いぶした銀色のグラスに、水筒の湯が注がれる。干し芋と似た甘さが湯気とともに立ち上り、あたりに満ちる梅の香とまざって、グラスを持つ有浦柑奈の鼻腔をくすぐった。
「それじゃあ、柑奈の誕生日を祝して……カンパイ」
「かんぱーい!」
野梅の咲きほこる斜面で、柑奈とそのプロデューサーは揃いのグラスを顔の高さに当てあう。一口あおり、プロデューサーは空を見上げた。胡乱な雲がその形を秒ごとに変えている。この山までの道のりを思い、酒気を青空へ吹く。
「美味いな、きみの爺っちゃんの芋焼酎」
隣に座るダークチョコレートの髪の少女へ落ちたオレンジの目が丸くなった。張りのある手に握られた焼酎グラスがカラになっている。
「乾杯ってこうじゃないです?」
柑奈は大きい口であっけらかんと笑う。口を半開きに、プロデューサーは眉を忙しくした。彼の、額の端を示すように跳ねた二束の癖毛が揺れる。
「お猪口とか盃とかで飲んでた大昔の話だよそれは。たいした量はいらんもん」
「はー、たしかに、爺っちゃんは古いひとですからね」
敬愛する祖父をまねたものだと、柑奈は二杯目を手酌する。呆れ顔をしてみせ、プロデューサーが湯を注ぐ。……焼酎よりも多めに。腹と縁とでひかえめにした乾杯の、こつんという音はほとんど、お湯割りのなかに溶けた。
「あっ」
こんどは一口にとどめた柑奈が、息継ぎのかわりに短く声をあげる。プロデューサーが手にしているグラスの底に、“柑奈”と自分の名の彫られているのを見つけたのだ。
「こっちがきみのか」
「名前いれたなんて手紙には一言もなかったですよ。もう、爺っちゃんは~」
「二段構えのサプライズだったんだな」
三月六日、柑奈の誕生日の朝に、遠く長崎の離島に住む祖父から予告なく大荷物が届いた。二〇歳になる孫娘のため、とっておきの焼酎とペアのグラスをはじめとした、お祝いの品であった。同封の手紙は“やけにあらたまった”祝辞ではじまり、ふだんの陽気な語り口になって、“この秘伝の芋は一緒に飲みたかったが……”とつづく。爺っちゃんの無念はうちの化けミミズクが晴らすとメッセージを送信すれば、半額請求しておけと冗談が返ってきた。そんなやり取りを思い出し、柑奈は口許をほころばせる。
「返して返して」
「口つけちゃったけど?」
「平気ですよ」
交換したグラスをのぞいてプロデューサーは眉をひそめた。九分目までいれたはずのお湯割りがずいぶん少なくなっている。自分が二口飲んだよりも、減っているような気さえした。
「さっきの一口でどんだけ飲んだの!?」
「あはは、なんか美味しくてつい」
「焼酎だぜ、ホントにはじめて飲むのか?」
「ん? んふふ、はじめてですよはじめて」
歯を隠した柑奈の笑顔を横目で睨む。連動して、ミミズクのような癖毛が横に寝た。周りの音をよく聞くとき、ミミズクはそうするのがならいである。化けミミズクは焼酎をちびりと口に含み、喉を鳴らした。
「……まあ、いい酒なんだし、ゆっくり飲もうや。肴もいっぱいあるだろ?」
「はい、もうそこらじゅうに」
柑奈の皓歯が春の陽射しに光る。その口からの声のかわり、どこかからかウグイスが鳴いた。人間に化けたミミズクが口を尖らせる。
「……ほー」
「冗談冗談、だめですよウグイスは食べたら」
「わざわざ獲りに行かんでもつまめるものがあるだろ。“島の名物”っての、楽しみにして来たんだぜ」
とくに否定の言葉のないことに肩を揺すりながら、柑奈は荷づつみを開けた。まず出されたタッパには、ヨモギ団子に似た、それよりは黄みのかかったものが並んでいる。かんころ餅という五島の伝統的な菓子である。
「いいじゃあないの、かじりながらちびちびやって、梅を楽しんで」
「ウグイスも」
まだ若鳥か、こんどの鳴き声は若干、音程を外していた。かんころ餅をかじり、二人はかじったのとおなじだけの酒を飲む。
「風流、風流」
「かんぼこも」
いたずらっぽく、柑奈は次のタッパを開ける。かんころ餅の、縦にも横にも倍はあるサイズのそれには、大量の“かんぼこ”が詰まっていた。板についたカマボコと同様のもの、伊達巻、ちくわ、さつま揚げ、棒状のつみれを揚げたもの、赤や緑一色で鮮やかな、一見羊羹のようなもの。長崎の練り物“かんぼこ”の、これらすべてバリエーションである。数のおびただしさに化けミミズクは言葉を失った。
「プロデューサーさんもお腹すくと思いましてね?」
「まあねえ、いい運動になったよ」
立っておよそ一八〇センチ、全長にすれば二四〇センチに迫る巨大ミミズクである。柑奈と酒瓶と水筒と、大量の酒肴を背中に乗せてビルの森からこの野梅の山まで飛んできた。帰りももちろん彼の翼だのみだ。
「これもぜんぶ爺っちゃんからの?」
「もちろん。東京じゃなかなか手にはいりません」
「いいのか? こんなに放出して」
「まだこの倍は残ってますよ」
“マジかあ”とうめくその口に、柑奈は丸いものを箸で差し出した。
「桃?」
「桃蒲鉾です」
「……」
手のくぼみにおさまるほどの大きさの、桃の実の形をしたかんぼこである。桃色から淡い黄色へのグラデーションもかかって、それらしく仕立てられている。疑いの目を受けて、柑奈は吹き出した。
「あはははは、もう、桃なんてはいってないですよ」
「本当? 本当にぃ?」
「私が嘘つく女に見えますか」
妖怪ながらにそこは化けミミズクも正直で、一つうなってからその桃型のかんぼこを一口かじった。
「ああ、よかった、ふつうのカマボコだ」
「“ふつうのカマボコ”でなくて、かんぼこです。かんぼこ」
「……じゃあ、桃の味がしなくて安心した」
「えー、安心ですか? 私はショックでしたよ、ぜったい甘いと思ってたから」
「甘いには甘いしいいんじゃあないか」
「これ、桃の節句の時期もんなんですよ。季節外れに桃が食べられるとおもって、私は」
「話はわかった。親御さんも困ったろう」
すぐには答えず、柑奈は遠い空を見上げる。小さい雲が一つ、青空に溶けた。箸に残されたかんぼこを、柑奈は口に放りこむ。
「ちょっとしょっぱくて、じわーっと甘くて、変わらん味とですね」
「ふるさとの味か。いいね」
古い記憶を掘り返そうとして、妖怪はやめた。つぎのかんぼこと莞爾とした柑奈の顔が、すぐ目の前にあったからである。
一升瓶の中身が半分をきり、居並んでいた練り物もまばらになってみると、二人だけの酒宴にギターの音が加わった。ウグイスの鳴き声に合わせてポロポロと弾いていたのもつかのま、いまや柑奈本来の、夏の陽射しのようなにぎやかな演奏になっている。知っている曲と、思いつくままと、指の勝手とに任せてメロディをサウンドホールから溢れさせる。ときおり友情や親愛の素直な言葉がそれに乗って躍り出ていく。梅の枝、椿の茂みから、鳥が数羽飛び立った。シジュウカラだなと化けミミズクは見もせずにいう。
「音葉ちゃんが歌うと寄ってくるのになー」
ぼやきつつ、ギターは休めぬ柑奈である。
「きみの歌は元気だから鳥も飛びたくなるんだろ。まあいいことさ、あいつらいまが巣作りの時期だし」
「プロデューサーさんは?」
「手拍子でもしようか」
「それは嬉しいですけどそーじゃなくて、ミミズクは?」
「いま? 子育ての時期だよ」
我が身を顧みて、声だけの笑いとグラスの残りの酒とを化けミミズクは引き換えた。これで都合四杯飲み干し、妖怪といえども酔いが回る量である。人間の姿を保てなくなり、巨大なミミズクの正体を現した。オレンジの丸い目と上へ跳ねた二本の羽角、砂色の羽毛は胸の下から爆発したように膨れた、ワシミミズクである。
「あらら」
「うーんなかなか酔った」
「帰り、大丈夫と?」
六弦をかき鳴らす手を止め、柑奈が身を乗り出す。丸く膨れた冬の羽毛が、健康的な色の頬を撫でた。化けミミズクは黒いクチバシをだらっと開いて、アルコールの多い息を空へ吐き出す。
「帰りは近くの駅までにしとこう……」
「はあい」
ギターにも返事をさせて、柑奈はまた心に浮かぶものを曲に、それからぽつぽつと歌にした。さっと風が通り抜け、梅の花が舞う。ひらひら迷いながら、その白い一枚が、揚げたかんぼこの上へ。化けミミズクは横着に、その梅の香のついた一切れを口で迎えにいった。伸びやかなアルトを紡いでいた柑奈の口がゆるんで、彼のほうを向く。
「あ、プロデューサーさん、お酒ください」
ください、といいながら、柑奈の両手はギターを離れない。ミミズクの顔だけが柑奈のほうへ回転する。
「歌いながら飲む気?」
「爺っちゃんは自力で飲んじやうんですけとね」
「きみの爺っちゃん腕何本あるの」
「腕は二本きりなんですけどね、おまけに脚が二本もあるもんですから」
「すごいな爺っちゃん……」
八割がた信じて、呆れと感心をないまぜに、化けミミズクは体だけを人間のかたちに変えた。翼では酒を注げぬ。薄め、ぬるめのお湯割りを柑奈のグラスに作って差し出すが、やはり柑奈はギターと戯れている。口許まで持っていってやっても、柑奈の大きい口は歌に占められて酒のはいる余地がなかった。
「柑奈ちゃんさあ」
「いやあ、飲もうという意志はあるとですよ? でも歌がなかなか赦してくれんもんでですね」
「なるほど……画期的な禁酒方法だな。きみの歌の、こんどから売り文句につけくわえとくよ。この歌を口ずさんでいるあいだは永遠に禁酒していられます」
「健康あってのラブアンドピースですからね」
しゃべる余裕はあるものの、グラスに口をつけるにはまだ何歩か及ばぬようすである。上下のまぶたを半分ずつ閉じて、化けミミズクはうなった。
「無理に飲ませたいわけでもないけれど」
「まだ飲めるし飲みたいんですって。でも歌いたい、わかります? このジレンマ」
「しゃべるのはできるのになあ」
およそ深刻な事案には見えず、ふん、と鼻息を一つ、頭まで人間の姿をとって、化けミミズクはお湯割りを口にした。
「あら? えっ」
顎を取られて動きの止まった唇の内側へ、人肌の液体が流しこまれる。芋の馥郁たる香りがアルコールのしびれとともに柑奈の鼻の奥に広がった。つい数秒前まで黒いクチバシだった赤い唇を硬直する柑奈のそれから離して、化けミミズクは一仕事終えたと独り頷く。
音を立てて飲み下し、唇を巻いて、開いて、柑奈は口から梅の香を吸った。
「わーっ、悪いんだ。私はじめてだったのに!」
指差した先の化けミミズクは、また気が抜けて鳥の姿にもどっている。その大きいオレンジの目を四角くして、柔軟に動く首をかしげた。
「ほんとに?」
「んふふ、はじめてですよはじめて」
「……」
「いたいけな乙女にこんなことするなんてヒドいんだ。ファーストキスが芋焼酎なんて」
言葉と、それとはかけ離れたニヤニヤ笑いと、どちらが真なるか。化けミミズクはサトリではないが、心音でだいたい聞き分けられた。それは妖怪の能力ではなく、ふつうのフクロウたちにもできる芸当である。
ともかく、彼も言葉だけ真面目にして、正直に答えることにした。
「いやあ、ごめん、ほら、親はよくこうやって子供に食べさせるからさ」
「……そーでしたね、鳥でしたプロデューサーさんって。私は人間なんですけどね」
怒ってますよ、と柑奈は顔でいう。
「たまにはよかろうと思って」
「反省してませんね。これは帰りもずっと飛んでもらわないと」
「じゃあ酔いが醒めるまで待って」
「あれ? もう飲まない気ですか?」
「クチバシじゃあうまく飲めん」
ウッフッフと鷹揚に笑うのを見るや、柑奈は瓶を取り上げて蓋を外した。注ぎ口を彼の顔の、半開きのクチバシに向けている。
「やめて。いまどきの妖怪は酔い潰されたくないの。八岐大蛇や酒呑童子を知ってるだろ」
「俵藤太や桃太郎はしらふでやっつけてませんでした?」
「そんな豪傑でなくても退治されちゃうからやなの!」
「そがんごたしませんよ、愛と平和の柑奈ちゃんですけん」
「……」
化けミミズクは翼でクチバシを隠した。右から左から隙をうかがう柑奈だが、羽毛の塊には一穴もなく、表情をワントーン落として瓶を上へ向ける。
「だいたい、酔い潰されて怖いのは人間だってそうですよ」
「おや意外な発言」
「みんな危険な欲望を抱えてて、ふとしたはずみに表に出ちゃう。そういうことは知ってるつもりです」
両目の翳りにつられて、クチバシの端が諦観に引かれる。オレンジの虹彩から警戒の色が抜けた。薄緑色をした梅の花びらがくるくると、二人の横を流されていく。
「それでもきみはラブアンドピースを歌う」
「そう! ラブはそういうのを包みこんで、恋愛とか努力とか、いいものに変えてくれるんです!」
胸に抱えあげた一升瓶のラベルを、右手の爪で柑奈はひっかく。固く小さい音が四つ、どれも酒のなかへ溶ける。その音は妖怪にも人間にも聞こえなかった。
「……爺っちゃんなら音が鳴った?」
「鳴りますね、爺っちゃんなら」
「きみの爺っちゃん、古ギターの変化なんじゃあないの?」
柑奈の陽気にした声音にこたえて、化けミミズクも表情をゆるめる。そのゆるみを油断と見たか、焼酎の一升瓶を柑奈は、自分の口に運んだ。
「なにしてん……!?」
化けミミズクは驚いた。やめさせようと身を乗り出した。乗り出して、動きも言葉も途中で止まった。そのクチバシのカーブに、熱くみずみずしい弾力が重なったためだ。舌を出してゆっくり離れた柑奈は、目を点にした化けミミズクの顔を見て吹き出した。喉へ流れていかなかったストレートの焼酎が、胸の羽毛に染みて広がっていく。
「あはは、クチバシってあったかいんですね」
そういって柑奈は唇を人差し指で叩く。口内に溜まったままの酒を飲み下し、妖怪はムスッとしてみせた。
「さっきはじめてとかいっといてな」
「うーん、いいじゃないですか。あれがはじめてなんですよ」
「ふーん……」
皮肉っぽく口の端を引いた、人間の姿に妖怪はもどった。陽の光が色づきはじめ、山に冷えた風が吹く。柑奈はこぶし一つぶん、プロデューサーの近くに座りなおした。
「ミミズクのほうが暖がとれたんですけどね」
「羽根を濡らされちゃあかなわんからな」
グラスにまたお湯割りを作り合い、無言でグラスをぶつける。コーンと澄んだ音がした。
(了)