闘いの末、ダンテの持つ魔剣・スパーダが兄の心臓を貫き、戦いは終了したかに見えた。
しかし、それは、魔帝の罠で、一瞬の油断を突かれ、凶刃がライドウを襲う。
ジュリー・フィンレンこと、エウリュディケーは閉じていた瞳を薄っすらと開いた。
どれぐらい自分は意識を失っていたのだろうか?
未だ思考がぼんやりとしていて、中々定まらない。
軽い頭痛を訴える額に手を当て、彼女は起き上がると周囲の様子を伺った。
「此処は・・・何処なの・・・・・?」
その場を一言で現すならば、人体の内臓の中。
ブヨブヨと不気味な感触を与える肉の地面。
そこかしこから生えている魔界樹”クリフォトの根”。
常人ならば思わず悲鳴を上げ掛けないこの状況を、エウリュディケーは気丈に息を呑んで耐える。
(落ち着くのよ・・・・エウリュディケー。私がしっかりしなければ、オルフェウスは救えない。)
自分が此処に来た一番の目的は、愛する夫のオルフェウスを救い出す事である。
エウリュディケーは、今にも挫けそうになる自分を叱咤し、先ずは冥府の女王であるペルセポネーと連絡が取れないかと念話を試みる。
すると、彼女の脳内に夫の苦しそうな声が響いた。
『え・・・・・うりゅ・・・・でぃけー・・・・。』
「オルフェウス!!」
隠し部屋で自分を無理矢理この異形の地へと連れ去った夫。
苦しそうな声はあの時と全く同じであった。
「何処!?一体何処にいるの?お願い返事をして!アナタ!」
内から抑えきれない程の夫への想いが溢れ出す。
オルフェウス・・・オルフェウス・・・・私の大事な人。
『エウリュディケー・・・此処は寒いよ・・・君の声が聞こえるのに何も見えないんだ。』
今度は、はっきりと夫の声が聞こえる。
エウリュディケーは、立ち上がると周囲を見渡す。
すると、ある一点だけ淡く光っているのを見つけた。
「そこに居るのね?待ってて、すぐソッチに行くわ。」
あそこに自分の愛する夫がいる。
何の根拠も無いが、不思議と確信めいた気持ちが彼女の中にあった。
魔人化したダンテが握る大剣『スパーダ』が、緑紫龍へと変貌したバージルの心臓に突き立った刹那、凄まじい閃光が辺りを包んだ。
「・・・・・!!」
眼を開けている事が叶わず、思わず閉じでしまう。
如何程の時間が過ぎただろうか?
気が付くと、小山程の巨躯を誇る邪龍の姿は、跡形も無く消え失せ、魔人化が解けたダンテが地面に大剣『スパーダ』を突き立てていた。
「転移魔法(トラポート)を使って逃げたのか・・・・?」
その様子を少し離れた場所で観ていたライドウ。
恐らく、ダンテが心臓を穿つのと同時に、正気に戻ったバージルが最後の力を振り絞って転移魔法を唱えたのだろう。
しかし、幾ら”クリフォトの果実”で生命力と再生力を強化されたとはいえ、致命傷を負わされた事に変わりはない。
この場を一時(いっとき)だけ逃げ延びたところで、そう長くは持たないだろう。
そう判断し、一瞬気を緩めたその時であった。
何処からともなく飛来した数本の真紅に光る魔力の槍が、悪魔使いの華奢な肢体を貫く。
「・・・・・・!!!?」
寸でのところで致命傷だけは避けたものの、両脚と右肩を穿たれ、ライドウの躰が地面に沈む。
肺を僅かに傷つけたのか、口から鮮血が吐き出された。
「フハハハハハハハハ!この時を待っていたぞ?人修羅!」
上空から、魔帝・ムンドゥスの勝ち誇った声が響き渡る。
激痛で霞む視界を空へと向けると、黒い渦の中心にある三つの紅い瞳が此方を見下ろしていた。
「く・・・糞が・・・・・油断しちまったぜ・・・・。」
口内から溢れ出る血で咳き込む。
貫かれた両脚からも血が噴き出し、大理石の床を真っ赤に染めた。
「ひ、人修羅様ぁ!」
地面に突き立った雷神剣『アラストル』が、眼前で繰り広げられる惨事に悲鳴を上げる。
せめて人型に戻れれば、主を護る手段は幾らでもあるが、今はライドウ自身の能力で魔具の姿に変えられている。
拙い・・・・非常に拙い状況。
「貴様の血肉を喰らい、我が力の一部となる事、光栄に想うが良い。」
黄金色に光る法陣から、巨大な剣が生成される。
狙うは、力無く跪く悪魔使いの心臓。
この魔力の刃を悪魔使いに穿ち、その膨大な魔力の一欠けらすらも吸い尽くしてくれる。
「ライドウ!!」
最早抵抗する力すら奪われた三つ編みの悪魔使い。
魔人化が解けた銀髪の青年―ダンテが、大剣『スパーダ』を手に、駆け出そうとするが、足が縺れて倒れてしまう。
先程の邪龍・ペルーダとの戦闘で、かなり魔力と体力を使い過ぎてしまったのが原因だ。
両脚が痙攣し、思うように動かない。
その間にも、魔帝は人修羅に止めを刺そうと、空中で法陣を展開し、金色に光る大剣を生成する。
寸分の狂いも無く心臓へと放たれる剣。
刹那、黒い影がライドウの眼前に現れた。
飛び散る血潮。
砕け散る鎧。
血に染まる視界の中、ライドウが見たモノは、己の身代わりとなって大剣に貫かれる番の姿であった。
恐ろしい程の静寂。
ボタボタと大理石の床へと滴り落ちるおびただしい量の鮮血。
眼前数ミリで止まる大剣の切っ先。
それに貫かれているのは、かつて共に魔界を放浪した亜人の少年であった。
「志郎!!」
まるでコマ送りを観ているかの様にゆっくりと倒れる番。
心臓を破壊された事で魔人化が解け、元の白銀の騎士へと戻る。
「ちぃ・・・思わぬ邪魔が入ったな・・・・。」
邪龍と化したバージルを倒し、気が緩んだ所を狙って、魔力で生成した槍で重傷を負わせたところまでは良かった。
まさか、仲魔である番が、主を護る為に己の躰を盾にするとは予想もつかなかった。
心臓を貫かれ、最早虫の息である番を抱き上げる悪魔使いの姿を魔帝は、忌々しそうに見下ろす。
「何故だ!何故こんな真似をしたんだ!!?」
嘘だ・・・・これは何か質の悪い悪夢に違いない。
番の返り血を浴び、顔を血で汚す悪魔使いは、その血を拭う事も忘れ、倒れる番を必死で抱き起す。
「な・・・ナナシ・・・・良かった・・・無事だったんですね?」
主に抱き起された白銀の騎士は、うっすらとその双眸を開く。
しかし、何も見えない。
視界が霞み、ぼんやりとした人影を捉えるのが精一杯だ。
おまけに、四肢が急速に冷たくなっていくのが判る。
大量の血が流れ出ている・・・・・否が応でも死が近くなっていく。
「ごめん・・・・ごめんな?志郎・・・・・俺は・・・・糞・・・・本当にろくでもないクズ野郎だ・・・。」
悪魔の命の源である心臓を破壊されては、最早助かる術はない。
無駄と知りつつ、それでも一縷(いちる)の望みに懸けながら、ライドウは回復魔法を施し続けた。
「ああ・・・ナナシの手は暖かいね・・・・・あの時と同じだ・・・・僕を救ってくれた優しい手。」
必死に回復魔法を唱え続ける主の手に、そっと血で濡れる手甲を重ねる。
あの頃よりも小さくなってしまった愛しい人の手。
しかし、幾度も自分の窮地を救ってくれた力強い手。
魔界に居た当時は、人間と悪魔の間に生まれた亜人種故に、謂れも無い迫害を受け続けて来た。
住んでいた集落が、オーガの群れに襲われ、命からがら僅かに生き残った人々と逃げ延びた。
だが、その先でも奴隷商人の旅団に掴まり、仲間の大半は抵抗した為、殺された。
一体何の為に生きているのだろう?
奴隷商人の荷馬車に揺られながら、幾度も自問自答を繰り返す。
妹と自分を生かす為に、敢えて囮となってオーガの凶牙に引き千切られ殺された両親。
逃げている途中で、捕獲する為に奴隷商人の連中が放った弓矢に貫かれた妹のミーヤ。
皆・・・・・皆死んでしまった。
家族を・・・生きる術を全て奪われ、この後自分はどう生きろというのか・・・・。
そんな絶望の淵を彷徨う自分を救ってくれたのが、目の前にいる主だった。
奴隷商人の旅団が、誤ってエキドナの縄張りである森の中に入ってしまい、案の定、キメラシードの大群に襲われた。
成す術も無く、無残な肉片となる奴隷商人とその奴隷達。
次は自分の番だと諦め死を覚悟した彼を救ったのは、意外な所からであった。
今でも、瞼を閉じればあの時の情景をありありと思い出す事が出来る。
俊敏な動きで獲物を翻弄し、その鋭い爪で引き裂く妖獣・ライアット。
その妖獣に寄生したキメラシードの大群は、並みの軍隊など歯牙にも掛けない強さを誇る。
そんな最悪な集団を、意図も容易く殲滅したのが片手片目の小柄な少年であった。
ライアットの繰り出す鋭い爪を紙一重で躱し、合体剣『七星村正』で切り飛ばす。
幾重にも張り巡らされた法陣から、炎の銃弾と氷の槍が降り注ぎ、キメラシードが寄生した妖獣の群れを焼き尽くし、刺し貫く。
余りの出来事に、息をするのも忘れ、魅入られたかの様に傍観する。
この人の傍に居たい。
彼の強さに惹かれたのか、それとも怪物達の返り血を浴びる隻眼の少年に心奪われたのか、幼い亜人の少年は、心の底から強くそう願う。
「あ・・・・ありがとう・・・・僕に生き方を・・・教えてくれて・・・・。」
今、自分がこうして居られるのは全て彼のお陰だ。
力を失い、人の形が保てず、光の粒子と化す己の肉体。
せめて消えてしまう前に、愛する主に最後の心からの感謝の言葉を伝えておきたい。
「止せ・・・やめろ・・・俺は・・・・俺は人に感謝される様な人間じゃない!」
己の腕の中で消えていく番。
その姿が、かつて自分が失ってしまった大事な人達と重なっていく。
超国家機関『クズノハ』の暗部である”八咫烏”に送られ、一人孤立する自分に唯一、優しく接してくれた親友。
厳しい訓練に安らぎを与えてくれた妻。
闇に堕ち、失ってしまった人間としての感情を取り戻してくれたお節介な男。
そして、最後に浮かぶのは、まだ悪魔と拘わる以前に入っていたハッカーグループのリーダー、スプーキーこと桜井雅弘の姿。
皆・・・・皆・・・・己の手で壊してしまった愛しい人達。
「・・・・・・・・っ。」
跡形も無く消失する番の躰。
残された右掌を血が出る程握り締める。
悪魔と化した者の末路は、途轍もなく虚しい。
死ねば、その肉体も魂も形を残す事無く全て消えて無くなってしまう。
完全な悪魔へと再転生した志郎も、その例外では無かった。
「フン・・・・すぐに仲魔の元に送り届けてくれるわ・・・。」
中空から再び造り出される黄金の法陣。
そこから凶悪な刃を持つ豪奢な装飾が施された剣が姿を現す。
「おいチビ!早く俺を動ける様にしろ!!」
何とか上半身を起こしたダンテが、傍らで懸命に回復魔法を唱えるマベルに怒鳴り付ける。
「煩い!!コッチだって必死にやってんだぁ!!」
大粒の涙を流しながら、小さな妖精が怒鳴り返す。
その間にも、無情にも放たれる第二矢。
しかし、その大剣が悪魔使いの躰を貫く事は無かった。
額ギリギリの位置で、大剣の切っ先が見えない何かに阻まれ停止する。
「!!!!!」
驚愕で目を見開く一同。
粉々に砕け散る剣。
ゆらりとまるで幽鬼の如く立ち上がる悪魔使い。
その身体に走る幾何学的文様。
右頬まで侵食するどす黒い痣。
蒼き炎を噴き出す魔眼が、上空に位置する三つの紅き瞳へと向けられたその時、魔界を統べる四大魔王の一人である魔帝の肉体を得体の知れない何かが走った。
例えて言うならばそれは恐怖。
「ぎゃぁあああああああああああああああ!!」
声にならない悲鳴を上げる魔帝。
分厚い雲が吹き飛び、ティフェレトの地を統べる魔王の姿を露わにする。
純白の雄々しき羽根を背負う、大天使の姿。
その胸には、数千年前に戦女神・パラスアテナによって付けられた生々しい傷跡が未だに残っている。
「き、貴様ぁ!人間ではないな!一体何者だ!」
有り得ない。
これ程、膨大な魔力を感じた事は一度として無い。
冥府の女王、ペルセポネーすらも凌駕する程の力。
人間(ヒト)の身では、決して持つことなど叶わぬ程の魔力の波動だ。
しかし、悪魔使いは、そんな魔帝の言葉など聞こえないのか、右掌を眼前の魔王へと翳す。
それと同時に背後から、ヒンドゥー教の最高神・ヴィシュヌが、その神々しい姿を現した。
「メギドアーク。」
ライドウの言葉に呼応し、幾重にも展開される巨大な魔法陣。
全てを原子の値まで粉々に分解する、万能系最大級魔法が放たれた。
またも中途半端で終了。
次回は、魔帝と大バトルです。