しかし、それは魔帝が仕組んだ巧妙な罠だった。
異界へと引きずり込まれたライドウは、脱出する方法を模索する。
首の付け根から顎の辺りまで走る蛇の様などす黒い痣に触れる。
これは、”八咫烏”の長、骸によって施された蟲術(こじゅつ)だ。
古代中国から伝わるこの外法は、毒を持つ昆虫や爬虫類を一つの壺に入れて互いに共食いさせる。
そして生き残った蟲を呪術に使用し、人を呪殺したり、時には福を呼ぶ神霊として崇めたりするのが一般的だが、骸の場合は大分違っていた。
「アイツの力に頼るのは不本意なんだが・・・・。」
ドクリっ。
全身を例え様も無い怖気が走る。
蟲術を施された痣が左右にうねり、ソレは太い血管の如く幾つも枝分かれすると、ライドウの左頬まで伸びた。
ビクビクと脈動するどす黒い痣。
「ぐぅ・・・糞・・・・痛ぇ・・・。」
激しい頭痛と吐き気に思わず肉の床に蹲りそうになる。
骸の巫蟲(ふこ)は、奴の魔力の一端を与えてくれるが、その代償として使用者に尋常ならざぬ苦痛を強いる。
余りにも矛盾した呪術ではあるが、魔力特化型のライドウにとって、魔力供給出来るパートナーと離れるのは死活問題である。
今は耐えるしかない。
「・・・・・!!」
その時、鋭い殺気の刃が悪魔使いを襲った。
殆ど条件反射で、その場から大きく飛び退る。
刹那、突き刺さる巨大な氷の槍。
見ると、中空に2体の悪魔―フロストが、悪魔使いの少年を見下ろしていた。
「こりゃ、ありがてぇ・・・・丁度腹が減って死にそうだったんだよ・・・。」
左眼を覆う漆黒の眼帯を剥ぎ取る。
するとそこから現れたのは寒気が走る程美しい、蒼い魔眼であった。
ジュリー・フィンレイは、豪奢な装飾が施されたアンティークの姿見の前に立っていた。
ブルーグリーンの外枠に貝や花が彫り込まれたゴールドの内枠。
一見して普通の姿見にしか見えないが、ある程度、魔導の知識がある者ならば、ソレが鏡ではなく、異界へと通じる門である事が判るだろう。
「エウリュディケー、この先にオルフェウスがいるのね?」
「はい・・・・ペルセポネー様。」
足元にいる黒猫の問いかけに、ジュリー・・・・オルフェウスの妻・エウリュディケーが応えた。
覚悟を決め、右腕を上げて鈍く光る鏡に触れようとした刹那。
室内の扉を破壊して何かが飛び込んで来た。
「何者!!」
全身の毛を逆立てて威嚇する黒猫。
扉を破壊して室内に入り込んだ不敬者の正体は、蒼白い電光を放つ一匹の蝙蝠であった。
躰に髑髏の柄頭と蝙蝠の羽根を思わせる鍔(つば)の装飾が施された大剣に貫かれている。
「ひっでぇ!俺様投げる何てあんまりじゃねぇかよぉ!!」
大剣に身を変じた魔神・アラストルが怒りの声を上げる。
悪魔の中でも最強の種族である魔神族に組する自分を何の躊躇いも無く投擲するとは・・・。
後で絶対、復讐してやる。
「アラストル・・・・?貴方が此処に居ると言う事は・・・。」
標本の如く壁に縫い留められた悪魔”プラズマ”に深々と突き刺さる大剣。
確かこれを持っていたのは見事な銀の髪と深紅のロングコートを纏う、大柄な青年であった。
冥府の女王の予想通り、破壊された扉から、銀髪の便利屋が姿を現す。
「もー嫌だ!俺ちゃんのご主人様は人修羅様なんだよぉー!お前みたいな未熟者の馬鹿の面倒何てもう見たくねぇよぉー!!」
無造作に自分を壁から引き抜くダンテに思いっきり悪態を吐き捲る。
あの美しい悪魔使いなら、もっと上手く自分を扱ってくれる筈だ。
いくら人修羅様の命令とはいえ、何が哀しくてこんな半人前のガタイだけが大きい筋肉ゴリラの命令に従わなくてはならないのか。
「うるせぇ、コッチだって好きでお前を使っている訳じゃないんだぜ。」
喚き続ける大剣を肩に担ぎ、改めて室内の様子を伺う。
すると、壁に掛けられた大きな姿見の前に居るエウリュディケーとペルセポネーを見つけた。
巨漢の造魔―『ナイトメア』の紫色に光る眼から、一条の光線が放たれる。
数千万度の光の熱が、迫り来るクリフォトの根を容赦なく焼き払う。
苦痛の叫びを上げる肉の塊。
無様にのたうち回る醜悪な怪物を月の女神が冷酷に見据える。
「これ以上、エーリュシオンをアンタの血で汚したくないわ。次で終わらせてあげる。」
巨人の背に乗る魔女が再び指を鳴らす。
すると人造の悪魔”ナイトメア”の姿が装甲戦闘車両へとみるみるうちに姿を変えていった。
「グリフォン!奴のコアは何処にあるか分かる!?」
傍らを飛ぶ魔獣”グリフォン”に向かって指示を飛ばす。
此方もヘカテーが鷲をモデルに造り出した人工の悪魔だ。
魔力感知に優れた能力を持つグリフォンは、主の問い掛けにすぐさま応える。
「見たまんま!馬鹿みたいにど真ん中にありやがるぜぇ!」
無数に枝分かれしたクリフォトの根の中央。
人間の心臓の様にビクンビクンと鼓動を繰り返す赤い肉の塊。
覚醒してまだ間がないチククは、悪魔の弱点である心臓を隠すという、当たり前の行動をすっかりと忘れていた。
「ぎぃいいいいいいい!!!魔女めぇ!俺を簡単に倒せると思ったら大間違いなんだぜぇええええ!!」
怒りの咆哮を上げたチククが、石化したオルフェウスに触手を伸ばす。
石化し、身動きが取れないオルフェウスに抗う術など当然無い。
瞬く間にクリフォトの根に取り込まれ、肉の塊に同化させられてしまう。
「あ、あの野郎!オルフェウスを取り込んじまったぜ?」
「拙い事になったわね。」
グリフォンとヘカテーの目の前で、オルフェウスと融合した肉の塊に異変が起こる。
巨大な二つの羽根に太い腕。
醜悪な肉の塊から、より人間に近い姿へと変貌していく。
「シャドウ!今すぐ戻って来て!」
エウリュディケーを安全な場所へと連れて行った造魔に念話で指示を出す。
いくら人間の血が濃いとはいえ、オルフェウスはれっきとした大神・ゼウスの血族だ。
魔力の源である『クリフォトの果実』、そしてオリュンポス神族並びに人類の守護者たるゼウスの血を引くオルフェウス。
この両者の力を手に入れたチククは、魔王クラス否、神族を遥かに超える力を得たと言っても過言ではない。
「どーすんだよ?マスター。」
造魔グリフォンが傍らにいる長い黒髪の美しい主人に指示を乞う。
チククの姿は、まるで大聖堂の壁に飾られているステンドグラスに描かれた大天使そのものであった。
白く巨大な美しい羽根を雄々しく広げ、月の女神を見下ろしている。
「どーするもこーするも、オリュンポスから助っ人が来るまで此処で時間稼ぎするしかないじゃない。」
現在、冥府の審判官の一人であるラダマンティスが、この件を伝える為、神々がいるオリュンポスに向かっている。
彼の報告を聞いた双子の姉―女王ヘラなら、きっと選りすぐりの精鋭を派遣させてくれる筈だ。
(それまで私が頑張らないと・・・!)
ヘカテーは、自らが制作した巨大造魔―ナイトメアに攻撃の指示を出す。
戦車の主砲が、巨大な羽根を持つ大天使に向かって火を噴いた。
「あ、貴方達は・・・・・?」
室内のドアを破壊して中に入って来た深紅のロングコートを纏う銀髪の青年を見て、エウリュディケーは、驚きで眼を見開いた。
「呆れたわね・・・・大人しく島から出て行ったと思ったのに・・・。」
この男は確か、エウリュディケーことジュリー・フィンレイの生死を調べる為にこの『マレット島』へと足を踏み入れた便利屋だ。
ジュリーから「死んだと伝えて欲しい。」と言われ、依頼主である婚約者の所へ帰ったと思っていたのだが。
「漸く見つけたぜ?エウリュディケーに冥府の女王様。」
紅茶色の髪をした女性地質学者と、その足元に居る黒猫の姿を認め、ダンテは口元に不敵な笑みを浮かべた。
「どうして・・・・?この場所は現世と幽世(かくりょ)の狭間の世界・・・いいえ、限りなく魔界に近い所なのです。人間がいて良い場所ではない。一刻も早くこの島から逃げて下さい。」
エウリュディケーは、咎める様に目の前の銀髪の大男に鋭い視線を向ける。
婚約指輪を渡し、スティーブに自分が死んだ事を伝える為に、この呪われた島から離れたと思っていたのに。
「そんな小難しい話をペラペラ喋られても俺には判らねぇよ。」
ダンテは軽口を叩くと、壁から引き抜いた大剣『アラストル』を背に収める。
「只、俺にも便利屋としての矜持(プライド)がある。このままアンタを置いて帰る訳にはいかねぇよ。」
「ダンテさん・・・。」
この男も自分と同様、悪魔と対抗する術を心得てはいるのだろう。
でなければ、こんな魑魅魍魎が跳梁跋扈する魔の世界に自分から望んで残っている筈がないのだ。
その時、女性地質学者の背後にある姿見から異様な光が迸った。
鏡の中から、エウリュディケーの頭に直接、何者かの声が響いて来る。
「さ・・・・寒い・・・・此処は、寒いよ・・・・エウリュディケー・・・。」
「オルフェウス!!?」
その声は、彼女の最愛の夫、オルフェウスのモノであった。
彼女が振り返ると、鏡の中から不可視な巨大な腕が突如現れる。
巨大な腕は、紅茶色の髪をした女性地質学者を掴むと、そのまま鏡の中へと引きずり込んでしまった。
「エウリュディケー!!」
冥府の女王の悲痛な叫び。
鏡は、女性地質学者を呑み込むと、再び冷たい光を放つ姿見に戻ってしまった。
「ぬぅ、どうやら一足遅かったみたいだな。」
ダンテの背後から、見事な銀の鬣を持つ巨獣が入って来た。
「遅いぜ?糞犬。何処で油を売っていやがった?」
ダンテは、小さな妖精―ハイピクシーのマベルを頭に乗せた銀の魔獣・ケルベロスを呆れた様に見つめた。
「アンタがどんどん先に行っちゃうのが悪いんでしょ?アタシ達は、電気蝙蝠倒すのに大変だったんだからね!」
マベルの言う通り、ケルベロスの忠告を無視して何の警戒も無く、回廊を突き進んだのは、他でもないダンテ自身である。
お陰で此方は、残りの残党共を始末する羽目になってしまったのだ。
それで文句を言われては此方も堪らない。
「久しいな?ペルセポネー、元気にしていて何よりだ。」
そんな二人のやり取りを無視して、銀の魔獣は、姿見の前に居る黒猫に歩み寄った。
「も・・・・もしかして、叔母様なのですか?」
金の双眸に見つめられ、当初戸惑ってはいたが、懐かしい魔力の波動をその魔獣から感じた冥府の女王は、ゆっくりと警戒心を解いた。
「何故・・・・そんな姿に・・・・?まさか、彼の天ノ津神の仕業・・・?」
「悪いが説明をしている暇は無い。それよりも早くエウリュディケーを助けに行かなければ。」
黒猫の問いかけを遮り、銀の巨獣は壁の大半を占める巨大な姿見の前へと立った。
先程の異変をまるで感じさせない姿見は、銀の獣とその頭の上に乗る小さな妖精を映している。
「ムンドゥスって野郎の仕業か・・・?」
「否、あの魔力は魔帝のモノではない。恐らくこの城の主、オルフェウスのモノだろう。」
ダンテの問いかけをあっさりと否定する。
オルフェウスに一体何があったのかは知らないが、先程の様子から、大分錯乱状態である事が分かった。
恐慌状態のオルフェウスは、懐かしい愛する妻の気配を感じ、半ば強引にエウリュディケーを連れ去ったのだ。
とても正気とは思えない所業である。
あのままでは、彼女を手に掛けてしまうかもしれない。
「でも一体どうやって追い掛けるの?見た所、この地獄門(ヘルズゲート)には鍵が掛けられている様に見えるけど。」
マベルの指摘通り、この姿見の形をした異界の門には、魔術で簡単に入り込めない様に特殊な法式が組まれている。
「ふむ・・・・ルーン魔術か・・・随分と洒落た真似をする。」
鏡の外枠に書かれているルーン文字を確認した白銀の魔獣は、床に落ちている木片を器用に口で咥えると何かの記号みたいなものをそこに書き始めた。
それは、開門を示すルーン文字であり、魔獣が書き終わると、鏡に異変が起きる。
「一体どんな手品を使いやがったんだ?ワン公。」
意図も容易く、異界へと続く扉の封印を解いた魔獣に銀髪の便利屋が口笛を吹いた。
「ふん、本来、私は冥府の門を預かる魔獣だ・・・この程度の法式を解くことなど、赤子の手を捻るより容易い。」
ダンテの軽口を鼻で笑うと、魔獣は異界への扉へと足を踏み入れる。
その後にダンテとマベル、そして冥府の女王ことペルセポネーが続いた。
鋼の義手を悪魔・フロストに突き刺し、その心臓を抉り出す。
仲魔を惨殺され、怒り狂ったもう一体が、鋭い氷の爪を悪魔使いの華奢な肢体に突き刺そうと猛然と襲い掛かって来た。
左手に握る心臓を投げ捨て、口内で短く転移魔法(トラポート)を唱えるライドウ。
フロストの背後に跳ぶと両腕でその頭部を掴む。
指で眼を抉られ、苦痛にのたうち回るがライドウの腕は離れない。
造魔特有の緑色の体液を辺りに撒き散らせ、胴体と頭部を捩じ切ってしまった。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・。」
ピクピクと死の痙攣を繰り返す悪魔を無表情に眺める。
この二体の悪魔の他に、辺り一面には無残な屍を晒す悪魔達で埋め尽くされていた。
皆、同様な殺し方だ。
的確に悪魔の弱点である心臓を狙い、無駄な動きを一切しない悪魔使いにしてはらしくない闘い方である。
「はぁ・・・はぁ・・・腹が一杯になったかよ?糞蟲。」
悪魔の体液が付いた右腕で汗に濡れる口元を拭う。
右の顎から首筋に掛けて走るどす黒い痣がビクビクと脈打つ。
悪魔共の断末魔の恐怖で腹が満ちた蟲は、宿主に魔力の波動を流し込む。
すると身体中に活力が漲る(みなぎる)のを感じた。
「・・・・・!!」
刹那、背筋を形容し難い悪寒が走る。
肉の床を突き破り、噴き出す緑色の不気味な液体。
所々、人体の頭蓋骨と肋骨らしきモノが、泥の中から突き出している。
コイツの正体は、外道族の中でも高位種に含まれる、悪魔・ブラックワーズだ。
魔帝の改造により、大分強化されているのだろう。
通常のブラックワーズなど比較にもならない程の禍々しい瘴気の波動を放っていた。
「成程・・・真打登場ってか・・・。」
みるみるうちに巨大な砲台へと姿を変えていく外道”ナイトメア”を前に、ライドウは不敵な笑みを口元に刻む。
腰に刺した合体剣、『七星村正』を鞘からゆっくりと抜き放った。
短く終わらせるつもりが後半大分グダグダになりそうです。