ん?ああ…貴女なのね。また来るなんて物好きなんだから。
珍しく気分が良くて実体化をしていたらいつもの子がやってきた。
黒い毛並みを誰かに綺麗にしてもらっているのかと言わんばかりに整え、その割に小さな木の葉をいつも頭の上に乗せた小さな訪問者が私の側にやってきた。
「久しぶりだねぬこ」
膝の上をポンポンと軽く叩けば待っていましたと言わんばかりに飛び乗った。少しだけ温まっていた膝が彼女の熱で暖かくなる。
「そのぬこはやめろ」
尻尾で抗議された。これも毎回のご挨拶のようなもの。
だってぬこはぬこじゃん。
私が昔飼っていた猫と似ているし…その子も一応ぬこって名前だったから。
名前というより呼び名かな?
「何か食べる?一応食料はあるっちゃあるよ」
私の車内は狭いけれど結構いろんなものが残ってる。
「大丈夫だ。お前はろくに動けないだろ」
あはは…前来た時は付喪の私も動かせたんだけれどね。一応何にも知らない人間は誤作動って言っていたけれどね。
今じゃもうこの車体の扉も開けることはできない。
地面を駆け抜けていた履帯はちぎれ、稼働サスペンションは完全に潰れて横に伏せるかのように最低位置に下がってしまっている。
74式戦車本来なら2020年には引退するはずだった戦車は、戦争の勃発と共に前線に投入され、その多くが撃破された。
まあそんなことはどうでもいい。
ぬこを抱きかかえ、錆びた砲塔に体を乗せる。
74式の丸っこい砲塔はその原型をよく保っている。探照灯は流石に風化で落ちちゃっているけれど。
「いつ見ても虚しい景色だな」
ビルは軒並み瓦礫となり、残っているものだって窓ガラスはなくなり錆びた骨格があらわになっている。いつ崩れてもおかしくないそれらの根本はツタに覆われていてどんどん自然に返っていた。
コンクリートの地面はいくつもの場所で穴が開いて埋没していたケーブルや水道管が露出。そこから草や木が侵食し、私の背丈と同じくらいに成長している。
「虚しいも何も元の景色なんて見たことないでしょ」
この前来た時そう言っていたじゃん。
「それでもだ…虚しいと感じるのだから仕方がないだろう」
そう感じるんだったらそうなんだろうね。
「でも人間がいた頃も変わらないと思うよ」
「そういうものか?」
そういうものだよ。ささ、お水くらい飲んで行きなよ。
目の前には角ばった車体の戦車。
完全に奇襲だった。車長が慌てて車内に潜りながら発射命令を出している。
向こうもまさかいるなんて思っていなかったらしい。
私も彼女も慌てて砲塔を回す。
私の砲塔の方が少し遅れる。まずい間に合わない。やがて相手の砲塔が止まった。
もう回避はできない。
砲撃が来る!そう思って私は目を瞑った。次の瞬間……
ぬこの声が響いた。
「おい、寝ているのか?」
おっと!いけないいけない…寝ちゃうところだったよ。
というか嫌な夢見てたかも…夢見たってことはやっぱり寝ていた?まあどっちでもいいや。
「ああごめん…寝かけてた」
「気をつけろ。まだ撫で足りないのだ」
はいはい、わかってますよ。
「次はいつ実体化できるかわからないからなあ…睡眠期間の感覚も長くなっているし」
「そうか…なら堪能しないといけないな」
そう言ってぬこは私の膝の上で寝返りを打った。
お腹を撫でろということだね。仕方がないなあ……
「もう動かないのだな…」
垂れ下がった私の淡い緑色の銀髪を前足でいじりながらぬこが呟いた。
「まあね。これはもう無理だよ。直してくれる人ももういないし」
そう言って私は私を叩く。剥離した塗装が剥がれ落ち、雨風で侵食された金属面が現れる。
車外がこれでは中も似たようなものだろう。一応私は対NBC対策を施されているから車内の気密性は高い。乗員モジュールは比較的マシかもしれない。
「……寂しくなるな」
「心配してくれているの?」
寂しそうな顔で見ないでよ。またいつか会えると思うよ?多分……
「当たり前だろ。いなくなったら撫でてくれる暖かい奴もいなくなるんだからな」
「でも撃破されたわけじゃないからさ!ただの弾薬切れだしもしかしたら人が来た時に修理してくれるかもしれないじゃん!」
だから心配はしなくていいんだよ……
「その時は中も見せてくれるのか?」
車内?
「うーん…人が来たら先に人かなあ…その後だね!」
「なんだ一番ではないのか」
ごめんね。それはどうしてもできないかな……だって乗員は逃げ出さないでここに最後までいるって言ったんだもん。
私にはまだ乗員が残っている。なのに勝手に動かしちゃいけないよ。
まあ少しだけ動かしたことはあるけれど…今じゃもう無理なんだよね。
ああ…何もかもが懐かしいなあ。
燃料が切れここに放置されることになった。だけど燃料が切れてもしばらくは電源を建物から確保できたからそれを使って最後まで戦うことになって……でもいくら待っても戦車は来なかった。
置いてきぼりを食らった…死に損ねたって何度も泣いたし呪ったりもした。だけどそれもぬこを見つけてからは気にしなくなった。
結局私が消える合間までの退屈しのぎでぬこを世話していたけれど今となってはそれで良かったのかもしれない。
そろそろ向こう側にいけるかな……
でもここでいなくなったらぬこどう思うかなあ……
手元を見ればぬこは小さく寝息を立てていた。さっきまで起きていたのに気分屋め…でも今更怒りなんて湧いてこない。それどころかまた眠くなってきた。
私もちょっと寝よう。
また起きられるといいなあ……
いつのまにか彼女はいなくなっていた。
その事実がまるで別れを暗示させているかのようで、途端にそれが嫌になって頭から考えを放り出した。
「最後まで中を見せてはくれなかったな」
最後くらいみたって良いだろうと思ったが、レディのお腹を覗くのはマナー違反なのだそうだ。私だって女なのだが…何か見られたくないものでもあったのだろう。
仕方がない。諦めるとしよう。
またここにきて…彼女がいたらその時は無理にでも見るか。
かつて東京と呼ばれたその街に、一台だけ破壊されず放置された戦車がある。
その焼け爛れ塗装の剥げた砲身は、雨と風にさらされ朽ち果て小動物の住処になっていた。
ここは日本という国があった島。国を守るために戦い抜いたその体は、雨に風に晒されて赤い涙を流す。
人のいなくなったこの地で、涙を流し続ける。