ハネモドキの落書き   作:ハネモドキ

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一日

ㅤ降り注ぐ陽射しが瞼を焼き、私はゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした頭をもって視界をずらすと、同胞達はそれはそれは心地よさそうに惰眠を貪っている。

 

 視界も鮮明になってゆく。真っ白な光に目を細め、寝床である流氷を見渡す。どうやら私が一番乗りのようだ。二度寝をしたいという己に鞭打ち、今日も海へ向かう。

 

 トプン

 

 さて。今日の狙いも、変わらず魚だ。偶にイカやエビを食べることもあるが、やはり魚には適わない。捕りやすくはあるのだがな。アレを狙ってみるのもいいかもしれないな……。

 聴覚に意識を移し、周りを探る。流線型のこの体は、どんなに速く泳いだとしても余計な渦を発生させることなく音を拾える。……いた。

 

 後脚をしならせ、加速する。いくら光が差し込む海の中といえど、モノクロの視界では取り逃すことも多い。故に、私達は聴覚をもって獲物を探すのだ。魚達は急接近する私を視認し、慌てて反転する……が、もう遅い。

 突っ込んだ勢いのまま、最も近い魚に牙を立てる。一回で一匹しか捕れないのが難点だが、成功率は意外と悪くない。

 

捕えた獲物を噛み砕きながら、耳をすまして次を探す。……何かが暴れている音がする。海鳥共が狩りをしているのか?だとすると、あちらで獲物は望めそうにない。

 

 もう一匹を捕えた後、私は呼吸のために浮上する。この時に、注意せねばならないことがある。

 ホッキョクグマだ。あいつらは流氷の裂け目に陣取って、私達が呼吸のために顔を出すのを虎視眈々と狙っている。知らずに出たが最後、剛腕をもって海から引き摺り出され、為す術もなくあいつらの腹に収まることになるだろう。

 私にはその知識がある。それ故、なるべく裂け目の中心に顔を出すことにしている。あまりに陸から離れていたら、いくらあいつらの巨体といえど、腕は届かない。

 しかし、決して油断してはならない。あいつらは泳ぎの心得がある。慢心していたところをクマにやられたなんてことになったら、末代までの笑い話だ。

 

 サパン……と控えめな水音を立てて、水面に顔を出す。分厚い氷が、私の視界を遮っている。これでは奇襲に対応できないな。長居は無用だ。

 

 身を海に沈め、再度獲物を探す。耳に届く音に、大型のものが現れ始めた。おそらく、同胞が狩りを始めたのだろう。私も早く捕らねば、捕り尽くされてしまう。

 狩り場を変えて、海の底へ。偶にはヒラメもいいだろう。そう思いながら、私は海底すれすれをわざと波を起こして泳ぐ。こうすることにより、ヒラメを驚かせて泳がすのだ。姿を表せばこちらのもの。泳ぎが鈍いあいつらなど直ぐに捕えられる。

 

 ふと、後方で何かが泳ぐ音が聞こえた。反転すると、一匹のタコが足をゆらゆら、のんびりと泳いでいた。――タコ

 

 瞬間。私から一切の理性が放棄された。

 タコ。魚よりも何よりも、私が愛してやまない最上の獲物。個体数が少ないのか、ヒラメを捕りに来たとしてもお目にかかれるのは稀だ。

 

 私は、これまでにないほど強く後脚を打つ。突き進む姿は雷撃の如く、しかしあながち間違いではない。『食欲』という名の燃料で動き、『欲望』という名の火薬が詰め込まれているのだから。

 

 異変に気づいたタコは、私の姿を見るなり一目散に逃げようとする。

 遅い。揺れていた足に食らいつく。

 

 墨を吐き、私の視界を奪う。

 何を今更。更に食い進める。

 

 最後の抵抗と言わんばかりに、残った足で私の顔を締め付ける。ビッシリと敷き詰められた吸盤に、私の肉をえぐり取ろうと力が込められる。

 それがどうした。己が牙でタコの頭部を噛み砕く。

 

 締め付けていた足から、くたっと力が抜ける。完全に絶命したようだ。

 私は捕えた愛おしい天国(タコ)の足から、まるでネズミのようにちびちびと食べ始める。私は天より賜った物を一口で食べてしまう馬鹿ではない。ゆっくり、ゆっくりと咀嚼し、口の中に広がるほのかな甘みを堪能する。ああ、美味しい。

 

 始まりがあれば終わりがある。気がつけば足の一本だけになってしまった。どこか寂しい気分になりながら、残ったそれを口に放り込む。決して派手ではない素朴な甘み。最後の一本になっても、変わらなかった。

 

 時折息継ぎを挟みながら、継続して獲物を捕らえる。あれから、オキアミ、タラ、イカを捕食した。普段はどれも美味いと思う味なのだが、タコという最上級の物を食べてしまったせいか、そこまで美味しいとは感じられなかった。なんて罪深いんだ、タコよ。

 

 気づけば日は高く上り、陽射しもいくらか強くなっている。

 私は海から上がり、ポツポツと同胞の姿が見える流氷に寝転ぶ。朝は敷き詰められるようにいた同胞達も、食事にありついているのか、氷の上にいる数は少ない。

 

 食事にありつき、寝る。これが私達の生活だ。時期が変われば移動だの恋だのと忙しくはなるが、それ以外はこの繰り返し。変に動くとエネルギーを使う。獲物の限られたこの海では、エネルギーを節約することは大切なのだ。

 

 くぁと、欠伸をひとつ。暖かな陽気に誘われ、私は目を閉じる。眠りに誘う悪魔が、こっちこっちと手招きをする。別段断る理由もないので、前足をえっちらおっちら、腹を引き摺り悪魔のもとへ。自ら、トプンと意識の海へ飛び込む。

 

 力を抜く。慣性に引きずられるまま、暗い暗い海の底へ。

 

 

 

 色のない世界。微かな光すら届かない眠りの底。深淵を連想させる暗闇の中、私はふっと息を吐く。

 

 獲物を追い、クマに怯え、眠りにつく。新たに生まれる同胞もいるだろう。命を落とす同胞もいるだろう。私が生き続けられる保証なんてどこにもない。明日は我が身とはよく言ったものだ。

 

 変わらぬ日常。変わってゆく日常。変化があるからこそ、日々は輝く。私達は、駆け抜けなければならない。

 

 

 降り注ぐ陽射しが瞼を焼き、私はゆっくりと目を開ける。ぼんやりとした頭をもって視界をずらすと、いくらか数が減った同胞達が、各々惰眠を貪っている。

 

 ああ、今日は遅れたか。

 

 覚醒してきた頭を軽く振り、今日も海へと向かう。トプンと飛び込むと、既に同胞達が狩りをしていた。

 普段の動きからは考えられない高速で、狙った獲物を仕留めている。

 

 ニンゲンは、私達を『あざらし』と呼ぶ。海に棲む豹――海豹(あざらし)――と。

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