一方、エウリュディケーは探し求めていた夫と、漸く巡り会う。
躰が堪らなく重い・・・・。
息苦しくて呼吸もままならない・・・・。
恐らく、魔素が濃すぎて、普通の人間では歩く事すらもままならないだろう。
それでも、愛するオルフェウスに会う為、エウリュディケーは、懸命に一歩、一歩と踝(くるぶし)まで埋まってしまう肉の床を歩んでいく。
「オルフェウス・・・。」
漸く、淡い光を放つ石像の元へと辿り着く。
彼女の予想通り、それはバジリスクの毒が仕込まれた短剣に突き刺され、石の彫像と化した愛する夫の変わり果てた姿であった。
「やっと・・・・やっと貴方に会えた・・・。」
命を削るかの様な思いで、漸く夫に巡り会えた。
張りつめていた気持ちが解け、力が一気に抜けたのか、エウリュディケーは、夫の前で跪いてしまう。
『ど、何処に居るんだ?エウリュディケー?君の声が聞こえるのに姿が見えない?暗い・・・暗くて何も見えないよ!』
しかし、安堵する妻に反して、夫のオルフェウスは恐慌状態であった。
無理もない。
躰は石化し、聴力意外、全てが封じられている。
「オルフェウス・・・・私は、貴方の目の前にいるわ。」
女性地質学者が、優しくかつて夫だった石像の頬に優しく触れる。
伝わって来るのは、石の冷たい感触。
それでも、恋い焦がれ、愛した夫である事に変わりは無い。
『エウリュディケー・・・・本当に君なんだね?でも、でもどうしてこんな危険な場所に君がいるんだ?まさか、君もチククの奴に取り込まれてしまったのかい?』
エリュシオンで起こった一件以来、記憶の流れが完全に止まっているオルフェウスは、矢継ぎ早に質問する。
どうやら、無意識で行った事なのか、無理矢理、妻をこの異空間に引きずり込んだ事は、忘れているらしい。
「違うわ、オルフェウス・・・・貴方は知らないかもしれないけど、あの出来事から既に2000年近くが経ってしまっているの。」
『に・・・・2000年だって!? 』
驚くオルフェウスに、エウリュディケーは出来るだけ判り易く説明してやった。
自分が、月の女神・ヘカテーに救われた事。
無事、転生の循環に加わり、地質学者、ジュリー・フィンレイとして生まれ変わった事。
原因不明の地震を調べる為に、震源地である絶海の孤島”マレット島”を調査しに来た事。
そこで悪魔に襲われ、調査隊の殆どが殺された事。
「私は、ペルセポネー様のお陰で前世の記憶と力を取り戻したわ・・・・そして、この島の何処かに貴方が囚われている事を知ったの。」
「ペルセポネーが・・・・? 」
信じ難い話ではあるが、あの血も涙もない冥府の女王は、妻のエウリュディケーと共にチククの呪いに掛けられた自分を助けに来てくれたらしい。
『・・・・・・どうして助けに来たんだ?もしかして、ペルセポネーの奴に脅されて、無理矢理、こんな場所まで来たのかい?』
「オルフェウス・・・・?」
返って来た夫の信じられない言葉に、エウリュディケーは、訝し気に眉根を寄せる。
『やっぱりそうなんだね・・・・半神半人の僕が言うのも何だけど、神はろくでもないよ。特にオリュンポス神族の様な連中はね・・・。』
利己的で他者の気持ちなど平気で踏み躙る。
特に人間相手だと、横柄な態度を隠しもしない。
自分の祖父、ゼウスがまさにそうだった。
無理矢理、実姉のデメテルに関係を迫ったり、ヘラと言う良妻賢母を絵に描いた様な妻がいながら、人間の娘に手を出しては、戯れに子供を作っていた。
そして、妻のヘラも司政を全くしないどころか平気で浮気を繰り返す夫に愛想をつかし、義理の兄と関係を持つ始末。
こんな好い加減な連中だから、チククの様な不敬な輩が出て来ても不思議ではない。
『きっと、自分の立場を護りたくて君を利用しているに違いない。 』
唯一の理解者であったチククに裏切られ、オルフェウスは猜疑心の塊となっていた。
理由は定かではないが、きっと冥府の女王は、自分の力を取り込み、強大な力を得たチククを邪魔に思ったのだろう。
だから、転生して全くの別人として生を謳歌していた妻を巻き込んだ。
そうだ・・・・・あの冷血女なら、それぐらい平気でやる。
「違うわ!オルフェウス!私は自分の意思で此処に来たのよ? 」
夫は、一体何を疑っているのだろうか?
エウリュディケーは、改めて石像と化した愛する男を見つめる。
自分は、生まれ変わっても尚、こんなにも夫を愛し、彼の窮地を冥府の女王から聞いて、自らこんな危険な場所まで来たというのに、何故信じてくれないのだろうか?
『嘘を吐かなくても良いよ?エウリュディケー。 君が本当は、僕を愛していない事も、初めから知っていたからね。 』
「お・・・・オルフェウス・・・・。」
2000年と言う長い月日が、自分と愛する夫との間に、埋められない大きな溝を作り出してしまった。
紅茶色の髪をした女性地質学者は、心が凍り付いていくのを感じていた。
生前、罪を犯した人間が送られる場所・・・・・ゲヘナ(地獄)。
その灼熱のマグマの海を背に、ティフェレトの地を統べる魔王・ムンドゥスと超国家機関『クズノハ』最強の悪魔召喚術士(デビルサマナー)、17代目・葛葉ライドウが対峙していた。
「ちっ・・・・まだそんな力が残っていたのか・・・・・。 」
魔帝・ムンドゥスが、忌々しそうに溶岩の上に浮かぶ岩場に立つ、白銀の騎士を睨みつける。
狐を連想させる面頬に煌びやかな冠。
左眼には蒼き炎が灯り、両肩の背には、外套の様な真紅の旗を靡(なび)かせている。
魔槍”ゲイボルグ”の力を解放し、魔鎧化(まがいか)したライドウだ。
(くそ・・・・魔力がまだ回復しきってねぇ・・・これじゃ、長く戦えない。 )
久し振りに魔鎧化してみたが、予想以上に槍に魔力を喰われる。
頼みの綱の蟲達も、負傷した肉体を治療するのに手一杯で、魔力供給まで追いつかない。
鎧の中のライドウが粗い吐息を繰り返す。
こんな下種野郎には負けたくない・・・・。
沸々と湧き上がる闘志。
脳裏に、心臓を破壊され、実体化が保てず、自分の腕の中で光の粒子となって消えた番の姿が過った。
自分を兄貴分と慕い、常に傍らにいてくれた亜人の少年。
ライドウが見えない所で、常に努力を惜しまない直向(ひたむ)きな少年であった。
気が付くと、何時の間にか背丈を追い越し、自分よりも遥かに立派な大人へと成長していた。
本当なら、悪魔などに拘わらず、普通の人間として生きて欲しかった。
「貴方を愛しています・・・・。」
任務中、つまらぬ油断により、大怪我を負ったライドウ。
そんな自分を懸命に看病してくれた黒髪の美青年が言った言葉。
魔力供給を名目に、自分は彼に抱かれた。
自分が負った傷を常に気に掛ける優しいその腕に、ライドウは身も世も無く喘ぎ、無意識に彼を求めた。
行為が終わった後、酷い罪悪感に苦しんだ。
志郎は、きっとこんな浅ましい自分を見て、幻滅したに違いない。
もう、何時もの関係には戻れない。
そう、覚悟していたのに、志郎は、何時も通りに接してくれた。
ムンドゥスが放つ縦長の紅い刃を躱す。
音速を超えるライドウのスピードに、魔帝は対処が全く出来ない。
真紅の魔槍”ゲイ・ボルグ”が何度も閃く。
硬い石像の皮膚が切り裂かれ、左腕がまるで紙の如く斬り落とされる。
「おのれおのれおのれぇ!この化け物がぁ!! 」
魔界を統べる四大魔王(かうんとふぉー)の一人、魔帝・ムンドゥスが、良いように翻弄されている。
光のレーザーを幾度放とうとも、拳を振り上げ叩き付けても、炎の龍を召喚しても、悪魔使いに傷一つどころか、その影すらも捕える事が叶わない。
”ゲイボルグ”の切っ先が、魔帝の太い右足を斬り落とす。
バランスを崩し、マグマの海に背中から倒れる魔帝。
(心臓!コイツの心臓は一体何処だ!!)
精神波を張り巡らせ、魔帝の心臓の在処を探す。
人間の毛細血管の如く張り巡らされた魔力の経路。
その一点に、淡い橙色の光を放つ球体が額にあるのを発見した。
「あったぁ!そこかぁ!! 」
魔帝の心臓・・・・・額にある第三の眼に向かって、真紅の槍を構えた白銀の狼が疾走する。
悪魔使いの意図を察し、無数の火球を放つ魔帝。
しかし、一陣の疾風と化した白銀の狼から繰り出される斬撃が、悉く火球を砕いて行く。
とうとう、魔帝の心臓、額の第三の眼に深紅の魔槍―ゲイボルグの切っ先が届こうとした刹那、ライドウの目の前に虹色に光る障壁が幾重も現れる。
物理反射防壁―テトラカーンだ。
「ぐはっ!! 」
斬撃の威力を全て弾き返され、吹き飛ばされる白銀の騎士。
マグマの上に浮遊する岩石を幾つも砕き、大きな岩場にぶち当たって停止する。
「ふん、馬鹿め・・・・オリュンポス神族の力を取り込んだ余を甘く見るでないわ。 」
瓦礫の山に埋もれるライドウを、侮蔑を含んだ双眸で睨みつける。
しかし、先程は本当に危なかった。
常に己の弱点である心臓を護る為に、オルフェウスの中に眠る大神・ゼウスの力を使って、物理反射防壁で護ってはいるが、まさか、此処まで追い詰められるとは思わなかった。
流石、迷いの森の果てにあると言われる、『ノモスの塔』を昇り、”神殺しの悪魔”と呼ばれる魔王・アモンの封印を解いただけはある。
その力は、自分達と同じ、四大魔王(かうんとふぉー)に匹敵するだろう。
反逆皇・ユリゼンや、涙の王国の君主・モロク、そして暴風の海龍・バァルが、この男を支配下に欲しがるのは無理もない。
もし、この男を従わせる事が出来れば、魔界統一すらも夢ではないだろう。
「ふむ・・・・流石に殺すのが惜しくなってきたな・・・・。 」
気を失っているのか、瓦礫の山に埋もれ、ピクリとも動かない白銀の魔狼を見下ろす。
驚異的な再生能力で、斬り落とされた左腕と右脚は、瞬く間に復元していた。
バージルと同様、肉の芽をこの男にも植え付けてやる。
きっと、失った三柱と同等、否、それ以上の働きをしてくれるだろう。
巨大な右掌を開く。
すると、石像の表皮を突き破り、おぞましい形をした魔界樹の根が幾つも現れた。
魔帝の意思に従い、魔界樹の根は、瓦礫の山に埋もれ、項垂れる白銀の騎士へと迫って行く。
しかし、それがライドウに届く刹那、真紅の閃光が幾つも閃き、クリフォトのおぞましい根を切り刻んでしまう。
寸でで意識を取り戻したライドウが、魔槍”ゲイボルグ”を操り、クリフォトの根を切り裂いたのだ。
「ちぃ、しぶとい奴め。」
粗い息を肩で吐きながら、真紅の魔槍を握る白銀の騎士を忌々しそうに睨みつける。
今のライドウは、満身創痍で立っているのもやっとの状態だ。
当然、”ゲイボルグ”を振り回せる程の力すらも無い。
しかし、それでも、彼は諦める訳にはいかなかった。
家族同様、強い絆で結ばれていたパートナーを惨殺された事。
そして、超国家機関『クズノハ』最強の悪魔召喚術士(デビルサマナー)としての自負が、ライドウを奮い立たせている要因となっているのだ。
「人修羅よ・・・・何故そこまで戦う? 魔力特化型の貴様は、番を失えば無力・・・・最早、戦う力も残っていないのではないのか? 」
真紅の魔槍を杖代わりに立っている白銀の騎士。
誰の眼から見ても、かなりの疲労とダメージを負っているのが判る。
しかし、悪魔使いの闘志は依然と失われる様子は無かった。
彼の戦う原動力は一体何処にあるというのだ?
「へっ・・・・・力じゃ勝てないから、今度は精神攻撃かよ・・・・魔界を統べる魔王様が、随分とセコイ手使うじゃねぇか。 」
疲労困憊な自分の有様を見て、何時もの余裕を取り戻したらしい。
その様子には、何時もの尊大な態度が如実に現れていた。
「無駄な抵抗はそこまでにしておけ、大人しく余に従えば、楽になれるものを・・・。 」
「お断りだ!てめぇの心臓を今すぐ潰し、二度と復活出来ない様にしてやるぜ! 」
体内に寄生している巫蟲が、活性化し、右頬までどす黒い痣が広がる。
激痛と嘔吐感に、今すぐ両脚が折れてしまいそうだ。
しかし、倒れない・・・・倒れたくない。
この下種野郎は、己の手で必ず叩き潰してやる。
と、突然、漆黒の突風が、魔帝の躰を斬りつけた。
砕け散る右の翼。
衝撃で、巨人が二、三歩たたらを踏む。
「だ、ダンテ! 」
上空から舞い降りた黒い影は、魔剣 『スパーダ』 の力で魔人化したダンテだった。
魔鎧化したライドウを護るかの様に眼前に降り立つ。
「無事か?17代目。 」
無謀にも、ゲヘナに飛び込んだダンテを追い掛けて、白銀の魔獣、ケルベロスも姿を現した。
悪魔使いの背後へと着地し、金の双眸で不肖の弟子を見上げる。
「お袋さんも来てくれたのか? 」
「まぁな・・・・・本当なら、私一人でお前を助けに来たかったのだが・・・。」
余計なお荷物まで連れて来てしまったと、白銀の魔獣は溜息を零す。
そんな、魔獣を尻目に、魔剣・スパーダを構えるダンテ。
驚異的な再生能力で、砕かれた翼を元の姿に復元した魔帝は、身の程知らずの無礼者に怒りの唸り声を洩らしていた。
「アンタは少し休んでろ? ライドウ。 後は俺が全部片づけてやるから。 」
そんな軽口を叩くと、魔人化したダンテは、翼を広げ、眼前のムンドゥスに向かって飛び去ってしまう。
「待て!ソイツは、オリュンポス神族の力を・・・・!! 」
慌てて後を追い掛けようとしたライドウであったが、疲労により足が縺れ、片膝を付いてしまう。
魔力が切れ、強制的に魔鎧化が解けてしまう悪魔使い。
魔眼から血を流し、蟲によって右頬までどす黒く浸食された相貌が露わになる。
「もう無理だ。 これ以上、闘えば、腹が減った蟲共に躰を喰われるぞ? 」
骸が植え付けた腹中蟲は、悪魔の血肉を喰って腹を満たし、魔力に変換して宿主に力を与える。
しかし、腹が減って飢餓状態になると、己の飢えを満たす為に、大事な宿主の躰を喰い尽くす凶悪な一面も兼ね備えていた。
「今は耐えろ!志郎の仇を討ちたい気持ちは分かるが、もし、お前が死んだら残された子供達はどうする? 」
「・・・・・・・っ! 」
師の言葉に唇を噛み締める。
脳裏に、長男の明と次女のハルの姿が過った。
人柱に選ばれたハルを救う為に、娘の身柄が拘束されている青森の岩木山にある、施設に侵入し、連れ出す事までは成功した。
しかし、内通者のせいで、組織に情報が露見し、古巣である十二夜叉大将の一人、宮毘羅(くびら)率いる陸上自衛隊1個師団に阻まれた。
息子の機転で難を逃れたが、それまでだった。
直ぐに十二夜叉大将の長、骸に捕えられ、命より大事な娘を奪われた挙句、蟲を植え付けられ、息子の前で辱めを受けた。
ハルを・・・・娘を取り戻し、また家族三人で静かに暮らす。
息子・・・・・明と交わした約束。
それを叶えるまで、自分は決して死ねないのだ。
「ぐあぁああああ!! 」
思考の海に浸っていたライドウをダンテの呻き声が、無理矢理現実に引き戻した。
幾重にも張り巡らされたシールドに阻まれ、攻撃を全て弾き返されてしまったのだ。
マグマの上に浮遊する岩場に、受け身も取れず叩き付けられる魔狩人。
衝撃で元の人間の姿へと戻ってしまう。
魔帝・ムンドゥス体内―石化したオルフェウスの前に、疲労で力無く蹲る、紅茶色の髪をした女性地質学者が、紙の様に顔色を白くしていた。
「お・・・・オルフェウス・・・・貴方、一体何を言っているの? 」
「君が本心では、僕の事なんて何とも思ってないって言っているのさ。 僕と結婚したのも、主人であるメリクリウス公の顔を立てる為だろ? 危険なこの場所に来たのだって、あの冷血女に無理矢理協力させられたに違いないんだ。 」
そうだ・・・・・こんな小太りで、ドン臭くて、陰気で、面白味もまるでない男なんて、誰が好き好んで一緒にいてくれるものか。
当時は、主が己の利権の為に、従者である女性を無理矢理、取引相手の男性と結婚させるなんて普通だった。
きっと、エウリュディケーもそうだったに違いない。
悪魔が跳梁跋扈するこの場所だって、冥府の女王が、妻である彼女なら自分の助力を得られると考えて、無理矢理連れて来たんだ。
「違うわ!オルフェウス!私は貴方の事を本当に愛して・・・・・。 」
「煩い!もう嘘は沢山だ!チククは君を助ける為と言って僕を利用した!甥のメルリヌスも同じだ!”クリフォトの種籾”を手に入れる為に僕が嫌だと言ったのに、何処からか罪もない人間達を連れて来て魔界樹の餌食にした!そして、今度はあの冷血女だ!どいつもこいつも僕を馬鹿に・・・・・!! 」
バチィン!!
硬い石像を殴る音が周囲に木霊した。
何時もは、大人しく、控えめな愛しい妻が、この時ばかりは怒りの表情を露わに、石化した夫の頬を平手で殴り飛ばしたのである。
「馬鹿!馬鹿!馬鹿ぁあああああああ! 何も知らない癖に! ペルセポネー様がずっと貴方の事を気に掛けていた事を知らなかった癖に! 何でそんな酷い事が言えるの?? 」
顔を真っ赤にして、尚も夫の頬や頭、顔面などを滅茶苦茶に叩き捲る。
硬い石の塊であるオルフェウスは、何の痛みもダメージも無いが、妻のエウリュディケーはそうはいかない。
殴った手が真っ赤に腫れ上がり、爪を引っ掛けたのか、剥がれて血を流している。
それでも、彼女は一向に夫を殴る事を止めようとはしなかった。
「あのお方は、貴方の才能を誰よりも認めていたのよ! 歴代の魔術師の中でも傑出した力と技術を持つと言ってくれたのよ! だから、咎人にする訳にはいかないと言って、私に会うために冥界に来た貴方を追い返していたのよ! 」
ワンワンと大泣きしながら、妻は何度も何度も夫を叩く。
同じオリュンポス神族の血を引く、ペルセポネーは、誰よりも同族であるオルフェウスを見ていた。
魔術師として、秀でた才能を持つオルフェウスは、本来ならば小国の宮廷魔導士として収まっている器ではない事。
しかし、そこに住む人達を誰よりも愛していた事。
災害や疫病により苦しんでいる国民達がいたら、誰よりも率先して動いていた事。
貧民窟で、医者にも行けない人達の病を無償で診てやっていた事。
それ故、妻のエウリュディケーには申し訳ないが、彼にはこれからも現世で、困っている人間達を助けて欲しいから、心を鬼にして、冥府に来た彼を追い返していた事を妻にだけ話していたのである。
「え・・・・・エウリュディケー・・・・・。 」
最早、叩く力も無く俯いて、只涙を流す愛しい妻。
自分は、本当に救い様が無い程の大馬鹿者であった。
彼女もまた、冥府の女王と同じ様に、自分の行いを見てくれていたのである。
「お願いだから、自分の殻に閉じ籠もるのは止めて・・・・・もう少し、周りを見て・・・・貴方は優れた人間なのよ・・・・・決して無能なんかじゃない・・・貴方が努力していた事は、必ず何処かで報われているのだから・・・・・。 」
爪が割れ、血を流す手で夫の頬を撫でる。
顔を上げた彼女のエメラルドグリーンの瞳は、美しい涙で溢れていた。
「ううっ・・・・・僕は・・・・・僕は・・・・・・。 」
冷え切った心の奥底から、熱い何かが溢れて来る。
石化し、冷たい彫像となった瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
誰にも認められないと思っていた。
不義の子として生まれ、祖父に似たこんな容姿のせいで周囲から虐められていた。
「お前に才能は無い! 」「吟遊詩人?ふざけるな!そんな金にもならん事をしてどうする!? 」「せめて一族の為に役に立て! 」「宮廷魔術師になれ!王族に取り入って、一族の為に働け! 」
そんな罵詈雑言を、義理父、オイアグロスから浴びせられて育った。
母のカリオペーは、泣くだけで何もしてくれなかった。
馬鹿で、卑屈で、誰にも愛されず、誰にも慕われず、只、義理父の言葉に従って生きていくしかないと思っていた。
誰かの役に立ちたいと思った事は一度として無かった。
困っている人を見かけたら、勝手に身体が動いていただけ。
出世欲がまるで無く、小国・ダヴィドの宮廷魔術師になれただけで満足していた。
国民の為に動いたのだって、そうすれば、王やその家臣達が喜ぶと思っていたからだ。
「エウリュディケー・・・・・ごめん・・・僕が・・・・・僕が愚かだった。 」
「オルフェウス・・・・・? 」
ポロポロと止めどなく流れ落ちる大粒の涙。
吟遊詩人になる夢を捨て、父・オイアグロスの顔色を窺いながら生きて来たのは、自分自身の卑屈さ故。
同じオリュンポス神族の血を引きながら、甥のメルリヌスに強く出れなかったのは、自分自身の弱さ故。
全てをペルセポネーのせいにして、チククの誘惑に簡単に乗ったのは、自分自身の狡さ故だ。
愚かな自分を律したい、愚かな自分が犯した過ちを償いたい・・・・そして、こんな自分に過大な期待を掛けてくれた妻や、冥府の女王・ペルセポネーに報いたい。
「お願いだ・・・・僕に、力を貸してくれるかい? 」
気が付くと、二人の躰を淡い光が包んでいた。
バジリスクの呪いに抗っているのか、石化したオルフェウスの躰に無数の亀裂が入っている。
「ええ・・・・ええ!喜んで力を貸すわ!貴方!! 」
力強く頷く妻。
二人の躰は、強烈な光を放つ球体となり、肉の天井を突き抜けた。
魔界・・・・・中層・ゲヘナ『炎獄』。
魔力の壁に阻まれ、岩場へと叩き付けられるダンテ。
衝撃で魔人化が解け、元の人間の姿へと戻ってしまう。
「くっ・・・・くそったれが・・・・・。 」
気丈にも、魔剣・スパーダを杖代わりに立ちあがろうとした。
これ以上、無様な醜態をライドウにだけは見られたくない。
「無駄だ、小僧。今のお前では、魔帝には勝てん。 」
そんなダンテの傍らに、白銀の魔獣が降り立った。
黄金の双眸で、片膝を付くダンテを見下ろす。
「後は私に任せて、大人しくその剣を渡せ。 」
「何だと・・・・・?」
魔獣の言葉に胡乱気な視線を向ける。
「其の剣は、元々、私のモノだった。 どういう経緯を辿ったかは知らぬが、”フォース・エッジ”は貴様の父、スパーダの手に渡ってしまったのだ。 」
「この剣がてめぇの・・・・・? 出鱈目言ってんじゃねぇだろうなぁ? 」
「出鱈目? ならば、テメンニグルで私がその剣を使いこなせた事は、一体どう説明するのだ。 」
ケルベロスの指摘に、ダンテが押し黙る。
確かにこの魔獣が言う通り、テメンニグルの一件では、意図も容易く『フォースエッジ』の真の力を引き出して見せた。
バージルの高速の斬撃を簡単に躱し、双子の兄を一刀の元で斬り伏せた。
あの時の情景が蘇り、ギリリと唇を噛み締める。
「奴が来る、 いい加減、その剣を此方に渡せ。 」
ダンテに止めを刺さんと、迫りくる魔帝を横目に、魔獣が言った。
最早、問答している余裕などは無い。
魔剣・スパーダがあれば、ムンドゥスを倒す事が出来る。
しかし、当の便利屋は、全く魔獣の言葉に耳を貸す様子は無かった。
気合で立ち上がり、大剣を構える。
「小僧!死にたいのか!! 」
「うるせぇ! お前の言っている事が正しかろうが、これだけは譲れねぇんだよ! 野郎に怒り心頭なのは、お前等だけじゃねぇんだ!! 」
たった一人の家族・・・・・双子の兄、バージルを散々利用した挙句、怪物の姿に変えた。
確かに兄は善人とは、とても言えない人物ではあった。
古の塔・テメンニグルを発動し、レッドグレイブ市に住む、多くの人々を殺害する要因を作った。
でも、ダンテにとっては生き別れた家族である事には、変わりが無いのである。
「ひぎゃぁああああああ!オルフェウス貴様ぁ!! 」
数歩手前まで迫った巨人が、突然苦しみだした。
見ると額の所・・・・・第三の眼に無数の罅が入り、そこから眩い光が漏れ出ている。
亀裂は徐々に大きくなり、耐え切れず弾け飛ぶと、眩い閃光が中から現れた。
満身創痍の悪魔使いに向かって、光の球体が飛ぶ。
刹那、七色に光る柱がライドウを包んだ。
『召喚術士(サマナー)、僕達に力を貸してくれ! 』
「・・・・・!! オルフェウス公!! 」
枯渇した魔力が満ちていくのが判る。
否、それ以上の力の放流がライドウ自身を包んだ。
七色に光る閃光の柱が消える。
そこから現れたのは、白銀の馬具を纏った軍馬に乗る白銀の魔狼であった。
一生懸命考えても文章メタメタ。