四畳半秘封大系   作:膝゜帽子

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四畳半境界ツアー(一)

 大学三回生の春までの二年間、大凡実益のあることなど一切しなかったとここに断言しよう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など社会的有為の人材となる為の布石を尽く外し、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などどうでもいい布石ばかりを澄ましたように置きまくったのは何故(なにゆえ)であるか。

 責任者に(といただ)す必要がある。責任者はどこか。

 私とて生誕以来こんな有様だったわけではない。

 生後間もない頃の私は純粋無垢の権化であり、光源氏の赤子時代もかくやとばかりに愛らしく、邪念の欠片もないその笑顔は郷里の山野を愛の光で満たしたとされる。それが今ではどうだ。鏡に向かうと、激情に駆られる。何故こんなことになったのか。これが現時点におけるお前の総決算だというのか。

 ある者はまだ若いのだからこの先どこまででも変われると説かれるであろう。

 そんな馬鹿なことがあるか。

 三つ子の魂百まで、雀ですら百までフォークダンスを忘れないというのに、やがてこの世に生を受け四半世紀になろうとする立派な青年が、今更己の人格を変革させようと無駄骨たる努力を重ねようとなんになろう。既に虚空でこちこちに屹立する人格を無理に直そうとすれば、ぽっきり折れるのが関の山だ。

 今ここにある己と共に生涯を全うせねばならぬ。この事実に目を覆ってはならぬ。

 私は断固として、目を覆わぬ所存である。

 でも、これはさすがに、残酷ではないだろうか。

 

  ○

 

 オカルト。

 それは子供の噂話や主婦の井戸端会議、酒に溺れた大学生共のピロートークで生まれた都市伝説から、アメリカ独立戦争を裏で操ったという秘密結社フリーメイソンや混沌と退廃を以って二十世紀末に世界を支配するとされた恐怖の大王、世界滅亡を謳うマヤの予言書まで、世界中で長年愛される一大エンターテインメントである。

 そして日本において最も有名なオカルトとは、幽霊、お化け、魑魅魍魎、妖怪の類ではないだろうか。

 古来より理屈では解明できない人知の至らぬ超常の現象は、人々の畏怖によって神の御業とされた。ここから、雨、風、土、海、空、山などの森羅万象には神や魂が宿るというアニミズムが生まれ、更には永き時を生きた動植物や道具にも神々が宿り、人々に禍福を齎す九十九神として崇拝された。付喪神として知られる妖怪とは元来神であり、また超常の力を以って人々に恐れられた妖怪も八百万の神々を嚆矢とする。

 それが今はどうであろう。

 人々に畏怖される存在であったはずの伝承は、怪談話としてすっかり我々を賑やかすエンターテインメントにして余興の一座と化してしまった。人々の肝を冷やすどころか、酒宴の場を冷やかすばかりである。新年には普段祈ろうともしない神の為に一時間も二時間も長蛇の列を成し、前方の禿頭に小銭をぽいと(なげう)つことだけに人々は苦心する。原初の神々であろう妖怪には一切の崇拝もない。非常に不憫とする他ない。

 しかし不当に蔑まれる妖怪達が不憫であれど、私がその存在を信じるかは別である。日夜勉学に励む学徒として、姿形もなく所在も分からぬ妖怪達の存在を信じるなど愚の骨頂であろう。

 それは決して私が怖いからではないとここに断言したい。

 

  ○

 

 五月下旬の森閑とした夜、丑三つ時である。

 私が下宿するのは下鴨泉川町にある下鴨幽水荘というボロアパートである。話によれば幕末の混乱期に焼失して再建以後そのままであるらしい。窓からちらちらとした蛍光灯の光がなければ、廃墟と疑われても仕方がない。入学したばかりの頃、大学生協の紹介でここを訪れたとき、九龍城に(いざな)われたのかと私が困惑したのも無理からぬ話だ。倒壊寸前の木造三階建、誰もを不安にさせるであろうおんぼろぶりは、最早重要文化財の境地に達するとしても過言ではない。これが崩落したとしても誰も気にしないであろうし、東隣に住む大家もきっと晴々するに相違ない。

 しかし愛すべき下鴨幽水荘の腐った寝床ではなく、私の姿は蓮台野界隈にある下宿傍の古ぼけた寺院にあった。()の下宿には一畳だけの部屋が存在するとの噂があり、その真相に至ったという学生は数日後に謎の失踪を遂げ、知人達も数々の不運に襲われたとのことである。そんな馬鹿なと私は鼻で一蹴したが、にたにたと笑う小津の次の話にはさすがにぷるぷると総身を滾らせた。小津が懐から出した一枚の写真をびりびりに破き、奈良公園の鹿の餌にしようかと至ったのは最早必定である。

 曰く、蓮台野のある寺院は、冥界への入口である。

 さながら妖怪のように不気味な小津では、陳腐な怪談も真実味があるように思われる。時折小津の背後でちかちかと明滅する蛍光灯が厭に物々しいが、交換時だったのを私がすっかり忘れていただけである。「交換しましょうよお。目がちかちかします」と小津がぐじぐじと目許を擦った。私とて前々から交換するつもりであったが、小津に急かされて交換するのはどうにも癪である。なおもぶうぶうと喧しい小津の顔面に、私は机の下に転がっていたビタミン剤を瓶諸共放った。無言でしくしくと涙するものだから、心優しき寛大な私は小津を許した。

 

「貴方、御二人の力になりたいのでしょう」

 

 鼻先をじわりと腫らした小津が、げひひと笑った。私が宇佐見氏メリー氏の力になりたいのは、紛うことなき事実である。しかしオカルトサークル「秘封倶楽部」がどういうサークルなのか依然として分からぬ私では、サークル存続の危機にある宇佐見氏メリー氏の助力になど到底なれない。

 崇高にして清廉なる私の志を、小津はにししと嘲笑った。

 

「またまたあ。どうせ貴方のことだ。あわよくば御二人とむにゃむにゃしたいのでしょう。なにせ貴方の半分はエロですから」

「うるさい」

 

 小津はきししと笑うと、縁のあるサークルから借りたという撮影機材を手にぬらりと立った。小津に従うなど私としては非常に癪であったが、ここで頑として四畳半に籠城するのは、我儘な子供のようで阿呆らしい。紳士的でない。私は愛すべき腐った四畳半から渋々腰を上げ、小津と一緒に蓮台野のある寺院へと向かった。

 まだ五月だというのに、蓮台野は夏のようにじりじりと私の成分を奪った。小津から渡された機材を握る私のささくれた掌はじっとりと汗に濡れ、実に不快である。眉根を神妙に顰ます私の機先を制したように「汚さないでくださいよお。怒られるのは僕ですから」と先導する小津がへらへらと笑った。宿題をしなさいと叱られながらもなお、己の欲望に忠実な子供のような深淵たる表情で、私は小津を睨んだ。小津はいつもの妖怪さながらにへらへらと笑うばかりで、枯尾花に風である。

 

「大体だ。冥界への入口とはなんだ。非科学的にもほどがある」

「おやおや。ここまで来て、まさかビビったんですか」

「断じて違う」

 

 なおもけたけたと笑う小津に、私は「それは誰の情報なんだ。情報源を出せ」と訊ねた。私の言葉に、小津から妖怪さながらの笑顔が失せた。いつにない神妙な表情の小津は、まるでぬっぺふほふのようである。

 

「自慢じゃないですが、僕は噂とかには聡いんですよ。さもしい大学生活に咽ぶ貴方よりは」

「やかましい」

「僕がこの噂を知ったのは最近ですけど、この写真が撮られたのは一昨年の秋なんですよ。噂が流れるのに一年もブランクがあるなんて、なんとも奇妙じゃないですか」

「知らん」

 

 孤高にして高潔たる一匹狼であることを辞さなかった私でも、小津の交友関係が途轍もないことは知っていた。さぞかし情報通なのであろう。しかし薄汚れた性格の小津の話は疑わしいことこの上ない。私は小津の尻を蹴った。掌から例の写真が椿の花のようにぽろりと落ち、「そんなあ」と小津はなよなよと崩れた。私の背中に、悪寒がむにむにと走った。小津を蹴った爪先が爛れないか、心配になった。

 ただ確かに奇妙である。噂は七十五日で野を駆け山を駆け、後は切れ痔になった蜻蛉のようにぷっつりと消息を絶つ。噂とは忍耐のない、飽きっぽい性格なのであろう。それが七十五日どころか一年以上経ってからひょっこりと現れるなど、大方用事は借金と相場が決まっている。誰が貸すものか。

 

「噂の人物は、本当に冥界へ行ったらしいですね」

 

 蓮台野の寺院に到着した我々に、夜の帳が下りた。ぽつぽつとあった街灯も、蓮台野の物々しい雰囲気に臆したのか、ほとんどない。軟弱者である。懐中電灯を手にした小津は、墓石の一つをぺたぺたと舐むように触った。妖怪垢嘗のようである。

 私は小津に訊ねた。冥界という言葉は、いまだ私に馴染まない。

 

「冥界に行ったということは、まさか亡くなったのか」

「どうもそれも違うんですよ」

「では誰が行ったんだ」

 

 要領を得ぬ小津の言葉に、私は憮然と返した。亡くなった先人達が眠る安息の地をむざむざ荒らす畜生小津は、墓石をぐりぐり回すのに忙しいらしい。墓石の奥から「ちょっと待っててください」と小悪党のように忍ばせた小津の声がしたので、私は重苦しい撮影機材と共にずもりと腰を下ろした。

 ふと私の足元で、にいにいととても愛らしい声がした。猫だ。ただ黒猫であったので、闇夜にぼうと光る双眸が少々不気味で、私は不覚にも「ひや」と悲鳴を上げた。マヌケな私の足元で、黒猫はなおもにいにいと愛らしい。あまりにも愛らしいから喰ってやろうかと思ったが、それは実に野蛮な所業である。黒猫も不吉の名の下に生まれようとして、黒猫に生まれたのではない。メンデル以来の遺伝子学的宿命に弄ばれた被害者である。パンツのゴム紐が緩むという不運に遭ったとしても、紳士であらねばならない。黒猫の目脂を取った私は、妖怪小津に喰われる前に黒猫を墓地の外へと出してやった。

 

「やっぱり駄目です。さっぱり入口が出てこない」

「おい小津。だから誰が冥界に行ったんだ」

 

 不満を露にしたような口調であったが、一仕事終わらせたようにどこか清々しい表情の小津に、私は再度訊ねた。人類安寧の為に今ここでホモサピエンスの風上にも置けぬ狼藉者小津を始末すべきか迷ったが、それではこの地に眠る先人方からの抗議文書一式が私宛に届けられることになるであろう。黒髪の乙女との文通には恋焦がれど、これはさすがに御免である。

 

「誰って、秘封倶楽部の御二人です」

 

 墓地の土に汚れた顔でへらへらと笑う小津の奥で、彼岸花が黒南風(くろはえ)に揺られた。

 

  ○

 

 小津は私と同学年である。工学部で電気電子工学科に籍を置きながら、電気も電子も工学も好まない。一回生が終わったときの取得単位と成績は恐るべき低空飛行であり、大学に在籍する意味があるのかと非常に危ぶまれた。しかし本人は常識に囚われないとばかりの(てい)である。

 野菜が苦手で即席ものばかり食べるから、まるで月の裏側から来たような顔色で、不気味なことこの上ない。夜道で会うと、十人中八人が妖怪ではないかとぶっ魂消(たまげ)、後の二人は妖怪である。弱者の仇にして強者の腰巾着であり、我儘にして傲慢怠惰で、天の邪鬼。勉強をせず、矜持の欠片もない。大凡褒むべきところが一切ない。もし彼と会わなければ、私の魂はもっと清廉としたものであったろう。

 やはり、一回生の春、オカルトサークル「秘封倶楽部」に誤って入ってしまったことがそもそもの失策だと断じなければならない。

 

  ○

 

 当時私はぴかぴかの一回生であった。すっかり花の散った桜の葉が青々として、実に心地良かったことが脳裡に蘇る。

 新入生が大学構内を歩けばとかくビラを渡されるもので、私は個人の情報処理能力を遥かに凌駕するビラを胸に途方に暮れた。その内容は様々であったが、私が特に興味を惹かれたのは次の四つであった。映画サークル「みそぎ」、「弟子求ム」という奇天烈なビラ、ソフトボールサークル「ほんわか」、そして秘密結社<福猫飯店>である。それぞれ実に珍妙この上ないが、どれもが未知の大学生活への切符であり、私は好奇心で満漢全席もかくやとばかりになった。どれを選んでも魅力的な未来が訪れるのだと心震わせた私は、どうしようもない阿呆だった。

 講義が終わってから私は大学の時計台へと向かった。色々なサークルが新歓説明会の集合場所とするからである。

 時計台の周辺は胸一杯の希望にほくほくと頬を緩ませた新入生達と、それを餌食にしようとするハイエナが如きサークルの勧誘員達で実に騒々しかった。幻の至宝とされる薔薇色のキャンパスライフへの入口が今ここに無数に開かれるようで、私は興奮なかば朦朧とした。

 まず私の視界に入ったのは、映画サークル「みそぎ」の看板を手にした学生数人の姿であった。新入生歓迎の上映会が行われるので、そこまで案内するらしい。しかし不意に弱腰となった私はどうにも尋ねられず、時計台前をうろちょろと散策した。途中、時計台前からちょっと離れたところに随分ひっそりとしたベンチがあったので、私はそこで大量のビラをぱらぱらと読むことにした。

 時計台前の雑然とした空気から遁れながらにベンチで人心地したときには、もうなんだか時計台前に戻るのが億劫になった。ベンチから青々とした木々をぼうと仰ぎながら、時計台前の喧噪を背後に私はただ時が流れるのを待った。喧しいだけのサークルには入らずに最高学府の(ともがら)として、こうして日々を静謐な思索に費やすのも一興ではないかと私の心が揺れたときのことである。私は「ちょっとそこの」と尋ねられた。声がしたほうには女性が二人と、幾人ばかりの男の姿があった。私の愛する静謐とした空間が滅茶々々にされたことに私はちょっとばかりむっとしたが、斯様に美しい女性二人を困らせるのは紳士としてあるまじきことである。しかし突然美しい女性に尋ねられた私は驚天動地として、ちゃんと返事をしたのかも記憶にない。

 

「あー、――これ私達のサークル。私とメリーの二人じゃサークル申請に通らなくてさ。貴方も良かったら入ってよ」

 

 私を尋ねた金髪の女性とは別の黒髪の乙女がぽりぽりと頬を掻きながら、私にビラを渡した。黒髪の女性にとって金髪の女性が私を尋ねたことはまるで予想外だったかのように困惑とした様子である。不承々々とした黒髪の女性からビラを渡された私は、女性二人の背後に立つ男達に一応ぺこりと会釈したが、反応は乏しかった。むっとする私を余所に男達は皆、前の女性二人を実にじっとりと嬲るかのようである。

 私は憤慨すると共に決意した。サークルが設立できずに困っていた弱味に(はらば)う男達の卑しき毒牙から美しい女性二人を守るべく、私はその日のうちの入会を一切迷わなかった。男達から彼女達を守った末に訪れるであろう薔薇色のロマンスへの期待に、不覚にも我を忘れてしまったのである。

 結論として、私の覚悟など一切無用であった。

 そもそも彼女達は男達などサークル申請の為の頭数としか(みな)しておらず、端から眼中になかった。麗しき女性二人とにゃんにゃんな関係になろうと男達は二人を酒の席に誘ったが、彼女達は煙かはたまた幽霊かのように男達の魔手から逃れた。彼女達の籠絡を断念した不埒な男共が一人また一人とサークルを脱会し、私は胸中でガッツポーズする一方、私の存在意義はあったのか非常に疑問であった。

 オカルトサークル「秘封倶楽部」の活動方針も全然分からぬまま、部室で一人ぽつんと途方に暮れる私の前に、縁起の良くない顔をした不気味な男が現れた。こいつは繊細な私の前だけに現れる彼岸からの使者ではないかと訝しんだ。

 これが私と小津のファーストコンタクトであり、ワーストコンタクトでもあった。

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