願いだから喧嘩はしないでよねぇー。」
呆れた様子でダンテの肩に座るハイ・ピクシーのマベルが言った。
彼女の優れた精神感応力が、ペルセポネーとエウリュディケー・・・両者の魔力が徐々に近づいているのを知らせている。
二人を見つけて保護し、この島から無事脱出するのが目的だ。
お願いだから大事な任務の最中に下手ないざこざはしないで欲しい。
「ペルセポネーは、私の妹の娘だ・・・あの子の母親・・・妹のデメテルが重い心の病を患ってしまってな・・・とても子育て出来る状態では無くなったので、私が代わりに彼女の育ての親となったのだ。」
腰に手を当ててプンプン怒る小さな妖精に、ケルベロスは苦笑を浮かべた。
気を取り直して、ダンテとマベルに昔話を始める。
ペルセポネーの実母、デメテルは豊穣の女神であり、穀物の栽培を人間に教えた神と言われている。
実の弟・・・大神・ゼウスに無理矢理関係を迫られ、辱めを受けた事により精神的に病んでしまい、それが原因でまだ幼かったペルセポネーにネグレストをしてしまう。
見かねた実の姉であるケルベロスが、乳飲み子であったペルセポネーを引き取り、彼女が成人するまで面倒を見たのであった。
「ちょ・・・ちょっと待ってくれよ・・・立て続けに凄ぇ名前が出て来たから面食らったが・・・あ、アンタもしかして・・・。」
それまで黙ってケルベロスの話を聞いていた大剣『アラストル』が唐突に口を開いた。
確かデメテルは、クロノスとレアーの娘で、ゼウスの姉に当たる人物だ。
その兄弟・・・という事は・・・?
「危ない!」
突然、ハイピクシーのマベルが叫んだ。
咄嗟に左右に分かれて飛ぶケルベロスとダンテ。
その刹那、先程まで二人が居た場所を蒼白い光線が薙ぎ払って行く。
「ふん、呑気に昔話をしている場合ではないな。」
暗闇に閉ざされた通路を縦横無尽に飛び回る青白い無数の光。
それは、蝙蝠の形をした一つ目の悪魔―プラズマであった。
この悪魔は蝙蝠形態の時は、それ程脅威ではないが、一度(ひとたび)戦闘が行われると、此方の能力をコピーする厄介な能力を持つ。
「へっ、そろそろ退屈していたところだ、丁度良い。」
背負っていた大剣『アラストル』を引き抜き構える。
その傍らでは、白銀の巨獣・ケルベロスも臨戦態勢に入っていた。
「今日も良い子でお留守番してるのよ?マリー。」
見事な金の髪を撫で、仕事の道具が収められているキャリーバッグを手に取る。
大きなテディベアのぬいぐるみを大事そうに両手で抱えた幼い少女は、アジア系の特徴的な顔立ちをしている黒髪の女性を見上げた。
彼女の名は、ナオミ。
本名は知らない。
只、フリーの悪魔召喚術師をしており、世界各地を飛び回っている為、滅多に家に帰って来る事は無かった。
「何時、お家に帰って来てくれるの?ママ先生。」
不安で押し潰されてしまいそうな心を必死に堪え、5歳になったばかりの少女は潤んだ瞳でナオミを見つめた。
この少女にとってナオミは、母親と同じ唯一の家族だ。
常に危険が付きまとう召喚術師の仕事をする度に、小さな少女の心は不安で張り裂けそうになった。
「・・・・大丈夫、必ず帰るわ。後の事は、ウォンに頼んであるから、何かあったら彼を頼るのよ?」
ウォンとは、ヨーロッパで悪魔召喚の修業をしている時に知り合った同業者である。
とても気のいい性格をしている人物で、現在は召喚術師稼業からは足を洗い、国立図書館の司書の仕事をしていた。
「じゃぁ、行って来るわね。」
まるで壊れ物でも扱うかの様に、ナオミは大事そうにマリーを抱きしめる。
名残惜しそうに離れ、玄関のドアから消えていく黒髪の女召喚術師。
それが、養母であるナオミとの今生の別れであった。
「此処は・・・魔界なの・・・・?」
クリフォトの根によって異界へと引きずり込まれたライドウを追い掛け、妖閉空間へと飛び込んだ女諜報員。
まるで人間の内臓を思わせる床と壁、光の一切差さぬ空。
そして、辺り一面をびっしりと覆う何かの植物の根だと思われる物体。
幽体で何度か異界へと渡った経験があるが、こんな場所は初めてだった。
恐らく、魔帝が造り出した異空間なのかもしれない。
(これは・・・もしかしてクリフォトの根・・・。)
肉の床や壁を突き破るかの様に生えている異形の根。
氷川から見せられたクリフォトルーツの電子映像に良く似ている。
もしこれが人間の生き血を糧に育つ魔界樹ならば、近くに必ず種籾が生えている筈だ。
一か八かの殆ど負け確定の博打であったが、思わぬ収穫はあった。
自然と女諜報員の口元に笑みが浮かぶ。
魔帝の罠にまんまと掛かったライドウ。
舌打ちし、脚に絡み付いているクリフォトの根を腰に下げてあるナイフケースから取り出したアセイミナイフで斬り飛ばす。
人間と同じ深紅の体液を撒き散らしながら何処かへと消えていくクリフォトの根。
宙で態勢を立て直したライドウが、肉の床に着地する。
「ちっ、志郎と引き離すのが目的だったか・・・。」
己の失態に思わず舌打ちする。
まともに殺り合っても勝てないと判断した魔帝は、魔力特化型であるライドウの最大の弱点を突いて来たのだ。
番と距離が離れれば、パスが届かず魔力供給が止まる。
そうなれば、”魔力の大喰らい”である悪魔使いは、エネルギーが枯渇し動けなくなってしまうのだ。
「・・・・はぁ、まさかこんな形で役に立つとはな・・・。」
右手が自然と右の首筋に触れる。
首根から首筋にかけてのたうつ蛇の様な痣。
3年前のあの日、十二夜叉大将の長、化け物龍こと骸に施された蟲術(こじゅつ)。
ケルト海を漂流する一隻の帆船。
その甲板上では熾烈な死闘が繰り広げられていた。
魔狼の姿に変じたクー・フーリンが深紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”を操り、光速の刺突を繰り出す。
それを蒼白い魔力のオーラを纏った大剣で、悉くいなす巨漢の魔剣士。
お返しとばかりに、魔力で生み出した8本の剣を魔狼に向かって放つ。
真紅の魔槍を巧みに回転させ幻影の剣を弾き飛ばす魔槍士。
しかし、死角から襲って来た魔力の剣に対処出来ず、左脚に深々と突き刺さる。
「ぐあぁあああ!!」
苦痛の声を上げ、片膝を付いてしまう魔槍士。
真っ赤な鮮血が、松の木で出来た甲板の床を汚す。
(・・・・つ、強い・・・3年前とは比べ物にならぬ程、強大な魔力を宿している。)
悔し気に歯嚙みしたクー・フーリンが数メートルの間合いを置いて対峙する魔剣士を睨み付ける。
魔帝の人智を超えた改造手術が、バージルことネロ・アンジェロを想像を絶する怪物へと生まれ変わらせた。
しかし、常に冷静な判断力と機械の如き精密な動きを誇る何時ものクー・フーリンであるならば、これ程の痛手を受ける事は無かっただろう。
魔槍士の脳裏に、無残な姿で横たわる最愛の主の姿が過る。
十二夜叉大将・薬師如来の名を冠する『葛葉の化け物龍』こと骸と、その配下共に凌辱された17代目・葛葉ライドウ。
その少し離れた所に、涙を流し茫然自失としている義理の息子、遠野明が座り込んでいた。
(二度と繰り返さん!私はあの方を護る!!)
あの陰惨な光景を思い出し、苦痛で片膝を付く己自身を奮い立たせる。
立ち上がった衝撃で、切り裂かれた左大腿から血が噴き出す。
焦りが冷静さを奪い、流れ出る血が魔槍士の体力を容赦無く奪う。
しかし、こんな程度で倒れる訳にはいかない。
あの日、あの時、もし自分が彼の方と一緒にいれば、違った結果を出していたかもしれない。
真紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”を構える。
この槍は、元々17代目を襲名する前にライドウが使っていた合体剣だ。
槍に宿る女神・スカアハと相性が良いだろうと言われ、敬愛する主から譲り受けた。
確かにライドウの言う通りで、この槍のお陰で幾多の困難を何とか無事に乗り切れた。
今回の任務も今までと同じ。
そう、この槍と主への忠誠心さえあれば、どんな強敵であろうとも、負ける気はしない。
ナイトメア登場まで書きたかった。