世界を救った男は、久々の休日を思い出の地で満喫していた。
花見を堪能しながらで、男はなんとなく、これまでのことを振り返る。
主演
榎本
出演
椎名真由美
イリヤ
エリカ・プラウドフット
先坂絵里
永江
友情出演
浅羽直之
水前寺邦博
大学で知り合った「あの子」
このSSは、三題噺から発想を得させていただいたものです。
テーマは「ヒーロー」、「宇宙」、「花見」です。
お題を出してくださった鴻鈞導人様、練炭様、パープル紫様、本当にありがとうございました。
あんまりハメを外しすぎないでよ、あんたは何だかんだでヤバい男なんだから。
俺は「はいはい」と答えながら、まずはひとっ風呂浴びて、ぴっしりしたスーツを着込んで、ちょっとしたおツマミを抱えながらバンに乗って、そのまま馴染み深い釣り堀へと向かった。
――午後六時半。
まだこんな時間だというのに、嘘みたいに人一人っ子もいやしない。まあおいそれと見せられない顔をしているから、この
見上げる。物言わぬ夕暮れが、目に染み込んでくる。
誰もいない釣り堀というのは実に不気味で、それでいてなかなか悪くないとも思う。それでいて桜の樹々も満開で、「もうそんな時期だったのか」と呟いてしまった。
やれやれ、仕事ばっかってのは実に健康に悪いね。
そう思いながら、俺は備え付けのベンチに腰を下ろす。その横には、カップラーメンと魔法瓶をどちゃりと置いておいた。
――そしてそのまま、猫背になりながらで釣り堀をじっと眺める。平和なひとときが、無意味に過ぎ去っていく。
今日は――思い出した、四月一日か。
こんな日に限って久々の休日とは。やっぱ俺って、偽ってばっかの人生を送ってんな。
苦笑が漏れる。
いつ頃だろうか。本名すら名乗れなくなったのは。
元気だろうか。大学で出会ったあの子は。
□
俺は人一倍顔が良かったらしく、昔からよくモテた。
けれども、一度も告白を受け入れたことはなかった。
何故かと言われれば、「恥ずかしいから」に尽きる。だというのに俺ときたら、「硬派な俺は、そう簡単には交際などしない」という体のいいカバーストーリーをでっち上げてしまった。嘘ばっかり。
それでもやっぱり、モテ男の呪縛からは逃れられなかった。断れば「かっこいー」と逆効果、断られた女はぐすんと泣いて実に気まずい。おまけに田舎だったものだから、色沙汰なんてしようものなら大ニュースだ。マジで勘弁して欲しい。
そんな厄介事は、高校を卒業するまで続いた。
「あの子」と出会ったのは、大学に入って間もなくだ。その子は俺の隣の席に居ることが多くて、そうなると必然的に会話する機会が多くなる。
たとえば、勉強についてとか。あるいは、趣味のこととか。きわめつけは、異性にまつわる話とか。
これは断定しても良いが、あの頃こそが人生の絶頂期だった。まだ青臭かったし、素直にモノも言えたし、何より真正面から異性と話ができたし。
あの子は他の地方からやってきた。だから、俺がモテ男だったなんて事実は知らない。だからこそ、お気楽に話しかけてくれるあの子がとても可愛く見えたんだ。
ああ、いい女だった。ずいぶんとトシを食っちまったけれども、声すら思い出せるぜ。
□
夕日が映り込む水面が、音もなく揺れ動く。
□
めちゃくちゃ好きになっちまったんだよなぁ。
だから、デートしてやるぞって思ったんだっけ。
大学からの帰り道に、休日になったら一緒に遊ばねーかって口走ったんだ。
するとあの子は、「おっけー」って笑顔で承諾、もーイチコロだった。後になって、デートコースをどうするかで迷いに迷ったんだけれども。
――結局は、馴染み深い釣り堀をセレクトした。慣れた場所なら、何とかこうペースを保てるだろう。そんな理由で。
まあ、
初デートに釣り堀はどうよって、そりゃあ自覚していたさ。派手さはないし、どうしても座りっぱなしになってしまうしで、明らかに玄人向けだ。
ガチガチに緊張していた俺は、おそるおそるあの子の方を見た。不機嫌になってないか、帰りたいと言い出さないか、そんなマイナスを思考しながら。
「へー、釣りかぁ。どうだろ、いけるかなー?」
ところがどっこい、あの子はにこにこ笑っていた。釣り竿を剣のように持ちながら。
この瞬間、俺は心の底から思ったね。「っしゃあ!」って。
で、当然ながら簡単には釣れなかったけれども――あの子は、最初から最後まで楽しそうにしてくれた。話だって止まらなかった。
「ここにはよく来るの? やっぱり上手い?」
「普通だよ、ふつー」
「そーなんだ」
「……どだ、楽しいか?」
「え? うん」
「どんなふうに?」
「なんていうのかな……待ってるだけで楽しい。私ってば待つのは苦手なのになんでだろうね」
そして彼女は、椅子の上でじっとしていたかと思うと、ふいに俺の方に顔を向けてきて、
「わかんないや」
俺に対して、顔いっぱいの笑顔を向けてくれた。
あれは二度と、見られないものだと思う。
あまり魚が釣れないまま、俺は「絶対にまた行こうな」と強く言ってしまった。
けれども彼女は、「うん」と言ってくれたんだ。
その後のことは――色っぽい進展なんてなかったが、本気で「生きてて良かった」と思えたんだ。何の将来性も無かった俺に、一つの道を示してくれたんだ。
だから俺は、この世界を守るために自衛官に就いた。
動機なんてそれだけだ。そこに、高尚さなんてこれっぽっちもありはしない。けれどこのエピソードは、「本物のオレ」が体感した数少ない思い出だ。拷問でラリルレロされようとも、これだけは死んでも吐きはしないね。
□
「あの子」のことを思い出して、思わず笑ってしまう。皮肉なんて含ませずに。
□
自衛官を勤めて数年後。俺は人一倍勤勉だったらしく、スーツ姿のおっさんから「君に問いて欲しいテストがある」と言われた。対して俺は、純真な声で「分かりました」と返事をした。
そう応えるや否や、俺は尋問室へ案内された。ドアには鍵までかけられて。
どういうことだと視線がちらちら動いたが、スーツ姿のおっさんは「何も心配はいらない」とにっこり笑い、そのまま一枚のテストを差し出してきた。
どうやら、これを書かない限りは生きて帰れないらしい。
観念した俺は、なるだけ大真面目にテストを受けようとした。
まず、悩みがあるかどうか。「無い」と書いた。
次に、10+5。15と答えた。
更には、今の気分は? 普通と書いておく。
世界は平和だと思う?
無機質なフォントで、こんなことが大真面目に書かれていた。
俺は、時勢を考えて「いいえ」と刻んだ。
――それでもテストは続く。
UFOについてどう思う? 信じているほう。
それでもテストは続く。
凶暴なエイリアンがいたらどうする? やっつける。
それでもテストは続く。
世界を守る為に、その身を捧げられる?
少し悩んで、「はい」と書いた。
永遠に思えたテストは、ここで途切れていた。
俺はそのまま、スーツ姿のおっさんにテストを渡す。対しておっさんは、実に興味深そうにテストをじろじろと眺めていて、やがては「なるほど」と分かったように頷いてみせて、
「――エイリアンって知っているよね?」
有無を言わさぬ笑顔だった。
「あれは実在するんだ。エイリアンは地球を侵略しようとしているんだけれど、そいつらは高度な技術を持っていてね。とても強いんだ。
だからといって、人類だって何もしなかったわけじゃない。命からがら撃墜したUFOの残骸から、新型戦闘機を作ろうとしている。性能はもちろん、世界中の兵器よりも上だ。すごいものだろう。
――けれど、それを動かすには強力なESPが必要で……あ、ESPって分かる? 超能力だね、超能力。
で、新型戦闘機を動かせるほどのESP持ちは、世界でも五人ほどしかいなくてね。僕たちは、命懸けでその五人を守り通さなくちゃならない。
おまけに、新型戦闘機を巡って利権争いをする人がいっぱいだ。お陰で毎日が交渉だよ、交渉。
ああ、もちろん戦闘機については最高機密だよ。そのためのカバーストーリーとか、はぐらかし方とかを考えるのも大変でね。
――で、優秀な君なら、これらすべてを踏まえた上で地球の命運を託せると思ったんだが。どうだい、やってみないかい?」
なあるほど。
断れるわけがねえんだよな。そんなヤバい情報を耳にさせておいて、タダで帰してくれるはずがない。
このテストだって、正解不正解があるかどうかも怪しいもんだ。
とにもかくにも、俺は晴れて「UFO係」となった。
――それから、たった数年後。
人一倍賢かった俺は、面白いくらい「権利」を得たんだよな。気づけば空母すら動かせるようになっちまった。
だからといって、俺の仕事がラクになったわけじゃない。むしろ、決定権が与えられすぎて死ぬほど忙しくなっちまった。いったいいつ頃だったかな、フロに入るのが二の次になったのは。
□
桜が風に揺れている。それを、目で追い続ける。
□
UFO係なんて、何度も幾度もクソと思ったもんだ。今だってそう考えてる。
本名は捨てなきゃならなかったし、下手に人様の前にも出られなくなったし、親とはこれきり会えてもいないし、気づけば厄介者を「処理」するようになっちまったし、UFO番組からは間接的に茶化されるし、やっぱり仕事がクソ忙しいしで、実にストレスフルな人生を歩んできた。
でも、辞めようだなんて思った事は一度もない。この世界のことは、あの子が生きているこの星の事は、なんだかんだで好きだからな。
――ったく、いつまで経っても学生気分だな。俺ってやつは。
で、だ。
人一倍信念があった俺は、新型戦闘機「ブラックマンタ」のパイロットの監視役に選ばれた。
それに伴って、俺の勤務先は地上からタイコンデロガへ。最初は「海の上ってどーなんよ」とか思っていたが、最近の空母ときたら住み心地が凄く良いのな。食い物も教会も床屋もある、デカいからちっとも揺れねえ。
こりゃあ一年くらい勤務しても良いと思った。暗くて狭くて終始くそやかましい「UFO係」のオフィスよりは、健康的な暮らしができそうだと思ったから。
――それで、遂にブラックマンタのパイロットと対面することになった。
その際にパイロット専属の医師も同伴することになったんだが、
「日本人?」
「そ。一応、椎名真由美って名乗らせてもらってるわ。長い付き合いが出来ると良いわね」
なるほど、UFO係の危なっかしさは知っているのか。この界隈も意外と有名なのかね。
で、椎名は言った。
「あんたなら、ESP持ちのパイロットについて色々聞いたと思うけど。状況は把握してる?」
「ああ。確か、元は五人居たけれど今は二人しかいないんだろ? 原因はすべて、新型戦闘機による『不調』」
椎名は、忌々しそうに鼻息をついて、
「そ。その二人には、地球の全てを押し付けられてる」
「なるほどな」
「……まあ、それだけなら私達も似たようなものでしょう?」
「ん、まあ、そうだな」
そして、俺は見た。
椎名の、すべてを憎んでいるかのような横顔を。
「その口ぶりからして、パイロットについては何も聞かされていないようね」
「……そうだな。ただ、とんでもない超能力を持っているってことだけは知ってる」
その時、椎名が強く舌打ちした。「セコいことしやがって」と恨みがましくつぶやいた。
俺は、首をかしげることしかできない。
「これから二人のパイロットと会うことになるけれど、何を見ても驚かないでよ」
その言い回しに、「どういうことだよ」と思った。
奇抜な外見をしているのか、個性的なヘアースタイルをキメているのか。或いは、適合するために機械化しているとかだろうか。
「あと、二人には『死』にまつわる話はしないこと。薬などの影響で、過敏になってしまっているから」
それ以上、俺は何も聞かなかった。ブラックマンタという規格外を操縦するのに、ドーピングが必須だってことは耳にしていたし。
エイリアンなんてのと戦うには、それぐらいのことをしなければならないんだろうか。だとすれば、思った以上に地球はやばいのかもしれない。
――まあ、あとは会ってからで考えりゃ良い。
そんな風に、どこか悠長に構えながらで格納庫に足を踏み入れ、
ふたりの少女が、軍人らしくじっと立っていた。
何の冗談だと、スタッフめがけ無言で訴えた。そのうちの一人が、「この二人が、ブラックマンタのパイロットです」とか当たり前のように抜かしやがって――深い溜息が漏れた。
そうだな、少年兵という存在が居るもんな。俺より身長が10センチ以上も低くて、せいぜい中学生らしい顔つきをしていて、それなのにごつい軍服を着込んでいたとしても、「この世界」においては何ら不思議なことじゃねえもんな。
そうか。俺も、ワルい大人になっちまうのか。
本当、その時はけっこうショックだったっけ。
□
桜の花びらが、俺の太ももの上に落ちる。それを、なんとなく摘む。
□
エリカ・プラウドフット、イリヤ。それが、世界の命運を握るパイロットの名前だった。
椎名が言うには、二人して感情表現が苦手なのだという。まあ閉鎖空間の中で育ち、戦うことでしか必要とされていなかったから、そうなっても仕方がないのだけれど。
ほんとう、この世界は切羽詰まってるんだなと実感させられる。
監視役として、まず最初にやったこと。それはもちろん、二人とのコミュンケーションだ。
それは取るに足らない話題から、びっくり仰天な作り話、時にはおっかない物語を聞かせたりして、色々とふっかけていったんだ。
最初こそは、無視されたりもした。けれども俺は、何度も何度も二人に声をかけた。ここまで必死になれたのは、たぶん「申し訳なさ」が原因だったんだろう。
で、最初に笑ってくれたのはエリカだった。特に作り話が好きで、「次は?」と何度もせがまれたっけ。
「――俺は昔、海で泳いでいたところで足首を掴まれたことがある。なんだろうと見てみれば、どいつは青白い子供だったんだ」
真剣な顔でモノを言えば、作り話だろうとハッタリがついて回るものだ。
相手が世間知らずとなれば尚更のこと。エリカはおっかなそうに笑い、イリヤは無表情でビビっていた。
「それ、本当?」
「ほんとほんと。いやアレは、マジで怖かったよ、なんとか泳いで逃げ出したけどな」
水泳に関しては並も並だ。そのくせお調子者だったから、「飛び込むな」と何度も注意されたっけ。
エリカは「へえ」と苦笑い、イリヤは口元をへの字に曲げていた。
「お、もしかしてお前、泳げないのか?」
こくんと、頷く。
「っかー。だとすりゃ、まずいんじゃないか? ここいらの海は出るって噂だし」
俺はひひひと笑い、イリヤは困ったように眉をへこませる。
――本当に、こんな子達が世界を背負わなければならないのか。それを否定できない俺に、そんなことを考える資格はないのだけれど。
「大丈夫」
俺の物思いは、明るいエリカの声に払拭された。
「イリヤが海で襲われても、私が助けてあげる。私、こう見えても泳ぎが得意なの」
「ほお」
エリカは、えへんと胸を張る。
それを見たイリヤは、目と口を丸く開けていた。
「イリヤ」
「うん」
エリカが、ぎこちなく笑って、
「もし機会があったら、私があなたに泳ぎ方を教えてあげる」
イリヤの瞳に、輝きが生じる。
「ほんとう?」
「本当よ。それで、いつか一緒に泳ぎましょう? この広い海を」
その言葉に対して、イリヤは「うんっ」とうなずいた。
実に、じつに嬉しそうに。
――そうだな。
その願いを叶えるために、俺も少し頑張ってみるか。
□
花びらを裏返しにしたり、先を触ってみたりする。それは信じられないくらい柔らかくて、基地では到底体感できないものだった。
□
そうして、イリヤの方も徐々に心を開いてくれた。
そいつは人見知りが激しかったけれども、決して嫌な奴なんかじゃなかった。
だから俺は、イリヤのことだって放ってはおけなかったんだ。
正直、ふたりの話し相手になるのはとても楽しかった。UFO係はぜんぜんラクじゃねえしだんだん心も荒んでいくから、エリカとイリヤの存在はマジでオアシスだったもんだ。
――訓練の結果次第で厳しいことを口にしたり、メシを食っている時にバカ話をしたり、そんな日々が続いて欲しかった。
けれど、ブラックマンタって奴はバケモノだった。
エリカ・プラウドフットを、食っちまったんだ。
それからは、イリヤは無気力になった。表情も、言葉も、すっと消えていった。
ほんと、なんでこんなことになっちまうんだろう。地球を守るために、イリヤの仲間は死んだ。俺だって、邪魔者を「処理」したりもした。
すべては、地球存続という大義の為だ。
へっ。
ある程度の時間が経つと、イリヤとは意思疎通を図ることができた。
暴れることもないし、こちらの言葉にはそれ相応の返事を返してくれる。もちろん、飯だって食ってくれた。
――問題は、
「なあ」
「なに」
「最近、調子が悪いようだな。マンタとの同調率が下がってるって報告がある」
「そう」
「まあ、あんなことがありゃあやる気もなくなるよな、しゃーないわな」
無言。
「なあ」
「なに」
「前々から聞きたかったんだが、お前が戦う理由ってなんだ?」
「ない」
即答。
「無い、のか?」
「ない。というか、なくなった」
「どういう?」
「仲間がいなくなったから」
その一言で、俺は全てを理解した。こいつがどうして戦ってこれたのか、俺がするべきことは何なのか。
「もうどうでもいい。ぜんぶなくなってもいい」
ブラックマンタのパイロット達は、生まれも育ちもずっと管理され続けられる運命にある。
パイロット達に、余計な「自我」なんてものは求められていない。そんなもののせいで、ブラックマンタをオシャカにするわけにはいかないから。
□
湖の上に泳ぐ花びらを、目でなんとなく追う。
□
パイロットには崇高な大義も、身近を守るという純真さも、当たり前の殺意すらもコントロールされ続けられた。なるだけなら「まっさら」にしたかったらしいが、それだとブラックマンタが無反応になってしまったということで、仕方なくボツになったんだとか。
ざまあみろ。
こいつの「ぜんぶなくなってもいい」という言い分はもっともだ。仲間が死んででも戦え、俺たちの未来のためにその身を捧げてくれ。相変わらず人類は団結できないからお前が頑張ってくれ。
クソだ。
間違いなくクソだけれど、人一倍しぶとくなった俺は、明確にすべてを察してしまえるのだ。
みんな、こんな世界なんてクソだと思っている。
特殊部隊に所属しているロジャーも、タイコンデロガの艦長を務めているクリスも、空母で神父をしているミリエラも、あいつのケアを担当している椎名真由美も、こんな残酷な世界に対して中指を立てているはずだ。
――どうして、あんな年端もいかない子供を戦わせなきゃいけない。何が悲しくて、子供に薬をブチ込まなければならない。なんで大人の俺たちが、子どもたちに世界の命運だなんてものを背負わせなければならないんだ。
みんな、間違いなくそう思っている。計画の立案者も、薬の開発者も、戦闘機の設計者も、「仕方がなかったんだ」と心を痛めているだろう。
断言できる。
だって「俺達」は、今日この日まで普通に生きてきたから。
屈強な軍人だって、最初から軍人になるために生きてきたわけじゃないだろう。若い頃はくだらない事で笑えたり、ダチとケンカしたり、親から叱られたり、告白をしたりされたり、時には釣りを楽しんだ時期もあったはずだ。
そうやって生きていけば、人は人のことを思いやるようになる。根っからの悪魔なんて、そういるものではない。
結局俺たちは、この星を守りたいだけなんだ。
だから「仕方なく」、子供達を兵士として送り込むんだ。
そうすることで、最小限の犠牲にまで抑え込めるから。
――俺も、そう考えている
――クソだな、ほんと
俺もクソだから、この星を守りたいから、だから何としてでもイリヤの戦意を向上させなければならなかった。
その為なら、俺は何だってする。というか、できてしまう。何年UFO係をやってきたと思ってるんだ。
苦笑いが漏れる。
そうして俺は、少しだけ考えて――人一倍セコかった俺は、とある計画を閃いた。
□
風が吹いた。花びらたちが、嘘のように舞い上がっていく。
□
「学校?」
「おう。学校はいいぞ、とにかくなんでもできる。多少の悪さなら、目をつぶってもらえるしな」
「……やだ」
「なんで」
「知らない人が多いから。絶対いじめられる」
「んなこたねーって。普通にしてりゃ、自然と人は寄ってくるから」
タイコンデロガの食堂で、俺は何気ないツラをしながらで学校の素晴らしさを説いていた。対してイリヤは、予想通りの反応を露にしていたが。
表面上は軽薄そうに笑いながら、内心では「乗ってくれ」と思う。
――こうして学校の話題を切り出したのも、すべては「計画」を実行に移すためだ。何もないイリヤには、「かけがえのないの学校生活」というものを刷り込まなければならない。
イリヤはまだ十四歳だから、学校へ通い始めても何ら不自然でもない。そこで勉強をして、いつしか友達ができて、かけがえのない思い出を積み重ねていって、あわよくば好きな人さえ出来てくれれば、「俺たち」としては万々歳だ。
とにかく、イリヤには「戦う意味」を見出してもらう必要があった。
守るべき誰かというものを、見つけてもらうほかなかった。
だから俺は、何度も何度も学校の良さをアピールした。けれどもあいつは、ネガティブばっかり口にする。
まあ、無理もない。
俺だって、大学に入りたての頃は不安でいっぱいだった。誰かと仲良くなれるんだろうか、ひでー目に遭わないだろうか、また異性問題に巻き込まれたりはしないだろうか。そんなことを何度も何度も考えていて、
そうして俺は、「あの子」と出会った。
だから俺は、あの子が居るこの世界を守ろうって決意できたんだ。
だからこそ俺は、会議室で計画を立案する際に、大真面目な顔でこう言ったんだ。
――不意な出会いというものは、人を大きく変える力があるんです
この言い分に、誰一人として否定しなかったのがけっこう笑えた。なるほどな、お偉方にも「そういう」時代があったわけだな。
そんなわけで、バックアップはよし。次にあいつの「転校先」についてだが、これは園原中学校が選ばれた。
まず、比較的平穏な日本にある。これは大きい。
次に、生徒数が多すぎない。イリヤは人見知りだから、これで良い。
そして何より、割と暇な園原基地が近くにあるということ。 これが決定的だった。
そんなわけで、お膳立ても完了した。
あとは、あいつの興味を引くだけだ。
だから俺は、イリヤの隣でへらへら笑いながら必死に一計を案じていた。
何かないか。
あいつの、不満そうな横顔を見つめる。
その表情の向こう側に、
あ、
俺は人一倍悪かったから、「いいこと」を否応無く閃いた。
「あーあ、もったいねえなあ」
あいつが、目線をこちらに動かしてくる。
「学校にはプールがあるのになー。泳ぐと、めちゃくちゃ気持ちが良いのになー」
見逃さない。イリヤの眉が、ぴくりと動いたのを。
どうしてそんな反応を示したのか、俺にはわかる。
だってイリヤは、エリカと水泳をしたがっていたから。
□
誰もいない釣り堀が、なんだか八月三十一日のプールに見えた。俺としたことが、未練が残っているらしい。
そしてまた、思い出がこぼれ落ちてくる。
□
計画はだいたい決まった。
イリヤが園原中学校へ転校する時期は、夏休み明けの九月から。組織というやつは、何をやるにしても時間がかかっちまうもんだ。
まあそれは良い。あとは、あいつにとっての「かけがえのない出会い」をどう演出するか。それが問題だった。
それについて、大の大人達がうんうんと考え考え考え抜いたが――結局は、園原中学校がどういう場所かを把握してから、ということになった。
――それから、約一ヶ月が経過した。
せっかくの日本へ帰ってきたというのに、やることはといえば仕事に新型機のチェック、うるさがたのお相手に園原中学校の調査と、やるべきことが盛りだくさんだった。
世間様はすっかり夏休みだというのに、UFO係にはそんなモノなんて関係ない。世界を守るというのは、それはもうめちゃくちゃ大変なことなのだ。
――かといって、刺激的な出来事が無かったかといえば、それはNOだ。
「は? ガキが基地を監視してる?」
「ええ、まあ」
先坂絵里が、実に困ったように眉を潜ませている。
「まあ、ガキってのは軍隊とかそういうのが好きだろ。ほっとけ」
「そうしたいのはやまやまなんですが」
「ん」
また何か、厄介事がやってきやがったのか。
地元の悪ガキ相手なら、無表情で流す。子供を使ったスパイか何かなら、真顔で「処理」するまでだ。
俺は、促すように「それで?」と聞いて、
「園原電波新聞が、夏休みに入ってからずっと基地をのぞき見しているんです」
俺は、大爆笑した。
□
ベンチの背もたれに、身を預ける。視線の先には、UFOなんていやしない砂漠色の空が見えるだけだった。
□
園原電波新聞といえば、園原中学校を拠点にしている非公式の部活動だ。その活動内容は、ずばり「世の中の謎を解明し、真実を暴き出すこと」。
これだけでも面白いというのに、部長である水前寺邦博という男はもっと面白くて、強烈で、しかも厄介ときた。どれくらいヤバいかというと、園原基地から直々に「マーク」されているほど。
――こいつのせいで、「この前」はえれえ目に遭ったほどだしな。
その水前寺邦博についてだが、調査結果からしてもう笑える。身長は175で金持ちでイケメンで100メートルを十二秒で走れて第一志望は「CIA」、こんなの尊敬するしかない。
そんなハイスペックに目をつけられれば、そりゃあ大の大人も振り回されるってもんだ。中学生の全能感ってやつは実に恐ろしい。
こんな奴と友人になれば、イリヤの学生生活はかなり刺激的なものになるだろう。俺だって、こんな立場でなければお近づきになりてえし。
――けど、
水前寺という男は、誰かに守られるようなタマじゃない。災厄に巻き込まれようものなら、「俺に任せろ」とか言って一人で何とかしようとして、いつかは死ぬタイプだ。
そうなれば、イリヤの精神は今度こそ壊れてしまうだろう。自責の念にかられて、世界と共に滅び去っていくに違いない。
だから、どちらかといえば「控えめな男の子」が欲しかった。そこは女の子でも良かったのだが、やはり愛というヤツは己が価値観すらも変えてしまえる力がある。俺がそうだったから間違いない。
だから俺たちは、水前寺邦博の付き添いをターゲットに据えた。
そいつは、浅羽直之といった。
□
思い出から溢れ出た浅羽直之という名前に、俺はなんだか笑ってしまった。
楽しいとは違う、寂しいとも違う。そうせざるを得ない得ないような、そんな感じで。
□
天下無敵の園原新聞部も、やはりモノを食わねば生きてはいけない。あの水前寺だって、公園で水浴びをして体を洗い流すこともある。人間として生まれた以上、多かれ少なかれスキが生じるものだ。
そして浅羽も、コンビニで食料を調達するために下山を開始した。
だから俺と永江は、先回りして行きつけのコンビニへ駆け寄った。
――数分後になって、浅羽がコンビニに入店する。それを見計らいつつ、俺はカップラーメンを物色しながらで永江にこう言ってやったんだ。
「なあ。お前、夜のプールって入ったことあるか?」
「え? なんすかそれ」
「ねえの? もったいねえな。……悪いことは言わん、いっぺんやってみ」
「悪いことだからしたくないっす」
「はあ?」
そして俺は、こう言ったんだ。
水前寺のツレで、引っ込み思案で、十二まで妹と一緒に風呂に入っていて、水前寺ほどぶっ飛びきれなくて、けれどもやっぱり悪ガキな浅羽のことを、刺激してしまえるような一言を。
「――めちゃくちゃ気持ちがいいぞ。でかいプールが、自分だけのものになるってのは」
□
さて。
久々に花見を堪能できた。あとはとっておきを口にするだけだ。
だから俺は、カップラーメンを取り出す。
グリーンラーメンだった。
□
八月三十一日の夜、イリヤは園原基地からこっそり抜け出した。俺があらかじめ用意しておいた水着と、薬と、9mmピストルを手にして。
うまくいった。
イリヤが外出を決行できたのは、そもそも警備のゴリラどもが「ぼさっとしていた」からだ。だから、イリヤは園原基地を出し抜けたんだ。
今頃あいつは、自分の意思でその両足を動かしているのだろう。どこか生き生きとしながら、大人どもの目をかいくぐっているはずだ。
――どんな気持ちだ。窮屈な場所から、身一つで家出できた気分は。
思わず苦笑してしまう。それはたぶん、あいつが楽しそうだから。昔の自分を思い出してしまったから。
そんな感慨を覚えながら、俺は双眼鏡と指向性マイクを片手に園原中学校へ忍び込む。まるで犯罪者だ。今更か。
浅羽とあいつが出会って、語り合って、数分が経過した。
最初こそは色々とトラブルがあったが、浅羽があいつに泳ぎ方を教えてくれているお陰で空気がだいぶ緩和した。
ろくに女子とも付き合ったことがないだろうに、浅羽は真剣にあいつと向き合ってくれている。
対してイリヤは――とても、とても楽しそうだった。
この場には、世界の命運だとか戦闘機だとかそんなものはなくて、パイロットだの戦争だの殺し殺されなんてありえなくて。ただただ、ごく普通の学生生活が繰り広げられているだけだった。
俺たちは、それを物陰から見守るだけだ。それで良かった。
「そろそろ迎えに行きましょうよ」
その言い草に、思わず溜め息が漏れた。
永江に対して、俺は肩をむんずと掴む。
「まあ待て、もう少しだけいいだろ。付き合いが長い方が、『効果』は高い」
あいつには何もなかった。それなのに、人一倍頑張ってくれた。
だから今だけは、いまだけは、自由に生き抜いて欲しかった。
□
グリーンラーメンにお湯を入れる。
見るからに健康的に見えるが、実際はラーメンらしい味がする。食べると緑色のクソが出る。
□
浅羽との邂逅を終え、俺とイリヤはバンに乗って園原基地へ帰っていく。
薄暗い車内で、俺とイリヤは隣同士で腰掛けていた。そうして俺は、まだ髪が乾かないイリヤに対して「どうだった?」と質問してみたのだ。
するとイリヤは、無表情な声で「おもしろかった」と答えた。
――そうかそうか、それはよかった。
どうやら、浅羽に対して良い印象を抱いてくれたらしい。イリヤは相変わらずの仏頂面だったが、内心はとても喜んでいるのがよくわかる。
だから俺は、聞こうとしたんだ。園原中学校に行ってみないか? と。
質問するために、俺はイリヤの方を見て、
イリヤは、深く深くその場でうつむいていた。
どうした――そんな言葉すら出てこない。
至近距離にいるイリヤは、どこか苦しそうに口元を食いしばっていて。何かを覚悟するかのように握りこぶしまで作っていて。
イリヤとは長い付き合いになるが、こんな「はっきりとした」イリヤは初めて見た。
だから俺は、どうすることもできなかった。
「行く」
え。
「わたし、明日から学校に行く。絶対に行く、止めても行く」
最初は、「そうか」と思った。
そして俺は、そう決意した理由がどうしても知りたかった。
だっていまのイリヤは、強い意思を持っていたから。
「……どうして」
そしてイリヤは、ゆっくりと顔を上げていって、ゆっくりと俺の方を見て、
「――好きな人が、できたから」
それを聞いた時、俺は改めて、改めて実感した。
俺は、いりやかなを失おうとしている。
□
「いただきます」
出来たてのグリーンラーメンを前に、俺はしっかりと両手を合わせる。
そして二回ほど麺へ息を吹きかけて、湯気が立ったままのグリーンラーメンを勢いよく口の中へかっ込む。
痛い。
出来たて特有の熱さが、口内を刺激する。これがひどくたまらない。
そしてそのまま、俺はグリーンラーメンを何度も何度も噛み締めていく。クロレラ入りのラーメンとのことだが、これが意外にもいけるのだ。
――ほんとう、これを食えるまでにいろんなことがあったな。
こうしてのんびりとラーメンを味わえるのも、すべては伊里野が地球を救ってくれたお陰だ。その真実は「なかったこと」にされるだろうけれど、俺は絶対に忘れない。
――まあ、伊里野からしてみれば迷惑なハナシだろうけれど。
何せ俺は、世界平和の為に伊里野を生贄に捧げた男だ。そのせいでガキに弾丸までもらっちまって、そのくせ生き残ったときたもんだ。
とんでもねえ悪党だよ、俺は。
だからグリーンラーメンを食べ終えた後は、狙撃でも火炎瓶でも持ってきてくれ。やることはやり終えたんだから、つまんねえ死に方をしても誰も迷惑はかからないだろ。
箸を止めて、もう一度だけ桜の樹木を眺める。
こんな綺麗なものも、伊里野が守ってくれたんだ。
この釣り堀も、伊里野が命懸けで守り通してくれたんだ。
あいつには、感謝するほかない。悪人からのお礼なんてタダでもいらないだろうけれど、俺はずっと伊里野と向き合うつもりでいる。
そうして俺は、グリーンラーメンの汁を全て飲み干した。
未練は、もうなくなった。
――さて、
残念ながら、殺し屋はやって来ないようだった。
これも、世界平和が訪れた結果だろうか。
だとすれば、アジア一やばい男という称号は返上しないと、
その時だった。携帯の着信音が釣り堀に反響したのは。
なんだなんだ、久々の休日だってのにムードをぶち壊しやがって。
俺は、携帯に耳を当てた。そして否応なく、椎名真由美の怒鳴り声に耳を貫かれた。
――な、なんだよ、許可は取っただろ?
椎名は、「そっちじゃない」とデカい声で訂正する。
じゃあなんだよと、不機嫌な声を吐いてやって、
「――え?」
思わず、声が漏れた。
「……お前な。今日が四月一日だからって、そういうウソはどうかと思うぞ」
しかし椎名は、何度も「本当」と叫ぶのだ。伊里野のケアを担当していた、椎名が。
――俺は、ごくりと唾を飲む。
「確かなんだな?」
電話の向こう側から、肯定された。
そうして俺は、「すぐ行く」と言い、通話を切る。
見上げる。
深呼吸する。
ウソくせえなあと、笑いながら思った。
けれど、今日は四月一日だしなあ、と思った。
伊里野のやつ、めっちゃ頑張ったもんなあ。そう想った。
その時、釣り堀に設置されたスピーカーからノイズが鳴り響く。間もなく流れ出したメロディーに対し、俺は「もうこんな時間か」と呟いた。
スピーカーから、女の子の声が木霊する。
『午後七時になりました。皆さん、車に気をつけて帰宅してください。帰った後は宿題をして、家の手伝いをして、歯を磨いて明日のために早く眠りましょう。明日も良い一日を』
へいよ。
カップラーメンの器をビニール袋に突っ込み、魔法瓶を片手に持ちながらで、俺はバンへと歩んでいく。
これから先も、俺はめちゃくちゃ忙しくなるだろう。風呂にすら入れない日々が、またしても襲いかかってくるに違いない。
けれど、今回ばかりは最初から最後まで任務を完遂させるつもりだ。こればっかりは、土下座してまでも関わらせてもらう。
――駐車場に待機させておいたバンへ乗り込む。上機嫌な手つきで、ドアを締める。
さて、迎えに行かなくちゃな。俺は、伊里野加奈の兄貴だからな。
□
バンで勤務先へ戻る際に、歩道で見知った顔とすれ違った。
見間違えるはずがない。
その「知り合い」は、男と、子供を連れて歩いていた。とても良い顔をしながら。
俺はようやく、世界を守れたことを実感した。
だから俺は、半ば冗談めかしてこう思うのだ。
世界人類が平和でありますように。
イリヤの空における推しキャラは晶穂ですが、一番好きなキャラは榎本です。
一番好きなシーンはといえば、最終巻の、追い詰められた浅羽に対しての「冗談だよ」と返すところです。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
彼はきっと、この地球を守りたいと願っていたはずです。仕事に押しつぶされようとも、伊里野に対しての感情を押し殺してまで。
彼もまた、救われない男でした。
だからこそ、この二次創作を書きました。
こうして書ききれたことで、俺の中のイリヤの空は今度こそ完結しました。
この後はきっと、浅羽はメタルな展開を迎えることになるのでしょう。
今回の話の構想に協力してくださった鴻鈞導人様、錬炭様、パープル紫様、本当にありがとうございましたッ!