猫、巫女、サンタ、あいのうた   作:久聖

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留美・柑奈  どれからいえばいいのやら

 曲がりくねった煉瓦の小径に土と草のにおいが満ちている。有浦柑奈と和久井留美はダークスーツの女性のあとを、三歩遅れてついて歩く。アジサイの葉や白いユリの花弁に朝露の光るのを、留美は目だけで、柑奈は顔ごと向けて愛でながら。

 

「こちらが一つめの物件になります」

 

 スーツの女性はファミコン敬語で小径の奥を示した。二、三メートルを隔ててガラスドアのエントランスがある。ひさしに飾られた真鍮細工はこの建物……地上一五階建てのマンションの名前だ。赤橙色のモザイク模様の高い壁を見上げれば青空がまぶしい。柑奈と留美は目を細めた。

 

 オートロックの玄関をくぐると、三フロアぶんの高さのあるエントランスに留美のヒールが反響する。よく磨かれた青灰色の石材が昼前の陽射しを隅々まで届けて、柑奈は感嘆の声を洩らした。自転車置き場、郵便受けと宅配ボックス、そしてごみの集積場。共用スペースを見終えると、エレベーターで部屋の見学に向かう。

 

「いいマンションね」

「庭も明るいですし、ベンチもあるし……あそこでギター弾いたり」

「日中でしたらギターくらいは問題ないそうですよ」

 

 地上一三階を目指すエレベーターの加速度に、柑奈は思わず、パンプスのなかで足の指を開いて天井を見た。

 

「会社のエレベーターより速かとですね」

「さすがは新築ね」

 

 力強い減速がかかり、柑奈はこんどはサイドテールに手をやった。期待したほどには髪はふわりと浮かず、小指と薬指とが房を撫でて降りる。

 

「不動産屋さんにお任せで、もうよかとちがいます?」

「いい不動産屋さんに当たったわね」

 

 ……柑奈がいま暮らす木造アパートはオートロックも外の郵便受けもない。そんな皆無のセキュリティを上の者たちは不安に思い、柑奈に新居探しを命じた。最低限、オートロックの集合住宅で、宅配ボックスを備えていること。ただほんとうに最低限の物件を選ばれては不安が尽きぬ。それで留美が、お目付け役として同行させられたのだった。

 

 さて、ディンプルキーで開けられた部屋に二人は上がった。なめらかなフローリングに白い壁紙。玄関から幅一メートル半ほどの内廊下が伸び、その右手にトイレ、洗面所と浴室を備えて、正面は計一二畳の1LDKである。奥にはガラス戸を隔てて、住宅地と青空が風景を二分している。

 

「へーっ、細長いんですね。お風呂もトイレも広い~。脚伸ばせそう」

「洗面台も鏡大きいわね」

「で、部屋はいるとすぐキッチン。これはさすがにいまの部屋のが広かとね~」

 

 “いまの”はダイニングを背にしたキッチンなので、間取り上の区分はともかく、体感ではとうぜんである。

 

「対面型なのね。レンジフードもしっかりしてて、ちゃんと都市ガスで……カウンターも広い。テーブルいらなそうね」

「三ツ口は嬉しかですね。よくやりますから、料理」

 

 意外そうな顔を向けられて柑奈は顔だけ怒ってみせる。留美はつづけて感心してみせ、不動産屋は咳払いで顔を背けた。

 

「実家でもたまに作ってましたし、厨房のバイトもしたし、いまも音葉ちゃんに作り置き仕込んでて」

「あら、教えられるレベルなの? 私も習おうかしら」

「仕込むって、留美さん、音葉ちゃんの家に大量におかず作って置いといてるだけですよ。週に一回」

「そんな甲斐甲斐しいことしてるの?」

「音葉ちゃん包丁持てませんからねえ」

 

 ふたたびの意外そうな顔を柑奈は笑って躱し、細長いリビングをスリッパで滑るように抜けていった。

 

「それはそうと、この部屋は?」

 

 玄関から外を覗けた、大窓の部屋である。リビングと隔てるガラス戸を引くと熱気が顔を舐め上げるようにあふれてきて、柑奈は半歩しりぞいた。

 

「そちらはサンルームになります。洗濯物はそちらで干していただく、と」

「えっ、軒下……はないか。ベランダとかじゃないんです?」

「高層階は風が強いから出られないのよ」

「ええー、開放感が……」

 

 じつは窓が開くのではないかとふちを確かめてみるが、埋め込みの窓だとわかっただけだった。無念そうな柑奈を腕で牽いて、留美は次の物件の案内を不動産屋に頼んだ。

 

 

 

 ……二軒めは柑奈が自分で目星をつけた物件である。自分の引越し先のこと、三軒は見繕うと留美も、彼女たちの担当プロデューサーも思っていた。はたして蓋を開けてみれば、柑奈がこれと持ってきたのは一軒だけだったのだ。ブロック塀と瓦屋根の波間を縫うように歩くうち、不動産屋も首を傾げる。道に迷ったわけではない。こんなところに条件を満たすような建物があるのだろうか?

 

「オートロック? この建物で?」

 

 案内された安アパートの二階の角部屋で、留美はつい語気を鋭くした。不動産屋が印刷してきた物件の紹介文にもたしかにオートロックの六文字はあった。宅配ボックスも、見るからに安物で一つきりだがアパートの階段下に置かれていた。隣の一軒家に管理人であり家主のお婆さんが住んでいることも確かめた。しかしそれとこれとはべつである。建物自体の玄関もなければ、この部屋のドアもシリンダー錠だったのだ。

 

 留美の疑問は言葉の二秒後に解決した。ドアの閉まる音のあと、ガチリと施錠の音がした。

 

「わーいオートロック」

「ビジネスホテルなのここは!?」

 

 ドアを閉めると自動で鍵がかかる。オートロックには変わりない。だがこれが若い娘の暮らす部屋にじゅうぶんなセキュリティといえるだろうか? めまいをこらえる留美に、柑奈は得意満面でいう。

 

「もっとひとを信じましょうよ、留美さん」

「“おれが二倍疑ってつりあいが取れる”ってあのひとがいってた理由(わけ)がよくわかったわ」

 

 あのひと、とはもちろん、彼女たちの担当プロデューサーのことだ。

 

「いわれた条件は満たしてるし、会社にもちょっと近くなったし、ここならバイトしてたころの収入でも余裕さね~」

「いまはもっと収入があるでしょう」

「まあ、儲かったぶんだけ出すべきっていうのはわかりますよ。でもどうせ出すなら、自分だけのためより困ってるひとにポンとあげるとかのほうが性に合っとってですね」

「いい家に住むのはね、柑奈ちゃん、あなたが安全に暮らせてるって、あなたをたいせつに想ってるひとたちを安心させる目的もあるのよ」

「それをいわれると……。でも、ここもそんなに悪くなか部屋やと思うとですよ?」

 

 顔をしかめて留美は窓を開け放った。昼が近づき青さを増す空が上の半分に、灰色が下の半分に窓枠を占める。

 

「裏が墓地なのはちょっと」

「オバケくらい平気、平気」

「柑奈ちゃんはオバケとも歌えそうだけどそうじゃないの。小さい水場が多いから蚊が涌きやすいのよ」

「蚊ですかー……」

 

 アイドルが虫刺されだらけになるわけにはいかぬ。これには柑奈も頷くほかなかった。少し態度が厳しくなりすぎたと反省し、留美は窓を閉めながら肩をすくめる。

 

「だいいち、お寺にオバケが出たら和尚さんはなにしてるのよ」

「いわれてみれば変な話ですねえ」

 

 

 

 三軒めは留美が念のためにと見繕った物件である。設備は一軒めに準じて必要十分、五階とそう高くないためベランダに出られ、広めのリビングに六畳の寝室とウォークインクローゼットを備える。

 

「こちらのお部屋は全体が完全防音になります」

「お隣に遠慮せずギターを弾けるわね」

「試してみてもよかですか?」

 

 そういってギターを構える柑奈の手を留美が止める。柑奈が防音性をたしかめるには、部屋でギターを鳴らすのは留美か不動産屋でなければならない。

 

「弾けます?」

「弾けないけど、音を出すだけならできるわよ」

 

 ほとんど負けず嫌いの返事ではあるが、留美はギターに大音声を上げさせることに成功した。柑奈と耳を抑える不動産屋が部屋の外に出るとそれはぱったりと聞こえなくなり、またわずかにドアを開けば弦の音が耳に触れる。柑奈は感心しきりである。

 

「これなら音葉ちゃんたち呼んで歌ったりできますね」

「私は実感なかったけど、防音は完璧みたいね」

「はい、こちらの防音性は音楽スタジオなみになっております。たとえばこのお隣のお部屋は爆音ピアニストさんが入居されてますけれども、廊下でもお部屋でも静かでしたよね」

「お隣がなんて?」

「爆音ピアニストさんです。右隣はX JAPANに憧れるドラマーさんで」

「右は人間だけど左なんなのかしら……」

「アーティスト……ではなかですね。検索にかからんとです」

 

 一抹の不安を感じつつ、柑奈は家賃を確認した。不動産屋は前の二軒より声のトーンを高くして、物件情報の紙の家賃のところへ蛍光マーカーで丸をえがく。

 

「ちょっと……目玉が飛び出して行方不明になりそうなんですけど」

「都心から少し外れたとはいえこれだけの条件だとさすがに張るわね」

「張り裂けそうです」

 

 胸を押さえて柑奈はコピー用紙を留美に渡す。

 

「いちばんバイトしてたころの収入より高い……」

「この額と較べられるアルバイトっていうのもすごいわね。なにをやってたの?」

「引っ越しとコンビニと、食堂のランチタイムの応援ですね」

「よく身が持ったわね」

「いろんなひとのラブを感じられたし、歌う元気もありましたけど、具体的なことをよく憶えてない時期ですね……」

 

 ビターチョコレートの色の瞳で、柑奈は長い廊下のずっと向こうを見やる。オートロックとかいらない、いまの街は治安もいいし……。弱気になる柑奈に、留美は家賃の上に赤くボールペンを走らせてみせた。

 

「ちなみに、家賃補助があるからこれだけ安くなるわよ」

「八万円も!?」

「家賃の半額、最大八万円までね。これなら張り裂けないでしょう」

「二万円じゃなかったんですね」

 

 いまの家賃が垣間見えて留美は言葉に詰まったが、それも一瞬のこと、“そうよ”とやさしい声を返した。

 

「ウチはけっこう羽振りがいいのよ、こういう制度は便利に使っていきましょ」

「それでもさっきのより高かとですね?」

「そっちとは較べないの」

「はーい」

 

 

 

 日も傾きはじめたころに、柑奈と留美は四軒めの部屋を訪れていた。二人の話を聞いて不動産屋が、家賃補助を使えば二軒めよりも安くなり、一軒めより好条件の部屋を出してきたのである。ダイニングキッチンと一部屋が六畳、二部屋が四畳半の3K物件だ。

 

「六畳を寝室にして、こっちに本とか服とかしまって……」

「あとは化粧台と着る服かしら?」

「私そういうの寝室に置くタイプなんですよね~。この部屋どうしよう」

「空き部屋ができちゃうのはちょっと考えものね……」

 

 ごろごろするだけの部屋でもいいけどそれこそ寝室で足りるなあと、少ない私物を頭のなかで六畳におさめてみて、柑奈は顎を撫でた。

 

「空けっぱなしだとまずいんです?」

「そうねえ、まずいというより、使う部屋より手がかかるのよ。まず、動くものがないから空気が溜まっちゃってカビやすいのね。だから換気と掃除を頻繁にしないと」

「そうじ……」

「こまめに手をいれないとね、カビだけじゃなくて、なにかが居着くかも」

「こんどこそオバケです?」

「オバケならまだよくて、不審者が隠れて住み着く危険があるの。閉めっぱなしにしちゃうでしょ、部屋の戸」

「そんなのもう都市伝説じゃないですか……」

「都市伝説の主人公になりたくないでしょ」

 

 では部屋喉を開け放って生活するかというと、自分の家でがらんどうの空間を見つづけるのはそれこそオバケがいるような不安を煽る。友達を泊める部屋にするにしても、むしろなおさら、日々のメンテナンスが欠かせない。値段と設備と部屋の数。賃貸選びの難しさに、柑奈はあらためて長いうめき声を出した。六畳間とダイニングにおさまるいまの部屋を、三つにわけるのはなんだかむしろ手間がかかりそうだ。さらに昔は、実家にいたころは、八畳一間がすべてだった……。

 

「まあ、二日に一度とかこまめに掃除できるなら、問題ないとは思うわよ」

「実家の私の部屋も、いまは空っぽなのかな。母ちゃん、掃除してくれとる?」

 

 ぼんやりしていた焦点をはっきり留美の目に合わせて、柑奈がつぶやく。見返す留美は黒銀色の瞳をわずかに縮めたが、アイラインは平静を保った。

 

「……んっ、く、くれてるっ、のかな!」

 

 まちがえかたを質しはせず、照れ笑いの柑奈にあくまでおだやかに留美は答えた。きょういちばん、やさしい声を出したかもしれない。

 

「きっときれいにしてくれてるわよ。メンテナンスを抜きにしたって、たいせつな一人娘の部屋なんでしょう」

「えへへ、そうですかね……」

 

 両眼に望郷の色をにじませて、柑奈は頭をかいた。

 

「たまには帰ってみる?」

「片道に一泊必要なんですよ」

 

 苦笑いを置いて、六畳間からベランダに出る。手すりに体重をかけて見上げる東京の空はまだ濃く青い。こぶし大に見える雲が、目に見える速さで上空を渡っていく。

 

「まだ私は、東京でがむしゃらに頑張ってみたいです」

「それでいいの?」

「……顔ならいつでも見られる時代ですけん」

 

 振り向かず、スマートフォンを振った。柑奈の上京した事情はある程度だけ聞いていた留美は、連絡を取り合えていることにようやく口許をゆるめる。

 

「それでいいなら、無理強いはしないわ」

「安心してください留美さん、私、後悔しない女ですから」

 

 腕を広げて手すりに寄りかかり、柑奈は留美に歯を見せて笑った。向かいのビルの白い壁が午後の陽射しを反射して、ベランダに薄く十字の影を落とす。

 

「そう?」

「そうですよ。いままでだってツライとは思ってもああすればよかったとかは一遍もないです。それにいま、すっごく楽しいですから!」

「ふふ、それじゃそんな柑奈ちゃんなら、どの物件を選ぶのかしら」

「……んーふふふ、じつはもう一軒あてがありまして」

 

 留美が怪訝な表情になる。もう不動産屋に頼んで見に行くには遅い時間である。猫目と猫の手でおもねってみても、そこの線引を譲られることはなかった。

 

「不動産屋さんに来てもらうわけにはいかんトコでして~」

「どこなの?」

「音葉ちゃんの家」

 

 口角だけ上げて、留美は指先で顎を撫でた。

 

 

 

(了)

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