四畳半秘封大系   作:膝゜帽子

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四畳半境界ツアー(三)

 居酒屋や風俗店が並ぶ路地の一角に、身を隠すようにした陰気な民家があった。

 軒下には、厭に白々とした布を垂らした木の台を前にする妙齢の女性の姿があった。占い師である。台の(ふち)から下げられた半紙は難解な漢字が羅列され、元の白地は真夏の富士のようである。掌ほどの行燈のようなものが橙色にも藍色にも耀き、実態のない虹のような不気味な光で彼女の顔が灯される。実に妖艶な美貌であった。まるで道行く人々の魂を餌に、京での再臨の機を待つ玉藻前である。一度占われたが最後、妖しい女性の影が常住坐臥現れるようになり、その美貌から嫉妬に駆られた女性達は次々に発狂し、人形のように美しい寡黙な女性は大学の地下で女性の乳と戯れるという怪人との恋に堕落し、文通が趣味である砂糖菓子のように可憐な女性は妖怪に生皮を剥がされ、戦国武将のように凛々しい女性は酒に溺れて奇行に(はし)る――斯様な妄想に逞しい私が凝視するものだから、やがて相手も夕闇の奥から私を一瞥した。彼女の妖艶たる瞳に、私は魅了された。明治百年の男に相応しい態度で微笑んだ私に、彼女もまた蠱惑的に微笑した。その得体の知れない雰囲気には説得力があった。これほどの美貌を無料とする人物の占いが外れるはずはない。私は論理的に確信した。

 この世に生まれて早四半世紀になるが、これまで謙虚に他人の意見に耳を貸したことなど幾許ほどしかない。故に歩かずともよかろう茨の道を殊更選んでしまった可能性はなかろうか。もっと早々に自分の判断力に適切なる審判を下したならば、私の大学生活はもっと別な形をしたものであったろう。オカルトサークルという奇人変人の袋小路のようなマヨヒガで、尻子玉と他人の不幸が大好物であろう小津のような妖怪と戯れる二年など送らなかったであろう。良き友や良き先輩に恵まれ、源泉湯のようにどばどばと溢れる才能を存分に発揮して文武両道、その当然の帰結として美しき黒髪の女性と一緒に手を繋ぎ、永劫色褪せぬ純金製の未来と幻の至宝とされる「薔薇色のキャンパスライフ」をこの手に握ったことであろう。私ほどの人間であれば、斯様な境地に会したとしても、ちっとも妙ではない。

 そうだ。

 まだ大丈夫だ。一刻でも早急に客観的な意見を仰ぎ、あり得べき別の人生へと脱出しよう。

 私は(いざな)われたかのように、女性の前へと立った。しかしふと奇妙な感覚に襲われ、私は妖怪すねこすりに遭ったかのように足元がぐらぐらと覚束なかった。前にもこのようなことがあったように思われたからである。「デジャヴですよ、デジャヴ」妖怪のように笑う小津の姿が脳裏に蘇ったのが、なおさら癪であった。

 

「学生さん、何を訊きたいのかしら」

 

 むぐむぐと悩ましい私に、占い師が訊ねた。既視感の正体も分からぬまま、有耶無耶にされたような心地である。占い師は妖艶に微笑む口許を古風な扇子で隠すようにするので、殊更蠱惑的であった。

 

「どう訊けばいいものか」

 

 私が言葉を濁らすと、占い師はなおも艶かしい微笑をした。

 

「貴方のことはなんでも知っていますわ。貴方が現状に憤っていることも知っています。御両親の名前。いつもゲロを吐き、どうにも酸っぱい香りがする赤ん坊だったこと。小学校時代の仇名、中学校時代の学園祭、高校時代の淡い初恋、初めてのアダルトビデオ、浪人時代、大学に入ってからの怠惰で無為な日々」

「馬鹿な」

「知っています。全部」

 

 占い師のそれは、獲物の咽喉元に牙を剥けた雌豹のような、煽情的な瞳であった。

 

「どうしてこれほど無駄な二年を過ごしてしまったのか」

「それは小津が」

 

 つい私は反駁したが、占い師は手元の扇子で私を制した。

 

「貴方が彼の薄汚れた魂に影響されたことは事実よ。でもそれだけではないでしょう」

 

 私の脳裏を、過去二年間のむにゃむにゃが走馬燈のように流れた。まさか阿呆な煩悩と俗物根性が跳梁跋扈する居酒屋街の只中で、斯様に棘だらけのトラウマで繊細なハートをひょうふっと射られた私は、「ぎゃあああ」と喚きたい衝動に駆られたがそれは紳士にあるまじき醜態である。私はぐっと我慢した。世界の中心で孤独を叫んだ獣たる私に、占い師は愉快千万とばかりの(てい)である。

 

「現状がもどかしいのなら、貴方は好機を掴まなければならない。しかし、万事は刻々と移ろうものです」

 

 占い師はどこからか出した毛筆を手元の半紙にさらりさらりと走らせた。実に達筆である。まるで毒の盛られた酒樽に八つ首をぶち入れた八岐大蛇が、悶絶して暴れたのかと思われるほどの達筆である。どうやら「真夜河岸」と書かれたらしいが、私にはさっぱり分からなかった。占い師は婀娜と笑った。

 

「真夜中の川岸で、真夜河岸(まやかし)。夜の水面(みなも)に映る月は、時として本物より美しいとされた。李白は水面の月を掴もうとして溺死したわ。かの詩仙をも魅了したという幻の美しい月。好機もまた時として好機と思われたものが、実は好機ではないこともあるでしょう。けれどもそれは水面の月のように、本物より美しい好機なのです」

「嘘ですね」

「嘘ですわ」

 

 法螺話に踊らされるほど、私は阿呆ではない。ぷりぷりと憤慨した私に、占い師は悪戯がバレた子供のようにからからと笑った。占い師は、妖艶な大人のようでも無垢な子供のようでもあった。占い師の実像が、突如として霞んだ。さながら妖怪蜃である。絹糸のように美しいブロンドヘアながら、彼女は西洋人とも東洋人とも判然としない。彼女ほどの美貌であれば、いつの時代でも絶世の美女と(そや)されるであろう。しかし一度会ったら忘れてしまうようなほどにどうにも形容ならない、麻薬のような美貌であった。北国のダイアモンドダストのように綺麗で白々と霞むような美貌とじいと対峙して、私には彼女がどのような存在なのか最早分からなかった。彼女は私に艶然と微笑んだが、モナ・リザのように佳麗でも不気味でもあった。

 

「でも大丈夫よ。貴方はきっと好機に恵まれる。貴方が彼と黒い糸で結ばれるように、それは最早必定です」美しい女性の笑顔は、小津のそれとは当然至極まさに月と鼈である。しかしころころと愉快に笑う占い師のそれは、どうしてか小津を髣髴とさせた。まるで小馬鹿にされたように思われ、私はやはりぷりぷりと憤慨した。私は運命などという根拠のない言葉には騙されない男である。「心配しないで、だって貴方は立派な人間なのだから」

 

 私という良識ある立派な人間は、占い師の慧眼に深々と頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

「またね」

 

 料金を払った私に、占い師はお茶目に掌をひらひらとさせた。実に愛らしい。眼福である。占い師への奇妙な感覚などすっかり忘れ、ほくほくと頬を緩ませた私の背後から、女性の声がした。

 

「迷える子羊ね」

 

 宇佐見氏と、メリー氏であった。

 

  ○

 

 一回生の秋頃である。

 十月の中旬ともなれば、紳士としての理性と矜持を楽勝単位と共にどこかへ落としてしまった阿呆な大学生共が、女の乳と尻とのハプニングを狙う軽佻浮薄な一大イベント学園祭も間近であった。しかし学園祭を待たずして麗しき二人の乙女の籠絡を断念した男共が次々と去ったオカルトサークル「秘封倶楽部」は、すっかり閑古鳥の巣と化した。秘封倶楽部の主宰であるはずの宇佐見氏メリー氏の姿もなかった。小津の話が正しければ、二人は蓮台野にあるという冥界の入口探訪への準備に追われていたのであろうが、宇佐見氏メリー氏が部室に姿を現さないのはいつものことであった。私は秘封倶楽部で一人ぽつんと、水木しげるを読んだ。

 サークルを設立するものだから、私は当初宇佐見氏メリー氏を先輩だと疑わなかった。小津から二人が同回生だと知らされたとき、私は「まさか」と小津に狼少年の烙印を喰らわせたが、妙に納得した。二人は当時から大学随一の変人として既に有名であったからである。誰にも実態が分からぬオカルトサークル「秘封倶楽部」の存在を筆頭に、宇佐見氏メリー氏の奇人たる噂は実に枚挙に暇がなかった。京都一帯の破廉恥な噂ならば大凡知らぬことはないであろう情報通の小津も、宇佐見氏メリー氏の荒唐無稽な数々の噂にはほとほと辟易させられたらしい。しかし話の時折でにまにまと下賤に笑う小津から、斯様な雰囲気は微塵もなかった。大方、宇佐見氏メリー氏のバストサイズでも知ったのであろう。下劣な小津を、私は制裁した。

 

「奇遇ね」木屋町通の路上で、宇佐見氏が少年のように笑った。「これからメリーと呑むんだけど、貴方もどうかしら」

 

 唐突にも宇佐見氏から酒の席に誘われ、私はつい唖然とした。メリー氏も異はないらしい。私はあれよあれよと流されるままに、木屋町通から先斗町方面へと向かう秘封倶楽部の二人に同行することとなった。宇佐見氏メリー氏のような麗しき乙女に誘われたのなら、世の軽佻浮薄な男共は情状酌量の余地もない卑猥な阿呆面をむざむざ市井の人々に曝すであろう。しかし、宇佐見氏メリー氏は斯様な男共の思惑など一切我関せずとばかりに、小指すらも入らぬほどに寸分も隙のない二人だけの世界を形成してしまう。自己を律する紳士として私は斯様な醜態など曝さなかったが、二人だけで談笑する宇佐見氏メリー氏の背中をとぽとぽと無沙汰に追うばかりであった。

 宇佐見氏メリー氏は部室にほとんど姿を現さないので、当然ながら私は二人と碌に話したことがない。

 我々は宇佐見氏メリー氏不在の秘封倶楽部をなかば占領し、口にするのも憚られるあれやこれやの有象無象たる小津の私物によって築かれた牙城が、秘密成分たっぷりの黒々とした汚らしい男汁を分泌しながら部室を浸食する始末だ。部室の隅では、ダーウィンの進化論という不朽的事実を覆すほどの別枠の生態系が育まれたことであろう。乙女である宇佐見氏メリー氏が秘封倶楽部にほとんど寄らぬのも、なるほど納得である。それでも幾度か二人は秘封倶楽部を訪れ、私が挨拶するより先に二人だけの世界を形成し、二人して京の街へと去った。小津によれば、いつも二人で夜の街を散策するらしい。小津の穢れたあれやこれやで埋もれた床をも苦にせずひょいひょい軽々と去っていく宇佐見氏メリー氏は、まるで羽衣を纏った天女のようであった。「蓮子ってば、また遅刻ね」私の脳裏には、パイプ椅子に座ってぷりぷりと宇佐見氏を待つメリー氏の愛らしい声と姿が蘇った。

 私なんぞを誘った宇佐見氏メリー氏の真意が分からぬまま、我々は先斗町の「月面歩行」なるバーへと入った。

 

  ○

 

「乾杯」という宇佐見氏の声をきっかけに、我々は酒をぐいと呷った。ケーキに囲まれながら、ふはふはと繊細微妙に紅茶を嗜むような乙女二人の意外にも豪快な姿に、私はちょっとばかり呆けた。メリー氏がからからと無邪気に笑う。

「スイーツはまた別腹よ」

 

 悪戯に笑うメリー氏の華奢な指に包まれたグラスの中身は、綺麗な緋色をしたカクテルである。メリー氏が弄ぶようにくるくるグラスを回すと、紅のカクテルはたぷたぷと揺れ、まるで鮮血のように思われて少々不気味なほどである。なかば幻想的な光景で靡かされるメリー氏の美しい絹糸のような金髪は、あの占い師を髣髴とさせた。またも私は思考がもやもやとした霧に包まれたようであった。メリー氏の手元にあるカクテルのような紅い霧である。「馬鹿な」私は唸ったが、焼肉屋でのアルコールが()けずただ酔っただけであった。意識が朦朧とする私を尻目に、宇佐見氏が明朗と笑う。

 

「前に貴方の友人とも呑んだわ。小津君だっけ。実に愉快な友人ね」

「馬鹿な!」私は再度唸った。ゲロを吐きながら私の脳裏をむしゃむしゃ貪る羽化登仙の心地も蜘蛛の子散らすように、爆ぜた。「小津が愉快なものか」

 

 憤然と咆哮した私に呆れたかのような宇佐見氏は、ちびちびと麦酒を下した。「面白きことは良きことなり」宇佐見氏はグラス片手に呵々と笑った。帽子と黒髪の陰に隠れた宇佐見氏の瞳は、実にぎらぎらとして貪欲である。毎晩々々(よなよな)京の街を散策するという宇佐見氏メリー氏の目的の一端に触れたかのようであった。

 

「苦味のない人生は、つまらないわ」

 

 宇佐見氏メリー氏と呑んだらしい不埒たる小津などぽっかりと忘れて、私は焦燥に駆られたように訊ねた。

 

「御二人は、一体何を探しているんだ」

 

 (といただ)すような私とは裏腹に、宇佐見氏は少年のような飄然とした姿を崩さない。私はメリー氏を一瞥したが、人差指を口許に宛がうようにして悩む姿が愛らしいばかりで、こちらも返事はない。私は紳士的に辛抱した。小津でも知らぬという宇佐見氏メリー氏の目的に迫れる絶好の機会に、私はむらむらとした。否、好奇心をむらむらと滾らせた。溶けた氷がグラスでからころと転げるそれだけが、我々の静寂を彩った。

 

「私達はね、境界を探しているの」

 

 静寂を破ったのは、奇妙なほどに凜とした声であった。メリー氏である。メリー氏の隣でなかば呆然とする宇佐見氏の姿は、さながらあの一回生の春に二人と会ったときのようであった。「どうして話しちゃうのよ、メリー」意外にもぷりぷりと唸った宇佐見氏が、麦酒をぐいと呷った。メリー氏が苦笑した。

 

「ゴメンってば」謝ったメリー氏は、しかし悪戯に微笑んだ。「でも蓮子ったらひどいんだから。いっつも遅刻するし自分勝手だし」

「ちょっと、メリー」

「それなら小津も負けていません。いつも遅刻するわ自分勝手です」

「一緒ね。スモールワールドだわ」

 

 メリー氏が御道化(おどけ)たように笑うと、宇佐見氏は頬を掻きながら苦笑した。

 悪口とは、炙ったスルメイカよりも芳醇な極上の酒の肴である。紳士である私は、悪口を酒の肴にするという幼稚な真似など潔しとしない。しかし、小津となれば話は別である。私は小津という男がどれほど悪辣にして下劣であるかを宇佐見氏メリー氏と談笑し、すぐに意気投合した。二人の話から、小津の悪事がどれほどグローバルに展開されているかを知った私は、底のない泥沼が如き埒外な阿呆ぶりに最早脱帽した。やはり彼とは早急に袂を分かたねばならぬと私は心に誓った。

 私は小津に連れられて蓮台野のある寺院に行かされた顚末を、二人に語った。

 

「凄まじい地獄耳ね。そこまでバレてただなんて」宇佐見氏は小津のストーカーたる所業にも、恬然と愉快に笑った。「で、私達が蓮台野で何をしたのか知ったわけか」

「それで境界というのはなんなのですか」

 

 私の言葉に、宇佐見氏はぐびりと麦酒を呷った。空になったグラスがテーブルにごとりと置かれ、グラスの雫がぴしゃりと散った。宇佐見氏はまた麦酒を頼んだ。私は宇佐見氏のぎらぎらとした獰猛な瞳に、再度(みたび)貫かれた。雰囲気に呑まれた私は、ごくりと唾を下す。げっぷの衝動に襲われたが、どうにか我慢した。

 宇佐見氏は猫のように、にんまりと笑った。愛らしい猫にも、牙はある。

 

「静と動。生と死。夢と現。万物には、境目がある。裂目がある。境界がある。私達秘封倶楽部の目的は、それを暴き、探訪することよ」

 

 あれほど疑わしかった小津の言葉も、獰猛に牙を耀かす宇佐見氏を前にしては跼天蹐地とばかりにすっかり霞んでしまった。なかば兢々とした私を尻目に、しかし宇佐見氏はやや不機嫌に麦酒を呷った。もう何杯目か分からぬが、宇佐見氏は一向に酔わない。

 

「ただ、行ったというのは正確じゃないわ。見たのよ、冥界の桜をね」

「まさか!」

 

 私は叫んだ。でなければ、私は蛇に睨まれた蛙のように、狼狽で一言も儘ならなかったからである。「我々が行ったときは境界など――まして、冥界の桜など現れなかった!」

 

「現れるんじゃないの」メリー氏が微笑した。「私と蓮子は、境界、――境界の奥にある冥界の桜を、ただ見ただけ」

「冥界はあるのよ」

 

 宇佐見氏は、断言した。私は「馬鹿な」と呻きながらチューハイを呷った。

 御伽噺のような荘厳とした洋館と、まるで意志があるかのように空を覆う紅い霧。絵巻物語のような幽玄とした屋敷と、春にも咲かぬ幻想的な妖の冥界桜。斯様な妄念が脳裏にもやもやと現れてまたもやもやと幻のように失せ、私は夢と現の狭間をぷかぷかと漂った。ふと幻の奥にぼんやりと耀(かがよ)う神秘的な双眸に囚われ、私は現実へぐわんと戻された。メリー氏である。

 メリー氏には当初、ふはふはして繊細微妙で、夢のような美しいもので頭が一杯な深窓の令嬢という印象しかなかった。オカルトが美しいかという多少の齟齬はあれど、幻想的という意味では瑣末な差でしかないので問題はない。しかしメリー氏はふわふわと奔放に夢のような花畑を舞う蝶のように、私を眩惑した。つまりは、メリー氏も宇佐見氏と同穴の貉である。

 メリー氏と対峙した私は、存在が糸のようにするするとほつれるような錯覚に陥った。

 さながら私という存在のあらゆる境目が暴かれるような――、

 

「非科学的だ!」

 

 断固として叫んだ私は、ポケットからわたわたとテープを出した。小津から渡されたものである。宇佐見氏メリー氏はしぱしぱと呆けたように目瞬(まばたき)をした。

 

「中身は小津のしょうもない映画だが、蓮台野で撮影された明確な証拠だ」私はラベルに「秘封倶楽部」と書かれた八ミリビデオを、二人にずいと示した。「境界があるというのなら、これにも映ったはずだ!」

「へえ」

 

 宇佐見氏が愉快とばかりに目元を歪ませた。しかし、興味が惹かれたのはどうやら小津が作った「阿呆なもの」たる映画であるらしい。私はちょっと絶句した。

 

「どんなしょうもない映画なのかな。あ、ネタバレしちゃ駄目だからね」

「しませんよ、そんなもの」

「ポップコーンを用意しなきゃ」

 

 宇佐見氏はもう「阿呆なもの」の虜である。明石さんと同類であった。

 陽気な宇佐見氏の姿に、すっかり毒気を()かれた私であったが、やはり境界などという存在は非科学的であると断じなければならぬ。それが最高学府の(ともがら)としての使命であると自負するからである。今回ばかりは秘封倶楽部の二人にテキサスヒットのような敗退を残念ながら喫してしまったが、小津の「阿呆なもの」が確たる映像証拠として、境界の存在を完膚なきまでに粉砕するであろう。「阿呆なもの」を頼らねばならぬ現状は、かなり癪であったが。

 私は「阿呆なもの」を宇佐見氏メリー氏に貸した。宇佐見氏はきゃあきゃあと子供のように上機嫌だが、「阿呆なもの」がどれほど阿呆か、とくと苦しむがいい。黒々としたものでごぽごぽと臓物を一杯にさせた私は、唐突と宇佐見氏に訊かれた。

 

「ね、貴方って、どうして秘封倶楽部に入ったのかしら」

「御二人が誘ったんじゃないですか」

「そうだったかなあ」

 

 私は呆れた。

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