猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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イヴ・志希  悪い子

 天然の色彩と人工の光のなかに二人の少女がいた。雪の色の髪をしたイヴは雑踏や子供たちの声を耳に楽しみ、ココア色の髪の志希はかごに積んだ果実の芳香を浴びている。……買い物カートに覆いかぶさって、かごに頭をつっこんで。

 

「志希さん、そろそろ動きますよ~」

「うーい」

 

 返事はいいが志希は動かない。波打つ髪の毛でタコのようになっている頭を白い指がつつく。駄々をこねるようにタコ足はうねるが、顔を上げようとはしなかった。志希があと三〇センチも小さければ、ヤンチャな妹に困って笑う姉に見えたかもしれない。

 

「このまま出発」

「轢いちゃいます~」

 

 返事の代わりに志希はカートにしがみついた。彼女らのプロデューサーだとか保護者のような同僚の和久井留美だとかであれば叱ったろうし、親友の宮本フレデリカやまだ遊びざかりの並木芽衣子なら勢いをつけてカートを押しただろう。イヴはそのどちらでもなく、困り眉の笑顔のまま……本人としてはごくふつうの微笑みをたたえて、カートをゆっくりと進めた。

 

「山形産りんごって売ってないですねえ」

「夏のりんごは青森県民が味落ち覚悟でとっといたやつばっかー。味でブランド狙ってる山形がやるわけないない」

「飲み物いれますから避けてくださいね~」

「ふぎゃっ!!」

 

 タコ足の一本が二リットルのペットボトルに踏み潰され、志希が威嚇の声を上げた。喉で唸ってボトルをどかさせ、ようやく、顔をイヴに向ける。“髪の毛まで神経あるとは思わなくて~”と拝む姿勢のイヴに晴れた秋空色の両目を鋭くし、商品棚のボトルに手を伸ばす。見もせずに。

 

「コーラも買うんですか~? また志希さんが一人で飲みきらなきゃいけなくなっちゃいますよ~」

「にゃーはははデブの素~。なんでみんな炭酸ジュース飲まないかなー。カロリーなんかお菓子よりはマシなのにさ」

「冬なら私も飲みますけど、夏はちょっと~……。お砂糖いりのジュースってベタベタしちゃうんですよねぇ。炭酸はシュワーって爽やかなんですけど」

「にゅーん、じゃあただの炭酸水も買うにゃん。カネならあるにゃん」

 

 イヴたちが籍を置く事務所には、課ごとの休憩スペースが用意されている。テレビやゲーム機を設置したり、簡易のキッチンスペースを用意したり、ありようはさまざまだ。二人の課ではシンプルにくつろぐための場所として、軽い食べ物、飲み物と雜誌が高価なソファとともに置かれている。そしてそのソファを経費で落としたために、飲食物も雑誌も、会社のカネではなくプロデューサーの私費でまかなう決まりである。きょうは買い出しに出向くイヴと志希に、財布に千円札も五千円札もないことを悔やみながら、彼は資金を一枚手渡したのだった。

 

 米菓と南部せんべいをかごにいれ、飴で隙間を埋め、コーヒーやお茶のたぐいを積み上げて、最後に高いアイスを載せて会計をする。四つの大きいビニール袋いっぱいに買ってもまだ半額以上を残していた買い出し資金は、しかし、イヴの手によってすべて義捐金の募金箱へ流しこまれた。化け猫が断末魔の叫びを上げる。

 

「ヨックモック買おうと思ってたのにーっ!!」

「そうだったんですかぁ~……。ごめんなさい、どうしましょう」

「……あとでプロデューサーに強請(ねだ)るからいいにゃん」

 

 頭の切り替えの速さには定評のある志希である。イヴの先走った献身は不問にすると、キトゥンブルーの目を怪しく光らせてニヤリと笑った。

 

 

 

「志希にゃんの極悪化学大実験!!」

「だいじっけーん!」

 

 帰り着いた休憩スペースで、白衣に袖を通したイヴ俊樹がポーズをつけて虚空に声を張った。ヨックモックのクッキーの埋め合わせとして、志希はイヴに、自分の実験台になることを要求したのである。

 

「どんな悪いことをするんですか~?」

「志希にゃんの言葉尻をいちいち気にしてたら話が進まなあい。コーヒーを淹れるだあけ」

「言葉頭でしたけど」

「ふしゃーっ!!」

 

 化け猫に威嚇されながらイヴは実験の道具を用意する。まずはレギュラーソリュブルコーヒーの開封だ。開けたてのアロマに満足げな志希の指示のもと、コップに適量をいれて湯を注ぐ。指一本ぶんだけ。

 

「……イヴちゃん、指一本ってさ、人差し指のこの幅のぶんだけってことなんだけど」

「そうなんですか?」

 

 イヴは人差し指の長さのぶんだけ注いでいた。絵がないとわかりづらいボケはやめろと、自分がプロデューサーからよくいわれる文句をそのまま志希は叩きつける。イヴの長い指のためにほどよい濃さにできあがったコーヒーはそのまま志希の腹に消えた。二杯目で目当ての非常に濃いコーヒーを得て、それを冷ますように指示する。

 

「ふーっ、ふーっ」

「……うん、冷蔵庫にいれといてほしかったにゃん。それ飲みたがるひといそうだから奥のほうにね」

「はあい」

「そんで冷ましてるあいだにべつの実験をやる! 化学者は時間の使いかたが上手~」

 

 化学者というよりは料理人の時間の使いかたである。ニコニコして拍手をおくるイヴへ鷹揚に手のひらを示し、志希はポーションコーヒーのカプセルを持ってこさせた。

 

「あ、いってなかったけど、炭酸コーヒーを作る実験ね」

「コーヒーがシュワシュワするんですかぁ? なんだか不気味なような……」

「ホットコーヒーで想像してない……? ホットの炭酸はできないこともないけどガッカリするだけだよ」

 

 水に物を溶かすとき、溶かされるものが固体ならお湯のほうが都合がいい。溶かされるものも高い温度になることで分子運動がより活発になるため、溶けやすい。だが気体を溶かすときに分子運動を活発にしては、元の気体になって逃げていくのを助けるだけだ。夏場にペットボトル飲料を冷蔵庫から出して放っておくと膨れるのは水中に混ざっていた空気があたたまって気体にもどったためだし、逆にぬるくなったのを冷蔵庫にもどすとボトルが凹むのは空気が水中に溶けこんでかさが減るためである。

 

 つまりお湯には炭酸はほとんど溶けていられず、せいぜい喉を絵筆で撫でる程度の刺激しか得られない。志希の話に、イヴはわかったようなわからないような、しかし感心だけはしている顔で頷いた。

 

「というわけでコーヒーに炭酸をとおすんじゃなくて、濃いコーヒーを炭酸水で割ることでお手軽に作るの」

「はあい」

「濃いコーヒーは色々あるから、どれがおいしいか……それをイヴちゃんが飲んで判定するう。これが大実験」

「それでさっきちょっとのお湯で作ったんですねぇ。で、このコーヒーポーションが一杯目ですね?」

「そう。ポーションコーヒーね。コーヒーポーションは植物油。ポーションコーヒーは濃縮コーヒー」

「カレーライスもライスカレーもおなじ料理なのにコーヒーとポーションだとちがうんですかぁ?」

 

 イヴが首を傾げると、雪の色の髪が一本ずつ音を立てる。この直毛め。志希は下唇を丸めたのも一瞬、間違いを糾して作業を進めさせる。

 

「言葉の組成がちがうの! カレーライスはカレー、プラス、ライス。だから順番変わってもいいの。交換則! でもポーションコーヒーはポーション化したコーヒー。コーヒーポーションはコーヒーにいれるポーション。修飾と被修飾。いれ替えちゃダメ!」

 

 さてポーションコーヒーをもったりと底に広げたコップに、炭酸水が注がれる。明るい褐色の泡が立ち、コップの内壁にまとわりつく。それ以外は尋常のコーヒーに見える。マドラーでひと混ぜすると、いわれるがまま躊躇いもなくイヴは炭酸コーヒーを飲んだ。

 

「うーん、シュワシュワする……コーヒー」

「ただのコーヒー?」

「ちょっと酸っぱいです」

「炭酸水の味がコーヒーに負けずに残ったのかな。酸の味だからコーヒーの成分には阻害されないかあ」

「サッパリしていいですよぉ」

 

 差し出されたコップを避けて、志希は次の濃縮コーヒーを取り出す。ペットボトルにはいったタイプである。成分も製法もポーションコーヒーと大差ないだろうけど、と志希のいったとおり、おなじような結果になった。三杯目にようやく、冷やしておいたレギュラーソリュブルコーヒーの番が来た。ポーションコーヒーとそう変わらぬ見た目の黒く濃い液体に炭酸水を静かに注いでいく。

 

「えっ」

 

 変化は明らかであった。明るい褐色の泡が猛然と立ち上がり、コーヒーは黒ビール同然の姿に成長した。志希には想定できていた反応だが、それでも、まったく消えるそぶりもない頑丈な泡はその表情をゆるませる。

 

「志希さん、この泡硬いですよ~」

 

 ほとんど食べ物のようにイヴは泡を一口かじった。明るい褐色のムースは上唇の形をきれいにとどめている。下と上顎で“咀嚼”して飲みこむ。志希の青い目は興味深げにそれを見ていた。

 

「私、綿あめってこういう食感だと思ってましたぁ」

「わかるようなわかんないような食リポにゃん」

「コーヒーっぽい味はするんですけど、やっぱり酸っぱいんですよねぇ泡……」

「炭酸ってそんなにわかるような味じゃないはずなんだけど、コーヒーの酸味を際立たせてるのかな……」

「あとコーヒーはすごい酸っぱいです」

「むーん」

 

 最後はスティックタイプの粉末コーヒーだ。こちらもレギュラーソリュブルコーヒー同様に泡ができたが、唯一これだけ微糖タイプだったためか、味はいちばんマシとの評価だった。志希がそれじゃつまらないと鼻を鳴らす。

 

「ちゃんとおいしいものができるとは思ってなかったけど、ビックリするくらいまずくもならないとは期待はずれ」

 

 半端に開封されたコーヒーがずらりと並んだ戸棚を閉めて、志希は高い天井に溜息を吐いた。

 

「志希にゃんことしのクリプレは炭酸水メーカーがいいにゃん」

 

 おなじく高い天井を見上げて、イヴはサンタクロースのリストに志希の名前を探した。金色の視線をものいいたげな青い目に落として、困ったように笑う。

 

「プロデューサーさんにおねだりしてみましょう~」

 

 

 

(了)

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