一方、中庭では謎の悪魔、アラストルとライドウが対峙していた。
冥府―オケアノス。
此処は、死者が一番最初に訪れると言われる冥界の極西に位置する国である。
「頼む!ペルセポネー!一目で良いからエウリュディケーに会わせてくれ!」
生前行った死者の善行と悪行を査定する冥界の審判官―アイアコスの神殿前で、オルフェウスは、悲痛な叫びを上げた。
「何度訴えても無駄です。生者の貴方を死者に会わせる訳にはいきません。」
燃える様な真紅の髪をした美女が、神殿の階段下に立っている魔術師を鋭い眼差しで見下ろしていた。
彼女の名前は、冥府の管理者―死の女神・ペルセポネー。
血も涙も無い氷の女王と言われ、死者達や神々から恐れられている。
その彼女の背後では、この神殿の主であるアイアコスがオロオロとした様子で二人のやり取りを見守っていた。
「あ・・・あのぉ・・・ペルセポネー様・・・この場所は、一応死者のその後の道行きを査定する神聖な場所なのですから・・・少し声を落として頂けると嬉しいの・・・。」
「貴方は黙っていなさい!!」
痩身のいかにも中間管理職を絵に描いた様な審判官に向かって、死の女神が一喝した。
元を正せば、アイアコスがこの魔術師を追い返せば態々、自分が出て来る羽目にはならなかったのである。
なのに、魔術師の身の上話に同情した挙句、扱いに困り果て、上司である自分に泣きついて来たのだ。
全く、どいつもこいつもどーして、無能な奴等ばかりなのか。
「オルフェウス、何度も説明するけど、貴方の妻、エウリュディケーは次の転生を待つ身なの・・・貴方は生者、彼女は死者・・・諦めて現世に帰りなさい。」
「分かっている・・・だから一目だけ彼女に会って、別れの挨拶をしたいんだ。一言で良い・・・1分・・否、10秒でも構わないから、彼女に会いたいんだ。」
頼むよ、と言って大理石の磨き上げられた神殿の床に土下座する小太りの魔術師。
その言葉から、彼が妻を相当愛していた事が痛い程伝わって来る。
しかし、此処で許してしまえば、死の理から外れてしまう可能性がある。
冥府の管理者として、それだけは避けねばならない。
「何度、懇願しても同じです・・・それに貴方達、人間は欲深い生き物。一度許せば二度、三度・・・・最悪、死者を現世に連れ帰る恐れがあります。」
「ぼ、僕は、そんな大罪を犯す真似はしない!!」
「いいえ、貴方の様なタイプの人間は必ずします。私は、冥府の守り人・・・死者の理を壊す訳にはいかないのです。」
有無を言わせぬペルセポネーの言葉にオルフェウスは黙り込んでしまう。
確かに、彼女の言っている事は全て的を射ていた。
きっと、エリュシオンで次の転生を待っている妻に会ったら、自分は必ず現世に連れ帰ろうとするだろう。
一度だけ会いたいなどと言うのは、オルフェウスの都合の良い方便に他ならない。
「エウリュディケーを愛しているのでしょう?彼女を現世と冥府の狭間を彷徨う亡者にしたくないのなら、大人しく現世に帰って残りの生を謳歌しなさい。」
死の女神はそれだけ言うと、身を翻して神殿奥へと消えてしまう。
後に残された魔術師は、只、自分の情けない姿を映す大理石の床を眺めるしか無かった。
オルフェウス城、大広間回廊前。
「そういえば、アンタ、テメンニグルの時に使っていた大剣はどうしたのよ?」
回廊を歩く深紅のロングコートを纏う銀髪の青年の肩に座ったハイピクシーが、鍔に当たる部分の中央に二本の角が生えた髑髏の彫刻が特徴的な大剣を下げていない事に気が付いた。
「あぁ?俺がどんな武器を使おうがお前にゃ関係がねぇだろうが。」
何故かマベルの質問に苛々とした様子で応えるダンテ。
実は、現在、大剣『リベリオン』は仕事仲間であるレディという名前の女便利屋に、借金のカタで取られてしまったのである。
3年前、HEC社(Human electronics Company)のCEOでもあるライドウから謝礼として貰った大金は、事務所購入や、家賃、ガス、水道、電気料金その他諸々であっという間に消え失せた。
仕事を選り好みせず、豪遊を控え、節度ある生活をすれば、まだ幾らかは残っている筈であった。
しかし、それが出来る程、器用なタチではないので、気が付いたらライドウから貰った金は無くなり、後に残ったのは莫大な借金であった。
「関係なくはないわよ。『フォース・エッジ』が使いこなせないんだから、何か別の武器を用意しないと駄目でしょうが。」
「ギャンギャン喚くな。お前から魔具の使い方はある程度教えて貰ったんだ。適当にそこら辺の悪魔共を練習相手にしてりゃ、そのうち使いこなせる様になるだろ。」
まるで小姑の様に文句を言う妖精に内心辟易する。
マベルが言っている事は至極当然の事であった。
彼女から見て、ダンテの背負っている大剣『フォース・エッジ』に封印されている悪魔はかなりの大物である。
もしかしたら、魔王クラスの悪魔が封印されているのかもしれない。
とてもじゃないが、未熟者の魔狩人が扱うには、少々過ぎたシロモノである。
不意に肩に乗っていた妖精に異変が起きた。
ビクンッと痙攣すると、まるで何かに取り憑かれたかの様に生気の無い表情で後ろを振り向く。
「ファントム・・・。」
そうマベルが呟くのと背後にある回廊の壁が破壊されるのはほぼ同時であった。
瓦解した壁を突き破って現れたのは、節足動物特有の節くれだった脚。
八本の鎧の如き硬い甲殻の脚を持つそれは、大聖堂で戦った灼熱の妖獣―ファントムであった。
驚異的な再生能力で完治した8個の複眼が、早速、獲物2匹を捉える。
「ひぃ!!」
化け物蜘蛛を見て、真っ青になった小さな妖精がダンテの背後に隠れる。
「ち、もう傷が治ったのかよ?意外とタフな奴だぜ。」
背負っている大剣『フォース・エッジ』を抜き放つ。
「ちょ、ちょっとぉ!こんな狭い所で戦うつもりなのぉ!!?」
すっかり臨戦態勢のダンテに対し、マベルは呆れ顔である。
この場所は、身を隠す柱も物陰も無い。
上位魔法をもし撃たれたら、防ぐ術がまるで無いのだ。
「へっ、さっきも言ったろ?コイツが格好の練習相手って奴だ。」
口元に不敵な笑みを浮かべて、化け物蜘蛛―妖獣・ファントムに向かって走り出す。
攻略方法は、もう分かっている。
甲殻の無い関節部分と装甲の薄い背中を狙えば良いのだ。
それに、妖精から魔具を操るコツは大体分かっている。
だが―
「駄目ぇ!!逃げてダンテ!!」
妖獣の死角を突いた見事な一撃の筈だった。
人形の様に吹き飛ばされるダンテ。
妖精の悲痛な叫びが回廊内に木霊する。
「つ、つえぇええええええええ。」
無様に地面に倒れた浅黒い肌をした神父姿の青年。
その腕を捩じりあげ、悪魔使いの少年が、神父姿の悪魔の上にどっかりと腰を降ろす。
「はぁ・・・準備運動にもならねぇじゃねぇかよぉ。」
本当に口ほどにも無い相手であった。
魔法を殆ど使わず、徒手空拳のみで圧倒し、簡単に腕を決めて取り押さえる事が出来た。
「マスター、早くコイツの心臓を潰して先に進みましょう。」
うつ伏せに倒され、少年の右膝で左腕を押さえ付けられている神父姿の悪魔に向かって、番の白銀の魔槍士が、深紅の槍―”ゲイ・ボルグ”の切っ先を向ける。
「わぁあああああ!!待った待った!俺っちの負けだ!降参するから勘弁してくれぇ!!」
心臓は悪魔の弱点だ。
いくら上級悪魔でも、コレを破壊されたら一瞬で死ぬ。
無様に泣き喚く浅黒い肌の青年を悪魔使いの少年と魔槍士が、大分引いた表情で見つめた。
「お願い!人修羅様!俺っちを助けてくれたら、何でも言う事聞くからさぁ!そうだ!アンタの性奴隷になるよ。俺っちアッチのテクには自信があるんだ。アンタを毎晩満足させ・・・ひぃ!!」
破廉恥極まりない発言をほざき捲る神父姿の悪魔の眼前に”ゲイ・ボルグ”の刃が突き立った。
見上げると憤怒のオーラを纏った無表情の魔槍士が、殺気漲る双眸で自分を見下ろしている。
「おい、冗談はそれぐらいにしろ。お前、さっきこの城を守護するって言ってたよな?だったら、お前の主人がこの城の何処かに居る筈だ。」
その名前を言えっという悪魔使いの脅しに、神父姿の悪魔は渋々応えた。
「お・・・俺っちのご主人様は、2000年前に冥界に行ったっきり現世に戻って来てねぇ・・・。」
不承不承と言った感じで、神父姿の悪魔は身の上話を始めた。
悪魔の名前は魔神―アラストル。
こう見えても種族は、れっきとした魔神で、地獄の刑執行長官も務めた事があるらしい。
ある日、突然地獄を訪問して来た日本の神、天ノ津神の一人に気に入られ、半ば無理矢理魔具にされてしまったのだと言う。
「うう・・・俺っち可哀想でしょ?おまけに人間の結婚祝いの贈り物にされちまったんだぜ?この魔神・アラストル様がよぉ・・・。」
アラストル曰く、贈り物にされた先の主人は、ローマでも多少名の知れた魔術師だったという。
突然の不幸で奥方を失い、失意のどん底に落とされた主人は、宮廷魔術師の資格を捨て、この絶海の孤島―マレット島に移り住んだ。
「まさかオルフェウスがお前の主人だったとはな・・・。」
この城の持ち主であり、ウェールズ南西部に位置する小国ダヴェドの元宮廷魔術師。
その功績は意外にも高く、大聖堂や城の建設など、その優れた建築士としての技術でローマ周辺に名が知れていたらしい。
「な、なぁ?アンタは俺に力を示した・・・俺は魔具だ。力を示した以上、アンタに従う義務がある。」
これだけ強大な力を持つ悪魔使いに仕えられるのならば、何ら不満は無い。
しかも、そこら辺の美女など足元にも及ばない様な美貌。
夜のご奉仕だって目一杯頑張れそうだ。
「お前の主人は、この城の城主、オルフェウスだろう?いくら魔具でも主人が契約を破棄しない以上、自由に相手を選べない筈だ。」
魔具も番同様、主人が契約を解除しない限り勝手にマスターを選ぶ事が出来ない。
アラストルの言葉が正しければ、オルフェウスは冥界に渡った後、行方不明になっている。
「あ、あんなイカレデブ親父なんて知らねぇよ。契約だって形だけで、俺っちをちっとも支配してくんねぇ。毎日毎日、死んだ女房を思い出しちゃぁ女々しく泣きやがって・・・・なぁ?アンタ、魔導士としてもかなりやり手なんだろ?だったら糞ったれな契約を何とか白紙にして、俺っちを自由にしてくれよぉ。」
「無理だな・・・いくら俺でもお前の正式な主はオルフェウス公だ。彼が契約を破棄又は死亡しない限り、お前がこの城から解放される事はない。」
つまり、異界を自由に行き来出来るが、現世で行動出来る範囲はこの城の中のみと言う訳だ。
しかも、城を出て違う主人を得るには、元の雇用主が契約を破棄するか死亡が確定的でなければならない。
「大人しく魔界に帰るんだな?異界の地ならば、お前を縛る契約はその効力を失う・・・それか、お前が見捨てた主を探しに冥府に渡るかのどちらかだ。」
「うう・・・そ、そんなぁ・・・。」
ライドウに切って捨てられ、アラストルは情けない声を上げる。
神父姿の悪魔は、この現世を酷く気に入っていた。
見た事も無い美味しい食べ物や酒、柔らかい肉をした美女に瑞々しい生命力に溢れた子供のマグネタイト。
彼にとってこの世は宝の山だ。
それを見す見す捨てて、弱肉強食を絵に描いた様な世界―魔界に帰りたいとは決して思わない。
そんなやり取りを交わしている時であった。
突然、廊下に面した城の壁が轟音と共に破砕する。
驚いて一斉にそちらに視線を向ける三人。
瓦礫や漆喰と共に中庭に何かが転がり込んで来る。
それは、赤を基調にしたロングコートを纏う銀髪の魔狩人―ダンテであった。
ちこっと加筆修正。
細かい設定を忘れそうです。