春の闇 作:カサブランカ
やった、やり遂げた。ニヤリと笑って、私は渾身のガッツポーズをした。ああ、前世では空間認識力が低くなくて地図の読める男みたいな女と上司に嗤われていたけれど、そんでもってそのせいで徹夜で倉庫整理とか事務以外のクソ雑用させられたりしてたけども、持ち前の頭が活かせてよかった!まさに来世に期待ってやつだったらしい。ヒャッフー!
「綱吉、おはよう!」
「うっわ!!?あああ燈っ!?なんでここに!?いつからいたんだよ!?」
「今さっきやけど…てか綱吉、ちょっとは部屋片付けぇや。奈々さん怒るで」
「余計なお世話だよ!」
顔を真っ赤にして布団に潜り込んだ少年、沢田綱吉はこの数年で背も伸び大きく育った。第三者目線で見る他人の成長過程はなかなか楽しいもので、名前からちゃん付けが消えた時点で反抗期が来たのだとワクワクしたり、チワワにビビりつつも気にしていないフリをしたりと、面白さ満載で密かに楽しませてもらった。
「そんなことより燈がなんでここにいるんだよ。ドアの開く音とかしなかったのに」
「そらまあ、いつものマジックで人体飛ばしてみたからとしか言われへんけど」
「そんなことまでできるようになってたのか…」
信じらんねー、と言いたげな目だが、これは尊敬の眼差しではなく、変なものを見る目だ。何年とツレ扱いされてきた私には分かる…分かるぞ!
「今んとこ家からここまでが限界やな。昨日は沢田家玄関先までやったけど、ちょっとずつ飛距離伸ばせとるわ」
アスファルトに紛れるようにして、地を這うように薄く炎を広げる方法や、その範囲を広げる練習を続けて早数年。練習すればするだけ成果が出るというのはこんなにもモチベーションが上がるのか、と元文系女子としてようやく体育会系のスポ根を理解できたような気分である。
(もう黒い火は怖ないし。出し入れもコントロールできるようになったし。時々売って小遣い稼ぎもできとるし)
あの出会い以降、年に1、2回程度だがヴェルデから連絡が来る。連絡と言っても炎を入れるケースと小切手がセットで届くだけで、メッセージカードの1枚もないのだけれど。バイパーからは連絡先をもらっただけで音沙汰無し。黒い炎について何か分かった場合と、仕事の依頼の場合は連絡してこいと言われた。ちなみに後者はヴェルデから搾り取った金額を見てから言われたことだ。いつか彼とは貯蓄と今後の人生設計について熱く語りたい。
「お前は何目指してんだよ…」
「よくぞ聞いてくれました!最終目標は始業数分前に起きても学校に間に合うようにすることや!」
「ろくな使い方じゃないし!」
着々と綱吉のツッコミスキルがレベルアップしていることにも大満足だ。前世の感覚からして、おしゃべりするならこうでないと落ち着かない。
「それよか綱吉、そろそろ学校やで」
「えっ!?今何時!?」
「8時」
嘘である。現在は7:30だ。まあ、今から起きたらちゃんと朝ごはんを食べて学校に向かえるだろう。
「なんでもっと早く言わないんだよ!!!」
「いや、私は間に合うし」
炎でちょいちょいっと飛べばいいのだから。余裕綽々で片手うちわをしてみせると、恨みつらみのこもった涙目で睨まれた。ハイハイ、そんな顔してる暇があるなら着替えなさいね。私がいるというのに着替え始めようとするので、肩をすくめて階下に向かうことにした。別にショタの着替えなんて見たって何とも思わないけれど、中身的&倫理的にアウトな気がする。あと、綱吉にはちょっとは女の子ってものを意識して恥じらいを身につけてもらいたいところだ。
「奈々さん、おはようございますー。今日も美人さんですねぇ」
「おはよう、燈ちゃん。美人だなんてやだわぁ、照れちゃう!」
相変わらず年齢の分からないような可愛いらしさで、奈々は卵焼きをくるくると綺麗に巻きながら器用に照れていた。信じられるか?こんな人が人妻で年頃の子持ちなんだぜ?前世と合算すると私より若い女の子なのに、すごいものだ。でも危機感は皆無らしい。私が挨拶もなく家に上がり込んでも普通に接してくるし。…そのうち変なセールスに引っかかるんじゃなかろうか。
「ツナはもう起きてた?」
「ええ。もう8時やーて言うたら飛び起きてましたわ。あとそろそろ部屋が散らかってきてますわ」
「あの子ったら!私が片付けると怒るのに、いつまで経っても自分でできないんだからーっ!」
プリプリと頬を膨らませて怒りつつ、その手の動きは実に滑らかだ。味噌汁を注ぎ、白米をこんもりと盛り付け、焼き魚と味のよく染みていそうな煮物とおひたしの小鉢を置いて、かと思えばお茶を注いでいる。くるくると踊るようなその動きは見ていて飽きない。うちの母親も年々そうなってきているけれど、料理をする母親の姿というのは一種の憧憬でも誘うのだろうか。昔はなんとも思わなかった光景なのに、中身が歳を重ねて涙腺でも緩んできているのか、たまに泣きたくなる。
「はい、燈ちゃんもどうぞ」
「ああ、おおきに。いただきます」
氷の揺れる煎茶がなみなみと揺れるコップが目の前に現れた。いつの間にか沢田家に私専用のコップや食器が用意されていたっていうのも、彼女の人の良さを感じるというか、優しすぎるというか、放っておけない点というか…。たった一度しか会ったことのないあの綱吉の父親も、彼女のそういう所に惚れたのだろう。
「燈ちゃん、いつもありがとう。あの子の面倒を見てくれて」
「や、別に大したことしてませんし」
「ううん、十分大したことよ。あの子が小学校のお受験で落ちちゃった時だってそう。本当は燈ちゃんは受かってたんでしょう?」
「あー……や、小学校が私立やとお金かかるんで。もともと中学ぐらいから行こかなって思てたんで」
幼稚園で我が子の輝かしい未来についてどの親たちも夢いっぱいになっていたのか、流行病のようにこぞってお受験に沸き立っていた時期があって、うちの両親も流されるように小学校お受験に私を参加させたのだ。
(ま、当然合格したけどさ…)
しかも主席で。そりゃそうだ、こちとら今から難関大学に受験するための勉強をしているような、社会人経験済みの幼児なんだから。ただし、綱吉が落ちたから私も入学をやめた、というのには語弊がある。本音で言うと、あの小学校に入ると特別勉強しなくてもエスカレーター式で高校まで行くため、大学は狙っているところに行けない可能性が高かったのだ。あと奈々にも言ったように、小学生6年間分のお金が余計にかかるし。それなら、私立の女子中学校である緑中に行く方が合理的だっただけにすぎない。
(親にも理詰めで説明したら納得してもらえたし)
「あと、小学校ぐらいのびのび生活したいんですわ」
「ふふっ、不思議ねぇ。燈ちゃんと話していると、まるで大人の女性と話しているような気持ちになっちゃうわ」
やめて。無自覚に核心に触れてくるの、やめて。心臓に悪いから。ニコニコ笑う奈々を前に、どう話題をそらすべきかと視線を漂わせた頃、ようやく準備ができたのか綱吉が部屋から転がるように走り降りてきた。
「母さん行ってきます!!!」
「ちょい待ち、綱吉」
「なんだよ!燈と違ってこっちは走らなきゃいけないんだぞ!?」
「はい、時計」
「へ?」
壁から拝借した時計を見せた。その時の綱吉の顔はもう、見ものだったとしか言いようがない。性格悪くニヤニヤと笑う幼馴染と母親を睨んで半泣きな姿も見られるのは今だけだろう。子どもの成長って早いもんなぁ…。しみじみ。
「ほら、奈々さんがごはん用意してくれてんのやし、はよ食べ食べ」
「そうよぉ。昨日はせっかく用意したのに残していっちゃうんだもの。お母さん悲しくって…」
「分かったよ!食べるよ!いただきます!!!」
乱雑に箸を掴んで食べ始めたので、奈々と目配せして笑った。反発しながらも言うことを聞いているあたり、まだまだ素直なお子ちゃまだ。
「そういや綱吉、宿題ちゃんと終わらした?漢字の書き取りと算数のドリル」
「……あっ!ゲホッゴホッ」
今思い出したとばかりに驚いた声を出して、直後にむせた。毎度毎度騒がしいやつだなぁ。あと今日も宿題やってないのか。
「で、どっち?」
「…算数。なあ、燈…」
さっきまでの怒りはどこへやら。上目遣いで様子を伺ってくるというのは一種の合図のようになってしまった。
「オッケ、学校で教えちゃる。せやからはよ食べ。けどしっかり噛むんやで」
「うんっ!」
モリモリと食事を口に入れて、言われた通りよく噛んで食べている。中学に入って綱吉が1人で宿題をできるようになるっていうのが目下の目標なのだが、このペースで大丈夫だろうか。言っている間にもう中学生になるぞ。
「中学に入って燈ちゃんがいなくなったら不安だわ…。家庭教師でもお願いしようかしら」
「や、やめてよ母さん!別に燈がいなくても………勉強ぐらい、できるし…」
(あっ、こりゃ無理だな)
綱吉から滲み出る『無理です』オーラが目視できそうだ。
(家庭教師ねぇ)
沢田家では綱吉の父親(仕事内容は不明だけどブラック企業確定)がしっかり稼いでいるから家庭教師ぐらい大丈夫だろうけど。
「…ま、なんとかなるやろ。人間、死なんかったらかすり傷や」
「物騒すぎだろ!そのデッドオアアライブな考え方やめろよ」
「しゃーないやん。これが私なんやし」
ああ、今日も奈々さんの入れてくれた冷たいお茶が美味しい。